(2004.1.25)-(2004.8.15)-(2004.12.24)+(2005.1.22)
H188 Hitachi H-201 in 1956//日立 H-201 ('04.1.24), not yet (new '04.1.25)
J(189) Kobe-Kogyo TEN Jeuel-Star DR-2S5 12GTE in 1951/神戸工業テンジュエルスター ('04.1.27), not yet (updated '04.3.27)
FG(190) JRC Model R-101 in 1946/日本無線 R-101 ('04.2.8), not yet (updated '04.4.4)
H(191) Toshiba TAS-5 in 1961/東芝 ステレオラジオ 6S-5 ('04.3.14), not yet (new '04.4.7)
DE(192=176) Sharp 5R-50 in 1949?(Part2)/早川電機工業シャープ 5R-50(その2), ('04.4.13), not yet (updated '04.47.25)
F(193) Sanyo SS58 in 1955/三洋電機SS58, ('04.4.28), not yet (updated '04.7.25, and '05.1.22)
K(194) American DELCO Auto radio -model unknown/米国DELCO自動車ラジオ型番不明, ('04.5.12), not yet (updated '04.7.25)
FG(195) JRC Model R-101 in 1946(Part2)/日本無線R-101(その2)('04.5.16), not yet (updated '04.7.25)
Return to Radio Gallery/真空管ラジオ展示室にもどる
日立(製作所)のミニアチュア管によるトランスレス5球スーパーラジオ。本機の製造年はキャビネット裏のスタンプからは1956年,同社初のトランスレス・ミニアチュア管のモデルと思われる。日立製のトランスレス・ミニアチュア管の初期のモデルを見たくてYahooオークションでこのラジオのジャンクを入手した。
このラジオの文献は見当たらないが,翌年の1957年の日立評論に同じトランスレスモデルのB568の記事が掲載されており,「B568は音の良い木製キャビネットを採用、またH-202も販売中」とあるので,H-202の後継機種としてB-568が販売されたものと分かる。また、B-568は内尾さんのWebページに修理録が掲載されており,シャーシは本H-201と同じであることが確認できる。したがって,H-201, H-202, B-568は同一シャーシを用いてキャビネットデザインだけを変えたもの,H-202はイヤフォーン用ジャックをキャビネット側面に出したもので,H-201は日立の元祖ミニアチュア管トランスレスなのだと推定できる。
音量ツマミは私が撮影のために付けた借り物でオリジナルでは無い。大ジャンクであったが,写真撮影はまともに見える。
入手したものは,正面パネルにスピーカグリル用プラスティック板が無くも穴あき状態,VC用同調ツマミも1つ無い,OPT付きスピーカが無い,裏板は割れている,という完全ジャンクだった。その他,正面のダイヤル部シャーシ止めネジ1個欠品。裏板止め金具2個欠品。ACプラグがSharp製。ヒューズ欠品。ケミコンの止めネジ1個紛失。20ohm抵抗焼損。VCシャフトずれ。しかし,その後,グリル用プラスティック板が見つかり,また無いと思われたVC用同調ツマミは実は音量調節VRのツマミに位置を変えていただけで,無かったのは小さな音量調節用ツマミだけ,ちょっと手を入れれば,まともになりそうである。
木製のキャビネットで小型,バーアンテナ付き,トランスレスという設計は,前年のシャープ製の5球スーパー(H(64). Sharp/早川電機シャープ 5M-67 in 1955)と良く似ており,その時代の流行りである。ただ,垂直シャーシは珍しく,また出力管と整流管の上部に熱遮蔽板があるのは後期のプラスティック・ラジオに受け継がれた技術でもある。バーアンテナには外部入力端子が用意されている。
Ser.285605。キャビネット裏に(31.5.24)とスタンプされており,1956年5月24日であるから,Serial No.後半の5605は,56年5月を意味することが分かる。するとSerial No.前半の2桁は日付け,すなわち5月28日製かもしれない。真空管にもステム側に5の文字がスタンプされており,56年5月製であると推定できる。
真空管は,出力管35C5以外はオリジナルで,真空管のプリントは銀色で「横長の管名枠の下に日立ロゴとローマ字でHITACHIを並記」するスタイルである。本ラジオを入手したお陰で,日立が1954-5年頃に用いていた「管名枠の上に大きな日立ロゴのみ」というスタイル(ロゴを知らない海外ユーザーには日立製だと分からない)が1956年には変更されていたことを確認できた。なお,出力管35C5は1960年代の30A5に変えられていた。
シャーシを取り出した状況であるが,中央の12AV6はシールド付きで,ソケット裏側からコンデンサのワックスが流れ出て真空管のボタンベースと足を固めていた。そのワックスはまた下部のIFT側面と12BD6ソケットや球の側面にも及んでいた。
VCの軸はシャーシ面に対して曲がっている。恐らくゴム足が潰れて歪んだもの。おかげで同調ダイヤルのツマミが曲がった状態になる。
35W4のソケット端子に接続されたヒータラインの抵抗20ohmが焼損して白く見える。本機のスピーカが取り外されている,ヒューズがない理由と関係があるかもしれない。出力管に異常電流が流れ,OPTが焼損?ヒューズも切れたのだろう。パイロットランプに8Vの規格外が付いている。これが原因か?また,出力管35C5のソケットのリベットが2本とも脱落しソケットが1cm程シャーシから沈んでしまった(裏から見ると浮いてしまっている)。出力管を強く押し付けた際にリベットが脱落したに違いない。
修理はOPT付き10cmスピーカを入手して取り付ければ概観的には整う。木製キャビのトランスレスは痛みも大きく綺麗なラジオは案外少ないのではないか。部品取りにせずになるべく修理保存するのが良い。
Tubes;
12BE6 着炭P, (緑字Eへ5)(5).
12BD6 着炭P, (緑字cク11)(5)...pin2が折れてガラス少々剥離。上半身の半周がコンデンサのワックス付着
12AV6 着炭P, (緑字Eナ5)(5)...ベース底にコンデンサのワックス付着
30A5 着炭P, (緑字Hナ)...ドーナツG
35W4 燻銀P, (緑字1Eチ11)(5)...カソード少々剥離
PL; Nikken 8V
VC Model C-115 Cap 12-430pF, IFT; T-823A, B 455kc
VR Noble 500kA, (31.4A)
Chem Nippon Chemicon 0456202 (40,40,20, 150WV)
SP; 4" PDS(欠損)
バーアンテナ,185x10
東芝が1961年に発売したステレオ・ラジオ6S-5です。単なる2スピーカー・ラジオと違って,本当にアンプが2系統あり,レコードプレーヤーを繋げば立派なステレオ再生装置です。それだけでなく,AMチューナーだって2系統ある!その頃放送されていた中波帯のAM2波によるステレオ放送に対応したラジオでした。さらに特筆すべきは使用している真空管がヒーター電流100mAの新型トランスレス管18FX6, 45M-P21と28R-HV2を採用していることです。
100mA系トランスレス管は欧州で普及していましたが,米国では1959年にSylvaniaが従来の150mA系(12BE6, 12BA6, 12AV6, 35C5, 35W4, 50C5)を新たに100mA系に焼き直したシリーズ18FX6, 18FW6, 18FY6, 32ET5, 36AM3, 60FX5を発表しています。32ET5はヒータ電力2/3の省エネ管,60FX5は高感度管です。日本では1960年頃に輸出用に国産化しましたが,国内では従来の150mA系でさえ電圧不足だったので米国にない球(30A5)を作って苦境をしのいでいたのですから,このままでは使えません。そこで東芝は1961年に30A5の100mA版45M-P21を開発しました。出力は米国系だと1Wなのに2Wが稼げます。これと18FX6, 18FW6, 18FY6の4球で合計100V,検波にゲルマニュウム1N60,電源整流にシリコンダイオード1S93を使えば4球スーパーとなります。ただし,パイロットランプは点灯できません。東芝は何故か10%のヒーター電圧の余裕を作るために,18FW6(12BA6)と18FY6(12AV6)を複合させ省電力とした28R-HV2をわざわざ開発しました。合計91Vでこれに直列抵抗を入れて100V,ウオームアップ時間は20秒です。
私は文献に出ていた東芝のステレオ・ラジオ6S-5を探し求めていましたが,中々見つかりませんでした。見つからないはずです。別名のTAS-5やTSS-5の名称で世に出ていたのですから。実は,このラジオ,2つのスピーカーはキャビネットが独立していて,まん中にあるのは後の言葉でいう「ステレオ・レシーバー」でした。このステレオ・レシーバーは「ステレオ・アンプリファイヤーTAS-5形」,またスピーカーは「TSS-5形」という型番でした。スピーカラジオにしてラジオにあらず?
ラジオは1950年代後半になるとHi-Fiがブームになり大形のスピーカと大形の箱に入った出力の大きなシングルアンプ搭載のHi-Fiラジオが良く売れた。レコード盤はすでにステレオ録音のものも出ていたが,まだまだモノラルも多い時代であった。そんな折り,1950年代末から1960年代初頭にかけて我が国ではAM2波によるステレオ放送が行われた。はじめはラジオ2台を集めて聞くこともあったろうが,ラジオメーカーはこれに合わせて,ステレオ電蓄に力を入れて,6V6GTプッシュプルや6BM8プッシュプルのステレオ・アンプを搭載した本格派から,簡易なものでは5球トランスレス・スーパーを2組み搭載したものを販売した。私のコレクションH(5)日本コロンビアの521形(STL-521) in 1960の2台のラジオがそれである。これらは多かれ少なかれ,レコードプレーヤーとセットになって販売されるので,デザイン的にも電蓄に分類されるのだが,中にはラジオと呼べるものもあった。例えば,オンキョーはOS-175L, OS-175Rという左右対象のデザインのラジオ2台を販売している。
一方,同時代,卓上ラジオはプラスティック・キャビネットに入り小型化されただけでなく1950年代末から60年代始めにモノラル・アンプなのにもかかわらず2スピーカーのデザインが流行っていた。ステレオアンプなど積んだものは皆無であった。こんな時に,2スピーカー・デザインの普通の5球スーパーをステレオ化したものが登場した。その中で,東芝のTAS-5/6S-5は究極の小型ステレオ・ラジオであった。
どうやって,そんなに小型化ができたのだろう?実はこのラジオ,5球スーパーを2組詰め込んだのに6球しかない!のである。ゲルマやシリコン・ダイオードを用いて検波,整流管を省けば8球になる。さらに低周波アンプに6BM8などの複合管を使えば6BE6+6BA6+6BM8で6球になる!トランスレスではどうか?12BE6+12BA6+32A8では国内では電圧不足でオートトランスが必要である。さらに,その時代にはまだ6BM8の150mA管32A8は登場していなかった。こうして東芝は米国の流れを受けて100mAトランスレス管の国産化に着手した。米国系のそのものを使えば18FX6, 18FW6, 18FY6, 32ET5でヒータ電圧86Vであるから十分なトランスレス4球スーパーができる。しかし,コストを考えればアンプの出力は国内で普及しているものは2Wあるのに1Wしかないし,1球省けるけれどもゲルマとシリコンを使って,さらに新しいシリーズの球を投入したのではコストの点でも不合格。できあがるものが従来より劣ったラジオでは価値が無い。東芝は100mA管の利用価値を,省エネ,コンパクトのステレオに絞った。トランスレスで定評のあった出力管30A5を100mA化した45M-P21を作り出力を確保,さらにIF-AF Ampの複合管6R-HV1を100mA化した28R-HV2を開発して全体を3球にコンパクト化,その結果,ゲルマやシリコン・ダイオードを使っても,小型ステレオとしてなら価値がある,と判断したのだろう。こうして,省エネの5球スーパーラインが誕生し,それを2組み入れた本機ができあがったのである。しかし,先に書いたように1960年頃に6BM8のトランスレス版,8B8, 32A8, 50BM8が開発されると,高価な100mAシリーズを使わずに済むので,あっという間に東芝の新開発の球,28R-HV2と45M-P21は存在価値が無くなり,やがて消え失せてしまった。したがって,本機は幻の一品なのである。
DE176でも紹介しましたシャープの12VST管を使った5球スーパー5R-50です。12W-C5, 12Y-V1A, 12Z-DH3A, 12Z-P1AとKX-12Fの構成ですから,真空管は珍しいものです。どうしても出物があるとついつい買ってしまいます。Yahooオークションで見つけて,キャビネット内部写真無いまま,柳の木の下に2尾のどじょうがいると思って,2台目として購入。送られてきたものはキャビネットの傷みが大きく,裏板をはずして見えたものは12Vミニアチュア管で,期待したST175mA管は見当たらず,とほほんがっかりして,梱包をもとにしてしまい込んでしまった。ほとぼり覚めて,取り出して調べた結果は,以下の通り。
12BE6 NEC 03 B00,
12BA6 T (茶)
12AV6 T(1星)
12Z-P1 or 12Z-P1A SUN C/E ステム12
KX-12F SUN C/K
考えてみれば,キャビネットの傷みは歴戦の勇士の証拠。代替真空管に困り,ソケットをミニチュアにして12V管に交換,整流管は入手が容易な12Fが幸いしたが,トランス巻き線容量から出力管だけはミニアチュア管の代わりが見つからず,12Z-P1の新品に代えただろう。1960年代前半は12Z-P1が入手できる最後の頃だったろう。本機は1950年頃から1960年代後半まで現役だったことになる。この改造はやむを得まい。
その頃,初期のトランスレス用ミニアチュア管を探していたので,Yahooオークションで初期のNEC製ミニアチュア管が見えると買い込んでしまうのでした。トランスレスラジオかと思って購入したが,届いてみるとトランス付きだった。慌て者ですね。お陰で,初期のトランス付き用ミニアチュア管のサンプルが増えました。
NEC赤球 6BE6(U), 6AV6(P), 6AR5(O), 5MK9(O)
東芝マツダ 6BA6 (OY)
このラジオ55年製であり,NECの赤球が1954年からアルファベットで始まると仮定すると,A-Lが54年,M-Vが55年。O,P,Uは55年の3,4,8月となる。
自動車ラジオは目につくと買う。「テンラジオ」との紹介で購入してみたが,米国製だった。GT, MT混成ラジオだった。ラジオにモデル番号や主要部品に番号記号一切が無く,僅かにケミコンとバイブレータにDELCOの文字。シャーシ上3本の同調シリンダーユニットの頭のコンデンサにEL-NENCO made in USAの文字。シャーシのがっちりした鉄製品とネジ類の形から米国製と分かる。DELCO製としておく。球は国産に置き換わっていた。バイブレータは入手できなかったと見えてわざわざ米国製品を開封して直した痕跡が見られる。
12BA6-12BE6-12BA6-12AV6-6V6GT-6X5GT
であった。12Vなので6V6GT-6X5GTのヒータは直列にしたのか?
12BA6,12BE6,12AV6は東芝の茶,6X5GTも東芝1960年代。12BA6(2)はTEN(56), 6V6GTはマツダ。