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B(35). 227 Type Homemade Cathedral Radio in (1933-1935)/227型自作ミゼット・ラジオ, ('97.6.7) |
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B(152) 27A Type Homemade (Totsuka) in 1930s/縦型自作(トヅカ), ('01.8.26) |
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Y(151) Cathedral Cabinet in 1931/ダルマ型キャビネット, ('01.7.28) |
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Midget/ミゼット
ミゼット・ラジオとは小型ラジオのことですが,時代とともに「小さい」意味が変わりました。大蔵恭仁夫さん(MH'93.1)によりますと,今日の米国のコレクターの間では,ミゼットは1930sでは(380w, 380h, 250d/15"x15"x10"),1940sでは(150w, 150h, 150d/6"x6"x6"),マントル(横型)ラジオは(whd150から280/6"から11")と考えられているとのことです。
田口達也さん(ヴィンテージラジオ物語'93, p.62)によれば,米国Philcoが1930年(昭和5年)に縦型のキャビネット(カセドラル型)を発表し,好評だったので他社も追従して縦型の小型ラジオをミゼットとして売り出したのが,ミゼットの始まりのようで,我が国でも1936年(昭和6年)頃から米国の流行を受けてミゼット型のラジオが販売されたそうです。我が国ではカセドラルよりもミゼットの方が呼びやすいことから縦型ラジオをミゼットと総称して言うようになったとあります。ですから,我が国の初期のミゼットは縦型ラジオを意味していたことになります。しかし,時代とともに縦型だけでなく本来の小型ラジオ,背の低い正方形に近い小型ラジオやさらに長方形の小型ラジオまでミゼットと呼ばれるようになったと思われます。
From Cathedral to Flat-top Tallboy/カセドラルから縦型へ
木製といえば,キャビネットが縦長で頭が丸いカセドラル(教会堂)型のものは1930年(昭和5年)に米国Philico社が発表した20B型(ベビーグランド)が最初といわれ,翌年にかけて爆発的に流行したそうです。中身は米国ではTRF(多段同調ストレート検波受信機)からその後はスーパーヘテロダインに変遷しています。キャビネット・デザインは,コーン・ダイナミック・スピーカの時代ということもあって,大型のスピーカを如何に楽しく置くかが主題であり,高出力のアンプの機械部を下に置いて全体的に機能的なスピーカー・キャビネットを構成すると必然的に縦型となるというのは時代の要求であったように思えます。このデザインは米国内でも直ぐに各社が採用し,瞬く間に各国にも普及しました。欧州でもPhilipsが1933年頃にそのようなラジオを製造しています。
先進国のラジオ・メーカは他社に無い独自のラジオ回路と独特のデザインが対になって販売されましたが,我が国のラジオ回路構成は,並四,高一と標準化の傾向が強く,ダイナミック・スピーカは大型のマグネティック・スピーカに置き換えられ,各社ともキャビネットはデザインのみが楽しみの対象となったようで,着せ替え人形のように好みに合わせて購入できるようになっていました。カセドラルは我が国でも1931年(昭和6年)頃から1936年(昭和11年)くらいまで流行しました。しかし,カセドラルと前後して作りやすい四角い縦長のキャビネットや頭が三角のラジオ(ピリケン)も出現。ピリケンは1932-3年(昭和7-8年)頃の短期間の登場で,四角い縦長はカセドラル消滅後も生き残り,横型の流行時代にあってもしばらく製造され,1940年(昭和15年)位に終結しました。
さて,我が国のカセドラルは?1930年から1931年(昭和5年から6年)にかけて我が国ではまず金属キャビネット,金属シャーシが一世を風靡していました。猫も杓子も金属。現存する資料だけでも田邊商店コンドル(田邊商店カタログ, 田口達也ヴィンテージラジオ物語),早川金属工業シャープ(internet),OEMの高島屋ダイン(internet),銀水堂ラックス(internet),小菅電気工作所?オリジン(MH'92.9)。
それが,突如,木製ラジオに逆戻り。木製ながらシャーシは金属製。1932年(昭和7年)には松下の当選号が有名ですが,木製キャビネットとしては,スピーカ別置き型の最後だったでしょうか。木製の横型キャビネットにパネル付きの金属シャーシを挿入する形が登場,早川シャープもシャープダイン富士号33型を発売しています。そして,いよいよスピーカを内蔵する縦型ラジオが登場,1930年(昭和5年)と「でんでんのまち大阪日本橋物語」に書いてありますが,これはまさしくカセドラル(日本ではダルマ型?)が登場した年でありました。日本の着せ替え人形式ラジオの始まりではないかと思われます。シャープダインも1932年(昭和7年)にセパレート型といっしょにダルマ型を陳列販売している写真が残っています。
Radio Chassis/ラジオの中身
米国の最初のカセドラル,ベビーグランドは今日で言うストレート型で,放送周波数に同調した高周波アンプを何段も並べていることからTRF(Tuned Radio Frequency)型,「同調ラジオ周波数型」と米国では呼ばれているそうです。中身は224-224-224-227-171App+280で,傍熱型SG管(スクリーン・グリッド管)による高周波2段,同じくSG管による再生なしのプレート検波,そして傍熱型3極管による低周波増幅,そしてトランスによる位相反転,直熱3極管プッシュプルの出力,スピーカはフィールド・コイルによる外部励磁型ダイナミック・スピーカが使用されています。再生検波はもちろん,スーパーヘテロダインも既にあった時代ですが,いずれもアームストロング氏の特許を避けるためにこのような構成になっているとの話です。
シャーシは鉄製,バリコンは3連,ダイヤルはプロジェクション型,ダブルギア採用,同調コイルは円筒シールド缶入りでシャーシに立てられています。高周波増幅管224はいずれも鉄板製の衝立(ついたて)によってシールドされています。電源トランスは縦型で伏型カバーで挟み込まれたもの。平滑コンデンサは缶入りペーパーコンデンサ,その他の低周波はベークライト・ケース入りのペーパーコンデンサ,いずれもピッチ乃至パラフィン詰めとのこと。高周波はマイカコンデンサが使用されています。抵抗は炭素皮膜抵抗,巻き線抵抗,そして音声ボリュームに2連VRを使用しています。スーパーヘテロダイン時代の自動音量調節が無い代わりに,1つはSG管のスクリーン電圧を調整するVRで高周波1段と検波段が共通に調整し,これと連動してアンテナ入力回路も入力信号をVRで減衰させる仕組みです。このような部品が使われていました。ただし,ダイヤル照明用のパイロット・ランプも,電源のヒューズもまだありません。また,電源1次側へのシャーシ接地コンデンサもありませんでした。翌年のモデル70Bでは,ヒューズこそありませんが,パイロット・ランプとシャーシ接地コンデンサが採用されています。また,コンデンサは円筒形のケミコンがシャーシに立つようになりました。
我が国はまだ縄文時代,木製のシャーシに電気部品が並んだ前近代的なラジオで,並四,高一が主流でした。
初めは板のシャーシが使われました。
Three Tube Radio/並三
1931-32年(昭和6-7年)頃に,並三相当に段間アンプを省略した廉価な「貧乏人」向けの,UY-227, UX-112A, KX-112Bという構成も出現しました。日本古典ラヂオ同好会(93)(MH'99.4)に松井利夫氏が「ナナオラ100型受信機」を紹介されていますが,これによるとナナオラは1931年(昭和6年)8月にこの形式の受信機を設計し,年末までに製造販売したようです。このラジオはナナオラの説明書に「アパート,下宿,病室,旅館」向けに作られたと紹介されています。キャビネットは小型の木製箱で,中央にスピーカを配置,左右にツマミを配置したミゼットで,右側にはプロジェクション形ダイヤルの小窓がありました。その後のラジオ・キャビネットの原型といえるものでしょう。ただしシャーシはまだ木板であったようです。翌年のマツダ新報には東京電気発売受信機の「近距離用」として,オリオン3号(ピリケン型キャビネット),ツバメ2号(角を落とした縦長),ウサギ1号(ピリケン)が紹介されています。いずれも,UY-227, UX-112A, KX-112Bという構成で,ダイヤル窓はプロジェクション型,ピックアップ端子付き,定価は30円以上だったようです。「この頃はミゼット型と称してスピーカと受信機が小型の同一の箱の中に取り付けられたものが市場で流行しています。...また箱の材料も一時は金属万能のように思われましたが,この頃は美しく加工された木箱がまた盛んに出てきました。それからこの頃は蓄音器の電気拡大が流行していますから...ピックアップが付くようになっています」。1934年(昭和9年)のテレビアンのカタログには,最低価格帯に,放送協会認定(番号15013)のシャーシB-312(18円), 認定品でない背の低いミゼット・キャビネット入りM-12(21円),カセドラル型M-34(22.5円), そのシャーシのみA-34(13.6円)がありました。いずれも,UY-227(またはUY-27A), UX-112A(またはUX-12A), KX-112B(またはKX-12B)という構成で,「消費電力14W, 可聴範囲昼70km, 夜600km」でした。227を用いた並三は,ナス管からST管に形状が変わりましたが,その後もしばらくは生き続けました。1935年(昭和10年)になってもラジオ商のカタログにまだ登場します。例えば伊藤ラジオ商会では,自社のシャーシ・キット(ゴンドラセット)として,3球セットに27A, 12A, 12B, 14円というものを残しています。キャビネット(外箱)は希望の型があれば指定下さいとあり,ラジオと外観は独立であるという日本独特のラジオ世界を表しています。検波管27Aはまだ健在でした。しかし,さすがにキャビネット付きの並三型はゴンドラG2号型ポータブル(24B, 47B, 12B, 17円)へと移行し,僅かに日本号セット,3球ペントードセット(27A, 47B, 12B, 11円)というカセドラル・キャビネット入りを残すのみとなっていました。シャーシ227-3球(エレバム真空管,マグネチック2号型9inch付き,10.8円),電源トランス類も227型(1.5円)というのは健在でした。
このラジオはナス管時代最後のマグネチック・スピーカ付きの再生検波式3球ラジオ(並3ラジオ)です。キャビネットやシャーシにメーカ名は特になく,町のラジオ店が組み立てた自作品かもしれません。キャビネットのデザインが良く,骨董品店を飾っていました。
キャビネットは幾つかのひび割れや側面に糊の剥がれがありますが,保存状態は良い方でしょう。真空管はラジオが骨董品店にわたるかなり以前に持ち去られたようで,1本も残っていません。ソケットの記号から,再生検波に3極管UX-227, 出力管に3極管のUX-112A, そして半波整流管に2極管のKX-112Bが使用されていたことが分かります。ナス管は今でこそ歴史的価値が認められていますが,戦後の高度成長期にはただのガラス玉程度の価値しかありませんでした。
[年代についての追記訂正,'02.3.28] このラジオは当初,「使用真空管から1932-1933年(昭和7-8年)頃」と推定しましたが,その後,並3ラジオは1930-1933年(昭和5-8年)頃に登場したものの,ナス管は昭和10年頃まで使われたこと,キャビネットこそカセドラルではあるけれど,シャーシと部品が近代的なできばえであること,を考慮して,カセドラル末期の1933-1935年(昭和8-10年)頃に改めました。
シャーシ上は厚い埃と錆が積もり,それを清掃すると下地がようやく見えました。バリコンのロータの数枚が後ろのネジをいじったために脱落していましたが,簡単に修復できるようです。
球ソケットは同じUX型でも,後のST時代のUX型とは異なり大型の円板形であるからいくらか古い。かといって初期のバヨネット・ピン対応のUV/UX兼用型ではなくUX専用型である。アンテナ入力(HighとLow対応),PU端子,SP端子は全てテスターのリード線の接続コネクタと同じ1pのジャック形式である。絶縁物は黒と赤のプラスティック製のように見える。
[回路図と説明の追記,'02.3.28] 昭和8年頃に流行った並3である。検波管UY-227, トランス結合の出力管UX-112A, そしてチョークトランス付きの整流管KX-112B。スピーカはマグネチックでセントラルのNo.50.
内部配線には,綿線に混じって一部角メッキ銅線が残っている。しかし同時に青のビニール被覆単線も多く使用され,戦後の修理跡と考えられる。
スピーカは後ろにネジが2つあり,振動板のギャップが調整できるようです。後年のものと比べて外観上もできが良く,良いものだったようです。
(状態)
キャビネットは正面に大きなひび割れ,側面にもひび割れが見られる。側面は糊の剥がれが少しある。裏面の裏板はネジ留めであるが,ネジ穴部分が一部欠けている。
シャーシ上は全体的に赤錆びが広がっている。錆びの程度は軽い。ACの綿ケーブルは黒色木綿で程度が良い。これも戦後か?
(欠品)ダイヤル・ランプ,キャビ裏板のネジ6本,シャーシ後留めネジ3本
B1 35 97.6.7 40k Homemade-(水戸)ミゼット -33 WC S-3並3再生 ☆□○★▲○ 「昭和8年頃のナス管による自作ミゼット(カセドラル)並四ラジオ」 メーカ,形式不明。キットの可能性あり,回路図なし。 シャーシNo.4145, キャビネット底板の印字「T.S.C.」(Dialと同じメーカ), キャビネット:木製縦丸(カセドラル/ミゼット), サイズ: 235(255)w,330h,223(230)d ダイヤル:投影型。ツマミ: (1左)再生VC, (2中央)主VC, (3右)PoSW 周波数: 不明,仕様:Po=0.25?Wmax,AC100V,50-60c/s,?VA 端子:ACケーブル(穴),ポスト(SP)(SP)(E)(AL)(AS)刻印 シャーシ上面:ポスト(PU),(PU-E)刻印 真空管:*発見時球なし(ソケットの記号) UY-227 -- UX-112A -- KX-112B (部品) Dial: T.S.C Electric Co.Ltd (東京xx.xx電気)製 (プロジェクション型,フリクション減速,90度目盛,窓枠はFSと桜のマーク)。 VC:YS製(ステータ6枚,ロータ7枚)..羽根が2枚脱落, Midget VC:trade-mark(見えない) ANT-COIL:(ソレノイド型) SP: Center Radio Mfg Co.,(中央ラジオ製造会社)製 No.50, Baby Mag. Sp. PT:不明,AFT:(金属箱)(1:3?), CH: Chiyoda Radio Work (Tokyo)製(1:6)のAFTの2次側(G-F)を流用。 CHEM:(金属箱)は名前が無い CR: グリッド・リーク;Nihon Musen(日本無線)製 グリッドc;T.R.S.cap(.00025MFD) 巻線抵抗;OLIVE |
1931年(昭和6年)の大型キャビネット。当時の4,5球用。Yahooオークションで入手。
中身はありません。プロジェクション・ダイヤルのエスカッションにメーカー名は無く,キャビネット底部のシャーシ取り付け穴2個も拙劣な素人加工。自作ラジオが納められていたと思われます。年代は内面の紙に昭和6年8月とあります。米国でも1930年頃の流行ですから,翌1931年製だとすれば流行の先端。グリルのデザイン(切り方)は米国ではPhilco model 47(1934)やmodel 89 (1934)に見られるものと同じですが,キャビネット両側のギリシャ・ローマ風の柱や底板の縁取りは違います。
1933-1935年(昭和8-10年)頃のミゼット型ラジオ。自作。電気回路は27-26-26-12B型のただの並4である。箱のデザインは縦型としては良い方かもしれない。キャビネットは右側面上部に合板のめくれがあるが,今接着すれば修復は可能である。塗装がそうとう痛んでおり,天井などは一部吸湿して白くなっているので全面的にやり直す必要があるが,下地が堅固ならば全く問題ない。内部シャーシは壊れてはいてもオリジナル部品が相当あり,ばらして部品取りに使う手もあるが,一旦分解されてしまうと後に残らないので,形を保っているラジオは極力直した方が良い。これはそんな一台である。地元の骨董市で久しぶりに入手。
正面パネル。スピーカ・グリルのデザインは他のラジオにあったアルプスはスイス・チロル地方の牧場のラッパ吹きをコピーしたように思われる。(米国ではJackson-Bell model 84, 1931年, のキャビネットにラッパ吹きがある,屋根の形状も同じ)。元絵の方は躍動感があるが,この絵ではプロレスラーのような筋肉マンがただ突っ立ってラッパを吹いているだけである。コピーの遠慮のためか図柄も左右が逆になっている。同調ダイヤルは松下の広角型の窓に似ている。ツマミは3つとも揃っている。機構部品が突き出た部分だけはキャビネットと別のパネルになっている。
清掃前のシャーシ。ホコリが堆く積もっていた。真空管もなんだか見えなかったが,清掃をしてはじめて本来の姿が確認できた。
スピーカの抵抗はほど1 kohmで活きているらしい。清掃前。[スピーカ]は緑と黒のまだら塗装である。コイル部には丁寧にカバーがしてある。名のあるメーカ製ではないかと思われるが,銘板が無い。
キャビネット清掃後。箱の作りは,ラジオのダイヤル窓やツマミ類の部分が独立したパネルを使うことを前提とした,木製シャーシ時代の古い型である。しかし,鉄製シャーシを用いており,代わりにそこらの木材パネルで代用してある。そのため,機構部品を取り付けるパネルには塗装がない。
スパイダーコイルは自作お決まりのコース。シャーシ右の電源トランスは金属箱の大型で,Totsuka Radio Works T-220とある。放送協会の認定証がある。中央に金属箱の大型ケミコンが見える。本来はシャーシ下に配置すべきもので,変則的な配置である。またチューブラ型ケミコンとL型抵抗2本が見える。後の時代に持ち込まれたものだろうか。左のAFTはAF-Transとある。バリコンは大型で,シャフトに100度目盛りの円盤がある。真空管ソケットはUX-226用だけは一般と異なる構造のもので電極4つ分の鳩目が周囲に使用してあるが,その鳩目がシャーシ穴の縁に当たっているので紙を挟んで絶縁しているという,アマチュアならではのきわどい構造である。
真空管は全て東京電気マツダ製で,ST管は全てベースにマツダのレリーフがある。少なくとも1935年前後に挿入されたままであろう。またナス管はマツダ・ランプと表示がある。これはオリジナルかどうか不明。UY-227にはシールド・ケースが付く。
背面パネルには左より,ACケーブル,次の2つ穴には95V-105Vのヒューズ箱が付くのではないかと思われる。シャーシ上にはスピーカ用の2P端子板がある。また背面の2Pはオーデイオ用?そして右端には3Pのアンテナ端子がある。
シャーシには使われていない穴が幾つかある。また,中央のバリコンの穴は不器用に開けられ,バリが出ている。再生バリコンは取り付けが曲がっている。異なる形のAFTが2個見える。シャーシ上の物と比べてかなり小型であり,また裸であるので,これらは後の時代のものかもしれない。左下にはパワートランスの穴があり内部にモールドされてないトランスが見える。金属箱はピッチ詰めではなくただの金属カバーだった。右上にはマイカドンとガラス管入りのグリッドリーク抵抗。左上にはスピーカと並列のマイカドンが見える。バリコンも良いもの。ハンダは取れている箇所がある。当時のハンダは鉛が多かったのか?十分な強度が無い?電源トランスから95V-105Vの選択をシャーシ背面で行うよう穴に配線が出ているが,ヒューズソケットが省略されており,直付け配線である。危ない。