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32_63IMb. Industry & Military(II) Japanese 6.3V ST tubes of American Octal |
2_IndMil. Industry & Military (III) Japanese Original 6.3V ST tubes |
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6'. Industorial and Millitary Use Tubes before WWII/戦前の業務用と軍用球6.3V管 |
6.2 Japanese ST Tubes modified from American Octals/米国8ピンを修正した日本のST管 | |
Table 1 List of Electrically Compatible Japanese ST, Metal and Octal-Glass Tubes /電気的互換の日本のST管,メタル管,オクタルガラス管 |
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KZ-6C*1 |
米国では新しい形式のメタル管が1935年に登場し,我が国でも1937年頃に国産化しました。その後,米国ではメタル管のベース(8ピン=オクタルベース, US)を従来のガラス管(ST形)に直したオクタルガラス管(Octal Glass /G管)が登場し,従来のST管(4ピンUX, 5ピンUY, 6ピンUZ, 7ピンUt)を8ピンベースに焼き直した品種が多量に発表されました。我が国では,これらのST管のオクタルベース焼き直し版は,ST管と同じ電気的特性だし,ベースの違いのみで品種が多様化してしまうのは,無用な混乱と経済的損失を招くだけ,と考えてか?我慢の限界を超えていたため?,特に国産化しませんでした。(このため,米国のラジオはその後寸法の短い小型のGT管へと発展していくのに対して,我が国のラジオは長くて大きなST管に留まりました。)。しかし,米国では新しい品種がオクタルベースとして発表されはじめると,我が国では再び困りました。でも,オクタルベースであっても8ピン全部を使った品種は稀でしたので,国産化に当たり,従来のUZ, Utで代用する方針で製造に入りました。こうして生まれたのが我が国独自のST管ベースを持った米国オクタル互換管で,6ピンにKZ-6C, UZ-6L6A, 7ピンにUt-6L7G, Kt-6H6Aがあります。
なお,例外として,米国製オクタルガラス管6P7-Gを用いた機器の保守用?に全くの互換管UG-6P7Gを国産化した例があります。6P7-Gはもともと7ピンST管Ut-6F7の8ピン版です。Ut-6F7と言えば,我が国ではUt-6F7のメタル管US-6F7A/MC-804-Aを独自に作り軍用機器に使用していましたが,8ピンにも関わらずピン配置が異なるため,米国6P7Gと互換性が有りませんでした。
米国のガラスオクタル管はその後1938年頃にガラスステムが背の低いBANTUM型が登場して,小型のGT管へと発展し,1939年頃から登場したシングルエンド型の新しいメタル管のGT管版など新しい品種も登場したが,我が国でBANTUMステムが作られたのは1941年頃であり,軍用のHシリーズで実用化されたが,ラジオ球に反映されるのは戦後になってからであった。したがって,ST管のベースに履き直した米国オクタルガラス管はリストにあるだけで終わった。
American ST Tube米国ST管 |
Japanese ST Tube ( American type )日本のST管 |
American Metal Tube米国メタル管 |
Japanese Metal Tube ( American type )日本のメタル管 |
American Octal Glass Tube米国オクタルガラス管 |
Japanese ST Tube ( American Octal type )日本のオクタルガラス形ST管 |
6A7 |
Ut-6A7 (1936) |
6A8 (1935) |
US-6A8 (1938-39) |
6A8-G |
- 12W-C1 |
- |
- |
6L7 (1935) |
US-6L7 (1938-39) |
6L7-G |
Ut-6L7-G (1937) |
77 |
UZ-77 (1934-35) |
6J7 (1935) |
US-6J7 (1938-39) |
6J7-G |
- |
78 |
UZ-78 (1934-35) |
6K7 (1935) |
US-6K7 (1938-39) |
6K7-G |
- |
6B7 |
Ut-6B7 (1936) |
6B8 (1936) |
US-6B8 (1938-39) |
6B8-G |
- |
75 |
UZ-75 (1934-35) |
6Q7 (1935) |
US-6Q7 (1938-39) |
6Q7-G |
- 6Z-DH3, 6Z-DH3A (1947) |
42 |
UZ-42 (1934-35) |
6F6 (1935) |
US-6F6 (1938-39) |
6F6-G |
- |
84/6Z4 |
KY-84 (1934-35) |
6X5 |
none |
6X5-G |
- |
- |
- |
6H6 (1935) |
US-6H6 (1938-39) |
6H6-G |
KZ-6C (1937), Kt-6H6A (1938) |
- |
- |
6C5 (1935) |
US-6C5 (1938-39) |
6C5-G |
- |
43 |
UZ-43 (1934-35) |
25A6 |
none |
25A6-G |
- |
25Z5 |
KZ-25Z5 (1934-35) |
25Z6 |
none |
25Z6-G |
- |
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41 |
UZ-41 (?) |
6K6 |
none |
6K6-G |
- |
- |
- |
6L6 |
none |
6L6-G |
UZ-6L6A (1938) |
- |
- |
6V6 (1937) |
US-6V6 (1939) |
6V6-G |
(12V PH-1) (1941-42) |
- |
- |
6J5 |
US-6J5 (1938-39) |
6J5-G |
- |
76 |
UY-76 (1934-35) |
none |
- |
6P5-G |
- |
6F7 |
Ut-6F7 (1934-35) |
none |
US-6F7A, MC804-A (1939) |
6P7-G |
UG-6P7-G (?) |
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6SA7 12SA7 |
- -(CH1) |
6SA7-GT 12SA7-GT |
6W-C5 (1947) 12W-C5 (1948) |
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6SK7 |
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Ut-6L7Gは東京電気(東芝)が1937年に開発した球で,周波数変換用の7極管(5格子管)。原型は米国のRCAが1935年に発表したメタル管6L7ならびにそのSTガラス管版6L7G(1936年頃)。国産化にあたりオクタルベースの代わりに7本足のUtに直してありますから米国のガラス管6L7Gとは互換性がありません。だから,管名はUt-6L7Gとフルに書かないといけません。
米国メタル管6L7は第1ピンがシールドで,ガラス管6L7GはNC(無接続)です。さらに6番ピンも未使用です。本来,ST管に直すとき6本足のUZにできますが,日本版は何故かUtの7本足にしました。実は電極引き出しに変更があります。オリジナルは第5グリッドはカソードに落としてアース電位になっていますが,日本版は何故か独立させてベースに引き出しています。
Tube |
Base |
pin1 |
pin2 |
pin3 |
pin4 |
pin5 |
pin6 |
pin7 |
pin8 |
top |
American 6L7G |
Octal |
s/NC |
h |
p |
g2+g4 |
g3 |
- |
h |
k+g5 |
g1 |
Ut-6L7-G |
Ut(7) |
h |
p |
g2+g4 |
g3 |
g5 |
k |
h |
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g1 |
電気的特性も少し違いがあるようです。最大定格がやや低く,それにより動作例も低めの値が発表されています。
Tube |
Class |
Eh V |
Ih A |
Eb V |
Esg V |
Eg3 V |
Eg5 V |
Eg V |
Ib mA |
Isg mA |
gc mA/V |
rp Mohm |
Eosc Vrms |
Rg3 kohm |
Ut-6L7G |
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max 250 |
max 100 |
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Ut-6L7G |
Conv |
6.3 |
0.3 |
250 |
100 |
-10 |
0 |
-3 |
3.2 |
6.5 |
0.03 |
1 |
10 |
50 |
この球はグリッドが5個もあるので内部構造が複雑で,日本製は特に工作が悪いためか機械的に強度が弱く,電極振動の問題を生じます。電極タッチが多いようです。戦後の1本も静かに通電すると動きますがちょっと揺らすとたちまちショートしてしまいます。
Tokyo Electric (Toshiba-Matsuda) Ut-6L7G, during WWII?/ 年代不詳。管壁に白字でUt6L7G,裏にマツダロゴ。(茨城県宇多さん提供)
Ut2A7と同じような造り。スートの色は戦前を示している。ガラスは僅かに緑がかっている。1940年年代ではないか。ベースに不良と刻まれている。やはり電極タッチだったか?ちょっと振るとチリリンと音がする。やはりな。未計測。このサンプルは茨城県利根町の宇多弘さんより御寄贈いただきました。
この球は米国6P7-Gの日本版で,何と珍しいことに原型と同じオクタル・ベースを用いた米国完全互換管です。原型の米国6P7-Gは複合管6F7のベースをUt型からオクタル型にはきかえただけの球です。国内ではUt-6F7に対してUG-6P7-Gという名称となりました。東京電気マツダは,在来品種のST管のベースを履き替えただけの米国オクタルガラス管は原則,国産化しませんでしたが,唯一の例外がこの球です。国産化年代は明らかではありませんが,6F7を国産化するついでに6P7-Gも試しに国産化したとすれば,1935-1937年頃となります。メタル管の国産化は1938年頃,また双2極管の6H6-G/GTをSTベースで無理矢理国産化したのが1937-1938年ですから,1937年頃ともいえます。一方,別の可能性として,6F7のメタル管US-6F7A, MC804-A を陸軍の万能管の要請により日本独自に作ったのが1939年で,オクタルとはいえ米国6P7-Gとはピン配置が異なり互換性がありません。にもかかわらず,その後UG-6P7-Gをわざわざ国産化したところを見ると,1940年以降ということになります。米国から輸入した無線機器の保守球の供給に困り,国産化したというところでしょう。
Toshiba-Matsuda UG-6P7G, during WWII, for Navy/1944/1944年5月製(正面に19.5), 側面に錨マークと他に2つ押し印があるが分からない。
裏にマツダのロゴ。gm(5極)=42>28, gm(3極)=33>13と生きている。このサンプルは神戸市の北村新三さんに御寄贈いただきました。
スーパー受信機の検波や小電流電源の整流用双2極管。1938年に東京電気(東芝/マツダ)が作りました。原型は米国RCAが1935年に発表したメタル管6H6で,その後米国では1936年にガラス管に焼き直されST管の6H6-G, GT管の6H6-GTと出ました。東京電気は1938年頃に一連のメタル管を国産化し,梅田徳太郎氏の受信管製造の記録にはUS-6H6の記載が漏れていますが,同じ時期に国産化したものと考えられます。同じ時期にこのガラス管版Kt-6H6Aも作ったということになります。国産化にあたり,従来の真空管製造機械がそのまま使えるようにちょっと手を加え,オクタル・ベースの代わりに7本足のUt(整流管だからKtというが)を使用しました。オリジナルの6H6/6H6-GTは2つのユニット間のシールド電極を含めても電極引き出し線の数は全部で7本で,オクタル・ベースでは1本余っています。ですからST管の7ピンベースUtでちょうど良かった。Kt-6H6Aは,ガラス管にT管を使いましたが,また背の短いバンタムステムがありませんのでノッポに見えます。米国で希にみる6H6-Gもやはりのっぽです。その後,国内では1941年頃軍用の12V版DHを作る際にバンタムステムが採用され引き出し線は短くしました。
Toshiba-Matsuda Kt-6H6A, after WWII/マツダ Kt-6H6A, 側面に郵便マーク。
この球は戦後製造のものかもしれない。EM=[42, 46]で生きている。秋葉原で入手。
6H6は米国RCAが1935年に発表した検波・整流用双2極管であり,メタル管としてデビュー。同じ年にガラスオクタル管6H6-Gが誕生している。我が国では東京電気(TEC,マツダ)が同じメタル管をUS-6H6として1938年頃国産化した他に,ガラス管ベースを7pinに置き換えたST管Kt-6H6Aとして1936年頃試作を開始し1938年に量産開始した。さらにヒータ12Vのオクタルガラス管DH-2も1942年頃に作っている。
ところが,その他に内部の2つの2極管の間のシールド板を省略してベースを6ピンとしたKZ-6Cを作った。記録はないが,サンプルには東京芝浦電気と住友通信工業(日本電気)の2社があり,特に大塚久氏により真空管博物館MJ誌1998.4に紹介されたKZ-6Cは1937年12月製である。日本電気(戦時中は住友通信工業)はDB-665Aの名前で開発,並記した。17.9
6L6は米国RCAが1936年に発表した初のビーム出力管であり,メタル管としてデビュー。同じ年にガラスオクタル管6L6-Gが誕生している。我が国では東京電気(TEC,マツダ)がガラス管ベースを6pinに置き換えたST管UZ-6L6Aとして1938年に国産化した。しかし,戦前戦時中,我が国ではUZ-6L6Aはあまり活躍の場はなく,むしろ軍用として送信管UY-807の改良型UY-807AやT型ガラス管とした逓倍・変調用のUZ-807SA(FZ-064A)が大量に作られた。いずれも中身の電極は同じであった。
戦後の6L6-G, 807と違う点は,ヒータリード線の引き回し法だ。初期のメタル管6L6は,ヒーターの引き出し線は2枚の下部マイカ板に挟まれたリボンに結び,マイカ板外側の支柱からベースピンへと接続されていた。この構造はメタル管6L6の設計において,第1グリッドの冷却が必須となり,第1グリッド支柱に上部だけでなく下部までも放熱フィン(ラジエータ)を付けねばならなかったことに起因し,カソード付近での空間的な混雑を避けるためにヒーター回路の迂回措置を取ったのではないかと推測される。この設計は,米国でも6L6-G, 807に踏襲されたが,米国では戦中に現在のヒータを直ちにステムリード線に結ぶよう改められたようだ。ところが,我が国では,ガラス管UZ-6L6Aは米国6L6の性能を再現することが開発目的だったので,ヒーター回路の迂回措置は忠実に模倣され,その後開発された国産の807族,UZ-6L6A, UY-807, UY-807A, FZ-064A, UX-307は全て,下部マイカ板の中のリボンを中継する方式だったのである。戦後,米国互換6L6-Gを製造する段になってはじめて直接配線する方式に改めたようである。このころにはすでに下部グリッドラジエータ無しでも冷却に問題が無くなっていたのであろう。
(1)Die Stamp Matsuda Version/マツダのみ刻印,ガラスプリントUZ-6L6A
(2)Glass Print Version/ガラスプリント版 UZ-6L6A
このサンプルはすっかりガラス印字が消えているが,電極の作りが6L6系であること,また戦後作られた6L6-Gとは電極の造りが違うこと,ベースがUZであることからUZ-6L6Aと分かり,またメーカは東京芝浦電気以外にないことが分かる。
(2') Glass Print Version/ガラスプリント版 UZ-6L6A (撮影しなおしたもの)
ステムからの配線 (h, p, g2, g1, g1, k+g3, h)。カソードスリーブの下から2本の細いリード線が左右に出て下部マイカ板へと登っていくのが見えましょう。これが,マイカ板へと迂回していくヒータリード線です。
Bottom view 2 - around 1st grid radiator and cathode カソードスリーブから出ている2本の白い線がヒータ。そしてヒータは板状のリボンに溶接されマイカ板へと登っていくのが見える。(この写真では,左下から来るリード線が左側のヒータに繋がっているように見えるが,実際は2本のヒータの間にあるカソードスリーブに繋がっている線である。また写真中央下から右側のヒータに繋がっているように見える線は,ヒータよりずっと奥の第2グリッドに繋がる線である。)