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MiniatureCTV. Early Japanese MT for TV & Com | ||||
Miniature. American MT for Five Tube Super |
6X. Electrodes of MT |
Europe2. Rimlock Tubes for Radios |
Europe3. Miniature & Noval Tubes |
FM_Tuner. MT for FM Tuner |
History of Miniature Tubes/ミニアチュア管の歴史 1. Standard Tubes for Japanese Five Tube Super/日本の5球スーパの定番
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2. Miniature Tubes after 1954/1954以降のミニアチュア管
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3. Miniature Tubes at Last Stage/最後のミニアチュア管 |
(1)Before and After WWII/戦前から戦後
日本のミニアチュア管の開発は戦前に始まりました。
ミニアチュア管は,ラジオ用電池管のところでも紹介したように,米国のRCAが戦前の1939年に携帯用ラジオ用の直熱管1R5, 1T4, 1S5, 1S4の4種を開発したのが始まりです。1941年頃には米国内では各ラジオ会社が競って携帯ラジオを製品化しました。国内では,最大手の東京電気(マツダ,現東芝)は1940年に1R5, 1T4, 1U4, 1U5, 3S4を試作したという記録がありますが,製品は出荷しませんでした。一方,戦前に有名だった品川電機(トウ)は米国型ミニアチュア管1T4のヒータ規格(50mA)を独自の規格(60mA)としたB-01, B-03などを開発,戦時中には量産し軍用に供給しました。開発時期は不明ですが,米国の新製品情報や現物の入手を考えると1940年頃であって,東京電気と同じかやや早い時期であったと想像できます。
その後のミニアチュア管の歴史は「日本の戦後の電池管/Radio_tube_7B」をご覧下さい。
一方,据え置き型ラジオに使用するAC/DC点火の傍熱型ミニアチュア管ですが,国内では,戦後3年がたった1948年頃になって,ようやく米国の情報が紹介され始めました。「戦時及び平時に於けるミニアチュア管」と題して電気通信学会1948年7月号の学会近情にRCA Review 8, June, 1947, p.331-341のN.H.Green; Miniature Tube in War and Peaceという記事の小関氏による対訳が載りました。ここに,米国では1945年に,6BE6-6BA6-6AT6-6AQ5-6X4のラインが,またAC-DC両用(トランスレス)では,12BE6-12BA6-12AT6-50C5-35W4のラインが開発されたことが記されていました。しかし,1949年になっても,真空管会社最大手の東芝や通信学会の大勢は,米国は戦後もGT管路線を継承しており,我が国ではGT管を国産化すべきだという意見が支配的でありました。その頃の海外のラジオ受信機の情報として,東芝の田尾司六氏が我が国と唯一の国交を持つパキスタンへ通商使節として派遣され,現地ラジオ事情の調査結果がMJ誌1949年8月に紹介されています。「主としてイギリス,アメリカより輸入されている最新型の高級品」を見てもGT管が主流という意見は不動でした。使節団はイギリス,アメリカのラジオを2,3買って帰ったとあります。
British EKcole, AC-DC両用(トランスレス)3バンド:
CCH35-EF39-EF39-CBL31-CY31
American RCA QB-55X, 電池式の4球3バンド:
1A7GT/G-1N5GT/G-1H5GT/G-3Q5GT/G
米国でのミニアチュア管が爆発的な普及をみせはじめたのは実に同じ頃であり,パキスタンのラジオ市場の調査では伺い知ることは不可能であったかもしれません。そんな訳で国内のラジオ用ミニアチュア管は東芝以外の比較的製造能力の高いメジャーな会社によって製造が開始されました。一番早かったのはどうやら品川電機(トウ)あるいは川西機械(神戸工業TEN,後に富士通に)だったようです。
(2) Shinagawa Electric TOU/品川電機トウ
品川電機は戦前からミニアチュア管を製造していたこともあって,1950年(MJ.1950.5)に米国互換管6BE6, 6BA6, 6AT6, 6X4を作りました。 出力管だけは互換とはいかず独自の6AK6Sを発表しています。本来なら6AR5辺りを国産化して当然のように思えるのですが,実はその当時はミニアチュアの出力管としては6V6-GT相当のビーム管6AQ5あるいは6G6-G相当の6AK6だけしか知られていなかったのではないかと思われます。ビーム管はGT管の国産化においても特許の問題がクリヤーできずに各社が類似の5極管を作ったことで知られています。5極管なら容易に製作できるところであり,電気的特性も我が国主流の6Z-P1相当管なのですが,いかんせん6AK6/6G6-Gはヒータ規格が6.3V/150mAと6Z-P1の半分であって,従来の陰極物質では十分なエミッションが得られないという難点がありました。そこで,ヒータを6.3V/300mAと太くしたものを作って暫定的に販売したというのが真相のようです。これを6AK6Sと名付けました。説明では後でヒータも相当品に直すという話でしたが,実現しませんでした。その後,大資本の真空管製造会社がミニアチュア管の製造を開始したことを受けて品川電機は真空管製造から撤退し,特殊な電球だけを製造する会社として生き延びたようです。
(3) Kobe-Kogyo TEN/神戸工業テン
戦前より通信御三家だった川西機械/神戸工業は,ミニアチュア管はまず通信用に開発を始めましたが,軍需用が望めない戦後にあっては民生分野にも進出し,ラジオ用のミニアチュア管も開発・販売しました。MJ1951年3月号に神戸工業の鈴木泰三氏が最近の受信管についてという寄稿を行っています。これによると,神戸工業は1948年に6AK5, VH-3, VH-2を完成,1949年には電池管を,そして1950年に6.3Vラジオ用の6AU6, 6BA6, 6BE6, 6AT6, 6AQ5, 6AL5, 6X4, そして6J6の8品種を国産化したとあります。他社に先駆けてという言葉が見えるので国産化第一号だったでしょう。
なお,あまり知られていないVHシリーズの球はもっぱら通信用に開発されたもので,業務用に使用されたものと思われます。何故,すなおに米国6AK5を製造せずに独自の真空管を開発したかといいますと,やはりヒータの製造に問題が残されていたものと見えます。その後,JIS名に登録され,VH-3は6M-L2, VH-2は6M-D3となり通信畑で使用され続けました。
Tube |
Func |
Base |
Ef V |
If A |
Eb V |
Esg V |
Eg V |
Ib mA |
Isg mA |
rp ohm |
gm |
mu |
Proto-type |
TEN VH-5 |
Pentode |
6AK5 |
6.3 |
0.175 |
180 |
120 |
Rk 200 ohm |
7.7 |
2.4 |
690k |
5.1 |
3500 |
6AK5 |
TEN VH-3 6M-L2 |
Triode |
original |
6.3 |
0.175 |
135 |
- |
-4.5 |
13 |
- |
3.6k |
5.0 |
18 |
6AK5, 6F4 |
TEN VH-2 6M-D3 |
Diode |
original |
6.3 |
0.175 |
270 |
|
|
5 |
|
|
|
|
9006? |
最後に1953.11月の神戸工業の真空管価格表(真空管箱に入っていたもの)を見てみましょう。6AQ5はとても高価だったが,6BA6も高価だったとは驚きです。トランスレス管の記載はまだ無い。
Tube |
Price Yen |
Tube |
Price Yen |
Tube |
Price Yen |
6BE6 |
470 |
1R5 |
680 |
6AK5 |
1600 |
6BD6 |
400 |
1T4 |
580 |
6AU6 |
880 |
6AV6 |
330 |
1S5 |
680 |
6C4 |
800 |
6AR5 |
350 |
1U5 |
670 |
6CB6 |
880 |
5M-K9 |
250 |
3S4 |
670 |
6J6 |
1000 |
6BA6 |
900 |
|
|
12AU7 |
1100 |
6AT6 |
580 |
|
|
6AL5 |
680 |
6AQ5 |
980 |
|
|
|
|
6X4 |
500 |
|
|
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(4) Japan Radio Corp./日本無線JRC
無線通信の業務管の大手,日本無線は業務用の分野で同様にミニアチュア管を製造し始め,1950年頃には高周波用の2極管ND-1を開発しました。民生用管の分野では戦後1945,6年頃に独自のGT管あるいはメタル・ガラス管Nシリーズを開発・販売したことで知られていますが,民生用ミニアチュア管には消極的でした。競争が激しくなってきた頃(1950年代)には系列会社,諏訪無線に民生部門を移管したようで,後にSuwamusen-JRCのブランドでST管の他,6.3Vの傍熱型やトランスレス用ミニアチュア管も製造した模様です。1953年頃にJRCブランドで販売していたラジオ用管はST管のみでした。残念ながら,その後の資料がありません。
Tube |
Func |
Base |
Ef V |
If A |
Eb V |
Esg V |
Eg V |
Ib mA |
Isg mA |
rp ohm |
gm |
mu |
Proto-type |
JRC ND-1 |
Diode |
|
2.5 |
0.4 |
10 |
|
|
2 |
|
|
cpk= 0.4pF |
|
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(5) Nippon Electric/日本電気NEC
通信御三家の日本電気は1948年にLD-302という独自の規格を持つ高周波増幅用の傍熱型ミニアチュア管を試作したが販売には至らず,実際に製造したのは米国互換管でした。1950年には6.3V管を製造し始めています(電波科学50.12)。6BA6, 6BE6, 6AT6, 6AR5, 6X4。MJ1951.4によれば5球スーパー用キット・チューブを販売と伝えています。内容は6BA6, 6BE6, 6AT6, 6AR5, 6X4であった。日本電気の東郷安正氏は1951年7月MJの記事で我が国の受信管製造量はST管100万本,GT管10万本,mT管5万本,電池用mT管は9品種が生産され,占領下の沖縄,韓国,タイなどに輸出されていると報じている。{NEC 60.1}によれば,1950年9月にはNECは月産1万本を達成,その時,神戸工業や東芝は月産500個から1000個製造しているに過ぎなかったそうです。
1951年の始めに東洋産業ラジオ製作所(メロダイン)がNEC製のミニアチュア管を搭載した本邦初の「傍熱型」ミニアチュア管ラジオMS-5MTを販売。1951年末には松下電器産業がNEC製を搭載した5球スーパPS-51を発売。1952年にはアマチュア向けの雑誌にNEC製ミニアチュア管を使用したラジオ・キットが販売開始されています。電波科学(1952.7)の代理部の通販紙面にその回路と写真が掲載されています。長真弓氏の「レトロ・ラジオあれこれ」(MJ98.10)によれば,長真弓氏自身がMJ52.7でキットの試作記事を載せていることが分かります。同代理部のNECヴァルブ・キットの価格は,6BA6, 6BE6, 6AT6, 6AR5, 6X4で1350円(定価の60%程度),6BD6の場合はさらに70円安く1280円でした。
1953年に入るとNECは広告(電波科学53.6)で「NEC ミニアチュア管 全品種完成」と謳って,トランスレス管の完成を宣伝しています。神戸工業TENや東芝マツダに先んじて一番乗りを果たしたものと思われます。ただし,販売を開始したかどうか(あるいは売れたかどうか)は分かりません。というのも,1953年の国産市販ラジオ一覧表(MJ53.9)に登場するミニアチュア管ラジオは僅かで,しかもトランス付きばかりでした。
1953年6月にNECは民生用真空管の大津工場を独立させ,新日本電気を設立しました。以後,ラジオやTV球はこの新日電(ロゴはNECと同じ)が製造・販売していきました。
|
1952.7 |
1953.6 |
Battery |
1L4, 1R5, 1T4, 1U5, 3S4 |
1R5, 1T4, 1U5, 3S4 |
6.3V & Rec |
6AR5, 6AT6, 6BA6, 6BD6, 6BE6,6X4 |
6AR5, 6AT6, 6BA6, 6BD6, 6BE6,6X4 |
Transformer-less |
- |
12BE6, 12BA6, 12AT6, 35C5, 35W4 |
Tube |
Price |
Tube |
Price |
1R5 |
620 |
6BE6 |
330 |
1T4 |
500 |
6BA6 |
335 |
1U5 |
560 |
6BD6 |
285 |
3S4 |
500 |
6AT6 |
240 |
|
|
6AR5 |
290 |
|
|
6X4 |
230 |
1953年になって東洋産業ラジオ製作所メロダインは後続機種を数種製造しています。さらに内外興業という会社がミミーというブランドで5種類のミニアチュア管ラジオを販売。大洋無線工業エルマンはミニアチュア管によるDC電源用のポータブルアンプを製造しました。しかし,ラジオ大手各社はミニアチュア管を採用しませんでした。八欧無線ゼネラルだけが,ポータブル電蓄として5球スーパを搭載したものを販売しました。松下電器産業はPS-51以後,マイナーチェンジモデル(PS-52だと思われる)を1952年頃販売したのですが,そこに採用された球はマツダ製だったようです。さらに松下電器産業はこれ以後自社生産に切り換えてしまいました。とは言っても切替には数年を要し,実際にはミニアチュア搭載のラジオは1954年になりました。
Early Miniature Boxs ; Toshiba-Matsuda and Nippon Electric Co. "NEC/東芝マツダと日本電気NECの初期の箱,写真は津田孝夫さん提供
(6) Tokyo-Shibaura Matsuda/東京芝浦電気マツダ
最後に最大手東芝マツダの事情である。1951年版(1951.8発行)のマニュアルでは,電池管1R5, 1T4, 1U4, 1U5, 3S4, を掲載。いずれもRCAの最終版を国産化した形である。また,6.3V管として6AK5, 6AU6, 6J6, 6X4, 未発売品種として,6BE6, 6BA6, 6AT6, 6AV6, 6AQ5を掲載している。おそらく同年末には販売されたことだろう。なお,6AR5, 5M-K9それにトランスレス管の記載は無い。1952年11月にはMJ誌などの雑誌に「マツダ技術資料」として真空管のデータを掲載開始。その第1号はミニアチュア管だったと思われ(資料がないが6BE6, 6BD6か?),第2号は6BD6, 6AV6を掲載している。1953年版(1953.3発行)では,電池管が2倍に増えた。また,6.3V管は圧倒的に増加している。6AR5, 5M-K9が登場。未発売品種として,トランスレス用の12BE6, 12BD6, 12AV6, 35C5, 35W4を掲載しているので,1953年度末には販売されたことだろう。トランスレス管は東芝のみならず,神戸工業の1953年11月の価格表にも記載が無いので発売は各社とも1953年末から1954年の春に足並みを揃えて行ったと思われる。
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1951.8 |
1953.3 |
Battery |
1R5, 1T4, 1U4, 1U5, 3S4 |
1L4, 1R5,1S5, 1T4, 1U4, 1U5, 3A4, 3A5, 3Q4, 3S4, |
6.3V & Rec |
6AK5, 6AU6, 6J6, 6X4 |
5M-K9, 6AK5, 6AL5, 6AQ5, 6AR5, 6AS6, 6AT6, 6AU6, 6AV6, 6BA6, 6BD6, 6BE6, 6C4, 6CB6, 6J6, 6X4, 12AT7, 12AU7, |
Not yet for sale |
6BE6, 6BA6, 6AT6, 6AV6, 6AQ5 |
12BE6, 12BD6, 12AV6, 35C5, 35W4 |
(7) Deview of Japanese Miniature 5M-K9/5M-K9の登場
整流管5M-K9は,日本では5球スーパの定番の1本ですが,一番最後に登場しました。ST管ラジオ時代にあってはラジオ用整流管は昔ながらの直熱型で,出力管に6Z-P1を普及型ラジオの場合は省電力のKX-12F,UZ-42を用いた標準型や高級型の場合はKX-80で済ましてきましたが,戦後のスーパーラジオではケミコンの品質の悪さも手伝って点火時の過渡高電圧によるパンクが問題となり,ウォームアップ・タイムの遅い傍熱型の整流管が嘱望されました。まずトランスレスはもともと傍熱型でしたが,東芝マツダの30G-K5, 神戸工業TENの30G-K7が1947年から48年,東芝マツダの30G-K9が1950年頃でした。一方の5V管は,東芝マツダが1949年頃にKX-12Kを発売,やがて日本電気からもKX-80BKが発売になりました。1950年頃には東芝マツダも容量を増加したKX-80HKを発売。また,GT管全盛を夢見て,5V版の5G-K3を発売。やがて,ミニアチュア管の製造が本格化すると,80BK, 80HK相当のミニアチュア管も要望されました。5M-K9が登場するのはその後であって,東芝の1951年8月のマニュアルは記載されてないが,1953年3月には登場し,また神戸工業の1953年11月の価格表にも現れているので,1951年末から1952年にかけて開発され,1953年には各社で製造された風に見える。
実際,極最近になって入手した文献,電波科学1952.7のNew Tube Dataにその史実が記載されていた。「小型真空管型名付与委員会発表 今般,小型真空管型名付与委員会(これは戦時中の旧商工省時代から続いているもの,戦後の通商産業省の委員会)により,次の4種類の小型受信管に新型名が付与されました。これは無線通信機械工業会(現在のEIAJ, 当時CES)の申請に基づくもので,近く製品として広く市販されるものと思います」とある。4品種は,5M-K9, 5G-K4, 3Z-DH3, 3W-C5であった。つまり,誰が5M-K9の試作・開発したか定かではないが,真空管会社の代表が集まるCESの委員会でまず共通規格を決めた後,これに5M-K9というJIS名をもらってから,各社が製造に入ったことになる。逆にいうと,どこか一社が単独に開発して売り出したものではなく,日本の真空管会社が集まって当時の日本版ミニアチュア5球スーパーに必要と思われる平均的な球を作ったことになるのである。このように1952年にようやく5M-K9が登場して,日本版5球スーパの定番がようやく完成したのである。
(8)Okaya Radio-Rodin/岡谷無線-ロダン
今日では滅多にお目にかかれないブランド名のミニアチュア管として,岡谷無線/ロダンの球があります。最近,MJ誌に岡谷無線の歴史が掲載されました。小口貴仁氏の記事(MJ1999.10)によると,1950年8月に製造設備の整備を完成させ,(1951年以後?)MT管製造の諸機械設備を新設し,ラジオ受信機のMT管化(傍熱管)と直熱MT管を作った,とあります。同氏の記事を良く読んでも,いつから製造したかは明確には読みとれませんが,少なくとも電波科学1951年5月の広告には「優秀品として定評あるロダンRODIN真空管 ST管,MT管各種 岡谷無線株式会社」とあり,既にMT管を製造していることを宣伝しています。しかし,これは多分,電池用のものだったかもしれません。面白いことには翌年の広告ではさらにGT管が追加されます。
1953年のラジオ技術誌の通販欄に掲載されたミニアチュア管はマツダとロダンで,NECはありません。電池管とともに傍熱管も販売していることが分かります。前年のNECの値段と比較するとやや安くなっています。
Tube |
Price |
Tube |
Price |
1R5 |
450 |
6BE6 |
275 |
1T4 |
380 |
6BA6 |
265 |
1U5 |
420 |
6BD6 |
- |
3S4 |
425 |
6AT6 |
210 |
1L4 |
380 |
6AR5 |
250 |
1S5 |
380 |
6X4 |
195 |
3A4 |
450 |
|
|
さて1954年の雑誌には6球スーパー・キット「ロダン・ミニスーパーラジオ」が登場。そこに使用された球は,6BE6-6BA6-6AT6-6AR5-6X4, 6E5-MTでした。キットは\6,400, 完成品\11,000。マジックアイは6M-E2が紹介されていました。改良を重ねて電極をオフセットしたとあり,6M-E2ははじめは同心型だったようです。
(9)Don Mott/ドン-モット
今日では完全に忘れ去られたブランド名のミニアチュア管には,ドン・モット(Don Mott),ドン真空管があります。詳細は謎に包まれていますが,1954年のラジオ部品通販カタログ*にその名前が現れます。傍熱型のミニアチュア管6.3Vだけでなく,その頃日本で一斉に製造開始されたトランスレス管も製造していたようです。もともとは戦前有名だったドン真空管が戦後父親無き後,兄弟が会社を2分し,青ドン,赤ドンのブランドで真空管を販売したと伝え聞きます。無線枢機産業,もう1つがドン真空管でした。
Tube |
Price |
Tube |
Price |
6BE6 |
230 |
12BE6 |
310 |
6BA6 |
240 |
12BA6 |
330 |
6BD6 |
200 |
12BD6 |
280 |
6AT6 |
- |
12AT6 |
210 |
6AV6 |
165 |
12AV6 |
220 |
6AR5 |
170 |
35C5 |
405 |
6X4 |
165 |
35W4 |
285 |
5M-K9 |
125 |
|
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トランスレス管は6.3V管に比べて価格が25%程度高かったようです。また6.3V管の価格は前出のロダンRodinに比べても安いのですが,この時期には価格競争の激化のため数カ月後になるだけでも価格が下がる傾向にありましたので,東芝やNECはともかく,ロダンに対しても安かったかどうかはわかりません。
(10) Toyo Radio/東洋無線
忘れてならないミニアチュア管にトーヨー(東洋無線)のマジックアイがあります。ST管のEZ-6E5をミニアチュア化したもので,ベースを履いている6E5-Mです。私が目にした1953年7月のラジオ技術誌には赤ダイヤの6E5-Dとともに広告が掲載されており,その頃には販売していたようです。マジックアイは戦後になってHW真空管(後のNewStar真空管)が6E5と6G5の製造を真っ先にはじめ,1950年代初頭にはSUNが6E5の広告を出して,競争が激化しました。この中にあって,トーヨー無線は初めからラジオに必要な押しボタンスイッチや表示器としてのマジックアイ,さらにはラジケータなどの製造だけを行った会社で,マジックアイにしても独特の品種の開発に精力的だったせいもあって各社のラジオに採用され,あるいはOEM出荷をつづけ,この分野で最後まで生き残りました。1960年代になってもミニアチュア管の新作マジックアイを出していたのは驚きです。
(11) Super Minor Brand/超マイナーブランド
1953年の電波科学(53.6)にQX(東京管球研究所,東京目黒)がTV用真空管を発売と紹介されています。この中にミニアチュア管6AL5, 6AV6, 6AK5が含まれており, 6AG5, 6J6が販売予定となっていました。この会社は1950年代初頭に米国型の珍しいラジオ用GT管を出したことで有名(電波科学51.7など)ですが,ミニアチュア管も製造していたのです。6AV6は本来ラジオ球なのですが,初期の頃トランス付きTVにも用いられました。TV用真空管はその後,大手会社が本格的に参入し,またセットメーカもそのようなブランドのものを使用したので市場に食い込めずに撤退を余儀なくされたことでしょう。一時,彗星のように現れては消えていった会社でした。
次に,ラジオ用ミニアチュア管が爆発的に普及し,その後栄華を極めた時代の歴史をみてみましょう。
(1)Matsushita-National/松下
1954年以降の歴史で最も大きな業績を残したのは松下電器産業でしょう。栄華盛衰,ミニアチュア管の5球スーパの定番が確立するまでに,品川電機(トウ),日本無線(JRC),神戸工業(TEN),日本電気(NEC),東京芝浦電気(マツダ)が登場しましたが,やがて神戸工業や日本電気は苦戦し,日本無線は撤退,品川電機は消えて無くなりました。そのきっかけは,大手東芝のミニアチュア管参入だけでなく,ラジオ界の最大手,松下電器産業の参入にありました。
松下電器産業がオランダPhilipsと技術提携して松下電子工業を設立(1952年),ミニアチュア管の製造にも着手しました。しかし,出荷準備が整うまでの間,従来の設備を使ったGT管や輸入したリムロック管で繋いで,出荷は1954年になりました。
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1954.10 |
Not recomand* |
Not yet for Sale |
Battery |
DAF96, DF96, DK96, DL96 |
1R5, 1S5, 1U5, 1T4, 3S4 |
DM70 |
6.3V & Rec |
5M-K9, 6AL5, 6AQ5, 6AR5, 6AU6, 6AV6, 6BA6, 6BD6, 6BE6, 6CB6, 6E5-M, 6J6, 6X4, 12AT7, 12AU7, 12AX7 |
6AT6 |
6BQ7A, 6U8, 6CL6, 12BY7, ECC81, ECC83, ECC84, ECF80, ECL80, EF80, EM34, EQ80, EY94, PL81, PL82, PY81 |
Transformerless |
12BE6, 12AV6, 35C5, 35W4, 50C5 |
12AT6 |
|
1954年末の時点で,ラジオ用ミニアチュア管は既に準備が整い,出荷されていることが分かります。また,第1世代の6AT6/12AT6は1954年の時点でまだ現役でしたが,1955年製造予定表からは削除されています。「廃品種」とか「保守品種」とは書いてませんが,明らかに保守品種となっています。この頃の同社のラジオの回路図には検波増幅管の部分には「12AV6 or 12AT6」と記されており,業界でも6AT6族は今後使用しない品種となっていたようです。
また,松下独自の路線として国内で有名になった欧州管ですが,この時期に,ラジオ用電池管については旧来の米国型から欧州型へと切替を行おうとしていること,またTV球については米国型の新型と欧州管の主力品種の両方を製造しようとしていることが分かります。
松下は1950年頃に早くもミニアチュア管を使用したラジオを販売しましたが,搭載していた真空管はNEC製でした。しかし,1954年には自社製造に切り換えたのです。
松下のミニアチュア管は自社ブランドのラジオ,TVが大きなシェアを持っていただけでなく,資本提携を東芝から松下へ切り換えた日本ビクターの製品にも使われました。さらに1950年代末に始まったHi-Fiブームでは,オーデイオという新分野でステレオセットが好調になり,御三家としてラジオやTV以外のセットメーカとしてサンスイ,トリオ,パイオニアが有名でした。そのサンスイとトリオはともに松下のミニアチュア管を採用していたのだから,松下のシェアは実に大きかったといえましょう。ケンウッド(トリオ)はハム用通信機を製造していましたがこれも松下製品が使われました。
(2)Hitachi/日立
日立も真空管製造分野では新興勢力でした。戦時中に理研真空管を吸収し,戦後,通信御三家として業務用真空管を製造しはじめました。その民生部門は日立ブランドで細々とラジオ用ST管を製造したのがはじまりですが,やがてTV時代に突入,1952年,RCAと技術援助契約を結び電子管工場建設をはじめ1953年にTV用ブラウン管の製造に乗りだし1954年には業界のトップのシェアを握りました。ちなみに日立自身がTV製造に乗り出したのは1955年であり,1956年から出荷しはじめました。
ラジオ用ミニアチュア管はTV用真空管の副産物といっても過言ではありません。ちょうど1953-4年頃の記録が無いのですが,ラジオ管の製造もその頃はじまったと思わます。1953年には広告が出ています。ラジオ技術53年7月の広告には躍進する日立真空管,左にブラウン管,右にGT管6SJ7-GTの絵,1954年5月の広告には右にブラウン管,左にミニアチュア管2本で,文字がはっきりしないが35W4と6BJ6のように見えます。35W4はトランスレス管の製造開始を示すもので,各社ともこの頃に始まった事が裏付けられます。一方の6BJ6は読み間違いかもしれないが,本当ならばRCAの標準的なFM受信機に使われる球なのでそこまで国産化したぞという印かもしれません。しかし,日立のラジオ用ミニアチュア管は出遅れていました。日立は他の真空管製造会社と同様にかつてはラジオ組立製造部門も持っていたのですが,1940年代末にラジオの販売不振により撤退,その後しばらく手を出さずにいました。したがって,ラジオ管の国内シェアはほとんど持っていませんでした。
それが好転したのは1955-57年からのことと思わます。輸出が好調となりミニアチュア管の製造に拍車がかかったこと,日立は国内ではラジオの販売に再参入を果たし,トランスレス管を用いた小型ラジオや電池管ポータブルを販売しました。1956年頃には日本型の省電力型ラジオ用電池管1AQ5(1R5-SF), 1AM4(1T4-SF), 1AS5(1U5-SF), 3Z4を製造しはじめています。TVの販売が好調なためラジオにも勢いがついたのでしょう。1957-8年には多量のラジオを販売しはじめました。結果的に日立は標準的なST管の他,6.3VならびにトランスレスGT管,そして12BD6を含む各種ラジオ用ミニアチュア管を幅広く製造しました。一方,大手ラジオメーカーの早川電機シャープは従来NEC製の真空管を用いていたようですが,ブラウン管供給とあいまって,TV球に日立製真空管を使用し始めました。これは1950年代後半から真空管セットが終結する1970年代初頭まで続きました。日立製真空管にSHARPのロゴが付いています。
(3)Mitsubishi/三菱電機
三菱電機は戦後1940年代末からダイヤモンドブランドでST管を製造し,また時代は定かでないがGT管も製造したことが知られています。真空管製造は1954年に伊丹製作所から独立した無線機製作所の一角で行われていました。三菱電機は1955年にはミニアチュア管を使ったラジオを製造販売したが,真空管はNEC製を用いています。やがてTV戦略のため1950年代末にブラウン管工場を新設し,1960年代初頭にはTV用真空管工場を建設し製造しました。この頃,ラジオにも三菱ブランドのミニアチュア管が登場しました。しかし,いつまで自社製真空管を使用したかは定かではありません。真空管の過渡競争が激化し,新品種が荒らしのように溢れた1960年代中頃には再びNEC製の球,OEM製品を用いたようです。
(4)新しい日本の球/New Tubes
1952年に5M-K9が登場して我が国の5球スーパーの定番が確立したという話は,トランス付きラジオの話ですが,さらに翌年の1953年には国内でもトランスレス管がデビューし,1950年代後半には主流となりました。トランスレス管は米国では1945年にデビューしていますが,国内ではミニアチュア管そのものがようやく認知されて,トランスレス管の製造にこぎ着けたのです。トランスレス管の製造が遅れた理由は技術的な困難があったというよりは,まず売れないという経済的な点につきるようです。ミニアチュア管は只でさえ高価なので,当初はコンパクト・ラジオという特長だけで戦わねばなりませんでした。コンパクト・ラジオはST管やGT管でも存在しました。トランスレス管はラジオの価格をさらに下げることはできるが,それでも高価には違いないからコンパクト・ラジオの需要が勝らなくては当時のST管には対抗できなかったのです。1953年にトランスレス管が国産化され,翌年に大メーカーがようやくミニアチュア管ラジオを製造しはじめた。米国のラインアップは12BE6-12BA6-12AT6-35C5/50C5-35W4でしたが,我が国ではAC100Vだから+B電圧が低めで出力不足で性能がおもわしくない。このため,1954年に東芝は(あるいは各社が集まるCESは)ヒータ電圧を少し落とした25M-K15という整流管を作りました。この整流管は省電力の引き替えに35W4のパイロットランプ点灯機能を削ってしまったので,数年間だけ使用され,代わりが出ると消えて無くなりました。1956年に松下が欧州型の低電圧電力管30A5/HL94とパイロットランプが点灯できる省電力整流管19A3/をデビューさせました。30A5が出たお陰で整流管は従来の35W4でも十分使えることになりました。ここで,ようやく日本の定番,12BE6-12BA6-12AV6-30A5-35W4が誕生したのです。さらに,19A3を使用すると,RFアンプを1段増やして高周波増幅6BA6付き6球スーパができ,あるいはトランスレス・ラジオにもマジックアイが付けられるようになりました。実際,低電圧用のマジックアイ12Z-E9や12Z-E8, 6M-E10が登場し良く使われました。
(5)Price of Miniature Tubes in 1958/昭和33年のミニアチュア管の価格
1953年頃の国産各社のミニアチュア管の価格については既に紹介しましたが,最後に1958年頃の雑誌上の価格を紹介しておきましょう。この頃にはメーカー製のラジオは皆ミニアチュア管になっていました。
まずラジオ技術誌の広告です。東芝(マツダ), NEC, TEN, ロダンが掲載されている。アマチュアに人気のあったブランド名です。ロダンが健闘しているところが面白い。後世に寡占状態を作り上げた松下や1960年代に活躍した日立製が無いが,松下はまずチェーン店による販売を図ったこと,日立は出遅れたことが反映していると思います。1960年代になるとマイナーブランドのRodanは苦戦してしまいます。TV時代には代わって,双葉電子工業が活躍しました。
Japanese Miniature Tube Price List in Radio-Gijutsu July. 1958/ 1958.7月ラジオ技術誌の広告に現れた真空管価格表
Tube |
Toshiba |
NEC |
TEN |
Rodan |
Tube |
Toshiba |
NEC |
TEN |
Rodan |
6BE6 |
335 |
270 |
270 |
256 |
12BE6 |
345 |
265 |
265 |
250 |
6BD6 |
285 |
215 |
230 |
200 |
12BD6 |
293 |
215 |
215 |
211 |
6BA6 |
285 |
215 |
240 |
200 |
|
|
|
|
|
6AV6 |
240 |
180 |
200 |
167 |
12AV6 |
240 |
180 |
180 |
167 |
6AT6 |
415 |
195 |
230 |
173 |
|
|
|
|
|
6AR5 |
257 |
190 |
200 |
189 |
50C5 |
400 |
380 |
|
|
6AQ5 |
715 |
365 |
430 |
- |
35C5 |
400 |
315 |
310 |
311 |
5MK9 |
185 |
135 |
150 |
133 |
35W4 |
275 |
205 |
210 |
200 |
6X4 |
368 |
210 |
210 |
183 |
|
|
|
|
|
通信の分野では米軍放出品が販売されていました。同じ1958年にCQ誌ではHAM用真空管として下記のものが販売されています。5球スーパを作るには足りない真空管もある(整流管や検波管)が,廉価であること,1年保証付きといっているところなど,たいしたものです。
Used ? Miniature Tube Price List in Japanese CQ Ham radio July. 1958/ 1958.7月CQ誌の広告に現れたHAM用真空管価格表(おそらく米軍放出の中古球)
Tube |
Price Yen |
Tube |
Price Yen |
Tube |
Price Yen |
6BE6 |
150 |
12BE6 |
150 |
6AG5 |
100 |
6BA6 |
150 |
12BA6 |
150 |
6AU6 |
250 |
6BD6 |
150 |
|
|
6AL5 |
250 |
6AR5 |
200 |
|
|
6AS6 |
100 |
6AQ5 |
200 |
35C5 |
200 |
12AT7 |
150 |
6AU6 |
250 |
|
|
12AU7 |
200 |
(6) Minor Brand/マイナーブランド
ラジオ時代にミニアチュア管を製造したメーカとして,マイナーブランドでは,戦前からの老舗として,堀川電子管(Horizon),サン真空管(SAN/SUN),エレバム(Elevam),また戦時中から戦後にかけてできた東京真空管(TVC),双葉電子工業などが知られています。ホリゾンは1956年頃雑誌の5球スーパーキットの球セットを供給していました。6BE6, 6BD6, 6AV6, 6AR5, 6X4です。サン真空管は同時期,NHKと共同でHi-Fiセット用に2極管と3極管カソード引き出し線を分離した6AV6-Sという珍種を作っています。
TVCは1950年代は独自の販売も行ったが,東芝の子会社として真空管を製造していました。双葉電子工業はTV時代に安価な保守球を供給したことで知られています。また,エレバムは大手真空管メーカが撤退した後(1970年代),その製造機械を譲り受けてしばらくElevamブランドのミニアチュア管やコンパクトロンなどを製造したと伝え聞きます。
いずれにしても,ミニアチュア管ラジオ時代は,真空管製造のための自動機械が高価で設備投資に莫大な費用がかかることに加え,金太郎飴のように自動機械からぽろぽろとでてくる商品は「薄利多売」なのでとことん多量に製造し多量に販売しなければ経営が成り立たないという経済のメカニズム上の問題により,資本力と販売網を手にした大手真空管製造会社だけが生きていけるという仕掛けになっていたのです。1950年代末から真空管の過激な安売りが始まると中小製造会社は撤退せざるを得なかった訳で,1960年代初頭には真空管製造会社10数社だけで90%以上のシェアを持っていたという話です。
真空管ラジオは,1960年代始めに米国GEが12ピンのコンパクトロンの開発にあたり5球スーパー用のラジオ管の超複合管化も試みたそうですが,前宣伝とは裏腹に(あるいは大方の予想通り?)失敗に終わり,ミニアチュア管が最後のラジオ用真空管となりました。もし,コンパクトロン版5球スーパができていたら,昔のドイツにあった超複合管が再び見られるところでしたが,恐らく経済性に難点があって試作だけで終わったと思われます。
最後のラジオ用ミニアチュア管は1950年代末にSylvaniaが開発したトランスレス100mA管でしたが,我が国ではメリットがほとんど無く,変則的に僅かにステレオ・ラジオに用いたにとどまり,輸出用にのみ製造したようで,早々に撤退,最終的に標準的な150mA管だけが残りました。
我が国では1966年頃が真空管ラジオの最後の製品出荷となり,それ以後,Table Top(卓上型)据え置き形もトランジスタに代わりました。しかし,ラジオ用ミニアチュア管はその後もステレオセットやハム無線機などにしばらく使われました。真空管最大の顧客であるTVセットはその後もカラー化と大型化により,トランジスタとのハイブリッド構成ながらも真空管は生き残りました。やがて,TVセットもトランジスタが追いつき真空管TVは1972年頃に終結,その4,5年後に真空管の製造も終結しました。
ラジオの真空管がミニアチュア管でなくGT管やST管だったら,後の世に町工場の機械を動かして保守用真空管を製造することも可能だったかもしれませんが,ミニアチュア管に至ってはいちど機械を動かすと最低数万個作らねば元が取れないような仕掛けでは維持するにも費用がかかり税金がかかる,このため,製造ライン自身も海外に身売りしたり税制上の措置として完全に廃棄したりして,跡形もなくなりました。