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1B. Radio Tubes for AC Reflex Set/交流レフレックス・ラジオ用の球 2A. Radio Tubes for Early Time Three and Four Tube Sets/初期の並三・並四ラジオ用の球 | ||||||||
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226は交流専用真空管の先駆けとして従来の201Aを1.5Vにしてハムを減らした球で,米国で1927年に誕生し,国内では東京電気(TEC-サイモトロン)が,1928年10月(昭和3年)にUX-226として国産化し販売しました。我が国でも鉱石検波とUX-226を併用した交流電源による受信機が作られました。
整流にはUX-201Aの2極管接続を用いたり,日本真空管製作所からUX-201Aのグリッドを取り除いたNVV UX-216Aという真空管も販売されました。また出力管UX-112Aの2極管接続もありました。しかし,やがて東京電気(TEC-サイモトロン)が,KX-112Aを販売しました。
米国では電池時代の1925年にUX-112を,1927年にUY-227, UX-112Aが開発されたので,我が国では1928年UX-112Aを国産化しました。その後,交流時代の先駆けとして1928年先に紹介したUX-226を国産化し,そして交流式ラジオの検波管UY-227も同年国産化され,1929年には専用の整流管KX-112Aを作って,交流電源式四球ラジオ時代が到来しました。1931年KX-112Bも出ました。1933年までにはエレバムがKX-112C (5V, 1.05A, 250V, 50mA)を販売しました。
我が国でも交流の商用電源を用いたラジオ(蓄電池を取り除く,エリミネータ)の時代が始まろうとしていました。ラジオには米国の受信用真空管を国産化して使用しましたが,日本のラジオに必要な小さな電力を取り扱う小容量の整流管が米国にはありませんでした。このため,日本独自に小型整流管を作ることになりました。日本の小型整流管の歴史は,東京電気のKX-112Aから始まったかに見えましたが,調べてみると,その前にUX-216が登場したようです。
米国UV-216A, UV-216B; 米国ではRadiotronグループが1924年に送信管UV-210を原形に片波整流管UV-216Aを作りました。しかし,通信業務用真空管を製造していたWestern Electricの真空管名称との混同を避けるために翌年の1925年にUV-216Bに改名したそうです(大塚久氏,クラシックヴァルブp.121)。このUV-216A/Bは送信管用整流管で大容量でした。
UX-201A; 我が国ではエリミネータ受信機の整流にはUX-201Aの2極管接続が始めに使われたそうです。UX-201Aの2極管接続は浅野勇氏の実験では8mA程度を出力させていますが,本当の実力は不明です。2極管接続は特許権が設定されていたため,ラジオメーカはこれを使ったラジオを販売ができなかったという話は有名です。
UX-216; UX-201Aの2極管接続の特許問題を解決したのが,2極管そのものの販売だったというのは,実に信じられない話です。1929年頃?UX-201Aのグリッドを取り除いたような真空管UX-216が販売されました。販売会社は不明ですが,米国のUV-216Aとは直接関係ない我が国独自のものでした。その実力は200V/20mAでした。
UX-216A; さらに,日本真空管製作所(NVV)から改良型のNVV UX-216Aという真空管も販売されました。NVVのUX-216Aは定格からするとUV-201Aのフィラメントを3倍にして出力を増加させたような球で,1930年から31年頃だったと思われます。これは東京電気サイモトロンが1930年12月に発表したKX-112Bに対抗する品種だったかも知れません。KX-112Bは控えめな定格だったのに比べるとちょっと無理があったかもしれません。なお,電池管で有名だったNVVはエリミネータの普及とともに衰退し,後にネオンサイン業界に転向したという(池谷理氏の受信管物語りNo.10)。
* 浅野勇,続魅惑の真空管アンプ,p.36
Base
Outline
Ef V
If A
Ebmax Vrms
Ibmax mA
DCdrop
UX-201A (Diode)*
-
-
5.0
0.25
150
8
90v at 8mA
UX-216**
5.0
0.25
200
20
NVV UX-216A
-
-
5.0
0.75
250
50
American UX-216B (216A)
Large standard UX
D=2-3/16, L=5-5/8 inch
7.5
1.25A
550
65
** 内田作蔵,通俗ラヂオ講義録, ラヂオ研究会(1928年初版-1932年改定10版)
KX-112Aは東京電気(TEC-サイモトロン)が1929年2月に発表した半波整流管。この球はUX-112Aのグリッドを省いただけの球でした。各社とも簡単に参入できたのは言うまでもありません。当時の東京電気は大企業,宣伝力販売力抜群ですから,各社ともKX-112Aを製造し,やがてUX-216は忘れ去られました。しかし,そのKX-112Aも直ぐに改良されKX-112Bに代わったので,名前だけがかろうじて残っているだけで,現物もほとんど姿を消し,KX-112Aの規格は後年の東芝のマニュアルには出てきません。真空管の箱に印刷されているパラメータや当時の書籍に残っているのみでした。
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Base |
Outline |
Ef V |
If A |
Ebmax Vrms |
Ibmax mA |
KX-112A*, ** (Cymotron) |
JES-4B, 1F, 2P, 3NC, 4F |
Estimate S-45/ D=45+/-1, L=112+/-5 |
5.0 |
0.25 |
180 |
20 |
UX-216* |
|
|
5.0 |
0.25 |
200 |
20 |
(1) Cymotron Matsuda Box
箱しかありません。KX-112Aですから1929-1931年頃でしょう。サイモトロンはこのデザインが最後で,1932年にはマツダに変わりました。
(2) Elevam
ベース刻印はELevam/KX-112A,ベース底にBase番号GPFF,(K),電極支持にガラスビーズ,プレートは2重円リブ付きで,UX-112Aのグリッドを省いたものです。ゲッタはプレート側面のマグネシウムリボンをフラッシュさせたもの。ガラス頭の文字は消えている。フィラメントは生きている。年代は不明だが,KX-112Bのデビューを考えると1929-1930年頃となる。
(3) K.O.TRON and (4) SHOWA box
(5) Brown
電極は大いに曲がり,フィラメントとプレートがタッチ。おかげで平成の時代にまで生き延びた。たたき出しをやったら,電極タッチは直り,エミッションもある。
東京電気(TEC-サイモトロン)はKX-112A(1929年2月)を発表してから1年半たった1930年12月*にフィラメント電流を倍増したKX-112Bを発表しました。池谷氏受信管物語によれば,当時エリミネータ式ラジオにもっと大きな出力が望まれてKX-112Bが開発されたとあります。1929年に東京電気は電蓄用にUX-171AとKX-280を発売していましたので,大きな出力はUX-112Aの代わりにUX-171Aを使えば実現できるのですが,整流管KX-280はUX-171Aプッシュプルを含めたコンソール型の大型ラジオの全電流がまかなえる程大きいので,竜頭蛇尾となってしまいます。そこで,UX-171Aシングルと何本かの受信管がまかなえるものとしてKX-112Bが開発されたらしいです。フィラメント電流2倍ですが出力は1.5倍と控えめです。KX-112Bは,発表後,ペントードブームが訪れたこともあり,UX-171Aといっしょに使われた例は見かけませんが,廉価で,またUY-247Bにも対応できるのでこれがラジオの定番になり,どのラジオにも採用され,各社とも製造しました。その後,この球はST化されたKX-12B(1934年頃),電流容量を増加したKX-12F(1937年頃)と発展しました。
*梅田徳太郎氏の受信管製造の記録ではKX-112F(KX-12F),1930年とあるが,KX-12Fは1937年に登場,またKX-112Fは存在しないから,これはKX-112B(KX-12B)の誤りと思われる。すると池谷理氏の受信管物語りNo.12の表1に発売,昭和5年12月とありこれが正解で,表2にKX112Bの昭和4年10月の価格が出ているのは誤りとなる。そこで,私は以前KX-112Bの発表年を表2から1929年10月としていたが,表1の1930年12月に訂正することにした。
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Base |
Outline |
Ef V |
If A |
Ebmax Vrms |
Ibmax mA |
KX-112B (Matsuda'51) |
JES-4B, 1F, 2P, 3NC, 4F |
Estimate S-45/ D=45+/-1, L=112+/-5 |
5.0 |
0.5 |
180 |
30 |
KX-12B* (Matsuda'37.3) |
JES-4B, 1F, 2P, 3NC, 4F |
ST-38 /D=38mm, L= 105mm |
5.0 |
0.5 |
180 |
30 |
(1) Tokyo Electric Matsuda
サンプルの1つは米国球では代替がきかないので大金を支払って日本のコレクターから分けてもらいました。他方は寄贈していただいた飾り球です。
2本のサンプルはともに1932年以降のマツダ時代に入ってからの製造で,左は1932年頃,右は1933年頃と見られます。ベースには2つの(丸マツダ)ロゴに挟んでマツダの刻印があります。また,ガラス管壁頭にはともに丸マツダのロゴがあります。左のサンプルにはガラス横に丸で囲んだ(ル)という文字もありました。
プレートの形状はともに平型で,プレートサイズは原形のKX-112Aの時代からやや大型化しています。これはフィラメント対向面積を増やしてエミッションを増加させたためと思われます。左のサンプルは同心円状の2重リブ付きで,これは初期のUX-226やUX-112Aに見られた古い形式です。右のサンプルは横3本のリブに変わっています。ゲッタはともにプレート下端にマグネシウムリボンを張り付けてフラッシュさせたものです。
ベース底には浮き彫り文字があり,外周にはともにCYMOTRON PATTENTED,TOKYO ELECTRIC CO.とあり,中央には左のサンプルは(TEC)ロゴ,右のサンプルは丸マツダにマツダランプ工場製品と入ったロゴがあります。この違いから左サンプルは1932年製,右は1933年製と推定されます。また右サンプルだけには4つのピンに「PGF」(プレート,グリッド,フィラメント)の表示が現れています(KX-112Bにはグリッドは無いけれど)。ベース側面には両者ともバヨネット・ピン付き。
KX-112Bはフィラメント支持にだけガラス・ビーズが使用されている。h左のサンプルはエミッションは十分にあります。右サンプルはフィラメントが断線しており,また管壁をあぶったためゲッタ蒸気が電極に付着し銀色となっています。
[YaV][2eL]
(2) Miyata Works Elevam KX-112B'Elevam'エレバム(宮田製作所) のKX-112Bです。
Elevam KX-112Bs, left, ELevam KX-112B, center and right, front and back of Elevam KX-112B (MSE D,B) / [5e5]
左はELevamとあるサンプル,中央と右はElevamとあるサンプル(左は自蔵020113),(右は京都府,辻野泰忠氏寄贈000928)
左のサンプル(写真左)は,ベース刻印がELevam/KX-112-B,ベース底にはBase番号GPFF(T),バヨネットピン付き, ガラスビーズ支持,プレートは横4本のリブ付き,ガラス頭に(エレバムMSE D,B)のロゴ(1934年2月?),ルーズベース,このサンプルは生きている(em=66>40)/TV7/U 。
右のサンプル(写真中央と右)は,ベース刻印が細字でElevam/KX-112B, ベース底にはBase番号GPFF(K),バヨネットピン付き, ガラスビーズ支持,プレートは横4本のリブ付き,このサンプルは生きているが酸化物陰極が剥離しエミ減である(em=43-40>40)/TV7/U。
(3) DON以下はドン真空管製作所のKX-112Bです。
(4) K.O.TRONK.O真空管の箱
(5) Miner brand - HALLOO and KINSEN以下はマイナーブランドのハローラジオチューブの球と箱KX-112Bです。また金線真空管製作所というところのKX-112Bの箱です。東京電気マツダの箱のデザインに類似しています。