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2_Jmetal.Japanese Metal |
2_Hsola. N-series, H-series and Sola |
2_Rader. Receiving Tube for Rader |
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2. Multi-purpose Receiving Tubes/万能受信管 |
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Cgp of Sola/ソラのCgpについて |
Table 1 Cgp of RH-2, Sola and 12G-R6 |
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Table 2 Cgp of RH-4 |
Table 3 Cgp of RH-8 |
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| |||
No Sample |
NF6*1 |
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| ||||||
No Sample |
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RH-8*1 |
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万能管(受信用の真空管)とは,軍用無線機に使う真空管を1品種で済ませて補給を楽にしようというものです。もともと真空管を使う機器では,保守用部品としての真空管を常時備えておかないとたちまち使用できなくなるのですが,軍用無線機の場合は移動が主体ですから,真空管単体の故障確立だけでなく,補給品の確保が問題となります。5本から10本程度の無線機で全ての保守品を揃えておくのは限度があります。ドイツでは何にでも使える万能真空管が開発され,日本軍部もまねをしたとも考えられますが,もともと電池管の受信機では移動が主体ですので,欧州Philipsの電池管でもA109だけで構成した受信機が1930年代に我が国に紹介されていました。戦時になり,軍部が改めて目覚めたというところでしょう。
万能管としては,我が国では日本無線がNF-2, NF-6などを作ったのですが,米国球と比べてそれ程優位であったとも思われません。海軍自慢のJRCのFM2A-05Aはわずかにgmが高く,電極管容量が小さかっただけです。しかし,製造が難しく代替品はありません。間に合わせとして,結局gmの低いまま米国系の受信管UZ-6D6, Ut-6F7がその目的に使われました。特に万能管を意識して作ったものとしては,主に形状をT管にしたものとして,電池管では東京電気がUZ-11A,また6.3V管ではUZ-6D6の形状をスリムにした6Z-1Vなども作っています。しかし,これらは球数が多くなり無線機はコンパクトにできない欠点がありました。軍部はどうしても高いgmのFM2A-05Aの代替品が欲しくて,東京電気に作らせたのがソラでした。
しかし,今振り返って見ても,gm=4000 mmohの米国6SH7などは1939-40年頃に開発されており,バンタムステムでも大量生産すればよかったと考えるのですが,電極間容量のマジックに気付かなかったのは,それほど我が国の真空管は技術的に遅れていたということでしょうか。
日本無線(JRC)がドイツTelefunkenのST管NF2を1940年6月に国産化したものです。海軍の名称がFL-2A05Aで航空機用の5極管。サンプルは大塚久氏がMJ2002.2の真空管博物館に掲載しています。4ヶ月前に完成したRE-3(エーコン管参照)とヒータ電圧を除きほぼ同じ性能でした。なお,本家Telefunkenでは改良型のNF-2Aが作られています。
NF-6はベースをP型からオクタルに,ヒータ電圧を12.6Vから6.3Vに変えたもののようです。RE-3の代用になったかもしれません。
|
Base |
Outline |
Eh V |
Ih A |
Eb V |
Esg V |
Eg V |
Ib mA |
Isg mA |
rp Mohm |
gm mA/V |
mu |
NF-2 B. B. Babani 1958 |
P 2;g3, 3:k, 4;h, 5;h, 6;sh, 7;p, 8;g2, top=g1 |
|
12.6 |
0.2 |
200 |
150 |
-2 Rk=500 |
3 |
1.0 |
1.800 |
2.1 |
|
NF-2* |
P |
|
6.3 |
0.2 |
200 |
100 |
-2 |
4 |
1.5 |
1.000 |
1.5-2.5 |
2600 |
NF-2** |
|
|
12.6 |
0.21 |
200 |
100 |
-2 |
3.2 |
1.1 |
1.8 |
2.3 |
4000 |
NF-6* |
O |
|
12.6 |
0.21 |
200 |
100 |
-2 |
3.2 |
1.1 |
1.8 |
2.3 |
|
NF-6** |
|
|
6.3 |
0.43 |
200 |
100 |
-2 |
3.2 |
1.1 |
1.8 |
2.3 |
4000 |
*樋口千代造,実用ラジオサービスブック1948-49(誤植が多い)
**CQ 1946.9
FM-2A-05A is a multi-purpose pentode, developed for aircraft equipments of Japanese Navy by JRC (Japan Radio Co.) in 1941.
この球は日本無線(JRC)が1941年3月に開発し,海軍の航空機用の万能管として使われた球です。原型はドイツTelefunkenのST管NF2と言われています。NF2は1940年6月に国産化しています。ボタンステムとガラス容器を封着し,これに金属ケースを被せたメタル・ガラス管です。「電子管の歴史」によれば,金属ケースとガラス管の間にはゴム環をはめてあるそうです。ボタンステムの採用で,Cgpは小さくできたそうです。ところが,ボタン・ステムは製造が難しいので日本無線だけでは,軍の要求量を満足できません。そこで,川西機械(神戸工業,富士通TEN),松下電器も製造にかり出されました。でも,間に合わなかったようです。詳しくは,長真弓氏の記事(MJ誌,1993.4をご覧下さい)。また,最近,岡田章さん/mixseeds(がーさん)の
にとても詳しい記事が掲載されました。ぜひご覧下さい。
大成52のデータ/長真弓氏のデータ:
12.6V,0.23A, Base=1:S,2:h,3:p,4:g2,5:k,6:-,7:h,8:g3,TOP=g1
Cgp=0.003pF
250V,100V,-2V,3.3mA,1.1mA,1.8M,2.3mA/V, m=4000
FM2-A 05Aの横と上部。メーカ名はどこにも表示されてない。表面には落書きのような書き込みがある。(Cり364 0315 3-3906)。シールド用のキャップは紛失している。gmテストは6SJ7の条件ではgm=60>40で,生きていることは確かめられた。分解して中身を見ようとネジをはずしてみたが,シールドケースは容易にはずれないことが分かった。
FM2A-05Aは1941年に日本無線(JRC)が開発し,戦時中には増産のために川西機械と松下無線にも製造に参加したが,歩留まりが悪く間に合わなかったと伝えられている。特に川西機械と松下無線製のものはアマチュアの間でも嫌われたと伝えられている。実は下記のサンプルは川西機械製である。内部のガラス管に貼り紙がある。
FM2A-05Aの内部を見る試みは私が初めてではなく昔から多くの方が試みている。最近ではWeb上で内田さんが試みている(ラジオ少年の世界-万能真空管)のを見て,以前くじけてしまった私も再試行してみた。ネジを2本はずし,トップ金具のハンダを取る。ベースからアルミ・シールド筒の下部に向かって短い銅線が出ており鳩目で止まっているが,シールド筒を押し上げたらはずれた。貼り紙には川西機械とあり,第L-1-412号と読める。製造年は書いてなかった。
この球は5極管だが,本来のプレートの外周にはグリッド様の巻き線が張り巡らされており,まるで6極管のようである。ガラス管の外にはアルミ製シールドがあるが,まさか内部でもシールドしていたとは。このシールド線はどこに接続されているか目で確かめることができなかったが,有坂英雄氏の「真空管談義」によればスクリーングリッドと同電位のようである。
本来のプレートの形状は後世のRCA 6CB6のように2組の細い板である。電極下部はボタンステムだが引出線(ジュメット線)は細く自立できないので,ガラス管下部はオクタル・ベースにセメントで接着してある。ベースの脇から上に出ている引出線が外部シールド筒のためのアース線である。
電極上部にはマイカ板の上に金属円盤のシールド板があり,中央にはトップ引出線が見える。2本のグリッド支柱を上部で繋いだ後引き出しており,送信管のような造りだ。その周囲にゲッターリングのようなものが見えるが,これはゲッタ皿の支持金具兼ショート・リングのようで,小さなゲッタ皿がその一部に取り付けている。ガラス面のゲッタフラッシュ面積は極わずかである。このようにしてグリッド・プレート間の静電容量Cgpを小さく保とうとしているように見える。
なお,FM2A-05Aの原型となったTelefunkenのNF2は大塚久さんのクラシックバルブにST型の白黒写真があり,またWeb上でもがーさん(mixseeds)の真空管の標本箱を始めとして,最近ではあちこちで見られる。ST型より旧型と思われる菱形のガラス管もあり,スプレーシールドを取り除いたガラス越しの電極写真はJF3DRIのホームページで紹介されている。FM2A-05Aと良く似ている。
ソラは真空管開発史上とても有名な球です。東芝がRH-2を原型として1943年4月頃に開発した万能管。西堀栄三郎氏(当時東芝,後に南極探検隊初代隊長を勤めた)によって開発された。先に紹介した日本無線JRCのFM2A-05Aの代替として開発された。RH-2は米国の12SJ7GT相当のメタル・ガラス管で原形は我が国独自の6Vメタル管US-61の12Vガラス版だが,ソラはメタル・シールドが省いてある。その代わり,電極下部のステム部にグラファイトが塗布され,ガラス面のゲッタ膜とともにグランド電位に落とすことによって,ゲッタ膜による浮遊容量を低減し,Cgpを減少させている(放射線と産業No.27)。天井のシールドキャップ,g3同電位のシールド筒並びに上部サポートの四角いマイカ板は新しく設計された模様。
終戦後,軍用球が市場に流通し,電気アマチュアはこぞってラジオを作った。しかし,普通のラジオ球の製造が軌道に乗ると忘れ去られた。昔を懐かしむ人々だけが保有しているので,今日では市場に現れることは滅多になくなった。
なお,ソラが試作されたのは東芝の工場ではあるが,当時西堀栄三郎氏管轄の大森の工場とある。
後継管12G-R6(初期)と同じ姿ですね。右の写真の電極下部のガラス・ステムの色は灰色に写っています。これはグラファイト塗布のためです。
Cgp of Sola/ソラのCgpについてソラはFM2A-05Aの代替管として開発されたこと,Cpgが問題だったこと,がクローズアップされて来たが,代替管の割にトップグリッド型では無いから互換性が無い。gmが2000μA/Vという点だけ見れば確かに似ているが,ソラでなくともRH-2で十分であった。FM2A-05AのCpgも有坂氏の記述では0.003pFと米国のメタル管6SK7程であったが,ソラが記録に残るCgpは0.015pF max(1951年マツダのマニュアル),RH-2(改良前), RH-4, RH-8が0.04pF maxである。RH-2(改良前)とソラの電極構造は基本的には同じであるが,戦時中のRH-2(改良前)はバンタムステムにグラファイト塗布接地をしていない,外囲器に金属シールド筒を付けたメタルガラス管,ソラはグラファイト塗布接地しているガラス管,天井のシールドキャップ,g3同電位のシールド筒並びに上部サポートの四角いマイカ板は新しく設計された,という違いがある。戦後,RH-2は外部シールド無し内部ステムをグラファイト塗布で製造し(つまりソラをRH-2という名称で製造し),さらに12G-R6と改名している。
ソラのCpgは0.015pFmaxとかなり大きい。(池谷理氏の受信管物語では「設計の面では第1グリド陽極間静電容量が0.05pF以下という国産受信管の記録を作っている」とあるが,これは誤り。Cpgはピンチステムのせいにされてきたが,ピンチと言っても背の低いバンタムステムである。米国のGT管は一般にバンタムステムで戦後1946年のマニュアルでは6SJ7-GTクラスでCgpは0.005pFmaxであった。ということは,RH-2にしてもソラにしてもCgpはまだ十分大きすぎる。これは測定法の違いによるものなのか?それとも構造の違いによるものなのか?
構造の違いは内部シールドの違いである。ソラと12G-R6はステムをグラファイト塗布してシールドしたが,プレート引出し線は放置したままであった。米国GT管はステム全面のグラファイト塗布は無い代わりに,ステム部からプレート引出し線を囲うようにシールド板を配置した。6SH7-GTのようにgmの高いもの,あるいは測定用のものはピンチステムのシールド板は両側に取り付けられた。また,GT管の場合ピンチステムを囲うベースシェルには金属帯を付けている。マツダは米国GT管6SJ7-GT他を1949年頃国産化し,規格は1951年のマニュアルにあるが,Cgpは0.008pFmaxであった。ちなみにRH-4を改良して6V管とした6G-R7はシールドも米国GT管のやり方を採用したようで,Cgpは0.009pF maxに改善している。
これが1953年になると国産6SJ7-GTは0.006pFとやや小さくなり,1960年からは米国並の0.005pFになっている。戦後でもまだCgpは十分に米国に追いつけなかった。1953年に数値が改善したのは測定法が精密になったか,あるいはシールド法をさらに改善したかである。1960年にさらに改善したのはボタンステム化したかもしれない。しかし良くシールドしたバンタムステム管とボタンステム管の差は僅かである。
|
Cpg |
Cin |
Cout |
US-61 |
unknown |
|
|
Sora Toshiba 1944? |
0.015 max 0.008 ave |
6 |
8 |
Sora CQ 1946.9 |
simular to FM2A05A |
8.5 |
6.0 |
Sora MJ 1949.5 |
0.015 |
|
|
RH-2 MJ 1949.5 |
(0.004)* |
|
|
RH-2**, Sola, 12G-R6 1951 matsuda |
0.015 max |
7 about |
10 about |
|
|
|
|
6SJ7-GT 1951 matsuda |
0.008 max |
7 about |
8.5 about |
6SJ7-GT 1953, 55, 58 matsuda |
0.006 max |
7 |
8.5 |
6SJ7-GT 1960 matsuda |
0.005 max |
7.0 |
7.0 |
6SJ7 metal Sylvania 1946 6SJ7-GT |
0.005 max 0.005 max |
6.0 6.3 |
7.0 7.5 |
6SJ7 metal GE 1973 |
unknown |
|
|
|
|
|
|
6SK7-GT 1951 matsuda |
0.008 max |
6.5 about |
7.0 about |
6SK7-GT 53, 55, 58, 60 matsuda |
0.005 max |
6.5 |
7.5 |
6SK7 metal Sylvania 1946 6SK7-GT |
0.005 max 0.005 max |
6.0 6.5 |
7.0 7.5 |
6SK7 metal GE 1973 6SK7-GT |
0.003 max 0.005 max |
6.0 6.5 |
7.0 7.5 |
|
|
|
|
6J7 RCA1935 |
0.005 max |
7 |
12 |
6K7 RCA 1935 |
0.005 max |
7 |
12 |
UZ-6D6 1951 matsuda |
0.007 max |
4.7 |
6.5 |
UZ-6C6 1951 matsuda |
0.007 max |
5 |
6.5 |
|
Cpg |
Cin |
Cout |
US-6305 1951 matsuda |
0.02 about |
11.5 about |
6 about |
RH-4 matsuda |
|
|
|
RH-4 1951 matsuda |
0.04 about |
8.0 about |
6.5 about |
6G-R7 1951 matsuda |
0.009 max |
9 about |
7 about |
|
|
|
|
6SH7-GT 1951, 53, 55, 58 matsuda |
0.008 max |
8.5 about |
7.5 about |
6SH7-GT 1960 matsuda |
0.004 max |
8.5 |
7.0 |
6SH7 metal Sylvania 1946 6SH7-GT |
0.003 max 0.004 max |
8.5 8.5 |
7.0 7.0 |
6SH7 metal GE 1973 6SH7-GT |
0.0035 max |
8.5 |
7.0 |
|
|
|
|
6SD7-GT 1951, 53. 55, 58 matsuda |
0.008 max |
9.0 |
7.5 |
6SD7-GT 1960 matsuda |
0.0035 max |
9.0 |
7.5 |
6SD7-GT Sylvania 1946 |
0.0035 max |
9.0 |
7.5 |
6SD7-GT GE 1973 |
0.0035 max |
9.0 |
7.5 |
|
Cpg |
Cin |
Cout |
RH-8 matsuda |
|
|
|
RH-8 1951 matsuda |
0.04 max |
9 about |
6.5 about |
|
|
|
|
6AC7-GT 1951 matsuda |
0.015 max |
14 about |
7.5 about |
6AC7-GT 1953, 55, 58 matsuda |
0.02 max |
11 - |
5.5 - |
6AC7-GT 1960 matsuda |
0.015 max |
11 |
5.0 |
6AC7/1852 Sylvania 1946 |
0.015 max |
11 |
5 |
6AC7 metal GE 1973 |
0.015 |
11 |
5 |
H-Series Tubes were developed by Toshiba from 1941 to 1942 for Electrical Equipments of Japanese Army.
HシリーズもNシリーズも開発の本当の狙いは定かではありませんが,12Vの蓄電池点火,オクタルベース,高周波用はシールド付き,という点は,性能も旧式で製造の歩留まりの悪い初代メタル管に代わる新しい航空機用受信管を開発しようとしていたというところでしょうか。
「Hシリーズは陸軍の電波兵器(レーダーなど)用の受信管として東京芝浦電気(マツダ)が1941年から1942年*に開発したものです」。開発者(マツダ研究所長)の浜田成徳氏の名前に因んでHシリーズと命名されたそうです。内容はオクタル・ベースのGT管で,米国で1939年までに発表されたシングル・エンド型のメタル管やGT管の12V管ということになります。12Vや24Vは蓄電池により点火する航空機用真空管だったと思われます。構造がピンチステム(つまみステムあるいはバタフライステム)ですが,同じピンチでも,背が半分程に短くなったバンタム(BANTAM)ステムですので,真空管がコンパクトにでき,電極構造が従来のST管やT管(例えばKt-6H6Aなど)に比べて堅牢にできます。また従来の製造設備で生産できるという利点があります。ただし,シングル・エンド型の高周波増幅管の場合,電極間容量Cpgだけは小さくできなかったようです。
かつて,MJ誌のバックナンバーを入手したら,1993.4に長真弓氏が「日本の真空管-Hシリーズ,Nシリーズの話」を書いておられることを知りました。長氏の著書は内容的にもしっかりしたものが多くいつも参考にさせていただいていますが,「Nシリーズもソラも,そしてFM-2A05Aも純軍用の球であり,戦後多量に放出され民間で利用されたにしても,再び製造されることは一切なかった」と述べられている点については異論があります。確かに1951年発行のマニュアルには全て廃品種と掲載されています。しかし,電気通信学会雑誌1947.12の電機通信界の展望に東芝が寄せた情報によりますと,東芝は「現在の製品」として民生用真空管の品種を幾つか挙げた後に,「通信機用としてRH-2,RH-4,PH-1,DH-2,954,6H6A等」と述べています。Hシリーズは軍用とはいうものの,内容は米国GT相当管ですから通信業務なら十分に活用できたはずです。在庫整理にしては,終戦後2年もたつのにこれらの製品がまだ手元にあるのは不自然であり,またこれらの球の製造設備は終戦まで生きていたことから,終戦後もしばらくは製造を続け,やがて米国互換管が製造される1948-49年頃までには廃止されたものと思われます。
*以前,Hシリーズは1943年に開発と書きましたが,梅田徳太郎氏の資料から1941年から1942年に開発したことが分かりました。いままで米国で1939年に発表されながら,どうして1943年まで待たねばならなかったか,という疑問がありましたが,これでようやく分かりました。1939年といえば,米国ではシングルエンド型のメタル管,GT管がデビューしたり,ロクタル管がでたり,またミニアチュア管が出たり,受信用真空管はその後の流れを大きく変えたものが続々とデビューし,目覚ましく発展した時期でした。ところが,我が国では,最大手の東芝は1939年から1941年頃に新しく開発した球がほとんどありません。戦争に忙しかっただけでなく,実は,それ以前にデビューした新型管,1938年にエーコン管,そして1938-1939年にメタル管にしくはっくしていた時期であり,また1939年にトランスレス管,6000番の特殊管,1940年にTV用高gm管,そしてミニアチュア管も試作していました。1941年にはTV用高gm管の続きを作っていました。しかし,何故か簡単なGT管は国産化しませんでした。簡単すぎたのがいけなかったのでしょう。真空管技術者から見れば新しい技術はほとんどありません。しかし,容易に製造でき,しかも旧来のST管受信管よりも小型堅牢であれば,無線機は小型化でき,しかも堅牢であったはず。現実的には大平洋戦争開戦の時期には,日本軍の無線機はほとんど旧式のST管ばかりでした。取り組みがすこし遅れて,1941年から開発がはじまり1942年に一連のシリーズができあがったようです。しかし,完成はしたけれど,時既に遅し,軍用のほとんどの設備はいまさら真空管を取り替える訳にもいかない,戦争の拡大と補給品の輸送が問題となるや,無線機にはUZ-6D6やUt-6F7の万能管的な使い方に勢力が注がれました。そんな訳で,今日のHシリーズの功績は,万能管ソラの原形として紹介されるに終わっています。もっとも,終戦後,いちはやくGT管が製造できたのはHシリーズの経験があったから,というのが第2の功績だったでしょう。
H Series and Sora (1942) |
Purpose |
Proto type |
Base |
Eh |
Ih |
Eb V |
Esg V |
Eg V |
Ib mA |
Isg mA |
rp |
gm mA/V |
Po W |
RL kohm |
CH1 |
Penta-grid converter |
6SA7 |
8R |
12 |
0.175 |
250 |
100 |
|
3.5 |
8.5 |
|
|
gc 0.4 |
|
DH2 |
Double Diode |
6H6 |
7Q |
12 |
0.175 |
100 |
|
|
4 |
|
|
|
|
|
KH2 |
Double Diode |
25Z5 |
|
24 12 |
0.25 0.5 |
300 |
|
|
100 |
|
|
|
|
|
PH1 |
Beam Power |
6V6 |
7AC |
12 |
0.25 |
250 |
200 |
-12.5 |
45 |
5 |
|
|
4.5 |
5 |
RH2 |
SCO RF Pentode |
(6SJ7) US-61 |
8N |
12 |
0.175 |
250 |
100 |
-2 |
5 |
1.2 |
|
2 |
|
50MHz fmax |
RH4 |
same |
(6SH7) US-6305 |
8BK |
12 |
0.25 |
250 |
100 |
-2 |
5 |
1.5 |
|
3-4 |
|
same |
RH8 |
same |
(6AC7) |
8BK |
12 |
0.25 |
250 |
150 |
-2 |
10 |
2 |
|
6-10 |
|
same |
Hシリーズは戦時中末期に増産されたようで,サンプルは新品箱入りのものも数多く流通し,比較的容易に入手できる。しかし,製造が難しく生産量の少なかったRH-8は希少で,また用途が限られ同様に生産量が少なかったCH-1は超希少である。
東芝はHシリーズを戦後通信用として一部品種を生産続行したが,新時代のラジオ用トランスレス管として不足分を新たに開発しなおして12G-C5(CH1), 12G-R6(RH2), 12G-DH3, 30G-P9, 30G-K5を作った。
一方,日本無線は戦時中,航空機用真空管としてオクタル管Nシリーズを開発していました。終戦までに量産,実用は間に合わなかったようです。戦後,一般市販用としてNシリーズを完成したのは1945年12月で,翌年の1946年にラジオ用に市販しました。高周波用5極管はアルミのシールド筒入りです。1946-47年頃には日本標準名称制度による名前(後のJIS名)を取得しました。Nシリーズは戦後に分類されますが,内容は明らかに戦時中の軍需用管でした。とくにFM2A-05Aをシングルエンドに改良したあたりは,Hシリーズに足並みを揃えたところでしょうか。Hシリーズの東芝は民生用に活かすため,トランスレス用に再開発していますが,JRCのNシリーズはそのまま販売したので,市販後の評価では,ヒータ12Vはラジオ用としてはいささか不便。ベースピン接続も特殊。不人気でした。
H Series and Sora (1942) |
Purpose |
Proto type |
Base |
Eh |
Ih |
Eb V |
Esg V |
Eg V |
Ib mA |
Isg mA |
rp |
gm mA/V |
Po W |
RL kohm |
N-361 (12G-C4) |
6-3 converter |
- |
|
12 |
0.36 |
250 150 |
100
|
-2 -6 |
4.0 4.0 |
-
|
- 11.5k |
1.0* 1.3 |
- mu15 |
|
N-231 (12G-DH4) |
Twin Diode Triodde |
- |
|
12 |
0.22 |
3 250 |
|
- -3 |
1.0 1.5 |
|
- 60k |
- 1.5 |
- mu90 |
|
N-021 (12G-K10) |
Fullwave Rectifire |
- |
|
12 |
0.36 |
400 |
|
|
90 |
|
|
|
|
|
N-052 (12G-P7) |
Power Pentode |
- (RES964?) |
|
12 4.0 |
0.36 1.1 |
250 250 |
250 250 |
-15 -15 |
35 36.0 |
8 6.8 |
60k 43k |
3.0 2.8 |
3.0 10% 3.1 |
7.0 7.0 |
N-051 (12G-R4) |
SCO RF Pentode |
FM2A05A |
|
12 |
0.22 |
250 |
100 |
-2 |
2 |
0.6 |
1900 k |
1.6 |
mu 3000 |
|
N-053 (12G-V3) |
RCO RF Pentode |
- |
|
12 |
0.22 |
250 |
100 |
-2 |
6 |
1.7 |
1500 k |
1.5 |
mu 2400 |
|
CH-1 is a Glass Octal Type Penta-grid Converter with Heater Voltage 12V.
この球は米国の6SA7を12V点灯(0.175A)に改造した7極周波数変換管で,ベース・ピン配置は同じ,電気的特性は12SA7に準ずるそうです。
この球は製造量が少なく入手できません。
DH-2 is a Glass Octal Type Twin Diode with Heater Voltage 12V.
この球は米国の6H6-GTを12V点灯(0.175A)に改造した双2極の検波整流管で,ベース・ピン配置は同じ,電気的特性は6H6-GTに準ずるそうです。ちなみに,東芝は6H6のST版Kt-6H6Aも作りました。
朱色でマツダのロゴと19年8月かと思われる字が残っています。ガラス管壁は黒化が酷く,特に頭の部分は銀化しているので,相当時間通電したものと思われます。プレートなどの電極材料はニッケルのようですが,片一方のユニットのプレート表面は酷く黒化し,もう一方は斑になっているので,火で炙ってゲッタフラッシュを試みた球かもしれません。
ガラス管壁が黒化ているのでダメな球だろうと思いましたが,やはりエミ減でした。エミッションは米国の12H6の仕様でテストすると,ほぼ棄却値付まで下がった球であることが分かります。ヒータ電圧をDH-2の12.0Vに正確に合わせると,さらに10%減少してしまいます。もっとも2極管の場合には内部抵抗が増大したとしても整流作用は残っているのですから検波などでは使えない訳ではありません。6H6系の球は加熱気味のせいかちょっと使うとすぐ黒化してしまうし寿命も短いようです。
KH-2 is a Glass Octal type Double Rectifier with Heater Voltage 12V and 24V
この球は電極の仕様も日本独自の球です。米国の25Z6/25Z6-GT(25V,0.3A)を12V/24V仕様にして,ヒータ電流をUpさせ(0.5A/0.25A),整流電流を75mAから100mA(ユニット当たり50mA)に増強させたような球です。カソードが分離されているので,倍電圧整流も可能です。
20年1月を意味する20-1と,2枚羽のプロペラを丸で囲った東京芝浦のロゴがあります。ブリキのプレートで,ガラスとベースが曲がっているなどが,戦争末期の粗雑な工作を髣髴させます。エミッションは,戦後の6X4と同じ条件でテストすると,em=(52,51)>40となり,一応生きていることは分かりますが,余り元気は無いようです。
RH-2は,米国12SJ7相当の高周波増幅用5極管で,我が国独自の6.3Vメタル管US-61の12Vガラス版である。RH-2とUS-61のベースピン接続は米国6SJ7/6SK7あるいは6AC7と同じ(米国8N)で,5極管の全ての電極にヒータ2本,そして外部シールドの計8本をオクタルベースに引出しています。明らかにシングルエンド型の米国6SJ7を意識して作ったことになります。なお,この球は後のソラの原形となり,またソラは戦後トランスレス管の12G-R6へと受け継がれました。
シングル・エンド型でグリッドをベースから引出しているが,バンタムステム(ピンチステムの短いやつ)ですから電極間容量Cgpは小さくすることができません。この球の特徴は外形にあります。面倒なメタル管をやめて,シールド筒を外側に着けた作りやすいメタル・ガラス管にしたものです。ガラス管よりは少しは丈夫かもしれません。
近所の骨董市で入手し,また読者からも寄贈されたので,ここに紹介する。
RH-2の内部も見たいと思い,地元の骨董市で以前入手した生きている3本のうちの1本(東芝の戦時中のプロペラ・ロゴのもの)を取り出した。gmチェック済みである。シールド缶の爪4箇所を開き,シールドのハンダを吸い取り,上の穴からプラステイック棒でこじり,下からベースをこじり,少し引き出した段階で,どうも取れないのでシールド筒を電球で暖め,抜き出そうとしたら,ピシッと音がしてガラスの破片がぽろりと落ちた。あれーと思ったら,何と,死んでしまった。こりゃ失敗だ。もったいないが後の祭り。さっそくカメラで撮影した。FM2A-05Aとの決定的な差は?シールド缶の下部にガラスとの封着用にセメントが塗って有ったのだ。読者諸君,同じ誤りを繰り返すなかれ。
電極構造は12SJ7相当の5極管。電極上部はシールド板とサイドマイカ付き。カソードのスリーブの他,グリッド1から3までの支持棒,それに4本目として上部下部のシールド板支持用の棒が並んでいる。電極下部。カソードやグリッドが良く見える。プレートは筒1枚であるが,両脇は接地電位であるため,実質は前後方向だけが有効なプレートになる。
シールド缶の内側には2重にセメントが塗ってあった。ゲッタは皿型でガラス面には銀色の箔(マグネシウム?)が残っており,ぺろりと剥がれた。電極下部はピンチステムで,リード線が横に出ているのがシールド缶アース配線用のもの。ピンチステムは下部で線が交差し線間で非常にギャップが狭いところがある。
RH-4 is a Metal-Glass Octal Type RF Pentode with gm 4 mA/V.
RH-4は,米国12SH7相当の高周波増幅用5極管で,我が国独自の6.3Vメタル管US-6305の12Vガラス版である。
RH-4とUS-6305のベースピン接続は米国6SH7/6SG7と同じ(米国8BK)で,RH-2と異なります。内部の高周波接地を良くするためにカソード引出し線が2本あり,代わりにスクリーンがカソードと内部接続されピンの不足を補っています。つまり明らかにRH-4とUS-6305は米国6SH7を意識して作ったことになります。シングル・エンド型のメタル・ガラス管で,グリッドをベースから引出しているが,バンタムステム(ピンチステムの短いやつ)ですから電極間容量Cgpは小さくすることができないのはRH-2と同じです。
真横の図では中央よりやや上に赤のプロペラ・ロゴが見えるハズです。(写真ではどうしても,赤錆の色に隠れてしまい,良く見えません)。下部には昭和19年12月製。管頭にはRH-4の凸文字があります。118/43
当時は戦争末期,このようなペラペラの紙の箱に青インクで管名をスタンプしたものが出荷されました。中はじゃばらのボール紙でぐるぐる巻きにされています。
ここに紹介する2本目は中古で,改めて上のRH-2と同じアングルで写真を撮った。
RH-8 is a Metal-Glass Octal Type RF Pentode with gm 8 mA/V.
RH-8は,米国6AC7相当の12V高周波増幅用5極管で,我が国独自のシングルエンド型メタル・ガラス管である。相当するメタル管は開発されなかった。RH-8のベースピン接続はRH-4と同じで,米国6SH7/6SG7と同じ(米国8BK)の系譜です。特に8mA/Vという高gm管では接地が大事ですが,米国の6AC7は6SJ7と同じカソード引出し線1本の(8N)であるのに対して,2本の(8BK)を使用しているところが,後発の特徴で日本独自というところでしょうか。gmは8mA/Vですが,規格は場合によって6-8mA/Vと記載されている通り,ばらつきが大きく,8mA/Vは最大という感じです。シングル・エンド型のメタル・ガラス管で,グリッドをベースから引出しているが,バンタムステム(ピンチステムの短いやつ)ですから電極間容量Cgpは小さくすることができないのはRH-2, RH-4と同じです。
RH-8からロクタル双5極管のUL-6306が誕生しています。
PH-1は米国12V6GT相当の電力増幅用ビーム管で,我が国のマツダが1938-9年に開発したメタル管US-6V6の12V版ガラス管である。他のHシリーズの球と同様に1941-42年に開発された。Hシリーズには従来のピンチステム(ツマミステム,32mm程度)に代わり背の低いバンタムステム(17mm)が使われている。
12V, 0.25A (米国では12.6V,0.225A)
皿型ゲッタが2個。カソードは電極上部で不器用にg3フレームにつながれている。本サンプルは箱入り新品だが,箱は壊れ上蓋が紛失している。真空管はクッション付き段ボールで巻かれ,さらに包み紙で巻かれているが,包み紙は「仮名手本忠臣蔵四段目」の書き物が使われている。