ここでは,何だか分からないラジオを入手した時の,メーカや型番,年代を推定する方法を記しました。扱っているのは戦後のラジオの一部に過ぎませんが,ちょっとしたヒントとなれば幸いです。また,時代を探るには歴史的な知識も必要と思い,簡単な歴史を書いておきました。
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一般庶民がラジオ作りに精を出した黄金時代は,大正から昭和初期にかけての放送開始時期と,戦後の復興から民放誕生にかけて2回あったと言われている。特に戦後のこの時期は,戦時中補修用部品が途絶えて死んでいたセットの修復,ラジオを戦災で失った人のための旧日本軍の放出物品による新たなセット(並4,高1)の製作,GHQによる再生検波式ラジオの禁止とスーパ切り換え令,民放受信のための並4,高1のスーパへの改造などがあった。
終戦直後のラジオ製造は,ラジオ・セット・メーカの主導で始った。というのは,材料や部品さえ手に入れば誰にでも作れたからである。戦前に製造されストックされていた部品や旧軍の放出品,ジャンクなどは闇市で入手できたという。日本放送協会NHKは戦前と同様に形式を「制定」し,品質の維持向上を名目に統制を図ろうとした。NHKの目論見は,再放射する並4,並3の代りに高1付きを普及させることにあり,また真空管メーカの6.3V化という意向も反映させて「国民型」として,終戦の翌年の1946年に「制定」した。スピーカがマグネティック型とダイナミック型で型番が異なるなど細かな設定もしているが,価格の設定が伴わないから戦前の品質向上の名目とは無縁で,名目的な分類に過ぎない。また,真空管メーカは,戦前果たせなかった6.3V化の夢を推し進めようと,2.5V管の製造を後回しにしてむりやり6.3V管の製造に着手した。にもかかわらず,セット・メーカは,2.5V仕様のマグネティック・スピーカ付き並4,高1という戦前のセットの製造再開から始めたのである。部品の調達や組み立て調整の技術から考えても自然の成り行きだった訳である。さらに,球に関していえば,戦前・戦中のセットは補修球の供給が長らく途絶えていたのだから,2.5V管の需要は大きかったはずである。多くのセット・メーカが勢力を注いだ結果,1947年頃には球の供給が追い付かず,球無しセットが山積みになってしまったという。その原因の1つは真空管製造メーカの復興とエネルギー供給(電気,石炭)が不十分だった他に,この見込違いもあったと思われる。大手メーカでも2.5V仕様の並4を多く製造したため,NHKの国民型ラジオは,市場動向を後追いする形で,6.3V化や高1一本化を一歩後退させ,2.5V仕様の並4も認知するに及んだのが1947年であった。
ところが,せっかく制定した国民型ラジオも,同じ1947年にはGHQの再生ラジオ禁止令(実質的な行政は逓信省)であっけなく吹き飛んでしまった。お神の一言で,スーパにあらずんばラジオは販売できなくなった。歴史的なラジオ製造の流れの主導権は,第2にGHQに移った。そして第3には新たな真空管メーカが役割を演じた。スーパに必要なIFTについては,ダスト・コアを唯一国内で製造していたTDKが一挙に脚光を浴びた話を田口氏が書かれて有名になった。この他に専用の真空管が必要だった。混合用球Ut2A7,Ut6A7,Ut6L7G,検波増幅用UZ-75などが戦前から製造されていたが,少なくともこれらの増産と専用のUt用ソケットの製造が必要だった。しかし,実際問題として,製造には特殊な技術や材料が必要な訳ではないので,禁止令とともに真空管メーカは増産に向かったはずである。
ところが,蓋を開けてみると,旧来のUt-6A7,UZ-75はあまり普及しなかった。6A7系は発振条件がクリティカルで商用電源電圧の低下があると発振が停止してしまうという話が残っている。また絶対量の不足から,一般管のUZ-6D6を自励コンバータに使用したという話も残っている。ペントードの自励発振はなおさらクリティカルなので大規模製造には向かない。こんな理由もあるのだろうが,東芝(マツダ)は米国の後継管6SA7,6SQ7を日本向けにST化した6W-C5,6Z-DH3,6Z-DH3Aを新たに作り,見事にヒットさせた。6Z-DH3,6Z-DH3AはUZ-75の廉価版だったのである。そんな訳で,日本のスーパ形式は,球屋によって確立されたのである。
ラジオというものは工業製品であるから,大正時代に製造開始されて以来今日に至るまで,ちゃんとした製品には氏素性が明記されている。
ロゴ
メーカのロゴやトレード・マークは,木製キャビネットの場合正面パネルや天板にカラーで印刷されていたり,またダイヤルの飾り窓枠金具に浮き彫りされていたり,ダイヤル指針板に印刷されていることが多い。
銘板
メーカー名の他,セットの型式,製造年月日,製造番号などを記した金属製の銘板や張り紙は,裏蓋やキャビネット内部の側面にある。
張り紙
また,親切なセットは,部品配置図やシャーシ取り出し方法の説明,回路図などが内部側面や床板の下面に張ってあったりする。紙質や印刷が良いものは今日でも新品同様に判読できる。したがって,メンテナンスに水洗い,水拭きは禁物である。金属製の銘板があるものは別として,張り紙は使用が荒かったり保存が悪かったりすると剥がれたり破れたりして跡形も残らない。辛うじて残っていても文字が判読できないケースも多い。この場合,製造年代,型式が判らなくなり,酷い時にはメーカ名すら特定できない。
こういったケースでは,参考資料を探して,メーカ名,形式,製造年代を特定する方法もある。比較的有名なメーカのセットであれば,製品カタログや新聞や一般雑誌に広告を出している。さらにラジオ関係の技術雑誌には関連記事が掲載されることもある。ただし,日本人は古いラジオ・セット同様,古い雑誌やカタログを保存しておく趣味が無いので,大半は廃棄されていると思わなければいけない。
戦前や戦中のセットは,当時の大手製造メーカによって製造されたものがほとんどで比較的種類は少ないが,戦後,倒産や解散,吸収合併などの憂き目に合ったメーカも多く,「歴史」は跡切れている。さらに,戦前の出版物は戦災に合ったり戦後の混乱時期に焚き付けや再生紙に廻されて消失したケースが多い。ラジオ雑誌は一般に広く購読された半面廃棄も進み,戦後も含めてこの種の雑誌は,神田の古書店ですら入手は容易でなく,また公営の図書館で系統的に収集している例は皆無である。
一方,終戦直後には新興四畳半メーカが乱立したため,ラジオ・セットの種類はバラエティーに富むが,流通した数量,期間,品質を考えると現存しているケースは稀であり,またブームの終結とともに倒産,撤退したメーカも多いので「歴史」は失われている。スーパー形式が定着した時期以降,製造メーカも今日大手家電メーカとして現存しているケースが多く,戦災にも合ってない訳だから,資料は比較的簡単に入手できそうだが,意外にもまとまった資料が無い。大電気(電機,電器)メーカは自社の技術雑誌を出版し年度毎に業績をまとめているので,今日でも写真入りの製品一覧を見ることもできる。自社技術雑誌は学術系の図書館に収蔵されているケースが多く一度探り当てれば系統的に調べることが容易だが,それでもバックナンバーは会社が軌道に乗った1950年代後半以降に限られる。
このように資料収集も容易ではない。
残る方法は,セットの特徴や痕跡から大凡の年代特定を行う方法である。回路部品には製造年月日が記してあることもある。またセットの造り,特にキャビネットのデザイン,材料,回路部品の種類,デザイン,材料や回路構成などには製造時期により流行がある。
以下に,年代特定の手がかりになる情報を紹介しよう。
以下の表は,真空管の登場とラジオの形式の変遷をまとめたものである。年代特定にかなり役立つはず。
年代 |
形式 |
真空管 |
ラジオ |
1945年 |
ST管式 |
新しい球の登場 :6Z-P1 |
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1946年 |
ST管式 |
放送局認定部品(放)の廃止 |
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ST管式 |
等級(1級)表示の開始 |
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ST管式 |
代替管の登場 :3Y-P1 |
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1947年 |
ST管式 |
STスーパ用球の誕生年 :6Z-DH3 |
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1948年 |
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STスーパの本格生産開始 |
1948年 |
ST管式 |
STスーパ用球の誕生年 :6W-C5,6Z-DH3A,KX-80BK |
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1949年末 |
ST管式 |
等級(1級)表示の廃止 |
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1950年 |
MT管式 |
MT管の国産化 :6BE6,6BD6,6AV6,6AR5 |
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1951年 |
MT管式 |
同 :5M-K9 |
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1951年 |
ST管式 |
マジックアイの登場:6E5 |
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1952年 |
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ST管最盛期 |
1954年以前 |
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松下は2バンド化(短波のおまけ) |
1954年4月 |
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球名称変更(ベース記号の廃止):UZ-6D6,UZ-42,Ut-6A7,など |
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1954年頃 |
トランスレスMT管 |
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レス時代来る 12BE6,12BA6,12AV6,35C5,35W4 |
1955年頃 |
ST管式 |
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東芝ST管の撤退 |
1956年 |
トランスレスMT管 |
新型管 : 30A5の登場 |
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1956年 |
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東芝は短波1セット |
1958年 |
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東芝は短波全セット |
アルミ・ケースの縦型ブロック・コンデンサは,JISが確立された時期以降?,黒インクで製造番号が表示されている。可変抵抗VRは直に年月が記されていることもある。スピーカもケミコンと同じ。
シャープの型式不明のST管5球スーパは,ケミコンとVRに表示がある。日本ケミコンでは,652xxとあれば,1952年6月製を意味するらしい。VRには52.9とある。したがって,セットは1952年に製造されたものと推定される。
松下のMT管5球スーパCM615には製造年月日が無い。内蔵ケミコンは松下製で,0456xxと1956年4月とあるので,1956年のセットと推定される。
ゼネラルのMT管式5球スーパ5L121型には製造年月が無い。しかし,VRには(製造メーカ名は影になり読めないが)「1956年10月」とある。
松下のMT管式レス・スーパUA360は製造年月日がない。ケミコンは絶縁紙の下で読めない。VRも影になっている。松下製のスピーカには製造番号がある。型式はP-6123で,11573 (1957年11月)だから,1957年から1958年にかけてのセット。
ラジオの心臓部は同調回路であり,戦前は並3,並4では再生付きアンテナ・コイルとバリコン,高1には2連バリコンにアンテナ用と再生付き高周波段用の2組だったが,スーパの時代にはアンテナ用と発振用のコイルにIFTが加わった。
スーパ用の2連バリコンは高1用がそのまま流用できた。機械工作の面が強く規格化も容易なので,戦前にその製造技術は確立されており,戦後は多くの四畳半メーカも製造した。しかし,その後,整理されて最後に残った2大メーカは,片岡金属工業(アルプス)と松下の部品製造部門であった。
一方,コイルは素人が巻いても実用になる半面,標準的なバリコンを使用しても巻方でバラエティーができ,さらに周波数帯の好みや,感度,選択度などの標準化が容易ではないこともあって,自社に製造部門を持つ大手セット・メーカ以外では,一般部品としてのコイルを望んだ訳である。これにより,日本で独占的地位を築いたのは,春日無線(トリオ,ケンウッド)と富士製作所(スター,後にヤエス無線に吸収合併)の2社であった。
これらのコイル・メーカがいつ頃から一般向けに市販し始めたのかは定かでない。
1948年当時はともかく,ST全盛は1951年〜1952年である。この当時,スターはスーパコイルとして5SA,IFTとしてA2,B2を売出していた。またトリオも同様である。データを回路図,実体配線図などの参考資料とともに印刷したものを添付したのは,1954年頃からである。
また,特に戦前には贅沢に思われていた大出力化と高品位化がUZ-42とダイナミック・スピーカの組み合わせで得られるようになり,各種スピーカが売り出された。フィールド型ダイナミックは1950年代中頃まで自作派に用いられた。
以上の話は,具体的にどんなメーカがあって,年代毎にその型番が特定できれば良いが,資料はほとんど手元に無い。どなたか,まとめてください。
一方,ラジオの顔はスピーカの穴とダイヤルの穴のデザインで決まるが,常に機能よりも流行が支配している。ダイヤルの流行は,米国では,初期の覗き穴,エアプレーン(円形),扇形を経て,戦争直前には既に糸掛け式横長ダイヤルへと移行していた。日本のセット・メーカのデザインは常に米国に後追いしてコピーと改作を重ねていたが,戦争により中断していたのである。スーパー化は高感度化にも繋がるため,ダイヤルの操作性と読み取り精度の向上を要求していた。ダイヤルは戦前はキャビネットと一体形であったが,その目盛はコイルとバリコンの組み合わでいくらでも変ってしまうから面倒である。
木製箱+プラ板パネルの誕生 :中型箱 1954頃?流行は1956年頃。
木製メラニン樹脂塗装 :1954年頃?。流行は1956年頃。
全プラ・キャビの誕生 :1954年頃?。流行は1958年頃。
以下は,まとまりの無いメモである。ちゃんとしたレポートを書くには資料が少なすぎるので,時間が必要。読み飛ばして下さい。
(デザインによる年代推定例)
判っているもの:
山中電機RD68 ST木製箱型(下部突出し上部丸曲)+一体型パネル ...1948?
上部突出し型布張り木枠窓+上部突出し型横ダイヤル木枠窓
マツダ512A ST木製箱型(ニス塗り)+上下サン内張りパネル ....1948?
上下金具止め布張,丸ダイヤル金具窓
茨城自作 ST木製左右角突出し(樹脂張?),上下サン内張りパネル 1953
上下サン化粧板張付,上下金具止め布張,横ダイヤル金具窓
クラリオン5S5 ST木製左右丸曲突出(黒付ニス)+繰り抜き内張りパネル .1952
上部布張(下地パネル内張り)+下部ダイヤル窓(繰り抜きクリア板)
シャープXXX ST木製箱型(ニス塗り),箱一体型組み合わせパネル ..1952
上下左右化粧板サン,中板布張り,扇型ダイヤルVRプラ窓
K2 エイコーRC41 ST 箱一体組み合わせ (左右上突出し,下サン) ....1952
下地パネル内張り,横ダイヤル繰り抜き
K6 松下 AX530 ... 木製箱,平面プラパネル外張り .................1954
ゼネラル5L121 MT木製箱型(ニス塗り)+突出プラパネル外張り ..... 1956
(左SP部左右格子,上部横ダイヤルクリア窓)
松下CM-619 MT木製箱型(黒塗装)+平面プラパネル外張り ....... 1956
(全面左右格子,下部横ダイヤルクリア窓)
松下UA-360 MT全プラ箱型+箱組み合わせパネル
(全面左右格子,下部横ダイヤルクリア窓(分離式)... 1957
K12 東芝 5VD301 MT全プラ箱, ... 1958
推定例
K9 ゼネラル5S14 ...箱,内張り下地パネル,丸ダイヤル,... 1948-1951
K10 ゼネラル6S-6 ..組み合わせ,扇型 .....................51-52
G3 シャープ5R700 ..組み合わせ,扇型 ....................51
G2 クラリオン ..組み合わせ,横ダイヤル金具?キャビはG3に類似 ...51-52
K8 TEN DR-1S5B ...左右突出し丸,内張り下地パネル, ... (1949) 1952
K1 松下 BX210 ...左右突出し,金属多孔板内張り,下部横クリア窓 ...48-52
G9 三菱SB-12 組み合わせ,左右上下サン化粧板,下部繰り抜横ダイヤル 53-54
K7 コロンビア ...組み合わせ枠,内張り下地パネル,金属板窓ネジ止め ..52
K3 松下BX250 ...上下左右サン,上下化粧板サン,プラ面+金属枠 .....54-55
K5 ナナオラ5R72 ...組み合わせ一体, .............................52