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Short Wave Super/短波付スーパー | ||
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FG(190) JRC Model R-101 in 1946/日本無線 R-101 ('04.2.8), ('04.4.4) |
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FG(195) JRC Model R-101 in 1946 (Part2)/日本無線R-101(その2) ('04.5.16), ('04.7.25) |
日本無線が1946年頃に販売したGT管ラジオ,モデルR101を紹介しましょう。戦争の集結直後,多くのラジオ関係の会社は食い繋ぐために生き残った製造設備を使って民生用の真空管やラジオを作りはじめました。戦後は戦時中に禁止されていた短波の受信も解禁となり,体力を温存していた大手無線機製造会社,日本電気,日立製作所,日本通信工業,原口無線なども次々と本格的な受信機を製造,販売し始めました。日本無線は業務用無線機や送信設備などで有名な会社ですが,戦前から戦中にはドイツの真空管を国産化して製造していたこともあって,戦後に独自に発売したラジオ用真空管Nシリーズはとても変わったものでした。今となってはこのNシリーズの真空管自身見つけることが難しいのですが,Nシリーズのラジオがひょんなことから見つかりました。1947年に,JRCから3バンド7球の本格的なR-103型オールウェーブ受信機が販売されていたことが資料から分かっていますが,その家庭用廉価版として,BC帯のみとしたラジオが本機なのだと,現物を目の前にしてはじめて分かります。日本無線は一時期にはモデル101から106まであっという間に開発し,販売したのですが,やがて民生用の本業の会社も復興しだした頃,再び業務用の世界に戻ってしまいました。日本無線はその後1949年に民生用ラジオも真空管も別会社に引き継がれた模様。ラジオ製造部門は日本ラジオ工業(Pearl, パール)に移管され,また民生用の真空管は諏訪日本無線がJRCのマーク入りで1950年代まで供給しました。
どなたか,このラジオの回路図をお持ちでしょうか?1946年頃と思います。
Front View, Nobs are, from the left, Volume and Tuning Dial. Power switch is left side-plane of the cabinet./ツマミは左がボリューム,右が同調。電源スイッチは左側面。ツマミは何と金属製のものがペイントされています。
キャビネットのデザインは「フグ」のように間抜けです。私のコレクションの中では,ヤオウ(General/Fujitsu-General)の1948年の5球スーパーE(23)5NS-1が同系統でしょう。戦時中の放送局型受信機第123号に四角い箱型が登場してから,戦後の国民受信機にも四角箱が良く使われました。そして,米国風の横行ダイヤルを無理矢理上部に配置すると,こんな感じになるのです。何とあっぱれなデザインでしょう。お陰さまで私はこの貴重なラジオをオークションで無理な競争することもなく入手できた訳でもあります。
真空管を抜いた状態の後ろ姿。スピーカは1950年代のパーマネントダイナミック型に置き換えられている。シャーシは鉄製の頑丈なもの。当時,JRCは資材が豊富にあったようで,かなり贅沢な造りです。
ラジオの説明図兼ネームプレートは金属薄(アルミ薄?)に印刷したもののようで,現在ではインクが禿げて銀色が見えています。写真では見えませんが,ここにモデルR-101らしき文字が見えます。
さて,肝心の真空管です。JRCのGT管,Nシリーズは,日本独自のGT管で,JRCが1946年頃に販売したものです。MJ誌では1993年4月に長真弓さんがNシリーズの規格表や12G-P7の挿し絵をのせていましたし,その後,大塚久さんの真空管博物館を連載していた時には,2002年2月号に,IF管の12G-R4や 整流管12G-K10も紹介されていたのを覚えています。最近ではオークションで整流管12G-K10や出力管12G-P7なども見かけます。しかし,この球が使われていたラジオを目にしたのは,本機が初めてです。
残っていた真空管は,写真のように12G-R4, N-051, 12G-P7(N-052), 12G-K10の4本でした。検波増幅管N-231(12G-DH4)のところだけは球が挿してありませんでした。コンバータ管のところには12G-R4が挿さっていました。これは当初12G-C4だと勘違いし,それにしても,外観は東芝や日立の新型6JS7-GTなどに似ているな,と少しがっかりしていました。しかし,12G-R4だと分かってみれば,コンバータ管が無いという残念さと,謎の12G-C4はどんな姿だったろうと期待が膨らむという複雑な心境です。真空管配置図が消えているので,真相は不明ですが,オリジナルのコンバーター管は恐らくN-361(12G-C4)であったと思われます。しかし,本機は回路を確かめてみると,N-051(12G-R4)の自励コンバータになっていました。
IF管にはN-051が使われていました。一方,コンバータ管のところの12G-R4は,N-051の新型ですが,他社の高周波管と比べてベースのガイドピンが金属でできているのが変わっています。また,12G-P7は昨年8月にも単独で入手したことがありますが,黒のベースが逆さ徳利型でプレートも1つ穴だったのに対してこのラジオに入っていた 12G-P7は初期型で,長真弓さんの挿し絵に出ていたのと同じ,また最後の米国のGT管のようにベースがほとんど見えない薄型の黒いもので,プレートは2つ穴でした。
スピーカは1950年代はじめのものに交換されているようです。真空管については新型の12G-R4も紛れ込んでいるところを見ると1度は交換したようです。しかし,JRCは真空管の製造を打ち切り,保守用真空管も流通が悪く入手できないとなれば,本機はその後あえなくジャンクとなってしまったようにも思えますが,でも,JRCの球は米国のGT管とそれ程の違いがあった訳でもありません。ピン配置がちょっと違うだけです。電器屋に修理に出せば,米国互換のGT管に交換されて,めでたく復活となっても良さそうに思えるのですが,なぜそんな修理をしなかったのでしょう。推測ですが,このラジオのオーナーは旧時代的な無骨なデザインを嫌って,その後の新しいデザインのラジオを買い求めたのかもしれません。
[調査の結果] 内部を配線を追いながら詳細に調べた。その結果,イモハンダが多い。はずれている。PTが2次側+B巻き線がオープン,これは致命的。箱型コンデンサは配線が外してあり,大形チューブラーケミコン,ペーパーコン,抵抗が,導入され,オリジナルがどれか分からない始末。空中配線が多くあまりにも手が入っている。VRは交換されたようだ。
PTは代替を考えるとすれば,+330Vx2,60mAと言えば,山水のS42クラスに匹敵するのだが,6.3V巻き線しか無かったと記憶する。さもなくば,オリジナルを残し+Bだけトランスレスとする手がある。VCはマイカに鉄錆も緑青も乗り掃除をしないことには,まともに動かないだろう。シャーシも錆取りをしてペイントしなければ,かっこう良く無い。いずれにしても一度ばらして,箱型コンデンサは外してチェックせねばならない。抵抗も大分値が違う。戦後直ぐの作品は復旧は容易ではないようだ。
Name
Eh,Ih
Eb
Eg2,4
Eg
Ib
Ig2,4
gm
rp
mu
12G-C4
(N-361)
Triode-Heptode
12.6V 360mA
H
T
250V
150V
100V
-
-6V
-2V
4mA
4mA
1.5mA
-
1.0+/- 0.4
1.3
-
115k
-
15
12K8
Triode- Hexode
12.6V
150
250
100
100
-
-3
2.5
3.8
6.0
-
0.35
600k
先に入手したJRC Model R-101はパワートランスが切れていたし,部品も交換されていた。(大形チューブラーケミコン,ペーパーコン,抵抗が,導入され,オリジナルがどれか分からない始末。空中配線が多くあまりにも手が入っている。VRは交換されたようだ。 )。回路図が無い。回路図が確定できない。だから2台目が必要だった。
探していたラジオ2。球なしだった。部品調達にと。キャビネットの作りや色が少し違うが,スピーカ,ケミコンなど保存されているようだ。