ANTIQUE JAPANESE RADIO/日本の古いラジオ

written by Koji HAYASHI, Ibaraki JAPAN

Mini-Museum of Japanese Radios/日本のラジオのミニ博物館

3. ST Radio tubes/STラジオ管

32 SuperHet and Industrial Radio Tubes/スーパーヘテロダインと産業用のラジオ管

Audio Tubes/オーディオ管

32_super. Superhet tubes/スーパー用真空管

32_36to39. Early-time 6.3V tubes;

32_63IMa. Industory & Millitary (I)

13B.ST Audio Tubes before WWII/ 戦前の電蓄用ST管


Page 3 - 2.5V and 6.3V Tubes for Superhetrodyne Receiver/スーパーヘテロダイン受信機用2.5V,6.3V管

2nd Edition (2006.10.14)+(2008.9.27)-(2010.12.30)-(2011.11.22)-(2013.6.9)

HomePageVT/Radio_tube_32_super_Rec.html


6. Radio Tubes for Super-Het before WWII/戦前のスーパーラジオ用球2.5V and 6.3V

Converter
RF and IF amp
Detector and IF/AF amp(Pentode)
Detector and AF amp(Low mu)
Detector and AF amp(High mu)
Power Pentode
Fullwave Rectifier;

2.5V; Ut-2A7, 6.3V; Ut-6A7,

2.5V; UZ-58, UZ-57, (Another page)

6.3V; UZ-6D6, UZ-6C6

2.5V;Ut-2B7, 6.3V; Ut-6B7

2.5V; UZ-55, 6.3V; UZ-85

2.5V; UZ-2A6, 6.3V; UZ-75

2.5V;UZ-2A5, 6.3V; UZ-42

KX-80 (Another page)


6. Radio Tubes for Super-Het before WWII/

戦前のスーパーラジオ用球


戦前のラジオはすでに戦前の高級ラジオ用管(Radio_tube_3)で紹介した2.5V管(UY-56, UZ-57, UZ-58, UZ-2A5)とKX-280のシリーズだけでスーパーヘテロダイン受信機が先行して販売されました。この時はUZ-58が周波数変換に使用され,発振はUY-56が担当し,UZ-57のプレート検波でした。

その後,KX-280のST管版KX-80も作られた他,新たに周波数変換専用管Ut-2A7と,AVC(自動音量調整)用にUZ-2A6が登場し,これらを使用した高級なスーパーヘテロダイン受信機が我が国でも販売されました。これらスーパーヘテロダイン専用の真空管は用途が高級機に限られたため,戦前の製造量は少なく,当時のサンプルはあまり残っていません。それでも,戦後も保守用にUt-2A7, その代替管3W-C5, UZ-2A6, その代替管3Z-DH3Aが細々と作られました。

一方,6.3V管のシリーズUt-6A7, UZ-77, UZ-78, UZ-75, UZ-42, UZ-6C6, UZ-6D6もほどなく発表されましたが,戦前の我が国の放送受信用ラジオは一貫して2.5V管が主流でしたのでほとんど使用されることなく,その代わりに業務用や軍用に使われました。特に大平洋戦争勃発後は民生用の真空管製造は中止され,軍用の6.3V管が増産されたので,今日でもそれらを見つけることができます。我が国では戦後,放送用受信機はスーパーヘテロダインが主流になり,また真空管も6.3Vに切り替えられたので,戦前のUt-2A7-UZ-58-UZ-75やUt-2B7-UZ-42-KX-80に相当する5球スーパーが,1946年から1948年頃の一時期にUt-6A7-UZ-6D6-UZ-75やUt-6B7-UZ-42-KX-80のラインで製造されたので,戦前のスーパー専用管Ut-6A7, UZ-75, Ut-6B7も増産されました。しかし,1947年にはこれら専用管もスーパー第2世代の6W-C5, 6Z-DH3Aへと切り替えられ,使命を終えました。最後まで生き延びたのは,UZ-6D6, UZ-42, KX-80でした。


Ut-2A7/Ut-6A7 -Converter/周波数変換管

Ut-2A7(2.5V,0.8A)はスーパー・ヘテロダイン方式のラジオの周波数変換用5格子7極管。1933年にRCAが開発。

日本では東京電気(東芝マツダ)が翌1934年に国産化。Ut-6A7 はその6.3V管で東京電気はやや遅れて1936年に国産化。1935年7月マツダUt-2A7は卸4.55円だった。1937年7月卸,Ut-2A7, Ut-6A7ともにエレバム3.60円,ドンUt-2A7, 3.90円,Ut-6A7, 4.20円,1939年1月Ut-2A7, Ut-6A7ともにマツダ5.07円,エレバム4.30,ドンUt-2A7のみ3.30円。国内ではスーパーヘテロダイン受信機はほとんど普及しなかったが,その中で1935年頃から一時期流行した。コンバータにはUY-224UZ-58などが使われてきましたが,Ut-2A7の登場で5球スーパーが流行り出した。稀に6.3V管のUt-6A7も使われた。さらに1939-40年に,Ut-6A7のトランスレス管12W-C1が作られた。戦争により贅沢品の課税,資源の枯渇,短波放送の受信禁止がありスーパーヘテロダイン受信機は下火になった。

戦後,今度はスーパーヘテロダインの奨励と6.3V管への移行により,Ut-6A7が主流になり一時増産されたが,商用電源の低下で発振が停止するなどの苦情があり,まもなく米国6SA7の国産品種6W-C5の登場により使命を終え,その後は保守用として1960年代まで製造された。Ut-6A7から6W-C5までの移行期間は比較的短く,戦後製造のUt-6A7は保守用の新しいものばかりが残っているが,移行時期のものはあまり無いように見える。

2A7程規格表のパラメータが異なる球も珍しい?,我が国の規格はマツダの'35と'51であるが,いつの間にかヒータ電流が少なくなった。ではマツダ'51は米国に準拠して改定されたかと米国の戦後のマニュアル(RCA RC16, '50)を覗いてみるとヒータ電流は確かに0.8Aであるが,他の特性は2A7/6A7族は電極容量を除きメタル管6A8に同じとあり,では6A8を覗いてみると,マツダ51とも異なる。そこで,そのパラメータの違いは6A8誕生に関わっているのかと思い,New All-Metal Radio Tubes(TB '35.9)を覗いてみると,これまたパラメータが異なるのであった。まあ,良いか。

Base

Outline

Ef V

If

A

Eb V

Esg

g3-5

V

Eg2

V

Eg

V

Rg1

ohm

Ib mA

Isg

g3-5

mA

Ig2

mA

Ig1

mA

Rk

ohm

rp Mohm

gc

mA/V

Ut-2A7

(Matsuda RG-10007 '35.4.30)

1g3-g5, 2p, 3h, 4h, 5k, 6g1, 7g2 TOP=g4

ST-38/ D=38 mm, L=115 mm

2.5

1.0

250

150

100

100

50

50

250*

150

100

-3

-1.5

-1.5

50k

20k

10k

3.5

1.0

1.3

2.2

2.8

2.5

4.0

4.9

3.3

0.7

1.5

1.2

300

150

150

0.36

1.0

0.6

0.52

0.30

0.35

Ut-2A7/ Ut-6A7

(matsuda '51)

JES-7B

JES-1A

1h, 2p, 3g3-5, 4g2, 5g1, 6k, 7h, TOP=g4

same above

2.5

6.3

0.8

0.3

250

100

100

50

250*

100

-3

-1.5

50k

50

3.2

1.2

3.6

1.6

4.0

1.6

0.6

0.2

 

300

150

(1)

0.35

0.6

0.65

0.38

*200V以上の場合は電圧降下抵抗R=20kohmを使用すること

(1)Ik=11.4mA(Eb250V), 4.6mA(Eb100V), Osc Coil Ratio;M/Lg=0.31

Samples of Ut-2A7


Samples before WWII

Matsuda

○Ut-2A7 Tm(刻マツダ/Ut-2A7, Releaf=1234567, 透明円盤マイカサイド付き, 芯付きスパイラルh, 皿G, 47>29),

[EM] Ut-2A7 Tm(刻,浮き彫) 22-32=29,(Rt_32_super)

[YcF]

Tokyo Electric (Toshiba) Matsuda Ut-2A7 before WWII (in 1935) and Base releaf/

戦前のマツダUt-2A7 (1935頃)とベース底のレリーフ。

ベース刻印(マツダ/Ut-2A7)。ガラス管にマツダのロゴ。ベース底にマツダの浮き彫り。電極番号もある。明らかに初期の球で1935年頃?。

[YcF]

Top view of of Matsuda Ut-2A7 before WWII (in 1935)/上部。

マイカ板は円形で両サイドにバネマイカという古い形式。マイカ板上には排気用丸穴が2つ。ガラス管は灰スートだが,カーボン・スートかも知れない。


Don

2A7 DON (刻DON TUBE 赤2A7/チF(38-6), 矢) 070906

[AeU]

Don 2A7 (Ti, F), in 1938

[AeU]

[AeU]

Top view of Don 2A7 (Ti, F), in 1938

[AeU]

Bottom view of Don 2A7 (Ti, F), in 1938


Samples after WWII

?Ut-2A7 Tm (いかり肩, 黒スート, (1級), 透明長方形マイカ, 下部白マイカ, リブ無NiP, やや付帯白ヒータ(コイルヒータ), 角g) C(202) Victor 5R-70 in 1939 050503,

○Ut-2A7 Tm 1級 (43>29 OK), 千田コレクション 010122, (未掲載)

○Ut-2A7 Tm(ナデ, ステム青ユn, 透明長方形マイカ, 下部白マイカ, リブ無NiP, やや付帯白ヒータ(コイルヒータ), 角g), box (SB301-DB) 56>29,,(Rt_32_super)

Ut-2A7 Tm (新型ナデ, 内部よく見える,導通あり0.5ohm) 080225 (未掲載)

Ut-2A7 FUTABA (緑84K,導通あるが不安定) 080225

 

[YcF]

Toshiba-Matsuda Ut-2A7 after WWII, in 1950s?/戦後,東芝マツダのUt-2A7,1950年代?。

印字は白。スートは黒系。ステム青で(2 n)。

[YcF]

Box of Toshiba-Matsuda Ut-2A7 after WWII/戦後,東芝マツダのUt-2A7の箱

(上蓋にSB301 DB,下蓋に日本紙化KK・Q)。


Samples of Ut-6A7


6A7 before WWII

G-6A7-S Magestic (Top cap取れ, gm=59>ok) Gomi shida0408

Matsuda (1) -Die-stamped with Base relaef

Ut-6A7 Tm (刻マツダ/Ut-6A7,ベースレリーフ1234567,円盤爪マイカ,34=heater, 4ohm) 080225

[AeG]

Matsuda Ut-6A7, in 1935, with Base releaf

[AeG]

Top view of Matsuda Ut-6A7, in 1935, with Base releaf

[AeG]

Bottom view of Matsuda Ut-6A7, in 1935, with Base releaf

Matsuda (2) -Die-stamped -side mica

Ut-6A7 Tm (刻,サイドマイカ,マグネシア塗布) 061215

[EM?] Ut-6A7 Tm (刻) 白箱 NG sakai 030125 (未掲載)

[AeI]

Matsuda Ut-6A7 (Die-stamped) side mica

Matsuda (3) -Glass print

Ut-6A7 (BX-6A7) Tm (18.11) x1 箱あり 061112

[GOMI]Ut-6A7 Tm (8角枠, 19.6, 裏(マツダ)錨, Topcap取れ)shida0408

[AfP]

Matsuda Ut-6A7/BX-6A7, Nov, 1943, glass print

[AfP]

Top view of Ut-6A7/BX-6A7


6A7 after WWII

Ut-6A7 Tm (1級,イカリ肩) 「波」「4」box ,(Rt_32_super)

Ut-6A7 Tm (1級,長方形マイカ) 051225 (未掲載)

Ut-6A7 Tm uda 030108, (未掲載)

6A7 Futaba (灰スート,イカリ肩,角G) 緑文字8KN

[YcJ]

Toshiba-Matsuda Ut-6A7 during 1948-49 and Futaba 6A7 after 1955/

東芝マツダUt-6A7, 1948-49年頃と双葉6A7, 1955年以降

左は東芝マツダのUt-6A7。ガラス管壁に銀色でマツダのロゴ,その下に管名。管名の裏に1級マーク。1948年から1949年頃の球。管名の左側に四角で囲った「波」マークがある。秋葉原の店で入手したが,昔の海軍の研究所が戦後どこかの組織傘下の研究所となり,ここに納められた球という話を聞いた。ガラス管は少し濃い灰スート。上部マイカ板に青で「4」の文字。皿ゲッタ。

右は双葉電子工業の6A7,ガラス管壁にFUTABAのロゴ,その下に枠無しの管名,前置記号Ut-が無いからこの制度が廃止された1955年4月以降の製品で,名実ともに米国球の完全互換管になった。ステムに緑文字で8KNのように見える。1958年製か?灰スートで角ゲッタ。 

[AeU][AeU]

[AeI]

[AeI][AeI]

051225

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UZ-6C6 -SCO Pentode/5極管 [戦前編]

UZ-6C6は1935年に米国で登場した検波・高周波増幅用のシャープ・カットオフ管。1932年に発表されたヒーター電圧2.5VのUZ-57の完全な6.3V版である。また戦時中に多用されたトランスレスラジオ管12Y-R1の後期モデルとピン接続を除いた電気的特性は同じである。我が国では戦後一般に使用され長く親しまれた。

57より遅れて発表された77は電気的特性が類似であるが,57/6C6はプレートを包む内部シールドを省略した形式で,こちらの方が製造コストが安く主流となった。

米国で1935年頃開発。同時代に米国で開発された77は,RCAのマニュアル(RC-16)によれば,電気的特性は静電容量とスクリーングリッドの規格が最大100Vである点を除いて6J7と等価である,と書かれているが,米国6C6は規格と動作例は6J7参照とあり,また2.5V管の57はヒータ規格と静電容量を除き6J7と等価とある。したがって,UZ-6C6UZ-57の6.3V管であって,静電容量を除き776J7と等価であると結論される。何故同種の球が同時期に流通したかは定かでないが,UZ-77ならびに6J7はRCAによって開発され,UZ-57ならびにUZ-6C6はRCAでないメーカにより開発された品種と考えるのが最も合理的な解釈であろう。販売戦略によりできるだけ自社の77を製造したが市場は廉価な6C6を望んだため,どちらも販売したということ。UZ-77UZ-6C6の決定的な違いは内部シールドである。

国内ではUZ-6C6は東京電気(東芝マツダ)により1936年に国産化。米国に習って776C6のどちらも製造した。戦前の日本では放送用ラジオ受信機はヒータ2.5V管が主流だったので6C6の活躍の場は無く,もっぱら軍用や業務用に製造された。戦時中,民生用の球に日本名を与える日本標準真空管名称付与制度が発足し,6Z-R1の名称が与えらたが,一度も使われぬまま1949年頃廃止された。戦後,我が国ではラジオ用真空管ヒータの6.3V化により,戦前のUZ-57に代わり並四,高1型国民ラジオの検波管として使われ,ポピュラーになった。1940年代末の一時期多量に製造された。しかし,スーパーヘテロダインの普及とともにシャープカットオフ管のUZ-6C6は用済になり,後には測定器やアンプだけに使われた。[戦後版UZ-6C6参照]

UZ-6C6はガラス管がスートされており最も写真に成りにくい球の1つ。戦前,良く似たUZ-6C6UZ-77の両者とも同時期に国産化したのは米国の猿真似である。UZ-6C6は,UZ-57と同様に,UZ-77に見られたプレートの外側を取り囲む網目状シールド筒を省略し,頭にシールド冠をかぶせた形式の球で,外部シールドは必需品である。プレート外周のガラス内面をカーボン塗布(スート)しているのは時代の流行りであった。プレートからの迷電子がさまよい空間電荷が蓄積すると突然の放電などにより雑音の原因となる。カーボンスートは電位を均一にし,雑音防止に役立つことが知られている。外部シールドは真空管頭部の冠に合わせて金属筒をかぶせ,静電容量的に接地するものを使用する。どうせUZ-77も外部シールドが必要とあれば,真空管内部はシールド冠だけで済ませるこちらの方が廉価である。

戦後,日本ではシールド冠に設計変更がなされ,昔の王冠型から鍔(つば)の短い小判型になり,ガラス管外形も短くなった。

Type-1

UZ-6C6は,6.3Vのシャープカットオフ高周波増幅用5極管。東京電気マツダが1936年頃に国産化。

当初はベースにマツダの刻印,ガラスにUZ-6C6の印字。

Type-2

(戦時モデル120mmガラスプリント)1942年以後?,刻印は省略され,ガラスプリントとなった。

(戦争末期120mm サイクルマークとマツダ)東芝マツダは,1944年からサイクルマーク(2枚羽のプロペラのようなロゴ)を印字した。このモデルは軍用に終戦まで製造された。

Type-3

(戦後120mm )

戦後すぐに製造は再開され,日本放送協会が制定した国民ラジオx号,x号等に採用されたので,各真空管メーカが復興し製造した。

東芝は戦後サイクルロゴで出荷,枠は丸に(6C6/6D6)。マツダのロゴは1947年4月頃に復活した。この頃,120mmサイズのマツダ製は品質は最低で,青がラス,鉄ピン,鉄頭金具,ガラス正面には管名の枠は丸に(6C6/6D6)。裏面に丸マツダロゴ,1級とある。その後,8角枠が復活。ベースピンは真鍮を経て1948年頃にニッケルメッキピンに戻った。

Type-4

(113-115mm いかり肩)その後,1949年頃になって,東芝はUZ-6C6/UZ-6D6のガラス管のサイズをやや短い113mmに変更した。スペースを節約するためか?電極上部のシールド冠は鍔が上向きで,高さは数mmの新型冠(穴無し冠)となった。ガラス管は昔の120mm用を用いているため,ベース接合部で無理矢理切り取って全長を縮めているので非常に不格好なものとなった。何故5mm短くしたかは不明。各社とも短い球を製造するようになった。

同じ年に灰スートが黒スートに変わった。1949年末に等級制度は廃止された。

Type-4-2

(113-115mm 黒スートナデ肩 )

1950年頃からガラス形状は従来のいかり肩から出っ張り部を下げたナデ肩に変更した。ベース接合部の繋ぎは良くなったが,ST管の格好は悪くなった。

1952年にカソードがシームドに。また,ゲッタには角型が現れて,冠は従来の上部マイカを挟み込んで金属板を溶接する方式(溶接型(穴無冠))から爪止め(6穴型)に改められた。

1955年以降UZ-6C6/UZ-6D6は,UZを省略した6C6/6D6に改められた。その後のいつの日か,6つ穴は4つの穴になった。

Specification of UZ-6C6

Base

Outline

Ef V

If A

Eb V

Esg V

Eg V

Ib mA

Isg mA

mu

rp Mohm

gm

mA/V

Eg V Ib=0

UZ-6C6

(規)6Z-R1

ラジオ手帳(東京芝浦電気通信工業支社'44)

1h, 2p, 3g2, 4g3, 5k, 6h, top=g1

ST-38/ D=38 mm, L=120 mm

6.3

0.3

250

100

-3

2.1

0.5

1500

1185

3

1.225

UZ-6C6

UZ-57

UZ-57A

(matsuda'51)

JES-6B

JES-1A

1h, 2p, 3g2, 4g3, 5k, 6h, top=g1

ST-38/ D=38 mm, L=120 mm

6.3

2.5

2.5

0.3

1.0

0.8

250

100

100

-3

2.0

0.5

3.0

1.0

1.22

1.185

-7

Class

Eb V

Esg V

Rg Mohm Cg pF

RL kohm

UZ-6C6 (規)6Z-R1 ラジオ手帳(東京芝浦電気通信工業支社'44)

Grid leak Detector

180

180V/1Mohm

1-2

250

250

最も写真に成りにくい球の1つ。


Samples before and during WWII

?UZ-6C6 Tm (刻マツダのみ,ガラス面銀UZ-6C6, 裏マツダ, Base底矢印, 紙シール昭和16年12月(1941年12月)製造, 青2, 細い白線h, gm=39>31), (Rt_32_super)

UZ-6c6 Cycle (ガラスプリントUZ6c6,Base矢印, サイクルロゴ20.5(1945年5月製), ステム黒字(3 4), ヘアピンh, gm=45>31), (Rt_32_super)

[YcF]

Toshiba-Matsuda UZ-6C6 before WWII, in Dec. 1941/戦前(昭和16年12月)のマツダUZ-6C6

刻印マツダのみ。刻印は写真では見にくい。紙シール。1941年12月製造。ガラス管壁にもマツダ・ロゴ。gm=39

[YcF]

Toshiba-Matsuda UZ-6C6 with cycle Logo during WWII, in May 1945/

戦前の東京芝浦電気(プロペラ・ロゴ=サイクルロゴ)時代のUZ-6C6。ステムに灰紫で(3 4)。gm=45

[YcF]

Cycle Rogo (Toshiba-Matsuda) during WWII/ガラス管のプロペラ・ロゴ(サイクルロゴ)と20.5(1945年5月製)


[AeU]

Elevam MSE 6C6 in Dec.1945, (19-12),/

[AeU]

Top view of Elevam MSE 6C6 in Dec.1945, (19-12)

[AeU]

Bottom view of Elevam MSE 6C6 in Dec.1945, (19-12)

[AiK]


Samples after WWII

(Old Anual Shielding Head)

?UZ-6C6 Tm (1級,灰スート), 42>31) Amp1,

△UZ-6C6 Tm (消え,灰スート), 32>31) Amp2,

?UZ-6C6 Tm (1級, 銀字, 灰スート, 旧冠, ステムCの裏文字? gm700) sakai 030125,

?UZ-6C6 Tm(?白4.9 54),

?UZ-6C6 Tm (1級,Topリード線なし) kirindo 990516,

UZ-6C6 Tm(1級,真鍮pin, ステムCの裏文字) 061215

UZ-6C6 Tm (ナデ) 長田中島 070329

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UZ-6D6 -RCO Pentode/バリミュー5極管 [戦前編]

UZ-6D6は1935年に米国で登場した高周波増幅用のバリミュー(リモート・カットオフ)管。1932年に発表されたヒーター電圧2.5VのUZ-58の完全な6.3V版である。また戦時中に多用されたトランスレスラジオ管12Y-V1の後期モデルとピン接続を除いた電気的特性は同じである。我が国では戦後ラジオに多用され長く親しまれた。

米国で1935年頃開発。RCAのマニュアル(RC-16, 1950)によれば,6D6の電気的特性は静電容量を除いて6U7-Gと等価である,一般の応用法については6SK7参照とある。また,UZ-58はヒータ規格と静電容量を除き6U7-Gと等価とある。したがって,UZ-6D6UZ-58の完全な6.3V管であって,そのオクタル版は6U7-Gとである。一方,同時期にほとんど類似の5極管UZ-78が存在し,その系譜はUZ-78, 6K7(1935), 6K7G, 6K7GT, 6SK7(1939), 6SK7-GT, 6BA6(1945)という具合に発展している。UZ-78の項にも述べたように,UZ-58ならびにUZ-6D6はRCAでないメーカにより開発された品種で,UZ-78ならびに6K7はRCAによって開発された品種,同時期に類似の2つの真空管が同一製造会社から出荷されるのは,合理的な説明は聞いたことがない。どちらも売れたから販売したのであろうか。

我が国では,東京電気(東芝マツダ)により1936年に国産化。エレバムは1937年9月UZ-78が2.70円に対してUZ-6D6は卸2.50円だった。UZ-6D6UZ-78より少し廉価だったことは分かる。ドンは掲載なし。しかし,1939年1月にはエレバムもマツダも掲載していない。戦前の日本では最後まで2.5V管が主流だったのでUZ-6D6が放送用ラジオ受信機に使われたのは稀であるが,一時期は民生用に売り込みを図ったので僅かな使用例があり,またサンプルには放送協会の認定のあるものが残っている。しかし,その後は民生用は下火になり,もっぱら軍用や業務用に製造された。戦時中,民生用の球に日本名を与える日本標準真空管名称付与制度が発足し,6Z-V1の名称が与えらたが,一度も使われぬまま1949年頃廃止された。

日本のUZ-6D6は,1936年から米国の原設計に忠実に製造された。はじめ,ベースにはマツダの字のみの刻印があったが,戦時中にはガラス印字に切り替わり1945年まで製造された。

戦時中は多量に製造された。何故かというと陸軍用無線機の受信機にUZ-6D6が万能管の1つとして採用され,1942年から1945年にかけてUZ-6D6を11本用いた受信機などが作られたためである。このため,終戦真際まで製造が続けられ,戦後放出品がどっと出回った。

戦後,日本ではいつしか2.5V管を止めたかった真空管メーカーの主導で民生用ラジオの6.3V化が一挙に進められ,1946,7年頃からUZ-6D6が国民型の高1ラジオの高周波増幅管として使われポピュラーとなり,次いで1948年頃から1955年頃までのST管スーパーヘテロダイン受信機用に多量に製造された。

戦後,1946年頃から1級マークの球が出始めたが,1948年頃になって業界トップの東芝はSTラジオ管は全てガラス管のサイズをST12-やや短い113mmに変更した。ガラス管長を短くした理由は不明だが,偽物対策あるいはそもそもUZ-6D6のガラス管は他の球に比べて大きかったのでそろえて廉価にした?さらにCgpをやや小さくすることもできたが,各社まちまちのサイズではシールドケースの互換性が悪くなった。この時,UZ-6D6のスートの色が灰色から黒に変え,また冠の鍔も短くした。さらに東芝はすぐにサイズだけでなくST管の肩の形状をいかり肩からナデ肩に変更した。米国製に比較して「格好悪くなった!」という人が多い。この変更理由も定かでない。

ところで戦後,東芝はUZ-57/58,UZ-6C6/6D6と兄弟の12Y-R1/12Y-V1の冠を何故か短くし,さらに裏返して使った。これは一体何だったのか?いまのところ,他には見られない。

1型

UZ-6D6は,6.3Vのリモートカットオフ高周波増幅用5極管。東京電気マツダが1936年頃に国産化。

当初はベースにマツダの刻印,ガラスにUZ-6D6の印字。

2型

(戦時モデル120mmガラスプリント)1942年以後?,刻印は省略され,ガラスプリントとなった。

(戦争末期120mm サイクルマークとマツダ)東芝マツダは,1944年からサイクルマーク(2枚羽のプロペラのようなロゴ)を印字した。このモデルは軍用に終戦まで製造された。

 

3型

(戦後120mm )

戦後すぐに製造は再開され,日本放送協会が制定した国民ラジオx号,x号等に採用されたので,各真空管メーカが復興し製造した。

東芝は戦後サイクルロゴで出荷,枠は丸に(6C6/6D6)。マツダのロゴは1947年4月頃に復活した。この頃,120mmサイズのマツダ製は品質は最低で,青がラス,鉄ピン,鉄頭金具,ガラス正面には管名の枠は丸に(6C6/6D6)。裏面に丸マツダロゴ,1級とある。その後,8角枠が復活。ベースピンは真鍮を経て1948年頃にニッケルメッキピンに戻った。

 

4型

(113-115mm ナデ肩)その後,1949年頃になって,東芝はUZ-6C6/UZ-6D6のガラス管のサイズをやや短い113mmに変更した。スペースを節約するためか?電極上部のシールド冠は鍔が上向きで,高さは数mmの新型冠(穴無し冠)となった。ガラス管は昔の120mm用を用いているため,ベース接合部で無理矢理切り取って全長を縮めているので非常に不格好なものとなった。何故5mm短くしたかは不明。各社とも短い球を製造するようになった。

同じ年に灰スートが黒スートに変わった。1949年末に等級制度は廃止された。

4型の2

我が国で最も多用されたST管なのだが,戦後,各社が製造し,形も様々で定番は無いのが特徴だ。

(113-115mm 黒スートナデ肩 )

1950年頃からガラス形状は従来のいかり肩から出っ張り部を下げたナデ肩に変更した。ベース接合部の繋ぎは良くなったが,ST管の格好は悪くなった。

1952年にカソードがシームドに。また,ゲッタには角型が現れて,冠は従来の上部マイカを挟み込んで金属板を溶接する方式(溶接型(穴無冠))から爪止め(6穴型)に改められた。

1955年以降UZ-6C6/UZ-6D6は,UZを省略した6C6/6D6に改められた。その後のいつの日か,6つ穴は4つの穴になった。

Specification of UZ-6D6

Base

Outline

Ef V

If A

Eb V

Esg V

Eg V

Ib mA

Isg mA

mu

rp Mohm

gm

mA/V

C pF

UZ-6D6

(規)6Z-V1

ラジオ手帳(東京芝浦電気通信工業支社'44)

1;g2, 2;p, 3;h, 4;h, 5;k, 6;g3, TOP=g1

ST-38/ D=38 mm, L=120 mm

6.3

0.3

250

100

-3

8.2

2.0

-

0.8

1.60

UZ-6D6

(=UZ-58, =UZ-58A)

(matsuda'51)

JES-6B

JES-1A

1;h, 2;p, 3;g2, 4;g3, 5;k, 6;h, TOP=g1

ST-38/ D=38 +/-1mm, L=113 +/-5 mm

6.3

2.5

2.5

0.3

1.0

0.8

300 max

250

100

100 max

100

100

 

-3

-3

 

8.2

8.0

 

2.0

2.2

-

 

0.8

0.25

 

1.6

1.5

Cgp= 0.007

Cin= 4.7

Cout= 6.5


Sample of Japanese UZ-6D6

Samples before and uring WWII

Matsuda

?UZ-6D6 Tm (刻マツダのみ,青がラス, Base矢印, ガラス印字白(UZ6D6)(放),銀マツダ, ステム(4 つ),細い白線2本h, gm=53>40), (Rt_32_super)

△UZ-6D6 Tm (刻マツダのみ, Base矢印, ガラス文字消え, ステム裏側文字凸チ2, 芯付きスパイラルh, 46>40, gm900) sakai 030125, (未掲載)

?UZ-6D6 Tm (錨, Base=UZ57レリーフ, 青がラス, ガラス白UZ6D6, 銀マツダ, ステム無, 皿G 58>40) 040125, (未掲載)

?UZ-6D6 Tm (青がラス, Base矢印, ガラス印字白(UZ6D6) 19年6月, 銀マツダ, ステム字無), 白箱\600, (Rt_32_super)

UZ6D6 Cycle(20.5) 051124

[YcF]

Toshiba-Matsuda UZ-6D6 before WWII/戦前,東京電気マツダ UZ-6D6

刻印はマツダのみ。ガラス管壁には,放送協会認定マーク,その上にマツダ・ロゴ。写真では丸の痕跡だけが写っている。ガラス青。ステム(4 つ),gm=53。スートは灰色。印字は白。

[YcF]

Toshiba-Matsuda UZ-6D6 During WWII (Jun 1944)/戦時中(昭和19年6月)のマツダUZ-6D6

刻印なし。ガラス管壁に昭和19年(1944年)6月。印字は白。これは秋葉原で@600円で入手。

[AfP]

Toshiba-Matsuda (Cycle) UZ-6D6 During WWII (May 1945)/戦時中(昭和20年5月)のサイクルマークのマツダUZ-6D6

[AfP]

Top view of Toshiba-Matsuda (Cycle) UZ-6D6 During WWII (May 1945)/

[AfP]

Bottom view of Toshiba-Matsuda (Cycle) UZ-6D6 During WWII (May 1945) and the Cycle mark/

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UZ-55/UZ-85 -Dual Diode Low-mu Triode/双2極3極管

UZ-55(2.5V,1.0A), UZ-85(6.3V,0.3A)は,スーパーヘテロダイン受信機の検波・低周波増幅用の双2極3極管。米国で55は1932年*に,85は1933年*に開発された((*有坂,真空管談義,郁朋社, '00.12.27))。米国では1931年頃から2極管が中間周波数の検波に登場し,検波とAVCに使われました。1931年に低周波増幅の3極管と組み合わせた複合管がマイナーな会社によって開発され受信機に使われ始めました。それが大会社に採用され1932年に55としてデビューしたようです(J. Stocks, 1982)。

この球の3極部は112A並の低増幅率で実際出力管としても使用できる。112Aと比べると内部抵抗が高く,gmが低い。良く探してみるとどうも規格は26相当のようである。動作例は250Vと180Vで異なるが,3定数がほぼ同じである。抵抗結合よりは,トランス結合で位相反転しプッシュプルアンプのドライブに使用するのが向いているかもしれない。後に,増幅率を2倍としてメタル管6R7, ガラス管6R7-GT,6SR7,ミニアチュア管6BF5へと発展した。

国内では東京電気(東芝マツダ)が55を1933-4年に国産化,また85を1934-35年に国産化している。UZ-55は1935年のマツダのUZ-2A6の資料に「UZ-55UZ-2A6の三極部の増幅率を小にしたものである」とだけ紹介されている。このUZ-55UZ-85は当時のサンプルも見つかるが我が国でどのように使われたかは定かでない。

Base

Outline

Ef V

If A

Eb V

Eg V

Ib mA

mu

rp kohm

gm

mA/V

c pF

RL ohm

Po W

55

85

RCA RC-16 (1950)

1:h, 2:p, 3:pd2, 4:pd1, 5;k, 6;h

top=g

34

ST-12, D=1-9/16 inch, L=4-17/32 inch

2.5

6.3

1.0

0.3

250

-20

8.0

8.3

7.5

1.1

-

20k

0.35

Refference

26

GE ETRM-15P 1974

-

-

1.5

1.05

180

-14.5

6.2

8.3

7.3

1.1

UZ-55

UZ-85 (Matsuda '51)

1:h, 2:p, 3:pd2, 4:pd1, 5;k, 6;h

top=g

ST-38/ D=38 mm, L=102 mm

2.5

6.3

1.0

0.3

250

180

135

-20

-13.5

-10

8.0

6.0

3.7

8.3

7.3

8.3

11

1.1

0.975

0.7

Ci1.5, Co4.3, Cgp1.5

[1f2][7a7]

(6B) UZ-55 Tm (刻○マツダ○/UZ-55(正面pin3),Releaf=マツダ123456, ガラス(マツダ), 十字マイカ, スパイラルh, ゲッタ板,)(刻)辻野泰忠 000928

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UZ-2A6/UZ-75 -Dual Diode High-mu Triode/双2極3極管

UZ-2A6(2.5V,1.0A), UZ-75(6.3V,0.3A)は,スーパーヘテロダイン受信機の検波・低周波増幅用の双2極3極管。米国では75, 2A6は1933年*に発表された(*有坂,真空管談義,郁朋社, '00.12.27)。2A6は初期の頃ヒータは2.5V,1.0Aだったが,米国では戦前に0.8Aに改定されている。

国内では東京電気(東芝マツダ)がともにUZ-2A6, UZ-75として1934-35年に国産化。エレバム,ドン真空管も製造しました。1935年7月マツダUZ-2A6は卸3.25円だった。1937年7月卸,エレバム3.00円,ドン2.50円,1939年1月マツダ3.90円,エレバム,ドン共に3.30円。戦前は,Ut-2B7の項でも述べたように,UZ-2A6はスーパーヘテロダイン受信機の中でも高周波増幅付きのゲインの余裕のある受信機だけに辛うじて使用されました。また,6.3V管は稀にしか使用されませんでしたが,唯一,ナナオラの5球スーパーに初めRaytheonの輸入球でスタートしたモデルがあり,これにUZ-75が使用されており,後に国産球に変わったようです。6.3V管は主として業務用,軍用に使用されました。

戦後は国産6Z-DH3が登場する1947年までの一時期,UZ-75は東芝マツダには製造の記録が見つかりませんが,神戸工業テンなど一部の会社によって製造され新しいモデルに採用されました。東芝マツダの1951年のマニュアルには戦前のほとんどの品種が掲載されている中でUZ-75の項がすっかりと忘れ去られているのも,面白いことです。戦後,UZ-2A6は製造されることは無かったようですが,1950年頃,UZ-2A6の代替に3Z-DH3Aが松下他から作られ,保守というよりは2.5V系のラジオの改造に使用したようです。

UZ-75族の後継はメタル管6SQ7(1939年RCA)と,そのガラス版6SQ7-GT(1940年頃)で,ミニアチュア管6AV6(1947年頃)へと引き継がれています。ちなみに最初のメタル管6Q7(1936年にRCA)は,UZ-75とやや異なる設計で,増幅率は70とやや低めで,これはガラス版6Q7-G(1936年頃),6Q7-GT(1937年頃),ミニアチュア管6AT6(1945年頃)に引き継がれました。我が国では,戦前はUZ-2A6が僅かに使われ,戦後6.3V時代になってUZ-75が使われ,直ぐに2極部1つを省略した国産相当管6Z-DH3(1947年), 6Z-DH3Aへと受け継がれ,またGT版では日本独自の相当品種が幾つか作られた他に米国互換の6SQ7-GT(1949年),そしてミニアチュア版6AV6(1950年)へと移行しました。

Base

Outline

Ef V

If A

Eb V

Eg V

Ib mA

mu

rp kohm

gm

mA/V

c pF

UZ-2A6 (=6SQ7)

UZ-75 (=6SQ7)

RCA RC-16 (1950)

1:h, 2:p, 3:pd2, 4:pd1, 5;k, 6;h

top=g

34

ST-12, D=1-9/16 inch, L=4-17/32 inch

2.5

6.3

0.8

0.3

250 max

100

-2

-1

1.1

0.5

100

85

110

1.175

0.925

UZ-2A6 RG-10006 (1935.4.30)

1;pd, 2;p, 3;h, 4;h, 5;k, 6;pd

top=g

ST-38/ D=38 mm, L=115 mm

2.5

1.0

250

-2

0.8

100

91

1.1

UZ-2A6 (=6Z-DH3A)

(UZ-75記載なし) (Matsuda '51)

1:h, 2:p, 3:pd2, 4:pd1, 5;k, 6;h

top=g

JES-6B, JES-1A

ST-38/ D=38 +/-1 mm, L=113 +/-5 mm

2.5

1.0

250

100

-2

-1

0.9

0.4

100

91

110

1.1

0.9

[YgM]

Toshiba-Matsuda UZ-75 before WWII/東芝マツダのUZ-75の表と裏。

この球はスーパー用検波・増幅管双2極,3極管で,我が国で戦後多量に作られ活躍した6Z-DH3Aの原型である。ヒータは6.3Vだが,2.5V仕様にはUZ-2A6がある。ガラス管壁正面にUZ-75のプリント,裏面にはマツダのロゴ。ベースにはマツダの刻印があり,左面には鉄道の「名鉄局」の焼き印。やや緑かかったガラス,ステムには青字でH75?。ガラス押し印は「2へ」。[em,em,gm]=[41,60,46]と活きている。

電極の作りは,上に3極部,下に2極部がある複合管で,戦後東芝マツダの初期の6Z-DH3Aとほぼ同じ。ゲッタは皿型。プレートは黒色,2極部はシールド・ケースに納められている。詳しくは6Z-DH3A参照。異なる点はトップのマイカ板の形状で円形のサイドに2枚のバネ・マイカがある。これは戦前のスタイル。グリッド引出線はトップ金具からとぐろを巻いて降りてくる。また,2極部は当然ながら,プレートが2つある。下から覗いてみたが良く分からない。

UZ-2A6 (刻マツダ/UZ-2A5/旧1-2ピン, Base=Releaf123456, ガラス(マツダ)/旧4-5pin, 円盤マイカサイド付き, 凸モ, スパイラルh, 皿G) 050922,

UZ-2A6 (刻マツダのみ, Base矢印(T), ガラスUZ2A6,(マツダ), 円盤マイカサイド付き, ステム青2A6凸6ツ, 芯有りスパイラルh, 皿G) 020131,

UZ-2A6 (刻マツダのみ, ガラスUZ2A6,(マツダ)裏, 青がラス,円盤マイカサイド付き, 凸ソ1黒9, スパイラルh, 皿G) 050922

UZ-2A6 (刻マツダのみ, ガラスUZ2A6,(マツダ)裏, 青がラス,円盤マイカサイド付き, 凸ら, スパイラルh, 皿G) 050922

 

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Ut-2B7/Ut-6B7 -Dual Diode semi-RCO Pentode/双2極5極管

Ut-2B7(2.5V,1.0A), Ut-6B7(6.3V,0.3A)は,スーパーヘテロダイン受信機の検波・低周波増幅用の双2極5極管。米国では2B76B7は1933年*に開発された(*有坂,真空管談義,郁朋社, '00.12.27)。RCAのメタル管6B8,ガラス管6B8-Gと発展し,その後主流からはずれたが,GE他の6B8-GT,さらにSylvaniaなど改良したロクタル版7E7(gm=1.3mA/V),7R7(gm=3.4mA/V)へと受け継がれた。国内では東京電気(東芝マツダ)が2B7を1934-35年に国産化,また6B7を1936年に国産化している。エレバム,ドン真空管も販売しており,1935年7月マツダ卸Ut-2B7が3.90円だった。1937年7月卸,エレバムUt-2B7は3.00円,Ut-6B7が3.30円,ドンUt-2B7は3.30円,Ut-6B7が4.00円,1939年1月,Ut-2B7,6B7ともにマツダ5.07円,エレバム4.30円,ドンはUt-2B7のみ3.30円。

東京電気RG-10008によれば「5極部は高周波,中間周波,低周波何れの増幅にも適す」。また,GEの(GE ETRM-15P 1974)によれば,5極部はセミリモートカットオフ特性とあります。したがって,中間周波数増幅アンプではAVCがかけれらます。しかし,東芝マツダ'51によると「2極部は普通スーパー受信機の第2検波並びに自動音量調整用,5極部は低周波増幅用として用います」。欧州では高感度の出力管を用いて低周波増幅を省略するラジオが良くあり,検波用2極管とリモートカットオフ5極管が最新のミニアチュア管のラジオ受信機にもよく使われました。ところが,米国ではあまり流行らなかったようで,UZ-756SQ7GT6AV6が主流となりました。米国系出力管は低感度ですからUt-6B7を中間周波数増幅にまわすと低周波増幅を省略できません。東芝マツダ'51に書かれた通り「低周波増幅用」として用いるしかなかったようです。

我が国では戦前の放送受信機はほとんど全部が2.5V管でした。スーパーヘテロダイン受信機は我が国ではほとんど普及しませんでしたが,その中では1937年頃が最も多く販売された時期だったかもしれません。この頃,2極管検波といえば,先行して販売されたUt-2A6は高周波付き以上のゲインの余裕ある超高級受信機だけに僅かに見られ,5球スーパーには圧倒的にUt-2B7が使われました。6.3V管は主として業務用,軍用に使用されました。ところが,戦後の我が国でスーパーヘテロダイン受信機の流行が来ると,一時期,Ut-6B7も使われたことがあり,東芝マツダ,NECなど国内メーカーも少し製造しましたが,今度は3極管のUZ-75系列(6Z-DH3/6Z-DH3A)が優勢になりました。これは,コンバーターのゲインが上がりIFTも優秀になるなどの進歩により検波段での出力がが過多になったためと思われます。Ut-2B7は戦後の一時期保守用として東芝マツダ他が製造しました。

Base

Outline

Ef V

If A

Eb V

Esg

Eg V

Ib mA

Isg mA

mu

rp Mohm

gm

mA/V

c pF

2B7

6B7

GE ETRM-15P 1974***

7D

12-6

2.5

6.3

0.8

0.3

250

250

125

100

-3

-3

9.0

6.0

2.3

1.5

0.6

0.8

1.125

1.0

Cgp= 0.007

Ci=3.5

Co=9.5

2B7

6B7, 6B7S

(=6B8-G)

RCA RC-16 (1950)

1:h, 2:p, 3:g2, 4;pd2, 5:pd1, 6;k, 7;h

top=g1

34

ST-12, D=1-9/16 inch, L=4-17/32 inch

2.5

6.3

0.8

0.3

300 max

125 max

Ut-2B7

(Ut-6B7**)

RG-10008 (1935.4.30)

1;g2, 2;p, 3;h, 4;h, 5;k+g3, 6;pd, 7;pd

top=g1

ST-38/ D=38 mm, L=115 mm

2.5

6.3**

1.0

-

250

180

100

100

75

100

-3

-3

-3

6.0

3.4

5.8

1.5

0.9

1.7

800

840

285

0.8

1.0

0.3

1.0

0.84

0.95

Ut-2B7

Ut-6B7

(Matsuda '51)

1:h, 2:p, 3:g2, 4;pd2, 5:pd1, 6;k, 7;h

top=g1

JES-7B, JES-1A

ST-38/ D=38 +/-1 mm, L=113 +/-5 mm

2.5

6.3

1.0

0.3

250

180

100

100

75

100

-3

-3

-3

6.0

3.4

5.8

1.5

0.9

1.7

-

0.8

1.0

0.3

1.0

0.84

0.95

Cgp= 0.006

Ci=3

Co=10

** 6B7はUt-2B7の繊條電圧を6.3Vに変更せしものなり

Ut-2B7(Old)Tm(刻マツダ/Ut2B7(1pin正面, Base=releaf=1234567, クリア, ガラス(マツダ), 金網S, リブ無しP, 綺麗な2重スパイラルh, 皿G) 020131,

Ut-2B7 Tm(ガラス印/Ut2B7(1-6pin正面, 青ガラス(マツダ)裏, 金網S, リブ無しP, 綺麗な2重スパイラルh, 皿G) 050922,

 


Samples before WWII

Ut-6B7 Tm (刻) 060108

Ut-6B7 (old) Tm(青がラス, ガラス印, 銀Ut6B7, 裏(マツダ), 紙製造東No.81,14.8.10, Base矢印, 重スパイラルh, 皿G) 020210, (未掲載)

Ut-6B7 Tm (青ガラス,19.2) 050922 (未掲載)

[AfP]

[AfP]


Samples after WWII

UT-6B7 Tm(ガラス印字,きれい。戦後50年代?) 070329 長田/中島氏寄贈

6B7-S Unknown (丸特, 横長8角枠6B7-S,ステム青B-42か13-42, 3.2ohm) 080225

6B7 <NEC>(1級) 青ロ,青J3 (白箱New)x2 04110

[AeI][AeI]

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UZ-42 Power Pentode

UZ-42は,ヒータ電圧6.3Vの電力増幅用5極管。「Output Pentode/出力用5極管」のページで紹介したUZ-2A5の一族にして,米国RCAのダッシュ付き2桁管'42(1932年)の国産版である。米国'42は始めナス管(S-17)だったが,1933年の中頃にはST-14に変更されている。国内では1934年に東京電気(TEC,マツダ)がUZ-2A5とともにUZ-42を国産化。当初よりST管として製造した。しかし,我が国のラジオは戦前は2.5V管が主流であったので使用はもっぱらUZ-2A5に限られ,UZ-42は売れなかった。米国ではラジオも6.3V管に流行が移りメタル管6F6(1935年),G管6F6-G(1936年),GT管6F6-GT(1937年頃)へと発展した。我が国ではUZ-42のラジオへの使用は戦後まで待たされた。また,UZ-42のファミリーはメタル管6F6US-6F6として1938年頃国産化されたが,軍用に製造されたに留まった。

1935年,1937年,1939年の3冊のラジオ商のカタログを見ると,球の販売は,1935年にUZ-2A5は卸2.50円で各社とも同じだったがUZ-42は記載なし。1937年9月,マツダは資料なし,エレバム,ドンともにUZ-2A5は卸2.00円,UY-42は2.50円。UZ-42の販売はこの頃始まったのかもしれない。ラジオではナナオラ(七欧無線電気商会)の35A型5球スーパー(Raytheon 6A7-6D6-75-42-80)と米国球を採用していた。マツダはウェーブ(石川無線)の国際号6球スーパー(マツダ球78-6A7-78-6B7-42-80),オックスフォード(同じ構成)に現れた。1939年1月,マツダUZ-2A5は卸3.12円,UY-42は4.55円。エレバムUZ-2A5は卸2.40円,UY-42は3.50円だった。ドン,ホリゾンはUZ-42については記載なし。売れない品種で小メーカは販売を止めたらしい。ラジオはナナオラ35A型5球スーパーがマツダ球に変わっている。デリカ5球式,6球式,スーパーセット8球式,ウェーブ国際号(前出),シークSP40号(6A7-6D6-75-42-80)という具合に僅かづつ増えたが,非常に高価なこともあり,UZ-42がラジオに使われたのは極僅かであったことが窺える。

この球の活躍は国内では戦後になった。(古い造りを残しているサンプルについてはUZ-2A5を参照)。また,戦後の42族はオーデイオ管の「日本の中の米国5極管」を参照下さい。戦後,放送用ラジオ受信機にダイナミックスピーカを鳴らす高級機にUZ-42が採用され,各社は1947年頃から製造に入り,やがて6.3V管の普及とラジオの高級化が進んで,1950年頃から普及型には6Z-P1,標準型と高級型にはUZ-42がラジオの主流になった。また電蓄にも良く使用された。UZ-42の前置記号UZは,戦後の1955年に廃止された。1950年代後半にミニアチュア管があらわれると次第にラジオからST管が姿を消し,1950年代末には新製品には全く採用されなくなった。その後,保守品としてUZ-42は1960年代後半まで製造された模様。

[ラジオの修理に] 「今日ラジオ修理用としては米国の42を入手するのが最も簡単でしょう」という意見を書いた後,米国球事情を調べたら,何と最近は米国製42が高値を呼んで入手難である。オーディオ向けの用途がその原因であろうが,ラジオの修理なら米国製中古1本で良いので多少安価である。Yahooオークションで国産中古球を探すのが最も廉価。形状を気にしなければ,米国球新品では,米国メタル管6F6にUZソケットを履かせるのが最も廉価。次いで6F6-GTとなる。代替管として米国41を使う手もある。また,そこまでするなら,ミニアチュア管にUZソケットという手もあり,6AR5でしょうね。

Specification of UZ-2A5/UZ-42

Base

Outline

Ef V

If A

Eb V

Esg V

Eg V

Ib mA

Isg mA

mu

rp kohm

gm

mA/V

RL kohm

Po W

UZ-2A5 (RG- 10005, '35.4.30)

UZ-42 (RG- 10032)

1;sg, 2;p, 3;h, 4;h, 5;k, 6;g

ST-45/ D=45 mm, L=112 mm

2.5

6.3

1.75

0.7

250

250

-16.5

34

6.5

220

100

2.2

7

3

sa (Triode Connection)

250

-

-20

31

-

6.2

2.7

2.3

3

0.65

UZ-2A5

UZ-42

(Matsuda'51)

JES-6A

ST-45/ D=45+/-1 mm, L=112+/-5 mm

6.3

0.7

285

250

285

250

285

250

285

250

440 ohm

410 ohm

-20

-16.5

38

34

38

34

7

6.5

7

6.5

-

-

-

78

80

-

-

2.55

2.5

7

4.5

3.1

4.8

3.2

最大規格(UZ-42):Eb375V, Esg285V, Pb11W, Psg3.75W

(3接時)Eb350V, Pb+Psg=10W

(A1) 250V, -16.5V, 250V, 34mA-36mA, 6.5-10.5mA, 80k, 2.5mA/V, RL7k, 3.2W, 8%

Sample Before WWII

Matsuda

[7a7]

Matsuda UZ-42 (写真提供, 京都府, 辻野さん)

戦前のサンプル。上のマイカ板はサイドマイカ付き円盤型である。これ程きれいなサンプルは貴重。

[AfP]

Toshiba UZ42 (19.5), in May 1944.

戦時中のサンプル。ガラスは質の悪い青ガラスとなり,電極構造も上のマイカ板は長方形に変わった。戦後はこの構造で作られた。

Sample after WWII

UZ-42(NEW-Old)

UZ-42 Tm 1級,<灰青色94>皿G, ベース白字[H.C.X.] 1949年, E76 National 5S-16A 1949 990504

UZ-42 Elevam (1級,62-60>50) Toshiba箱 kirino 990516

★UZ-42 Tou (真空漏れ,1級(24.3.10.)ベース底237),真空漏れ

ここでは戦後の球のサンプルを1つだけお目にかけましょう。

Tou

[YcR]

Shinagawa Electric Tou UZ-42, after WWII, 1949/戦後の品川電機/トウのUZ-42

この球はガラスにクラックがあり真空漏れを起こし死んでいる。ガラス正面にはトウの文字と管名,その下に1級マーク。裏にはトウのロゴと(24.3.10.),1949年3月10日製。トウのロゴは品川の品の字を頭に川の字を円周状に引き延ばしたもの。頭部には検の字。プレートは艶消しの黒色。ベース底には237の文字。品川電機トウは戦前にK.O.Tronを継承した会社で一部は新会社ホリゾンに別れた。戦時中は軍用球を製造し有名な会社だったが,戦後の一時期は民生用球を製造し,1950年頃に消えてなくなった。

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