ANTIQUE JAPANESE RADIO/日本の古いラジオ

written by Koji HAYASHI, Ibaraki JAPAN

Mini-Museum of Japanese Radios/日本のラジオのミニ博物館

2. Golden Ages before WWII/戦前の黄金期

Namiyon and Pentodes/並四とペントード
2: Golden Ages Four-tube Midget
22: Golden Ages Four-tube Tallboy
24: Golden Ages Four-pen Tabletop
25: Golden Ages Super-het

Page 24 Golden Ages Four-Pen Tabletop Radio/四ペン(高1)横型ラジオ(1936-1940年)

1st edd. (1998.3.20), (1998.8.26), (1999.5.31)+(1999.7.8), (2001.11.3), 2nd ed. (2002.4.10), 3rd ed. (2006.6.26)-(2010.5.2)

HomePageRadio/Radio_P24.html


C(14). 24B Type National Z-3 in 1937/ナショナルZ-3, ('96.7.12)

C(80). 58/57 Type Sharp D-80 in 1940/シャープD-80 ('98.7.8) ['99.5.23], [add 99.7.8]


2. Golden Ages Before WWII/戦前の黄金時代(1936-1940年)-

このページでは,戦前の黄金時代の四ペン(高1)を紹介します。

"Four Pen" (or "RF One") Radio Receiver/四ペン(高一)ラジオ

高周波増幅1段付きのラジオを高1ラジオといいます。戦前には並4に次いで多かった形式です。

ラジオの中身(電気的な形式)は,再生検波式とかスーパーヘテロダインとか色々ありますが,戦前には再生検波ラジオばかりが普及し,そのグレードを言い表す方法として真空管の数を数えるのが最も代表的でした。最も一般的だったのは4球ラジオですが,同じ4球でも色々ありまして,特に4本で再生検波,低周波増幅,電力増幅,それに高圧電源整流を行うグリッド再生検波・低周波2段の形式のラジオが事実上の日本標準形式となりました。これがいわゆる並四です。この日本標準の4球ラジオも,初期のことは3極管3本と2極管1本で構成されていましたが,後に検波管に4極管が,そして最後に5極管が使われるようになりました。この形式のラジオは戦後になって全てをひっくるめて並4ラジオと呼ばれるようになりました。放送局が近い場合には,低周波増幅を1段省略してもスピーカが鳴りますので,真空管が1本少ない3球ラジオも近距離用として製造されました。これが並3ラジオです。同様に並四では十分スピーカが鳴らせない遠距離のところ,あるいは放送波が2つ以上あって分離できないところでは,高周波増幅を1段追加して感度・選択度を上げたラジオを使わざるを得ませんでした。これが高一ラジオです。

戦後には感度を自分で調整する機能を持ったスーパーヘテロダイン式のラジオが普及し,近距離用,中距離用,遠距離用という概念が希薄になってしまいました。そのようなラジオは戦前からあったのですが,高価だったため一部のお金持ちしか買えませんでした。このため,日本のラジオは電界強度地図を造り,地域毎に必要な感度を決めて,必要最低限の性能を持ったラジオを購入するという形式を取りました。このような事が実現できた理由の2番目は,日本では民間放送が無かったので受信できる放送波はNHKだけであり多くても2局,3局であったことが幸い?しています。欧州でも貧乏なドイツでは同様に再生式ラジオが標準ラジオとして使われました。

さて,高一ラジオは,並4に高周波1段を足せば5球高1ラジオで,初めはそのような形式で出発しました。やがて,スクリーン・グリッド4極管UX-222, ついで傍熱型のUY-224が登場(米国では昭和4年,1929年),我が国でも1930年(昭和5年)にUY-224を国産化し,高周波1段付きラジオも,3極管の4球構成に4極管1本を加えた形になりました。これはスクリーン・グリッド管SG管検波と呼ばれました。

さて,高一ラジオという名は英語になりません。米国ではTRFと言えばスーパーヘテロダインに対するストレート検波受信機の総称ですが,我が国ではこのTRFを細かく定義していますので,並四,並三,高一というのに対応する英語はありません。私は勝手に並四=Normal Four Tube Radioと書いていますし,高一=RF Oneと書いています。皆さん,マネしても責任は持てません。英語圏の人には通じません。意味を書くなら,RF One=Regenerative Radio Receiver with Single Stage RF Amplifier とでもしないとだめでしょう。ちなみに並四=Regenerative Radio Receiver consists of ordinary four tubesと書いてもなんのことやら分からないでしょう。だから私はRF OneとかNormal four tube radioと書いて煙に巻いています。何の質問も来ていません。はい。

Pentode Receiver/ペントード受信機

ところが,欧州で出力管に5極管が登場し,少し遅れて米国でも247が登場,我が国でもまずPhilipsの5極管が入ってきましたが,次いで昭和7年(1932年)に米国管UY-247を国産化,同時に我が国独自の小型のUY-247Bが登場するに及んで,ペントード時代がやってきました。出力管が5極管の受信機をペントード受信機と呼びました。低周波出力管に5極管を用いると増幅率が大きいので低周波増幅の3極管1本を省くことができたので,従来の並四は,再生検波,電力増幅,高圧電源整流の3本で構成できます。そこで,3球再生検波ラジオ(3ペン),やそれに高周波増幅1段を付けた4球高1ラジオ(4ペン高1ラジオ)が誕生しました。ペンはPentode(5極管)のことです。

四ペンの高周波増幅には初めの間UY-224が,そして1933年以降,ST管化したUY-24Bが使われました。1935年頃にはUZ-57も登場しましたが,コストの関係から1938年頃まではUY-24Bが使われ続けました。戦後になってこれらはまとめて「高1」と呼ばれました。

ちなみにPentode Receiverと書いても英語圏の言葉ではありません。やはり説明が必要かと。

Tabletop/卓上型

戦後の真空管ラジオは横に長い箱,横型が普通ですが,一体いつ頃に現れたのでしょうか。木箱のラジオはラジオ初期の頃からありましたが,電機部品を入れているだけでスピーカは別置きでした。スピーカが箱に入った頃のラジオといえば,並三,並四で紹介したミゼット型,いわゆるダルマ形と呼ばれる米国のカセドラルや縦に長い縦型,米国でいうトムストーンですが,その他にコンパクトなものをミゼットといいました。そのコンパクトなものには,正方形に近いものややや横長のものもありました。でも最初はスピーカは中央にでんと鎮座し,両脇にツマミがありました。スピーカは沈めてあるので金属シャーシの時代にはその場所が半月形に切り取られていたものです。そのような箱形のラジオは我が国でも木製シャーシの時代,1931年(昭和6年)には現れていました。以前紹介したナナオラの100型(松井利夫さんのコレクション,モービルハム,1999.4)がそれです。

我が国ではラジオのキャビネットは中身に関係なく,むしろデザインを楽しむ着せ替え人形的な流行となりました。同じキャビネットでも並三,並四,高一,スーパーまで幅広く,メーカの独自のデザインも無かったので,もっぱら流行により変わっていきました。カセドラルは日本では教会堂のような立派な外観のものはコピー製品として1935年まで出回りましたが,和室に置くにはどうも異教徒的な存在であり,すぐに障子や襖によくマッチする格子模様の無難な姿に変わりました。そして,ダルマ形が陰りを見せ始めた1934-1935年(昭和9-10年)頃,いよいよ4ペン式のコンパクト時代になって,にわかに横型が流行し始めました。縦型は横型の流行とともに昭和15年(1940年)頃までがんばりましたが,最後には物資の不足とともに姿を消して実務的な横型に統一されました。ですから,横型はペントードラジオの象徴といっても過言ではありません。

横型は英語ではなんというのか知りません。ここではTabletop(卓上型)としておきました。


24 Four-Pen Tabletop Radio/四ペン(高一)ラジオ

高周波1段付き,4球再生ラジオは戦前のもう1つの日本標準ラジオでした。低周波は5極管のため1段増幅です。


C(14). National Z-3 in 1937/ナショナルZ-3 箱型ラジオ(1937年)
, ('96.7.12)

ナショナルZ-3受信機は松下無線(現松下電器,パナソニック)製です。オリジナルの真空管はソケットの刻印から,高周波増幅に4極管UY-24B,再生検波に同じくUY-24B,電力増幅に5極管UY-47B,そして整流管にKX-12Fを使用していた模様。戦前には松下電器は真空管は作っておらず,東京電気マツダのものを使用していました。

正面(キャビネット修復後)

裏面(キャビネット修復後)

(特徴)高1ラジオ。シールド・ケースが衝立式なのが古い。

(状態)キャビは全壊状態で発見。側板1枚と裏サン紛失。裏板破損。正面パネル剥がれ。バッフル板割れ。修理後のパネル外観並。

シャーシ錆あり,ダイヤル糸切れ,ACケーブル付き。SP交換のためシャーシ削取りあり,SP削り取りあり。電源SWバネ破損。 3Z-P1,KX-12F破損。UY-24Bの1本はUZ-58?に変更され,内部の配線もUZソケット交換による一部手直し,ケミコンの交換,スピーカ交換

(欠品)

側板1枚と裏サン紛失。ツマミ1個紛失。

発見時には,整流管KX-12Fを除く3本が戦後製造の球に交換されていました。特に高周波増幅段のUY-24Bは戦前に廃止されたので,ソケットを取り替えてリモート・カットオフの5極管UZ-58に変更するのが常でした。でも残っていた球はシャープ・カットオフのUZ-57(Rodin岡谷無線製)で,検波管は直接差し替えのきく代替管のUY-57S(Lucky製)に,出力管は代替管の3Y-P1(松下VX,1950年10月)でした。1950年から1951年頃に修理の手が入ったものと見えます。

左からLucky UY-57S,Rodin UZ-57,National 3Y-P1,マツダKX-12F(刻印4足)

C1 14 96.7.12 4k ナショナル(松下無線)Z-3 1937 Wood ST-4高1再生 □▲★▲

Maker, Model, Date, Ser.42840

Spec; AC, Sens;, Po, Cir,回路図なし。

Cabinet;木製箱型。左縦格子SP。板材は2枚並行貼り合わせ, Size;234H,355W,172D

Dial;扇形(糸掛け式)約10φ程の指針用のドラム, Nob;2点式+ 側面SW,(1上)tune (2下)再生, SW, Term;(AL,AS,E,G)4p陸軍端子式, 衝立の上に(PU)入力ジャック

Tubes;UY-24B(UY-57S,UX-24B(UZ-57/58),UY-47B(3Z-P1),KX-12F

UY-24B RODINオカヤムセン(名消え57)<9.12> ★18-20X/31 ..49

UY-24B LUCKY UY-57S <? > 43 /31 ..48-

UY-47B MAT 3Y-P1 <VX?> ★ガラス割れ ..48

●KX-12F TM KX-12F(刻印)4本足 <ク?> ★ガラス割れ

Parts;

Chasis;鉄製。茶焼き付け塗装

PT, CH;ない またV1とコイルの側面には,67mm間隔穴, AFT:ない 3φのネジ穴56mm間隔, Chem;National製の3端子箱型ケミコン(Test 800V,容量不明)

VC;, RF Coil, IFT,

SP;7.5"(19cm)から8"(松下製DM200,12K)に交換されている

VR:100Kは巻線型ではなく炭素被膜40φ(交換品?), C, R,

実はこのラジオは無惨な姿で発見されました。キャビネットはバラバラになり一部は紛失していました。鉄シャーシも一部がむしり取られ歪んでおり,錆も進行しているといったジャンク状態でした。スピーカの直撃を食らった出力管と整流管はガラスが割れて電極がむき出しになっていました。

発見時の姿。正面,上面,低面

キャビネットの右側面板だけは紛失していましたが,幸いにも右側面が残っていましたので,同じ構造で復元できました。

バラバラになった原因は,前の所有者が修理のために巨大なスピーカ(8インチ)を無理矢理詰め込もうとしたためで,6.5インチのスピーカが鎮座しているシャーシのスピーカの切り込み部分を無理矢理ねじ切ってしまいました。加えて,湿気のために見事にバラバラになったのでしょう。

キャビネットの修復は困難でしたが,久しぶりの木工で実に楽しいものでした。正面パネルは合板ですが,塗装面の一層がひび割れめくれていたのをボンドで補修しました。側面加工は先に述べた通りです。裏板は3層合板がほとんど剥離しネジ1本でつなぎ止められた状態で,一部紛失していました。この補修がまた手間取りました。紛失部分を他の材料で埋め合わせて全部を合わせると穴の位置が合いません。長年の乾燥で3層がてんでバラバラに伸び縮みした結果です。ボンドで張り合わせると,その水分でさらに延びてしまいます。水に浸したり火に炙ったり,はみ出た部分を削り取ったり散々でした。お陰で,裏板に貼ってある当時の紙切れがまだ残っています。ペイントは先送りにしてあります。

スピーカは別に入手した6.5インチに交換し,キャビネットに取り付けました。バッフル板は合板でしたが,これだけは新しいサイズに合わせて作りなおしました。スピーカ・グリルの布は痛んでいないようでしたので,粉洗剤をまぶして浸け置きし,何度か洗濯を繰り返し陰干ししたら見違えるほど綺麗になりました。しかし,やはり幾分縮んでしまいました。ボンドで貼ると弛んでしまいました。カミさんが言うには始めに霧吹きをしてから貼るのが常識だそうです。

以上で私の修理の手は止まってしまいました。始めにお見せした写真はこの段階のものです。このラジオは戦後のラジオしか知らなかった私にとって見る物全て珍しく,昭和10年代のラジオ・キャビネットの大変良い勉強になりました。ペイントの他,機械部分と電気回路の修復も残っています。鉄シャーシの欠けた部分を埋め合わせ,錆取り,ペイント(もとは茶色の焼き付け塗装です)があります。また,電気回路は単に鳴らすだけではつまらないので,楽しみは先送りにしてあります。いかに昔を残すかが問題です。線材は綿被覆ですが現在では米国のWEあたりの中古で高価なものしか入手できません。もう少し,待ちましょう。

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C(80). Sharp D-80 in 1940/シャープD-80 高1ラジオ(1940年) ('98.7.8), ['99.5.23], [add 99.7.8]

早川金属工業製,シャープ受信機,D-80型。1940年5月製造。高1ダイナミック。庶民の本格的なデラックス型ラジオで,スピーカに励磁型ダイナミックを用いたもの。時期的に,太平洋戦争の開戦の前年にあたり,国内は戦火には包まれていなかったものの,中国東北部の満州では戦争が長引いており,省資源型のラジオが叫ばれていた時代のものである。しかし,まだ余裕を残していたのだろうか。

D-80型の正面。残念なことにスピーカグリルの左の縦格子1本が紛失。ツマミも1個は紛失,他もオリジナルでないと思われる。デザインは有名な局型123号に代表される1940年頃のラジオ共通の特徴を有している。パネルから天井にかけて丸みを付けた構造,ダイヤル窓にかけての黒いストライプ,など。

裏面。裏板はオリジナルのまま。空気穴に布がはってある。右上には「マツダ真空管使用ラヂオ受信機」のシールがある。中央下にはアルミ製の銘板。シャープ受信機。左下にはアンテナ端子(ジャック)とオーデイオ端子(陸軍端子)。板の裏側に紙袋。「許可証並説明書袋」。「ラヂオは許可を得て聴きませう」とあった。中身は無かった。

中身は保存状態が良い。UZ-58(松下58に交換), マツダ刻印のUZ-57, UZ-2A5, KX-80。当時のダイナミックスピーカもある。重いラジオ。

(特徴)ダイナミック型高1ラジオ。

(状態)

(状態)キャビはほぼ完全で発見。spのサン1本ない。裏板あり。しかし,シャーシを取り外した状態で放置したらしくネジが無くツマミが間に合わせのもの。シャーシ錆少しあり,ACケーブル付き。UZ58の1本は58に変更され,ケミコンの交換。UZ-2A5とKX-80が接触している!

(欠品)

底のシャーシ取り付けネジ全部紛失。ツマミ1個紛失。3個もオリジナルでない。

C(80) 99.5.23 2k シャープ(早川金属工業)D80 1940 Wood ST-4高1再生

Maker;シャープ(早川金属工業), Model D80, Date 1940, Ser.453, 昭和15年5月製作。

Spec; 50-60c/s,微電界級。電気的出力3W, Cir,回路図あり。

Cabinet;木製箱型,左縦格子SP。板材は2枚並行貼り合わせ。Size; 448W, 300H, 200D

Dial;エアプレーン扇形フリクション。, Nob; 4点式:(1)RF+PU sw,(2上)Tune,(2下)再生,(3)AF+PoSW, SW, Term;(AL,E)2P入力ジャック(PU)2p陸軍端子式,

Tubes;

58 ナショナルQF<E>,角G(1955年製),ゲッタ鏡面がやや茶。

UZ-57 マツダ,刻印放,4ユ,検CC,やや青ガラス

UZ-2A5 マツダ,刻印, (ユ)2,検CB,天井マツダ,ベースぶくぶく,

KX-80 マツダ,刻印, ナ7,丸マイカ,吊り,皿G,ベースぶくぶく,

Parts;

Chasis;鉄製。緑青塗装。

PT; シャープ製, CH:フィールド型, AFT, Chem;National製の円筒型ケミコン追加(Test 800V,容量不明)

VC;, RF Coil, IFT,

SP;フィールド型ダイナミック。

VR:スイッチ付き2個。, C, R,

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