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History of Auto Radio/自動車ラジオの歴史2 |
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Vibrators/バイブレータ2 |
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EX1. Toshiba Matsuda ST Type Bas Radio in 1949/東芝マツダのバスラジオ |
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K(199) Matsushita-National Autoradio A510 in 1958/松下電器ナショナル オートラジオA510, ('04.10.30) |
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K(125) Teikoku-denpa Clarion A130 in 1956/帝国電波クラリオンA130自動車ラジオ, ('00.7.26) |
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EX2. Mitsubishi Electric Auto Radio AR-56/AR-210 in 1958/三菱電機自動車ラジオAR-56/AR-210 |
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K(157) Toyo Electric Industory AutomaticCR-? in 1958/東洋電機工業オートマチック・カーラジオCR-?, ('02.1.23) |
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EX3. Circuits of TEN AR-50, National A-551 and Clarion/テンAR50,ナショナルA551,クラリオンの回路 |
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EX4. Kobe Kogyo TEN Hybrid Bas Radio Using 12V Tubes in 1959/神戸工業テンの12V管使用ハイブリッド型ラジオ |
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自動車ラジオ(古くはAutoradio/オートラジオ,後に日本ではカーラジオ)は,自動車に積んだ自動車専用のラジオのことで,米国や欧州で自動車が一般に普及し自動車社会が形成された頃から発達しました。自動車のラジオ受信機が一般家庭用と違っている点は,
また,トランジスタ時代になっても(1)振動対策とともに(2)温度上昇による安定化,(3)省電力の3つが目玉になっていました。
1. Tube Auto-radio in 1927-1930s
自動車ラジオ(Autoradio)は1927年に米国ではPhiladelphiaで初めて販売されたそうです。Philadelphiaといえば,Philcoが有名ですが,同社が初めてラジオを製造したのは1928年とのことですから,一体どこの会社あるいはどこの誰が製造したかは謎です。でも,自動車ラジオの老舗には違いありません。1930年代は,米国で電極の支持にマイカ板を用いて防振対策を施したST管が登場しました。ヒータ電圧が6.3Vの新しい真空管は,実は当時の蓄電池の平均電圧に合わせた規格といわれ,自動車に搭載する目的で開発されたものだったのです。恐ろしいことに米国では1935年には自動車ラジオが350万台あったそうです。
日本ではその頃,自動車といえばほとんどがトラックかバス,自家用乗用車などほとんどありませんでしたから自動車ラジオがあろうはずもない。当時の放送も各地方ともNHKの1波か2波だけでしたし,24時間の放送もなかったでしょうから,運転しながら交通情報を聞いたり,一家でピクニック時にラジオを楽しむなぞという風景はほとんど無かったことと思います。でも,自動車ラジオの回路図だけは日本にも紹介され,例えば1935年3月のラヂオ科学の回路図特集には2つの自動車ラヂオが掲載されています。
1) 6D6(RF)-6F7(Mix-Osc)-6D6(IF252.5kc)-75(Det-AF)-42(Po)-6Z4/84(Rec)+Vib
2) 6E7(RF)-6A7S(Conv)-6E7(IF)-6C7(Det-AF)-42(Po)-6Y5(Rec)+(Sync Vib)
その1のラヂオはヒータ電圧5.6V, +Bは180V程度のようです。蓄電池は6.3Vで,+B電圧発生には非同期型の機械式バイブレータが使われ,DC6.3Vをスイッチングして鉄心入りトランスの1次側の2つの巻き線に+6.3Vを交互に流すことでAC12.6Vを印可し,昇圧し両波整流するという方式が使われました。
戦前の日本でも誰か作った人がいたかもしれません。しかし,日本では自家用自動車が発達しなかったこともあり,今日にいたっては日本で実物を見ることはまずできないでしょう。しかし,本家米国では今日でも多くのラジオが残っており,その姿はインターネット・オークションEbeyでときどき見ることができます。
3. Japanese Tube Auto-radio
我が国では今日でこそ車が溢れているが,戦前には見る影もなく,戦後,1950年前後になって初めて自動車ラジオが登場しました。その頃は,観光バスなどに拡声器兼用ラジオ(バスラジオ)を積むのが流行で,やがて,乗用車の普及とともに,自ら運転しながら個人的に楽しむラジオ(オートラジオ)として自動車ラジオが発達しました。
東芝(マツダラジオ)は戦後1949年になってバス用のラジオを作りました。恐ろしいことに,ST管スーパーであって,同調もバリコンでした。クラリオン(白山無線電機-帝国電波)やテン(川西機械-神戸工業-富士通テン)は今日では老舗ですがその頃から自動車ラジオを造り始めました。クラリオンは1948年にバス用拡声器?を造り,1951年にはカーラジオを作りました。1953年には日野自動車工業のルノー用に純正部品の指定を受けました。1958年に米国輸出。テンは1953年トヨタ自動車工業のクラウン用カーラジオを生産,1954年に純正部品の指定を受けました。1959年にはトランジスタ化。三菱電機も1957年にはオートラジオを製造しました。松下電器産業も1950年代末にオートラジオを作りました。国内の真空管オートラジオの歴史は私の手元の資料では約10年間に5社しか名前が出てきませんが,さらに短期間ながら複数社が製造に参入したことでしょう。
昔の自動車ラジオは真空管式でしたが,これに欠かせない部品として,低圧の蓄電池から高圧電源を得るDC-DCコンバータがありました。今日では半導体式が一般的ですが,その昔は機械式の振動子,いわゆるバイブレータがありました。電磁石と機械式のバネの入ったスイッチで,亜鉛メッキの鉄製筒に納められていました。戦前から戦後にかけて自動車の蓄電池には6Vが使われたので,米国では真空管のヒータ電圧が6.3Vに規格統一されたのは有名な話です。1950年代に自動車用蓄電池は12Vになりました。
バイブレータに直流を通電すると電磁石に磁力が発生し電極が引っ張られるが,ある程度ひっぱられると機械式バネにより戻される。それが規則正しく繰り返されるので振動を始めます。そこにスイッチを置けば,スイッチは規則正しく断続します。スイッチに直流電源を接続しておけば,その出力は0Vと入力電圧を交互に行き来する方形波状の交流になります。スイッチは2接点のもの(非同期式)と4接点のもの(同期式)がある。2接点ではトランスの1次側の2つの巻き線に交互にDCを供給することで2次側にはステップアップされたAC電圧を生じる。そこで整流管を用いて+B電源を得る訳である。4接点のものは2次側も同期して切り替えることにより,整流管なしで+Bが得られる。1950年代後半の頃は日本では2接点と4接点の両方が使われた。
ここでバイブレータの実物をお目にかけよう。米国のジャンクです。東京都の志田文夫さん御寄贈のもの。いずれも製造番号から1950年代と思われる。サイズは大きいものと中位のものがある。型式は良く判らないが,サイズが大きいものは6V用,中位のものは6V用と12V用が混在している。12V用は比較的時代が新しいはずでサイズは小型になる。3pinまたは4pinは2接点(非同期)のもので,鉄製ケースはアースに接続されている。5pinのものは同期式であろう。
寿命は機械式バネの強さと電極でのスパークの具合で決まるらしく,案外,寿命は短かったようである。スパークにより電極が固着してしまう不具合を生じると,2次側には出力が得られなくなり,気が付かないでいるとバッテリーが上がってしまうなどの重大な事故に繋がったらしい。だから,早めに新品に交換するとか,面倒くさい代物だったに違いない。また,+B側の負荷たる真空管も,4接点の直接+Bを得るタイプでは脈流になるため最大定格を抑えて使用する指示が為されている。例えば,有名な6BQ5/EL84などにはそのような規格が明示されている。
国産のバイブレータをその後入手しました。
サンプルと若干の規格表があります。
日進電波株式会社の「日進バイブレータ説明書」より
昭和10年(1935),KSKバイブレータ(日進電波の旧名)により初めてバイブレータを国産,市販した。1950年代末頃,バイブレータは,オートラジオ,バス宣伝車等の拡声機,ウォーキートーキー,魚群探知機,その他車両,船舶,航空機等移動用の通信機または測定機等の電源,あるいは放電灯,蛍光灯等の電源等に利用されている,とある。
全負荷連続寿命試験の結果は,断続回数10億回(延べ約2500時間)の記録をもっている。
*インターラプタ(ノンシンクロナス)
base
outline
model
Volt/Amp, Helz
Date
6S-1B
シンクロ
9 (6-pin UZ)
73-38
G
6V,5A,116cps
12-61
12S-1A
シンクロ
7 (6-pin UZ)
sa
sa
12V,4A,116cps
3-63
12V-3
非同期*
5
A4
12V,13A, 60cps
1956-6
Nisshin 6S-1B (黄色箱)sakai=030125
Nisshin 12S-1A (黄色箱), Nisshin 12V-3 (赤色箱), 2110+140+640 011016
このラジオは1949年に作られた東芝製のバス用ラジオです。バイブレータは6pin(4接点)の同期式のものでだから整流管は要らない。バッテリーは6Vであるから,戦前と同じ回路で行ける。5球だが,整流管は無いから,高1付きの6球相当である。バイブレータの寿命は1日7時間で1000時間と言っている。単純に4カ月というところか。バリコン式であるが,プッシュ・ボタンが4つあり,4局がプリセットできる。ねじ回しが必要。
回路図を見ると判るように,国内でスーパーが普及しだした1949年につくられたため,周波数変換管は新鋭の6W-C5だが,検波増幅管はまだ6Z-DH3Aができておらず,トップグリッドの6Z-DH3なのだ。6W-C5の発振回路もカソード・タップでは無い。イグニッション・ノイズ対策とバイブレータのノイズ対策が施してあるそうだ。
AGC/AVCは重要であって,東海道の走行試験では小田原と箱根の間で聴取不能の場所が2カ所あったそうな。それ以外では自動音量調節はありがたい。
帝国電波の自動車ラジオ。1956年製。どうやら乗用車というようりはバス用拡声器付きラジオらしい。米国製完璧ラジオを見つけてほとぼりの冷めぬ頃,Yahooで見つけて飛びつきました。四国の旧家の納屋から発見されたとのこと。日本製が入手でき,当時の制作技術を知ることができました。自動車ラジオの回路図は文献でかいま見ることができるのですが,やはり実物は大いにものを言います。
この日本製自動車ラジオは,米国製と大きく異なり,防震対策,温度対策,保守などまだまだ自動車用にできていません。中身はまるでその時代のHi-Fiアンプのプリアンプのような無造作な造りです。真空管の脱落防止スプリングはありますが。スイッチ選局ができない,チューナーの放熱対策がない,ケーブルがコネクタでワンタッチといかない,シャーシやケースが重いのに丈夫でない,雑音対策が今一,などです。パイロットランプが1個割れていましたが,上蓋を差し込むときに割れたようです。
1956年といえば日本のラジオ技術も大したものだったはずですが,何せ,日本には自動車がありませんでした!自動車ラジオを丈夫なものにするには後10年の経験が必要だったようです。裏を返せば,クラリオンは日本独自に自動車ラジオを作っていったとも言えましょう。米国のマネをした造りにすれば問題は解決できたでしょうが,何故か独自の道を歩みました。
チューナー部
ダイヤル内にCLARION, パネル下部にTEIKOKU DENPA。ツマミは左よりチューニング,中央ツマミは音量(ラジオスイッチ付き),右のツマミは中央が音質(高低),周囲がスイッチ。ジャックは左がレコード,右がマイク。左右にパイロットランプあり。
クラリオン受信機 型式 CLARION A130 製造番号 6123 帝国電波株式会社 |
上蓋にClarionのロゴと銘板,それに6Vの表示板。底には4Pのジャックがある。配線は後ろから3本のまとまった黒い線(これは電源ユニットに接続)。底のゴムブッシュから2本の黒い線(これは電源線)。
左よりミュー同調用の3つのシリンダー,中央はスイッチ付きVR,右はロータリースイッチとVRを組み合わせたもの。後部に電気回路用サブシャーシがある。真空管は左下がRF-ampの6BD6,左上がConv 6BE6, 右上がIF-amp 6BD6, その下にはMic-amp 6AV6, 右IFT下に検波増幅の6AV6。IFTは20x20でmT管標準のサイズだが縦寸が極めて短い。35mm。右のVRはNOBLE A-500kohm 31.09で1956年9月製である。真空管は全てマツダ(ロゴは楕円で左上に点)。TDKのPaper Moldはベークがひび割れている。
電源とパワーアンプユニット
内部は白いホコリが厚く積もっていた。左下よりパワートランス,バイブレータ,出力トランス。上の中央の小型トランスはフィルタ・チョークか?左は電源フィルタ用コイル2個,6X4が2本,ステアタイト・ソケット,右端は位相反転用の6AV6,残る2本は6AQ5pp。ステアタイト・ソケット。
ケース右端に四角い穴があり,元は6Pのソケットがあったと思われる。それがダイレクト配線してある。ダイレクト配線の黒3本はシャーシ下に入り,赤,白,黄色とシールドに分かれる。黄色は6.3Vヒータ・ライン。赤は+Bライン。白はチューナからの信号線のようだ。
ベークライトモールドのコンデンサはひび割れている。ケーブルの入れ方が成っていない!右上からゴムブッシュを通じて太い黒と青。青は入力部でシャーシ・アース。黒はシャーシ中央でシャーシ上面へ。フィルタ・チョークへ入る。黒は電源6Vラインと思う。そんなに遠いとフィルタの意味が無い?
Clarion AUTO RADIO A130,
Radio Controller (Tuner) 6BD6-6BE6-6BD6-6AV6+6AV6 Tube :
Pilot lamp 2, PS&PoAmp
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東洋電機工業(東京板橋)のAutomatic カーラジオ。型番不明。製造年代は恐らく1958年。ケースの加工が以前よりも精密になり,中身の電気回路も洗練され,全体的にコンパクトにまとまっている。チューナユニットは一頃のトランジスタ式と同じ大きさで,また別置きの電源・アンプ部もコンパクトになっている。アンテナと外部スピーカーは現代と同じである。電気回路の構成は電源が非同期式バイブレータとセレン整流,高周波1段付きの5球式スーパーである。出力は2W程度であろう。1958年としたのはバイブレータの製造年による。
左のツマミは中央が回転式電源スイッチと音量, 外周部が音質,右ツマミは同調。ダイヤルは機械式プリセット方式で5極メモリー。またダイヤル部は左右からパイロットランプで照明。
箱の中には電源部と出力部。バイブレータ,電源トランス,整流器,ケミコン,低周波出力管,出力トランスが入っている。バイブレータは4P形(Taiko Type 12NA)で,非同期形。電源トランスで12Vを昇圧,2つのセレン整流器で両波整流。側面の4Pコネクタから入った低周波信号は出力は6AQ5のアンプを通り,側面の2Pソケットからスピーカにいく。それぞれの側面に2つのボルトが出ているがマウント用。さらにネジ穴2個ある。6AQ5のソケットはタイト製である。6AQ5の脱落防止用のスプリングは無い。シャーシには真空管ソケット穴が1個余分にあるが使われていない。整流管6X4用だったがセレンの採用で用済みになったか,または大出力のオプションとしてプッシュプルの片割れ6AQ5用に用意してあるのか,のいずれであろうか。
左ケーブルとコネクタは12V電源。左穴は4pのパワーユニットとの接続コネクタ。右穴はアンテナ入力。サイドにトリマ穴あり。
シャーシフレームの側面に2個づつ,マウント用のねじ切り補強金具あり。パイロットランプのフォルダーは2個ともがたがある。ネジ止めではなくカシメなのだが,ゆるんでいる。
チューナー部の電気回路はこのサブシャーシにまとめられている。CR類はサブシャーシの側面に端子板を置き全て乗せている。
オートマティックカーラジオ Type CR-???, Ser. 505118, 東洋電機工業株式会社 東京板橋
電源 +12V
Vibrator; Taiko Type 12NA: AC 115V, Date 58-4, Serial SA, (4p形)
Tubes;
V1 6BA6 NEC 613, 燻銀, 長方角
V2 6BE6 NEC 437, (逆文字27), 燻銀, 長方角, (シールドケース付き)
V3 6BA6 NEC 613, (逆文字24), 燻銀, 長方角
V4 6AV6 NEC 816, (逆文字X), 燻銀, 長方角, 2極部灰P, (シールドケース付き)
Diode; (セレン整流器)Fujidenki (1X3) ..2個
V5 6AQ5 NEC 437, (逆文字M), 燻銀, 馬蹄形, Pスポット溶接
Output; 8 ohm
松下電器産業ナショナルが初めて販売したと思われるオートラジオA-520。12V用。当時,6V, 12V, 24Vの3種を販売した。チューナー,電源パワーアンプ,スピーカーをばらばらにして小型化を図った欧州型。真空管は米国ミニアチュア管,チューナーは12Vシリーズの12BA6, 12BE6, 12BD6, 12AV6, パワーアンプは6V管の6AR5であった。
Auto radio National type A520 No.3551, Battery 12V +アース。
Vib Taiko Vibrator, Type 12SD, 115-, Date 58-11, Seirial 5A, 12 V only, Taiko Densi Seisakusho, Tokyo Japan.
Chem; 81018,
6AR5 Nat (NK) ..1958.11
三菱電機(無線機製作所)は1957年頃,乗用車用のラジオを作った。AR-56, AR-210がそれである。その資料が三菱電機Vol.32,No.7,p.120に出ている。ラジオの構成はRF1段,IF1段のミュー同調方式の高1中1ラジオである。真空管は通常の家庭用mT管で,6BE6x1, 6BA6x2, 6AV6x1, 6AQ5x1の5球である。電源はDC-6V/12V両用で,真空管ヒータとパイロットランプは直接点火(2管直列または並列),+Bはメカニカル・バイブレータ+トランス昇圧+セレン・ブリッジ整流。スピーカはダイナミック型であるのはいうまでもない。物品の構成は(1)アンテナ・フィーダー,各種接続ケーブル,(2)検波段までのチューナー部,(3)パワーアンプ+電源,(4)スピーカとバッフル化粧板,(5)取り付け金具とエンジン雑音防止装置,の5つからなる。できるだけ小型化するために欧州スタイルを取っているそうである。
AR-120形オートラジオの全構成。(1)スピーカ部, (2)取り付け金具, エンジン・ノイズ防止装置, (3)アンテナ, フィーダ, 接続ケーブル, (4)受信部, (5)電源部
資料(無線と実験, 401回路図集, 誠文堂新光社, 1958年5月刊)に1957年頃の国産オートラジオの回路図が4つ掲載されている。1つは先に紹介した三菱電機のAR-210,そして他は神戸工業TENのAR-50, 松下電器産業のA-551それに帝国電波クラリオンの型番不明である。
ここに紹介するのは,神戸工業TENが1959年に発表した真空管とトランジスタ混成方式のバス用ラジオです。真空管はヒータ点火はもちろんのこと+B電源も12Vで済む12V管で,Tung-Solが1956年に開発したシリーズでした。TENはこれを真っ先に国産化しバス用ラジオを作りました。国内では既にトランジスタ・オートラジオが出ていましたが,とても高価,真空管は廉価ですが低電圧ですと出力が取れません。Tung-Solは両者の折衷案を出しました。オリジナルは出力トランジスタはモトローラのもので1Wでました。TENはトランジスタの国産化でも先陣を切ったメーカーのひとつで,12V管の国産化とともにハイブリッドタイプを真っ先につくりました。その後,松下も続きましたが,日本のトランジスタ化があまりにも早かったため,ハイブリッドはほとんど普及することなく終わりました。
TENの中身は,高周波増幅12AF6-周波数変換12AD6-中間周波増幅12AF6-12AF6-検波増幅12AE6-低周波増幅2段目12AE6-ドライバ12K5-出力2S42pp。それにマイクアンプ12AE6。の計8本,2石のハイブリッド構成です。
[Front View] Ten Bas Radio Using 12V heater and +B tubes, 住吉正元, 低電圧管とパワートランジスタを組み合わせたハイブリッド形バス・アンプ, ラジオ技術1959年5月号, p.58, より転載。
[Top View] 住吉正元, 低電圧管とパワートランジスタを組み合わせたハイブリッド形バス・アンプ, ラジオ技術1959年5月号, p.63, より転載。
[Bottom View] 住吉正元, 低電圧管とパワートランジスタを組み合わせたハイブリッド形バス・アンプ, ラジオ技術1959年5月号, p.59, より転載。