ANTIQUE JAPANESE RADIO/日本の古いラジオ

written by Koji HAYASHI, Ibaraki JAPAN

Mini-Museum of Japanese Radios/日本のラジオのミニ博物館

Tube Radios Before WWII/戦前の真空管ラジオ

1 Early Globe tube Ages/初期のナス管時代

Battery set and Eliminator Radios/電池セットと交流ラジオ

01: Early Battery Tube Radio
1: Early AC Radio
12: Early Normal Four tube Radio
13: Early Pentode TRF
14: Early Midget
15: Early Deluxe TRF


Page 1. Early AC Radio During (1928-1933)/初期の交流ラジオ

1st ed. (1998.3.20), (1998.5.5), (1999.5.5), (2000.5.30), 2nd ed.(2002.4.2), 3rd ed. (2006.6.25)+(2010.5.3)

HomePageRadio/Radio_P1.html

1. Early Time AC Reflex Radio/初期の交流レフレックス・ラジオ in (1928-1932)

A(31). 226 Type Homemade Tree Tube Reflex Radio/226型自作3球レフレックス・ラジオ in 1930-32, ('97.3.24)

A(31B). Horn Speaker -Tokuhisa Electric Laboratory/徳久電気研究所製ホーンスピーカ

 


1. Early AC Reflex Radio in (1928-1933)/初期の交流レフレックス・ラジオ

日本のラジオ放送は,東京中央放送局(現NHK)が1925年(大正14年)3月に行った試験放送が始まりであるという説が(政府筋の)歴史として定着していますが,それより前に民間の新聞社や無線機製造会社が実験放送を行っていたというのも歴史的事実です。(無線と実験401回路図集,通巻400号記念臨時増刊,1958年5月,p.182によれば,民間では本堂平四郎,苫部地貢氏の名前が出てきます)。復刻ダイジェスト版無線と実験1924-1935(1997年)によれば,1924年(大正13年)7月号に大阪毎日新聞社が放送無線電話実況を行った模様と,同年12月号には苫部地貢氏が上野不忍池(しのばずのいけ)畔で開催された無線電話普及展覧会で行った演説の模様が紹介されています。同展覧会の装置は米国Western製の放送器で,また電波塔もまさに本格的な試験放送であったといえましょう。

その頃のラジオ受信機は輸入品で,国内では輸入者がラジオ屋を兼ねていました。そういったお店がやがて部品の製造や技術資料の収集と出版配布を始めます。同時に真空管,電子部品,ラジオ製造の商店,工場,会社が国内にも誕生し,徐々に成長していきました。

エリミネータ(交流電源ラジオ)

真空管ラジオが直流電源(乾電池や蓄電池)に頼っていた頃は庶民はラジオに手出しができませんでした。鉱石ラジオは放送局周辺の,すなわち都会の人間にしか恩恵がありませんから,出力も弱かったこの頃は鉱石ラジオといえどもやはり庶民のラジオではなかったと思います。ラジオが普及するのは電源が交流(商用電源,電灯線の電気を使う)時代を迎えてからでしょう。これは,ラジオを作る真空管の歴史から見ると,1928年(昭和3年)に東京電気(TEC,現東芝)が交流専用の検波管UX-226,そして出力管UX-112Aを国産化したことに始まり,翌年の1929年(昭和4年)に廉価な整流管KX-112Aが初めて登場して準備が整いました。それまでに国産化されていたUX-201Aとともにこれらの球を組み合わせて,本格的な交流ラジオ時代が始まりました。

交流電源を用いたラジオは,従来の乾電池や蓄電池を取り除くという意味から,当時は「エリミネータ(Eliminater)」と呼ばれました。従来の電池管式ラジオに電源を付加するだけですから,今となってはラジオの回路形式が変わるなど想像もつかないことですが,当時は大変な技術を要しました。直熱型の真空管しか無かった時代ですから,フィラメントの交流点火は特に検波管で強烈なハムを生じ,受信妨害を引き起こします。さらに+B電源の高圧整流にも適当な整流管が市販されておらず苦労しました。検波管にはフィラメント電圧を1.5Vに下げたUX-226が登場しハムが低減,さらに傍熱型真空管UY-227の登場によって,ようやく解放されました。その過渡期にあっては検波だけは鉱石(現代で言えば天然の半導体ダイオード)を用いたハイブリッド構成の真空管ラジオが最も交流化し易いラジオでした。また,整流管が登場するまでは3極管UX-201Aの2極接続が良く使われました。文献にも登場しますが,この2極接続はあろうことか特許となっており,ラジオセット・メーカは使用に苦慮しておりました。アマチュアだけがテキストを見ながらこの2極接続を組み立てることができる時代でした。

レフレックス回路

1928年(昭和3年)11月には,日本放送協会はエリミネータを推奨し,放送電力10kW増強と放送開始3周年を記念してラジオ展覧会を開催,「家庭用として経済的,取扱簡単,安心で,鉱石式受信機の聴取圏内でスピーカが使用できる受信機」を懸賞募集した。1等当選したラジオは富久商会の従業員新田氏が一等に輝きました。これはレフレックス型で,フォックストン鉱石とUX-201A(?)を3本使い,高周波1段,鉱石検波,低周波2段,それに整流回路をこなします。そればかりでなく,入賞5台のうち4台までがレフレックスだったそうです。アマチュアは雑誌に掲載された手本を頼りにラジオを組み立てる時代でした。この3球レフレックスはアマチュアにとって時代の寵児になったことは確かです。後に富久商会は当選記念として先の受信機を「サンダー」受信機として1,000台限り48円で販売し,さらに数1,000台を55円で販売したそうです。サンダーは金属箱に入り,1つ目小僧のデザインとなりました。

レフレックスとは,真空管ラジオの回路の1つで,1本の真空管で高周波増幅と低周波増幅を行わせるものです。高価な真空管を節約できるので廉価なラジオには欠かせない回路です。我が国の電池式ラジオ初期の時代からありました。この回路は田口達也氏の「ヴィンテージラジオ物語」によれば,米国のDe Forestを含めた数人によって同時期に独立に発明されたそうで,De Forestは1923年(大正12年)には高周波3段,鉱石検波,低周波3段の計6球相当の4球レフレックス・ラジオD-10型を販売していました。日本にも輸入され,1924年(大正13年)の東京朝日新聞社主催の河口湖畔夏期大学放送という名前のデモ放送では,マグナヴォックスのラウドスピーカとの組み合わせで鳴らしたそうです。レフレックスの中で最も経済的な構成は,鉱石を用いた2球レフレックスで,再生検波にもう1本の真空管を加えた3球式のTRIRDYNE(トリルダイン,R3つならべたラジオという意味)とともによく使われました。電池管時代にあっては,再生検波の方が鉱石よりも感度が良く有利なはずですが,鉱石により真空管を1球減らすことができれば,セットの価格低減,また消費電力も減らすことができ電池の維持費低減につながり経済的でした。これが鉱石の御利益です。ただ,鉱石には接触不良による感度低下という欠点がありました。鉱石検波器は1902年に米国でG.W. Pickardが発明したそうで,方鉛鉱(ガレナ)を用いたさぐり式鉱石検波器は今日の半導体ダイオードと遜色無く働くそうです。

電源を交流式にすると検波管でのハムが問題になり,先の3球式のトリルダインでは実用になりません。その点,鉱石を用いた2球レフレックスはハムから解放されるので,我が国では検波に鉱石を用いた電池式時代の2球レフレックス・ラジオに整流管を足した,交流式(エリミネーター式)の3球レフレックス・ラジオが初めに流行しました。1928年(昭和3年)頃のことです。

一つ目小僧の木製箱と金属箱

ラジオはAC時代を迎える頃からデザインが大きく変化しました。それまでは正面パネルに同調回路の数だけツマミを配置した機能優先のデザイン,(後の時代の)通信機スタイルだったのですが,同調操作が1つのツマミ操作で達成すべく複数のバリコンをプーリーと金属鎖で回す仕掛けや多段型のバリコンが登場し,トラッキング技術が発達。やがて,中央に同調ダイヤルを配置したデザインが流行しました。中でも円盤に目盛りを記し金属飾り枠を付けたプロジェクション型ダイヤルと左右に他のツマミを2つだけ配置した「一つ目小僧」型(仮に私が名付けた形式)が後の日本のラジオに強い影響を与えました。

まず,木製の箱で一つ目小僧型が現れました。1927年(昭和2年)のStewart-Warnerのモデル385は他の2つのツマミは遠く離れた両端に配置されています。翌1928年(昭和3年)のRCAの最初のACラジオのモデル,ラジオラ17 AR-927, 最初のACスーパーヘテロダインラジオラ60もこの形式です。これはドラム型でした。さらに1929年(昭和4年)の中でもKolster RadioのBrandes B-10,は木製キャビネットが中央が丸くくり貫かれて正面パネルが現れるデザインで,後に1932年(昭和7年)に松下が発売した当選号のキャビネットの原型と思われます。

一方,鉄製のキャビネットがラジオに最初に現れたのは米国では1926年(昭和元年)のことで,At Water Kent社のモデル35が最初といわれます。シールドが完全なのでボディーエフェクトが避けられる他,裸の途中回路への電波飛び込みが無くなるので様々な不具合が避けらます。鉄製の箱で一つ目小僧型が現れたのは1928年(昭和3年),Closleyの608型GEMBOX,他の2つのツマミを中央に集中させたデザインのACラジオで,初めのSelf-Containedモデルとあります。1929年(昭和4年)には同様のデザインのAt Water Kent社のモデル55が現れています。スピーカは丸形の外づけコーンでした。

1つ目小僧のデザインは,我が国の並四に影響を与えるのは1930年(昭和5年)頃からでしょう。ちょうど,鉄製の箱と同時に現れたようです。国内では,富久商会が社員の当選(1928年,昭和3年)を記念して後に発売したラジオの1つ「サンダー」も流行を取り入れたデザインとなり金属製箱に一つ目小僧でした。1930年(昭和5年)の懸賞当選のコンドルも翌年市販されましたが,キャビネットには金属製が使われ,また,デザインも1つ目小僧でした。コンドルのダイヤル飾り窓の原型は,1929年(昭和4年)の米国NATIONAL社のVelvet-B(Screen Grid THRILL BOX)というラジオに見られます。これも金属製に一つ目小僧です。日本での金属箱の流行は1930-31年(昭和5-6年)頃の僅かな期間に限られました。我が国では自動車製造は盛んでなくプレス機による鉄製の部品の大量生産ほどラジオが売れる訳もなく,我が国では安価な木製に軍配が上がったようです。

翌1931年(昭和6年)11月の日本放送協会の懸賞募集で優勝したものに,松下電器製作所(ナショナル)の受信機がありますが,当選号として販売されたもののデザインは目の大きな1つ目小僧ですが,キャビネットには木製の箱が復権してきました。なんと漆塗りの豪華なものだったそうです。我が国のラジオは,同調回路が1つの再生検波式あるいは同調回路が2つの高1式ですから,単バリコンあるいは2連バリコンでよく,一つ目小僧が適当でした。

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A(31). 226 Type Homemade Three Tube Reflex Radio in 1930-1932/1930-1932年頃の226型自作3球レフレックス・ラジオ, ('97.3.24)

ここに紹介するラジオは,交流電源式の3球レフレックス・ラジオです。キャビネットにメーカ名は特に無く,町のラジオ店もしくは腕の良いアマチュアが組み立てた自作のラジオと思われます。レフレックス・ラジオが現れた頃は,ラジオの姿は一同に木製の箱と金属板,あるいはエボナイト製のパネルに目盛りの付いたツマミといった後の通信機スタイルでした。しかし,本機のキャビネット・デザインは投影型ダイヤルを中心に据えて左右にツマミを配置した「一つ目小僧」型なので1928年(昭和3年)よりもやや後の時代と思われます。特に一つ目小僧の金属板は実に1932-1933年(昭和7-8年)頃の流行のものに見えます。中身の回路は1930-32年(昭和5-7年)頃の特長を備えているのですが,使用部品もそれ以降の製造に見え,古い情報を基にアマチュアが作った1932年(昭和7年)頃の作品というように考えましょう。[時代考証を追加,推定年代を訂正,'02.3.28]

Front View/正面:Three Tube Receiver/3球受信機

Top View/上から見た図(Strong UX-226 alive but other two were pulled out./Storong UX-226は生きている,2球は抜き出されている)

本機の電気部品は木製の板上に取り付けられ,配線には角型メッキ線が使われています。真空管ソケットはUX型ですが,バヨネット・ピン付きでUX/UV両方に対応しています。回路は標準的なレフレックス。鉱石検波,3極管の2極接続エリミネータが特徴。回路図が添付されてないのでバイアス(c電池)部分はオリジナルの姿が不明。角型メッキ銅線による木板上の空中配線(一部は床下)。

Circuit Diagram of the 226 Type Homemade Three Tube Reflex Radio

真空管は高周波増幅と第2低周波増幅(出力増幅)のレフレックス回路に3極管のUX-226が,初段低周波増幅にもう1本UX-226 が,そして,+B電源の整流管として2極接続された3極管UX-201A,UX-112AまたはKX-112Aが使えるようになっています(5V,0.25A)。私がこのセットを目にしたとき,3本の球はそれぞれ,国産のStrong 製のUX-226,国産のNews製のUX-26B ,それに米国WestingHouse製の5V4-Gが挿さっていました。UX-226はルース・ベースで接触不良でしたが修理の結果生きていることが分かりました。UX-26Bはチェックの結果ヒータが断線し死んでいることが分かりましたが,ガラス外形が通常より大きく,しかもバヨネット・ピン付きという珍しい球でした。また5V4Gはヒータ電流が2AですからUX-201Aの代用という訳ではなく,単にラジオを高価に売り飛ばす際の素人への目眩ましに挿さっていたようです。おそらく,価値あるUX-201Aだけが先に盗掘にあったのかもしれません。

回路図を見ると,JA1AOL松井利夫氏が日本古典ラヂオ同好会(39),(MH94.10,p.159-191)に紹介されている3球式(UX-201A)エリミネータ受信機に似ています。同じ回路は大阪無線電信電話学校長内田作蔵氏講述,「通俗ラヂオ講義録第参巻」(1932年)にも紹介されていますので,当時の標準だったことでしょう。本機では,真空管はUX-201AからUX-226に変わり,電源トランスもUX-226用に1.5Vを供給していること(UX-226は1928年に国産化されています),ダイヤルの投影のために照明用ランプが加わっていること,整流管UX-201Aのフィラメント電圧調整用のレオスタット30ohm(当時の文献によれば,KX-112A/B, UX-216の場合は使用せず)はあるが,他の2球のフィラメントのは1.5V専用のためか?省略されている,などが異なります。C電池は端子のみが残っていました。一方,内田作蔵氏の同じ文献には,さらに進化したUX-226x2, KX-112A/Bと鉱石を用いた3球式レフレックスエリミネータ受信機も同時に紹介されていますが,UX-226のフィラメント回路はCエリミネータ(自己バイアス式)になっています。本機はまだC電池を要するやや古い形式です。さらに,電源トランスの+B巻き線はUX-226になると180Vが普通になるのですが,本機は150V/10mAに過ぎません。したがって,本機はUX-201A型と進化したUX-226型の中間の時代に製造されたといえましょう。

キャビネットの塗装は,どういう訳か,薬品をこぼしたような傷みが所々にあって斑になっており,また内部にも錆が多少あり,保存状態が良かったとは言えません。でも内部の部品は,C電池を除けば特に欠品はなく,5V4Gの件は承知しながらも大金を支払って購入しました。

(状態)キャビネットは角部に細かい凸凹の傷が沢山ある。塗装地は傷んでないように見えるが表面の至る所に数cm径の黒いピッチのような汚れが付着し水拭きでは取れない。裏板は木製ビスで止っているが,こじあけの凹み跡があり,2本は近年のプラスネジで置き換えられている。内部の金属部品はほとんど錆はないが,角型オイル・コンデンサには錆がありまた膨らんでいるから,交換する必要があろう。ACケーブルの布巻線は程度が良い。

(紛失) キャビネットは4脚の1つ(木製)が紛失。またキャビ裏面のアンテナ端子の一方のツマミ紛失。

(外観の修理の計画)

キャビネットの塗装:汚れを削ぎ取った後,一部補修する必要あり。

キャビネット足:木片を糊付けする

アンテナ端子ツマミ:プラスティック製のネジ切りのものを付ける

(回路部品の手当の計画)

トランス類:断線があるかチェックする。断線の場合は巻き直すか,あるいはケースを残し中身を交換することもありうる。

真空管:正式にはナス管226と201Aを入手する。しかし,取り敢えず,UX-26B(バヨネット・ピン付き)は,ST-12のUX26Bで代用する。整流管UX-201A(5V,0.25A)は,アダプタ(GT --> UX)を作れば6H6GT(6.3V,0.3A, Ibmax=8mAx2)で代用できる。鉱石はゲルマで代用する。

角型オイルコン:チェックし,悪ければ適当な耐圧容量のものに置き換える。

A1 31 97.3.24 41k Homemade(川越)鉱石レフ 29? WB S-3 AC-Ref+Horn □★--△▲○

「昭和7年頃のエリミネータ式3球レフレックス再生ラジオ」追加情報:97.4.2/97.7.8/02.4.4

周波数:不明,出力20mW程度?

キャビネット:木製箱型,上開き。漆塗り?。SPは外付け型。正面パネルは散綿塗装の鉄板に裏板を当てた形式,ラッパ型スピーカが付く。

サイズ:435w,240d,188h(180)

ダイヤル:投影型

ツマミ:3点式+SW (0)Power-SW,(1)レオスタット,(2)VC-ANT,(3)VC-RF,(4)SP端子

端子:(A,E)端子

真空管:

(推定)UX-226-鉱石-UX-226-UX-201A

(現状)

UX-226(STRONG).......ピン半田不良,ルースベース...38>29

UX-26-B(NEWS/ニュース真空管,バヨネット・ピン,ST14)..ヒータ断

UX-201A......紛失,代りにRAY 5V4Gが挿してあった

鉱石.........BENGOOL

(部品構成)

Coil:Antスパイダー型2層, RFスパイダー型1層

VC: Ant-VC(大7枚)IEC(Ishiyama MFG.Co.)製, RF-VC(中9枚)KES製

Dial-mech: (フリクション減速とプロジェクション型パネル)DGS製

Power-SW: カム式回転SW

AFT: AF1(1:3?): 陸軍4端子型 MELODY(Seidensha Electric Work, 牛込区,東京)

AF2(1:2?): 陸軍4端子型 SHIKU,

AF3(Chock): 陸軍2端子型 NO.310,SAUNDVIC WIRELESS MFG.CO.

PT: (ABトランス),NPS(Yukawa Electric Works Tokyo/Osaka)製Type226D

1.5V,2.1A,5V,0.25A,150V10mA

OIL: 角型 500V,2μF NPS製 x2

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Horn Speaker

ラジオの初期の頃,スピーカは外付けが普通でした。もっとも,鉱石ラジオではスピーカは鳴らせませんので,イヤフォーン(受話器,レシーバ,片耳型,両耳型など)が使われました。単球のラジオなどでも必需品でした。受話器は当時はマグネティック型(磁石型)で,馬蹄形永久磁石の先端に鉄芯入りコイルを各1つ配置し,僅少のギャップを隔てて鉄の振動板を置く物でした。高インピーダンス型(数k ohm, 数10mW)ですから,真空管ラジオでは終段のプレート回路に直接挿入し直列負荷として使用するものでした。(UX-201Aの場合はプレート電流が少ないので問題ないが,UX-226やUY-227になると3倍もの電流が流れる,ただしこの位ならまだ問題ない,と当時の教科書にあります)。スピーカはホーン型が主流で,その形状からラッパ(拡声機)と呼ばれました。駆動ユニットの中身は受話器と同じですが,磁石とコイルが大きく振動板の厚みもあり,大きな音が出せる半面,電力を要しました。

ホーンスピーカの音はホーンを伝わる間に色付けされ悪くなる欠点を持つため,後に自然な音が出る紙コーン型スピーカが誕生しました。コーン・スピーカは当初,直接波だけが使われましたので,飾り付けをしてはあるけれど,音響的にはほぼ裸の状態でラジオの上に立てられて使用されました。つまり,ホーン型と同様に外づけで綺麗なマスクを付けて自立型の使い方をしていました。ところが,やがて,スピーカを内蔵させた小型ラジオが登場,セルフ・コンテインド・ミゼットと呼ばれました。この形式が現在まで永遠と受け継がれ,この時以降外づけスピーカは段々と姿を隠しました。

我が国ではホーンスピーカは放送開始の1925年(大正14年)以来,1931年(昭和6年)頃まで使われました。1930年(昭和5年)頃から外づけ式のコーン・スピーカ箱が出始め,そして,1932-1933年(昭和7-8年)頃からスピーカ内蔵のミゼットへと移行していきました。


A(31B). Horn Speaker made by Tokuhisa Electric Laboratory/徳久電気研究所製ホーンスピーカ

レフレックス・ラジオ付属のホーン・スピーカです。銘板から徳久電気研究所製らしいのですが詳しいことは不明です。チェックの結果,コイルが断線していました。また,マグネットも磁力をほとんど失っているようです。

Horn Speaker, 245mm Diameter, made by Tokuhisa Electric Laboratory/

ホーン・スピーカ, 245 mmf, 徳久電気研究所.

外付けラッパ:2つに分離(3点ネジ留め)

最大径245φ,392h(ドライバ含める),ドライバ接合部は外径20.5φ,内径17φ

ドライバ:(トクヒサ;TOKUHISA Electric Laboratory)ユニット断線?

底径130φ,55h, ユニット80φ,70h,ラッパ接合部は外径27φ,内径21φ

(修復の計画)

ユニットの断線の原因を調べる。コイルのまき直し,振動板の錆取り研磨をやる。再磁化もやる?ついでに,ケーブルとプラグを交換する。(1年たった今も未だに果たしていません。1999年5月記) 

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