ANTIQUE JAPANESE RADIO/日本の古いラジオ

written by Koji HAYASHI, Ibaraki JAPAN

Mini-Museum of Japanese Radios/日本のラジオのミニ博物館

Radio Tubes After WWII/戦後のラジオ球

TV Tubes/テレビ球

Tuner/チューナー

(1)Pentode Amp/5極管チューナ

(2)Cascode Amp/カスコード管

(3)Nutrode Amp/ニュートロード管

(4)GG Amp & UHF/GGアンプとUHF管

(5)VHF Converter/VHFコンバータ管


Page-TVtu2. TV Tuner Tubes -Part 2 Cascode Tube/TVチューナー管 -カスコード管

2nd Edition (2006.12.4)-(2010.12.5)

HomePageVT/TV_Tuner2.html


I. History of Cascode Tuner/カスコード・チューナーの歴史

II. RF Twin Triodes for Cascode RF Amp/カスコード増幅用高周波双3極管

(7 series)

12AT7/6AT7

Toshiba

6BK7

Du Mont, Sylvania

6BQ7

RCA, Sylvania, TungSol, GE, Toshiba, Hitachi, NEC, TEN

6BZ7

GE, Sylvania

ECC84/6CW7-PCC84/7AN7

Matsushita

(8 series)

ECC85/6AQ8

See FM Tuner

6BC8

Raytheon

6BS8, 6BX8, 6BZ8 

Not Yet

ECC88/6DJ8

Matsushita, Toshiba

6DT8

See FM Tuner

ECC189/6ES8

Text only

6FW8

Not Yet

6JK8

Not Yet

6KN8/6R-HH8

See 6R-HH8

(Industrial series)

6922/E88CC

7057

7803

8223

8431

III. Japanese Cascode Tubes/日本のカスコード管

6R-HH1

Hitachi

6R-HH2(工事中)

Not Yet Photo

6R-HH6

NEC, Mitsubishi

6R-HH7

Not Yet

6R-HH8

Hitachi

6R-HH9

Not Yet

6D-HH11, 6D-HH13

Toshiba, Futaba

6R-HH15

Matsushita


I. History of Cascode Tuner/カスコード・チューナーの歴史

カスコード・アンプはカソード接地アンプとグリッド接地アンプを直接結合した2段アンプで,1948年にWallmanが発表したとされています。高入力インピーダンスかつ高出力インピーダンス,感度(ハイゲイン),低雑音と3拍子揃った,画期的なVHFアンプでしたが,真空管が2本必要で回路もやや複雑ですからコストが高いというのが欠点でした。カスコード・アンプが最初にTVチューナーに採用されたのがいつかは定かではありませんが,発表と同時期と見ても間違いではないでしょう。同じ年にはカスコード・アンプがコンパクトにまとまりる双3極管として,12AT7(1948年, KenRad-GE, RCA)が発表されていました。この球はVHF帯GGアンプ用の3極管6AB4を2つ封入したものでしたが,2つのユニット間にシールドは無くやや使い難い球だったと思われます。やがて1950年代になるとシールド付きのカスコード・アンプ専用管が作られるに及んで,カスコード・チューナーが爆発的に普及しました。我が国では1950年代後半のTVはカスコード・アンプ一辺倒になりました。

TVチューナのカスコード・アンプ専用管として初めて登場したは米国GEの6BK7(1951年9月,GE)でした。また,米国RCAも同じ頃6BQ7を発表しました。12AT7に比べて,双3極ユニット間にシールドを設けて相互干渉を抑制したこと,ヒーター電力を増強しgmをUpする一方で,muを減らしプレート電流を増強,VHF帯同調回路の低負荷インピーダンスでも十分なゲインが得られるようにした設計でした。さらに改良型の6BZ7も少し遅れて登場しました。

1952年にはgmとmuを若干高めた6BK7A6BQ7Aが,1954頃には600mAトランスレス化に合わせて5BK7A4BQ7Aが登場。6BK7Aを用いた例としてGEのカスコード・TVブースター(GE ETRM-15F)がありました。またTVセット組み込みカスコード・チューナの例では,VHF帯6BQ7A-6X8,UHF帯は1N82A-6AF4でした。一方,RCAは新型カラーTV CT-100(1954年9月)でVHFとUHF兼用のチューナを用いていました。構成はVHF RFアンプがカスコード6BQ7A, V-UHF ミキサーにクリスタルダイオードK3E, V-UHF発振 6AF4, 40MHz IF プリアンプに6U8。変わっている点は,コイルの切り替えにより同一回路でV-UHFを全てカバーしていた点で,VHFの場合はRF アンプ付きになり,UHFの場合はRFアンプをバイパスしていきなりダイオードミキサに入る。その代わり,IFプリアンプの第1段が6U8の3極部を用いたGGアンプ,2段目が6U8の5極部を用いた通常のK接地アンプという構成でした。このようなチューナーは日本では採用されませんでした。その後,コンバータ管にも改良が見られ,RCAの6X8に代わって6BR8が使われるようになりました。例えば,スタンダード・コイル社のチューナは,6BQ7A-6BR8でした。

しかし,米国ではカスコード・アンプ一辺倒にはならず,廉価なTVには相変わらずペントード・アンプが使われていました。例えば,GEのモノクロ14T008(1956年6月)の簡易型チューナは,ペントード型3BC5-5X8だったのです。その後,カスコード・アンプ球として,米国では1955年頃に8シリーズの6BC8/4BC8が登場しました。しかし,これを最後に米国ではカスコード・アンプ用のめぼしい球は見あたらず,米国のカスコード・チューナー時代は1950年代で終わったようです。

むしろカスコード・アンプを謳歌したのは,欧州と日本だったようです。欧州では1953年頃PhilipsがECC84/6CW7(後にPCC84/7AN7)を発表,それまで使用してきたECC81/12AT7あるいはEF80/6BX6によるTVチューナを改良しました。さらに1957年頃にはフレーム・グリッドを用いたECC88/6DJ8-PCC88/7DJ8を発表。高gm戦争の口火を切ることとなりました。

日本では,1953年に米国型の6BQ7Aを国産化し,1955年にトランスレスの4BQ7Aを作るに及んで,テレビ市場はカスコード型一色につつまれました。そして,TVの普及とともに各セットメーカや真空管メーカの競争が激化,商品の差別化の口実にチューナー管の感度が取り上げられ,1958年,日立の国産第1号のカスコード専用管6R-HH1が登場,HH戦争の幕開けとなりました。以後1963年頃までの間に約10種の新型管が開発されました。これら日本管の歴史は(III. 日本のカスコード管)でご紹介します。

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II. RF Twin Triodes for Cascode RF Amp/

カスコード増幅用高周波双3極管

Table of Cascode Amplifyer Tubes

Name

Base

Out-

line

gm

mA/V

mu

Heater

6.3V(A)

600mA

450mA

300mA

150mA

7 Series

ECC81/ 12AT7

9A

6-2

5.5

60

0.3

XCC81/ 6AT7

6BK7

6BK7A

9AJ

6-2

8.5

9.3

40

43

0.45

-

5BK7A

-

6BK7B

6BQ7

6BQ7A

9AJ

6-2

6.0

6.4

35

38

0.4

-

4BQ7A

-

5BQ7A

6BZ7

9AJ

6-2

6.8

36

0.4

4BZ7

5BZ7

ECC84/ 6CW7

9DD

-

6.0

24

0.335

PCC84/ 7AN7

7EK7*

-

-

9.2

26

7EK7 7.0V

ECC89

9DE

-

PCC89/ 7FC7

XCC89/ 4FC7

12FV7

9A

-

9.6

21.5

0.9A/ 0.45A

12FV7

8 Series

ECC85/ 6AQ8

FM Tuner

9AJ

6-2

5.9

57

0.435

PCC85/ 9AQ8

HCC85/ 17EW8

6BC8

9AJ

6-2

6.2

35

0.4

4BC8

Vari-mu of 6BQ7

6BS8

9AJ

6-2

7.2

36

0.4

4BS8

5BS8

6BX8

9AJ

6-2

6.7

25

0.4

4BX8

6BZ8

9AJ

6-2

8.0

45

0.4

4BZ8

ECC88/ 6DJ8 FG

9DE

6-2

12.5

33

0.365

PCC88/ 7DJ8

12DJ8

(180mA)

Syl61

6DT8

FM Tuner

9DE

6-2

5.5

60

0.3

12DT8

ECC189/ 6ES8 FG

9DE

6-2

12.5

34

0.635

XCC189/ 4ES8

LCC189/ 5ES8

PCC189/ 7ES8*

Vari-mu of 6DJ8

6FW8

9AJ

6-2

13

33

0.4

6HK8/ 6RHH2

9AJ

6-2

8.0

36

0.4

17RHH2

6JK8 FG

FM tuner

9AJ

6-2

1)6.8

2)13

1)55

2)70

0.4

Syl61

8JK8

17JK8

6KN8/ 6RHH8 FG

9AJ

6-2

16

45

0.4

4KN8/ 4RHH8

Numeric

6922/ E88CC

=6DJ8 FG

9AJ

6-2

11.5

33

0.3

7057

=6BZ7?

9AJ

6-2

6.8

36

13.5V/ 0.18A

7803

=6DJ8 FG

9AJ

6-2

12.5

33

0.365

Sylvania

8223

9AJ

TX

18

25

0.475

8431

=12DJ8? FG

9AJ

6-2

12.5

33

12.6V/ 0.18A

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6AT7-12AT7

12AT7は1947年頃に米国で開発された高周波増幅とコンバータ用の双3極管です。Ken-Rad(Product of GE company)の1948年4月の広告に12AT7の姿が初めて登場。12AT7/ECC81の詳細はコンバータ管に述べるとして,ここでは600mAトランスレス対応の6AT7について書きましょう。米国ではこの球は1954年頃に登場したと見られ,国内では東芝が1955年頃国産化しました。東芝のマニュアルでは6AT7の用途を12AT7と同じくFMならびにTV用放送のグリッド接地アンプならびにコンバータ用と説明していますが,600mAシリーズといえばTV専用管だったと思われます。しかし,TVセットでこの球を使用したという話はついぞ聞いたことがありませんでした。

Toshiba-Matsuda 6AT7 in 1958 [0bF]

この頃からマグネシア塗布マイカを用いている。左の下部マイカはめくれており,また電極の曲がりも見られ,製造の品質はあまり良くないように思える。

Box of Toshiba-Matsuda [0bF]

箱, (SB-326-DB-15ふ), (SB-351-DA 10 す), ともに蓋に\1200と表示。左の箱は上下で球を抑えるよう内蓋がつくタイプでやや古い,右は球を2つ折りの台紙でパックする後に主流となったタイプ。

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6BK7/6BK7A/6BK7B

6BK7は1951年頃米国GEにより開発されたカスコード増幅専用の球です。1951年9月,GEは新しく開発したTV用カスコード専用管6BK7の広告を出しました。ノイズレベルとコストの問題の解決を謳っており,(1)2つの3極管ユニット間に特別なシールドを設けたこと,ゲインを改善しノイズレベルを引き下げるために高いgmとしたことが特徴でした。6BK7Aはgmとmuを若干改善したもので1952年頃に作られました。日本で米国TV球の国産化が始まった1952,3年頃にはよりコンパクトな6BQ7Aが登場しており,6BK7はの出る幕はありませんでした。

(6BK7)150V, 56ohm, 18mA, mu40, gm8.5mA/V, 4.7k, NF at 216MHz=7dB.

GE/Du Mont 6BK7B(63-43, 188-4), 1963/ジャンク,未計測。[0b4]

このサンプルは後期のもので2ユニットのヒータは電極上部でヒーター線で直接配線している。6BK7系のプレートの特徴は縦寸がほぼ同時期の6BQ7系に比べて長いこと。国産6R-HH2などがgmを稼ぐのにグリッド巻き線の細径化に苦心しているのに,古い6BK7系がいとも簡単にHigh gmを達成できた秘密はここにある。しかし,電極間容量の点で劣るのはいうまでもない。

Sylvania 6BK7B (mB JDY), Side and Front, and (Ia JCO) Front. [0bF]

ともに1960年代。ドーナツゲッタ。プレートは左2つが黒色艶消しでやや新しく,右は灰色でやや古い。

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6BQ7/6BQ7A/4BQ7A

6BQ7は1951年頃に米国RCAが開発したものと思われます。その直ぐ後に若干gmを引き上げた6BQ7Aが登場しました。当時のRCAのマニュアルにはカスコードという名前ではなく,「直接結合ドライブ付きのグリッド接地アンプ」と紹介され,初段は直結カソード接地ドライブ,後段は直結カソード・ドライブRFアンプと呼ばれていました。また1954年頃には600mAトランスレス用に4BQ7Aが登場しました。

日本では6BQ7Aは1953年に東芝が国産化,各社もこぞって製造しました。4BQ7Aも東芝が1955年に国産化,日立,NECは1956年に製造。またTEN,フタバなどありとあらゆる会社が製造に参加しました。松下はオランダPhilipsと提携していたため欧州系チューナー管が主力のはずでしたが,1962年頃には推奨品種には指定していませんが6BQ7A/4BQ7Aをマニュアルに掲載しており,あたかも製造していたように見えます。しかし今日残っているサンプルを見る限りはNECのOEM製品でした。6BQ7A系は国内TVセットでは1950年代中頃から主流になりましたが,1960年代になると日本独自の改造球6R-HH2/4R-HH2に取って代わり,その後は通信用としてのみ6BQ7Aが生き残った模様です。

6BQ7A Front, From Left, RCA, Tung-sol, GE and Sylvania(FC EHM) [0b4]

6BQ7A Side, From Left, RCA, Tung-sol, GE and Sylvania(FC EHM) [0b4]

RCAは1950年代(字消え),着炭プレート,角型遮蔽付きゲッタ。Tung-Solは1958年(5852-3),光沢黒色プレート,馬蹄形ゲッタ,GEは1950年代(字消え),アルミ被覆灰色プレート,馬蹄形2本充填ゲッタ,Sylvaniaは1960年代初頭,光沢黒色プレート,角型2本充填ゲッタ。6BQ7Aのプレートの特徴はどのメーカーも側面に小さな穴が2つあること。またマイカ板はグリッド支柱とカソードの間に小さな切り込みがあり絶縁対策を施している。電極間シールド板の加工であるが,RCA, GEはニッケルの平板。平板は組立時の歪みに弱いだけでなく使用時に熱で歪む。このため,Tung-SolとSylvaniaは中央をX型にリブを付け,側面に折り込みをつけて機械的に補強している。Sylvaniaはシールド板も光沢黒色板を用いている。RCAだけはコイルヒータ,他社はヘアピンヒータを用いている。しかし,RCAだけは片ユニットはヒータが断線しているのは皮肉なものだ。gm=RCA(x,59), Tung-Sol(53,54), GE(24,42), Sylvania(新品未計測)。

Toshiba-Matsuda 4BQ7A(side), Toshiba 4BQ7A(front), Toshiba-Matsuda 6BQ7A(side) and Toshiba-Matsuda 6BQ7A(front), all 1959s [0b5]

Toshiba-Matsuda 4BQ7A(front), Toshiba 4BQ7A(side), Toshiba-Matsuda 6BQ7A(front) and Toshiba-Matsuda 6BQ7A(side), all 1959s [0b5]

左からマツダ4BQ7A(1959年頃),東芝ロゴ4BQ7A(同じ1959年),マツダ6BQ7A(2本とも1959年5月)。ヒータは4BQ7Aがトランスレスのためコイル型,6BQ7Aはヘアピン型。プレート構造はRCAと同じ。ゲッタはマツダロゴの球(左と右2本)は全て充填棒2本付きの角型ゲッタ,それより少し後に作られたToshibaロゴの球は珍しいことにペレット型ゲッタ(板に小さな丸い窪みのついたもの)。gmは(正常値>32)のところ,左より(51,52),(新品未計測),(55,53),(38,36)であった。

From left, NEC 6BQ7A(254/4-05, 1950s), NEC 6BQ7A( for Communications, 06, 1960s), Matsushita/NEC 4BQ7A(190/2D, 1962), TEN 6BQ7A(NT for Communications, W 2-12, 1962), Hitachi 6BQ7A(42 for Communications, 1964), Sharp/Hitachi 6BQ7A(27 1962). [0b5]

左よりNEC 6BQ7A(254/4-05, 1950年代), NEC 6BQ7A(通信用06, 1960年代), Matsushita/NEC 4BQ7A(190/2D, 1962年), TEN 6BQ7A(NT 通信用W 2-12, 1962年), Hitachi 日立6BQ7A(42 通信機用1964年), Sharp/Hitachi 6BQ7A(27 1962年)。

NECはシールド板も灰色アルミ被覆鉄,1950年代は角型ゲッタ,1960年代はドーナツゲッタへ。1962年頃,松下にOEM供給したらしい。これは馬蹄形ゲッタでヒータはトランスレスだがヘアピン型。TENも電極の造りは同じでゲッタはドーナツ。日立製1964年およびシャープのOEM製品1962年製は,ゲッタこそ普通の角型であるが,各社の中では最も新しい製品のようでマイカ板は2重に,また電極間シールド板が2枚重ね構造で両端はT字型に開いており,ともに機械強度を増して電極の歪みを防止している。gm=(51,55), (50,47), (新品未計測), (新品未計測),(51,49),(新品未計測)となっている。

Japanese Tube Maker's Boxs, From left, Toshiba-Matsuda(1959, 1200yen), NEC(1960s), TEN(for Comunications, 1962), Hitachi (1200yen), Matsushita-National (1962, 1200yen), Sharp(1962). [0b5]

国産各社の箱。左よりマツダ(1959年,\1200), NEC(日電,1960年代), TEN(通信用1962年), 日立(\1200),松下(1962年\1200), シャープ(1962年)。

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6BZ7/4BZ7

6BZ7は1955年頃RCAあるいはGEが開発したと思われます。6BQ7Aの後継管にしてマイナーチェンジ版です。この球はTVセットを大量に生産する場合に安定な性能が得られるように6BQ7Aの製造時の特性のバラツキの下限を引き上げる目的で開発されたと見ることができます。6BQ7Aに対して電極間容量やmuなどもほとんど同じで,gmは僅か約6%upしたに過ぎないので,製造時のバラツキからいえば6BZ76BQ7Aと同等と見なすことができます。つまり,新品購入後少し時間がたちエミッションが劣化してくると6BQ7Aと同じになってしまいます。

国内では日立が1959年に6BZ7/4BZ7を製造しましたが,輸出用であって国内TVセットで使われた形跡はありません。

GE 6BZ7(EU 188-5), in Early-1960s. [0b4]

1960年代初頭のサンプル。新品,未計測。電極構造は6BQ7Aと変わりありません。

Sylvania 6BQ7A/6BZ7 (bf ABO, 1960s) Double Name Tube/ダブルネーム管。[0bF]

内容は6BQ7Aかもしれない。灰色プレート,ドーナツゲッタ

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ECC84/6CW7-PCC84/7AN7

Philipsが1954年頃開発したカスコード・アンプ。米国EIA名登録は1955年頃。EAI名の末尾番号はこの頃まで電極の数(3極+3極+ヒータ1)の7でシールドを数に入れませんでした。また,ヒータ電圧が違うと登録順に別名(6CW7, 7AN7)が与えられました。国内では松下が1955年にPCC84/7AN7をワールドシリーズと銘打って国産化しました。

この球の特徴は,カスコードアンプに最適なピン配置にしていることでしょう。通常のカソード接地アンプ用のユニット1はカソード引き出し線が2本あること,グリッド接地用のユニット2のグリッドは接地専用のため電極間シールドと同電位になっています。グリッド巻き線の径は25um程度,カソード・グリッド間は110um。TVチューナーのNoise Figure(200MHz)は,従来の従来の6BX6/EF80を用いたペントード・チューナ(26dB)に比べて,PCC84/7AN7-9A8(8.1dB)と大いに改善されたそうです。(1958年のマニュアルには入力回路のバンド幅7-8MHzにおけるNFは6.5とかいてあります。)

Matsushita 6CW7/PCC84(PL Dec 1956), 7AN7(A0/NL Dec 1958), 7AN7(0D April 1960)/製造は1956年12月, 1958年12月, 1960年4月 [0bC]

Side and Front of 7AN7 Electrode/7AN7の電極の側面と正面。 [0bC]

電極間シールド板は両サイドに折れ曲がった形で特に珍しくないが,マイカ上部のシールド板は変わっている。側面から見るとL型で頂部にはゲッタ金具がある。正面から見るとユニット2を囲うような凸型の金具を採用している。実は電極間シールド板はユニット2のグリッドと同電位である。プレートの大きさは12AT76BQ7等とほぼ同じ大きさである。ヒータはコイル型。ゲッタは馬蹄形。

Matsushita-National World Series Tube Box for TV, 1958 [0bC]

松下が1955年の発売当初,ワールドシリーズと銘打った帯が付けられた。このサンプル(1958年製)の内部には販売促進のための松下の共栄券2点(No.33.5)が2枚入っている。

Data Sheet of Matsushita-National [0bC]

またデータシートが懇切丁寧に入っている。カスコード・チューナーの回路図は7AN7-9A8(ペントードミキサ)である。

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6BC8/4BC8

6BQ7A系のバリミュー管。米国で1955年頃開発されました。6BQ7AにAGCをかけることができますが,AGC電圧が深くなると電極間容量の変化により同調が狂うという弊害がでます。米国EIA名でこれまで末尾は7だったものがこの球以降,8になりました。6CB8系はグリッド自身をバリミュー構造に改良してAGCを掛けやすくしたものです。国内では1957年に東芝が4BC8を,日立,NECが6BC8/4BC8を国産化しています。しかし,日本では使われた形跡はありません。

Reytheon/Motrola 6BC8(280?/5713), in 1957/1957年製,ジャンク,未計測。[0b4]

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ECC88/6DJ8-PCC88/7DJ8

ECC88/6DJ8はPhilips?が1956年頃開発したフレームグリッド管。米国のEIA名登録はPCC88/7DJ8が先で1957年頃のようです。グリッド巻き線の径は10um,カソード・グリッド間は57um。またプレートの電極間容量を減少させるために,新たにカソード対抗面だけを凸型にしたプレートを採用しています。こうして従来のPCC84/7AN7に比較して電極間容量をほぼ同じに保ちながらgmを2倍に引き上げました。TVチューナーのNoise Figure(200MHz)は,従来のPCC84/7AN7-9A8(8.9dB)に比べて,PCC88/7DJ8-9A8(6dB)と2/3に改善されたそうです。さらに,電極振動防止を図るために,フレームグリッドによるグリッド巻き線の振動防止はもちろんのこと,マイカ板をフレームグリッド支柱で抑える,マイカ板を楕円四角形として4点をガラス管の中央絞り部に接触させるなどの対策を取りました。この防振対策はTVセットに有効なばかりでなく,計測器にも大いに活躍する道を開きました。

国内では松下がPCC88/7DJ8を1957年に国産化しています。ECC88/6DJ8はやや遅れて1959年に国産化しました。直線性の良さや防振対策から米国でオシロスコープなどにも大いに利用され世界的に有名な球になりました。東芝も1960年には通信用受信管として製造を開始し,また1964年にHi-S管通測用にM3624(6DJ8)を作りました。一方,日立は1958年,6DJ8を原型にHigh gm管6R-HH1を開発しました。NECは1964年頃7DJ8を製造しました。

Matsushita-National 7DJ8, Early-Time Model (OC/NB Feb 1958), (0I/MG July 1959), (0C, March 1960)/ 松下の7DJ8, 最初期型(OC/NB 1958年2月), (0I/MG 1959年7月), (0C, 1960年3月)。[0bC]

最初期型はガラス管中央が僅かに細くなっており,マイカ板も楕円四角形。翌年には通常のストレート管と周囲に爪の付いたマイカ板に変更し,代わりの防振対策として2重マイカとしカソード頂部に板バネマイカが付いた。ゲッタは馬蹄形。1960年以降,ドーナツ形に変わった。ヒータはコイル型。この球は当初より完成度が高く,1960年5月のスタイルが1960年代末まで踏襲された。

Matsushita-National 7DJ8, Front(1D 1961) and Side側面(0C 1960) [0bC]

プレートは中央部がカソードに近接するように凹形にプレスした2枚の板を組み合わせている。プレート板の上部,下部に爪がありマイカに差し込んだ後,2枚の上部の爪同士を金属板で溶接し堅牢にしている。ゲッタは1958年から1960年3月まで馬蹄形だったが,1960年5月にはドーナツ形に切り替えられた。

Toshiba 6DJ8 Hi-S for Communications, 1D86, during 1962-1964/ 東芝の6DJ8(Hi-S 通信用1D86, 茶文字) 1962-1964年頃。[0bC]

プレートの形状とマイカ板への固定は松下とほぼ同じ。ゲッタはドーナツ型でマイカ板上部の皿型金具(ゲッタ遮蔽)上に乗っている。上部マイカ板は2重。ヒータはコイル型。東芝はこれ1本しかサンプル無い。

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ECC189/6ES8-PCC189/7ES8

ECC189/6ES8はSylvania/Rogersが1959年頃開発したリモートカットオフ特性のフレームグリッド管。6DJ8系の混変調対策管で,特性や構造は類似しています。7ES85ES8はRogersが1959年頃EIA名に登録したことになっています。TVチューナーのNoise Figure(200MHz)は,従来のPCC88/7DJ8-9A8(6dB)に比べて,約5.5dBに改善されたそうです。国内では松下が7ES86DJ8を1960年に国産化しました。東芝は1962年に7ES86DJ8を,また日立は7ES8を製造開始しました。

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III. Japanese Cascode Tubes/日本のカスコード管

我が国では国産TVが軌道に乗った1950年代末から,国内事情に合わせたTV球の開発が始まりました。米国TV球の国産化で始まったTVも,トランス付きセットでは特に問題の無かったのですが,廉価版のトランスレスTVを作る段になると,日米両国の商用電源電圧の違い(100Vと117V)は,+B電圧の不足によるチューナーのゲイン不足になって現れました。このため,より高感度の高周波増幅管が要求されました。時はカスコードアンプの時代,そこで高増幅率の双3極管,日本名のHH管が登場しました。各社とも販売合戦を繰り広げたおかげで,HH管開発競争が幕を開けました。

初めて登場したのが日立のHH1。1958年に日立は欧州6DJ8を改良したフレームグリッド管HH1を開発,自社の製品に採用したに留まりました。次いで東芝は1958年gmを改善した廉価な球HH2,HH3を開発。この廉価路線は多くのセットメーカの支持を取り付けて爆発的に普及しました。この球は松下も含めて全メーカが製造しました。NECは1959年頃フレームグリッド管High gm管HH6とバリミュー管HH7で巻き返しを図りました。しかし,採用したのは自社の製品と三菱電機くらいだったでしょう。日立は1960年,HH1を改良したフレームグリッド管HH8とHH9を開発。自信を持って米国に輸出攻勢を図りました。NECもHH6路線を捨てて製造しました。東芝はRCAのニュービスタ路線に驚異を感じてか世界情勢が小型化に移行していくのに応答して1960年サブミニ管のミクロビスタHH10,11を試作, 1961年それを改良したHH12,13を作りました。TENやフタバも製造しました。松下はオランダPhilipsの強力な球を使用していたので新型管の開発は不要でしたが,1963年頃に他社のTVの保守用球市場に参入するため,HH2互換のフレームグリッド管HH15を作りました。

米国向けの小型TVの輸出は1950年代末から本格的に始まりました。日本語で書かれた文化は輸出できないのと同様に球も米国名(EIA名)が大事,東芝はHH13を6FX7, HH12を6FW7と登録し,またHH2を6HK8,日立はHH8を6KN8と登録しました。

1963年頃からTVチューナはニュートロード型に移行したため,日本におけるカスコードアンプ管の開発は終わりを迎えましたが,そればかりでなく,1960年代初頭から真空管産業は斜陽の色濃厚となり,国内の無意味なチューナー管の開発競争に懲りてか,日本独自のチューナー管自身,2度と開発しようなどというメーカは現れませんでした。以後もっぱら輸出用に米国球を製造することに専念したようです。世界のTV路線はより安価へと移行し,日本の球メーカは米国への輸出が好調で10年の延命ができましたが,米国のマイナーな球メーカは逆に日本の攻勢により転業や廃業を余儀なくされました。

以上が概要です。

1962 T 16FX 6D-HH13, 16RD 3D-HH13

1963T SB221P 3D-HH13, 5M-HH3, Preset/L, ウエハターレット式

1963 19SF 3D-HH13, 5M-HH3

Japanese HH series VHF Cascode amplyfier

6.3V

Base

Out-

line

gm

mA/V

mu

Heater

6.3V(A)

600mA

(V)

150mA

(V)

6R-HH1 FG

9AJ

mT

11.5

45

0.4

-

-

6R-HH2/ 6HK8

9AJ

mT

8.0

36

0.4

4R-HH2 4.2V

17R-HH2

6R-HH6 FG

9AJ

mT

13.0

46

0.4

4R-HH6 4.2V

6R-HH7* FG

mT

4R-HH7

vari-mu

6R-HH8/ 6KN8 FG

9AJ

mT

16.0

45

0.4

4R-HH8/ 4KN8 4.2V

6R-HH9 FG

9AJ

mT

16.0

45

0.4

4R-HH9 4.2V

vari-mu

6D-HH11*

8LK

sub-mini

9.5

36

0.3

3D-HH11* 3.15V

6D-HH13/ 6FX7

8LK

sub-mini

9.5

36

0.3

3D-HH13 3.15V

6R-HH15

9AJ

mT

8.0

44

0.365

4R-HH15 4.2V

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6R-HH1

6R-HH1は日立が1958年に欧州6DJ8を原型に開発したフレームグリッド管開発。自社のTVセットに採用したに留まりました。定価\2,000というものすごく高価な球でした。

Hitachi 6R-HH1 in Jan 1961, and its data sheet [0bD]

Hitachi 6R-HH1(18/緑G1 1961年1月製)。箱の中にはデータシート「世界水準を行く日立真空管説明書」と日立ファミリークーポン2点x2。

電極構造は6DJ8に似ているが,プレートは互い違いの格好でなく8の字を描く格好になっており小振り。シールド板は両端がT字型。6DJ8と異なり上部,下部マイカ板のそれぞれで対抗するプレート板が金属板リード線で連結されている。このため,電極間容量が増えたようだ。ゲッタは角型,ヒーターはコイル。

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4R-HH2/6R-HH2

東芝は1958年,6BQ7Aのgmを改善した廉価な球6R-HH26M-HH3とともに開発。この廉価路線は多くのセットメーカの支持を取り付けて爆発的に普及しました。

東芝の広告によるとグリッド・カソード間0.04mm(40um),グリッド巻き線は金メッキタングステン線で径は0.018mm(18um)だそうです。(写真からすると正しくは0.008mm(8um)の誤りらしい?)

[この項,工事中,球がいっぱいあるので写真撮影に時間を要す]

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4R-HH6

NEC/三菱は1959年頃フレームグリッド管High gm管6R-HH6とバリミュー管6R-HH7を開発しました。しかし,中途半端な仕様で,余りTVセットには採用してもらえませんでした。自社の製品と三菱電機くらいだったでしょうか。

Mitsubishi/NEC 4R-HH6 (790/41 in 1964)/三菱・NECの4R-HH6(1964年製) [0bD]

電極の外観は6R-HH2に似て小型で薄っぺら。どこがフレームグリッドなのか分からない。我が家のテレビ(4R-HH2)の修理時に差し替えた球であった。gm=[41-40,37-30]エミ減。

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6R-HH8

日立は1960年,6R-HH1を改良したフレームグリッド管6R-HH8を開発。自信を持って米国に輸出攻勢を図りました。米国EIAに登録し,6KN8という名前を持ちます。NECも6R-HH6路線を捨てて製造しました。6R-HH1に比べるとTVセットに良く使われた方ですが,それでも高価で定価\1,670でした。後にとバリミューの6R-HH9も誕生したようです。

Hitachi 6R-HH8(1962), (1965), 4R-HH8(1966?), (1966) [0bC]/

日立の6R-HH8(22/緑B2 1962年), (5-6/緑H5 1965年), 4R-HH8(-/F5 1966年?), (I6/F2 1966年)。

1962年製は上部マイカ板上の電極間シールド板が短いが,1965年には下のシールド板と同じ長さにまで延長された。ゲッタは1965年まで角型。それ以降,ドーナツ型。日立のロゴも変わった。ヒータはコイル型。また,1962年には無いが,1965年にはカソードの防振バネマイカが採用されている。全て新品。左から2番目は私が中学生のときに高gmに魅せられて購入したもの。gm=[84, 90]/14D(6BQ7の測定条件>32) or [47,55]/20D(6DJ8の条件>62)。一番右はgm=[110, 104]/14D or [71, 68.5]/20D, 他は未計測。

6R-HH8, Side and Front [0bC]

6R-HH8の側面(緑I4 1964年製死んだ球)と正面(緑A2 1962年製)。電極上部のカソード上部に防振用の板バネマイカが見える。 

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6D-HH13/3D-HH13 -3/6FX7

東芝はRCAのニュービスタ路線に驚異を感じてか世界情勢が小型化に移行していくのに応答して1960年サブミニ管3/6D-HH10, 3/6D-HH11を試作, 1961年それを改良したのミクロビスタ3/6D-HH12, 3/6D-HH13を作りました。6.3V管と600mA系は初めから作られました。カスコード管は3/6D-HH13の方です。3/6FX7という米国EIA名を取得しています。TENやフタバも製造しました。2本足のガイドが付いたシールドケースで覆った球を作って初めてミクロビスタと呼ぶことにしたようです。6D-HH10/11-6D-HH12/13のは東芝独自の仕様ですが,その原型は同社がその前年1959年に国産化した6021ではないかと思います。6021はVHF-UHF用の中増幅率双3極のサブミニ管で,muが35と類似していますが,gmは5.4mA/V, rpは6.5kohm, 3/6D-HH13はgm=9.5mA/Vで1.75倍大きく,rp=3.8kで1/1.71倍小さくなっています。ヒータ電力は同じですから,グリッド巻き線だけを新たに設計しなおし,電極間シールドを追加したものではないかと思われます。

このサブミニ(ミクロビスタ)路線は,(1)High gmのためゲイン向上(3-4dB)/IF段が2段にでき経済的,低+B電圧(135V)でも働く,(2)サブミニだからリード線インダクタンスが少なく高周波で高入力抵抗/チャンネルによる感度差が少ない,(3)雑音指数は6R-HH2-6M-HH3系に比べて1dB低いチューナができる,(4)マイクロフォニーが少ないからゲインが上げられる,というメリットがあるということでした。

因みに,何故カスコード用6D-HH13と混合・発振用6D-HH12に分ける必要があったかというと,ピンが9本あるmT管では6BQ7Aのようにユニット間シールドは独立に接地できたのですが,サブミニ管はピンが8本しか無い(ピンが1本足りない)というの宿命を持ち,ユニット間シールドをどこかの電極に接続せざるを得ないという事情があったようです。このシールド板は6D-HH12では2段目のカソードに繋がっていますが,これをカスコード・アンプにすると2段目のカソードが高周波的に浮いてしまい管内フィードバックがかかる,AGC電圧印加時に入力抵抗と入力容量が変化し,中和が崩れる,すると広帯域を必要とするTVでは画像と音声のゲインバランスが崩れてしまう,すなわち安定なAGC動作ができないことになるそうです。このため,Philipsの7AN7/PCC84と同様に2段目のグリッドにシールド板を結合させたカスコード専用管6D-HH13を作ったのだそうです。

確かにチューナーの改善は後段の真空管のHigh-gm化が進めばIF段数の削減などで経済的に有利となるはずだったのですが,後段のHigh-gm化とともにチューナーのmT管のHigh-gm化も進んだため,ミクロビスタでなければならない理由も消え失せてしまいました。東芝は自社のTVセットでは主に高周波増幅だけにこれを採用し,3D-HH13-5M-HH3路線が多かったようです。しかし,ニュービスタ同様,後には経済性の点で通常のmT管にまけてしまいました。画期的という程の球ではなかったことも確かです。

From left, Toshiba 6D-HH13(Side and Front without shield case, 1L, 1961), 6D-HH13(2C, 1962), 3D-HH13(6C, 1966) [0bC], 6021W(Sylvania) [0bN]

左のガラス管の写真はシールドを外した姿。黒化艶消しプレート。2つのユニット間にはシールド板がある。ドーナツゲッタ。コイルヒータ。シールド・ケースは右写真のように2種類あり,1L(1961年12月)から2B(3D-HH13), 2C(6D-HH13, 1962年3月)までは旧型シールド,2H(3D-HH13, 1962年8月)から4E(-), 5G(-), 6C(-),7-(1967年)まで新型シールド。旧型シールドはmT管の密着型シールドと同じように1枚板をバネのように丸めて巻いてガラス管を押さえ込む。周方向にリブが4本ある。新型シールドは周方向に3箇所プレスしてガラス管を押さえ込んでいる。リブは無い。

Head of Shield case( Old and New ) [0bC] /シールドケースの旧型と新型

旧型シールドは背がやや低い。頭は切れており,ガラスの突き出し部の周囲に接着材がある。いまや硬化している。新型シールドは特に接着材を使用してないようだ。

Futaba 3D-HH13(7A, 1967)/フタバは東芝の新型と同じ造り。[0bH]

Socket of Microvistor/ミクロビスタのソケット [0bH]

シールドの下部の舌は幅がことなり,ソケットには切り込みがある。特殊なソケットを設計している。

Box, from left, Toshiba 6D-HH12(old-type, no-code), 6D-HH13(new-type, no-code), 3D-HH12(new-type, no-code, one star), 3D-HH13(not opened, one star), Futaba 3D-HH13(7A) [0bH]

箱の番号は,左より真空管のしんの字が旧字体(SB-351 DD も10, 東芝クーポン券5点付き), 新字体(4CF100P2 ユ26), (4CF101 P1の09), (4CF101 P1ね09), (-)。各社とも\1,300。

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6R-HH15/4R-HH15

松下が1963年頃開発。松下はオランダPhilipsの強力な球を使用していたので新型管の開発は不要でしたが,1963年頃に他社のTVの保守用球市場に参入するため,6R-HH2互換のフレームグリッド管6R-HH15を作りました。爆発的に普及し日本全土を制覇した6R-HH2/4R-HH2の恩恵にあずかった球です。

Matsushita-National 6R-HH15(4B 1964), 4R-HH15(4F 1964), and Box [0bD]

電極構造は一見,6DJ86R-HH8に似ているが,良く見ると6DJ8のプレートが1枚しかない。カソード対抗面の反対側(ユニット間シールド板側)にはプレートが無い。gmは6R-HH8の1/2だからおもしろい。つまり,6DJ8の電極材料を使って6R-HH8の片面だけの球を作った訳である。ドーナツ・ゲッタ。コイル・ヒータ。定価\1300。この球は新規TVセットに使われた形跡は無いが,しかし松下のサービスマン用の真空管セットには必ず入っていたようである。箱には松下共栄券が1枚入っている。

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