|
|
|
|
|
| ||||
|
| |||
32_super. Superhet tubes/スーパー用真空管 |
32_36to39. Early-time 6.3V tubes; |
32_63IMa. Industory & Millitary (I) |
13B.ST Audio Tubes before WWII/ 戦前の電蓄用ST管 |
3. Audio Tubes for Console Set and Commercial Use/電蓄用と業務用のオーデイオ管 | |||||||
|
|
| |||||
|
71 |
45 |
2A3 |
2A3H |
6A5 |
80 |
5Z3 |
|
Japanese UX-45 |
|
|
|
|
| |
UX-Cho 45 |
UY-10H |
UY-71H |
UY-45H |
UY-6A3B |
80K |
| |
|
see 32_63IMb. Industry & Military(II) Japanese 6.3V ST tubes of American Octal |
|
| ||||
|
|
| |||||
801A |
46 |
|
59 |
53 |
82 |
83 | |
|
|
no sample |
|
|
|
Japanese | |
|
|
|
|
|
|
|
|
オーディオ用真空管は,1932年頃から,米国ではナス管時代からST管時代に移行しました。まず2グリッドの46が発表されました。3極管接続では従来の245類似の性能を持つ他,スクリーングリッド4極管として働かせると高能率のB級増幅管として大出力が得られ,PA(屋外拡声器)用に活躍しました。形状はナス管でしたが,1933年頃からST管に変わりました。整流管としてレギュレーションの良い水銀蒸気入り82, 83も合わせて登場しました。国内ではUY-46,HX-82, HX-83として登場。我が国では,B級増幅管に小型化が図られ,UY-46B, UY-46Cが作られ,さらに専用の水銀蒸気整流管HX-280, HX-112B, HX-80B, HX-112D, HX82B, HX83Bと賑やかな品種が登場しましたが,すぐに消えて無くなりました。
一方,電蓄用の3極出力管は,1933年頃,245をパワーアップした出力用3極管2A3が登場しました。整流管も合わせて水銀蒸気整流管83の高真空型といわれるKX-5Z3が登場しました。2A3はその後,米国で傍熱化されて,2A3H, 6A5Gが登場しました。我が国では6A3Bが作られています。
UX-71Aは,オーデイオ用の直熱型3極出力管UX-171A(米国1926年, 国内1928年)のST版で,米国71Aは1931年頃,国内では1934-35年頃に作られたようです。国内ではラジオには出力が大きすぎ,オーデイオ用にはUX-245/UX-45より出力が小さいので,業務用とその保守用に製造され,開戦の頃は廃止管の候補となっていました。
UX-45は,オーデイオ用の直熱型3極出力管UX-245(米国1928年, 国内1930年)のST版で,米国45は1931年頃,国内では1934-35年頃に作られたようです。出力の手ごろさもあってアマチュアのオーディオファンの人気ナンバーワンでした。1935-36年頃にはドン真空管から改良版のUX-超45も発表されました。
UX-45の販売状況ですが,1935年1月の富久商会のカタログにはまだマツダはUX-245のみ販売,エレバムは掲載なしでした。しかし,7月の伊藤卸商報ではマツダが旧式のUX-245が1.95円に対して,ケーオー真空管UX-45が1.55円,エレバムUX-45が1.80円,ドンUX-45が1.40円という具合に登場しました。この頃に一斉にST化したのでしょう。1940年にはマツダ2.80円,エレバム2.40円,ドン2.40円(超45は3.00円),HW真空管1.26円でした。戦後は作られなかったので,意外と短い命でした。
|
Base |
Outline |
Ef V |
If A |
Class |
Eb V |
Eg V |
Ib mA |
rp k ohm |
gm mA/V |
RL k ohm |
Po W |
mu |
UX-45 * |
1;f, 2;p, 3;g, 4;f |
D=45, L=113 mm |
2.5 |
1.5 |
A A A ABf ABs |
180 250 275 275 275 |
-31.5 -50 -56 -68 775ohm |
31 34 36 35x2 36x2 |
1.650 1.610 1.700 - - |
2.125 2.175 2.050 - - |
2.7 3.9 4.6 3.200 5.060 |
0.825 1.6 2.0 18+ 12+ |
3.5 3.5 3.5 - - |
UX-cho-45* |
1;f, 2;p, 3;g, 4;f |
D=52, L=130 mm |
2.5 |
1.8 |
A ABf ABs |
250 300 300 |
-50 -65 1000orm |
40 32x2 32x2 |
1.100 - - |
3.60 - - |
3.5 3.5 5.5 |
3.0 12 8 |
4.0 - - |
UX-2A3* |
1;f, 2;p, 3;g, 4;f |
D=52, L=130 mm |
2.5 |
2.5 |
A* ABf ABs |
250 300 300 |
-45 -62 -62/750ohm |
60 40x2 40x2 |
0.8 - - |
5.250 - - |
2.5 3.0 5.0 |
3.5 15 10 |
4.2 - - |
2A3は45系の後継品種として,RCAが1933年頃に発表したオーデイオ用の直熱型3極出力管。ガラス管は始めからST管でした。2A3は245の電極構造を2倍に大型化したような球(今日で言う1枚プレート型)で,特性も245を2本並列接続したような性格を持っています。電極構造はその後,45のプレート中央に放熱フィンを付けたものを2連結したような格好になりました。開発当時,米国の民生用管の名称は,数字2桁がいっぱいになり,新たに,(ヒータ電圧)+(アルファベット)+(ベースの引出線の数)風な名称制度を発足させました。2A3はそのような名称制度の最初期の球です。日本では,東京電気がUX-2A3として1934〜1935年頃に国産化しました。(3X-A2/UX-2A3の項を参照のこと)。
当時製造したのは,今で言う「1枚プレート型」でした。これはフィラメントが逆Vを10個直列に繋げた形で,上部には1本の金属棒を横向きに配置し,また下部は左右に各1本の金属横を横向きに配置して,下部ではフィラメントをそれぞれ5回づつ巻き付けて折り返し逆Vの頂点ができるようにしたもので,上部では端からはじまって中9回巻き付けながら折り返したもので逆Vの足が11箇所できることになります。フィラメントの給電は下部から行い,片側5個の逆v5が並列に給電され,上部の金属棒がフィラメント電位中点となり,さらに他方の5個の逆v5が並列に給電されるという形です。これは当時でも量産に向かない構造と書かれており,苦労したようです。フィラメントは心線をこの形状に作った後水素炉でクリーニングと焼き鈍しを行って制作寸法に成形した後バリウム炭酸塩を被覆する方法で制作するが,電極の組立時に傾き形状を壊すために特性不良やIpが適当でないものが多い傾向があったそうである。また,発表最大許容プレート損失に対しプレート設計に多少無理があったように考えられ,1934年頃にはRCAはプレート形状を2個並列としフィラメントも制作容易なW型2本を用いる構造に改良した。東京電気は1940年には2枚プレートに変更したそうである。
Tokyo Electric (Toshiba) Matsuda UX-2A3 Single Anode/東京電気(東芝)マツダ UX-2A3 1枚プレート,京都府の辻野 泰忠さん寄贈。
2A3-Hは2A3の傍熱型の3極出力管で,大塚久氏によれば1937年Raytheonの開発,ヒータ規格を除いて2A3と同等の特性を持つそうです。この球は傍熱型にも関わらず,UX型のベースを用いており,カソードはヒーターの片側に接続され,独立した引き出し線は持っていないので,従来の2A3の置き換えを目的として開発されたことは明らかです。傍熱型のメリットはハムの低減と防震対策にあり,特に後者は機械的な堅牢さを要求される軍用機器では重要だったと思われます。
(推定)2.5V, 2.8A, 250V, 60mA, -45V, 0.5K, 5.25mA/V, mu4.2, RL=2.5k, Po3.5W
(大塚久氏の測定値)2.5V, 2.6A, 250V, 60mA, -47V, 2.9mA/V,
構造は,写真で見るように,小型3極管56(2.5V/1.0A)が3本連結しているようなスタイルです。
Unknown Maker, 2A3H made in USA?/米国製と思われる2A3-H, 京都府の辻野 泰忠さん寄贈
電極は56などの小型3極管を横に3つ並べてのプレートだけを結んで一体構造にしたような球になっています。写真では見えない裏側にはプレート片面にさらに楕円筒を半分に切ってプレートの両端に接続したような放熱板が付いています。
6A5-Gも米国2A3族です。先の2A3Hが2A3の傍熱型であったのに対して,6.3V管にも傍熱型6A5-Gが作られました。1937年,Sylvaniaの開発といわれています。2A3の6.3V版とくれば,フィラメント電圧を単に6.3Vにしただけの6A3,そのオクタル版6B4-Gが有名です。ところが,軍用機器の需要が無かったのでしょうか,先のRaytheonの2A3-Hの6.3V版(6A3の傍熱型)6A3-Hは知られていません。しかし,6B4-Gの傍熱管ともいえるオクタル・ベースの傍熱管6A5-Gが作られました。
6A5-Gのピン配置は6B4-Gと互換性があるように4本の引き出し線が配置されているのですが,それに加えて,カソードとヒータの中点が接続され,外部に引き出されているので,1本多いのです。このピンはカソード電位を正確に決定するためのもので,6A5-Gの構造ならではの独特のものと言えます。2A3や6B4Gではフィラメントに並列に外部抵抗を接続し,その中点を接地,またはバイアスを加える使い方をしますが,6A5-Gは8本のカソードを持つ特殊構造をしており,フィラメント電圧の中点は必ずしもカソード電位とはなってくれません。逆に8本のカソード引き出し線さえあればフィラメント中点に結ぶのは不要に思えるのですが,これですと6B4-Gとの互換性を失ってしまいますし,カソード・フィラメント間の耐圧がとれないことも問題です。互換とはいえども,カソード・バイアスやハム・バランスなどに微妙な調整を要する用途では5本足をフルに使わねばならないようです。
6.3V, 1.25A, (6T, 16-3) 250V, -45V, 60mA, 0.8k, 5.2mA/V, mu4.2, 2.5k, 3.75W
(6B4G)
6.3V, 1.0A, (5S, 16-3) 250V, -45V, 60mA, 0.8k, 5.25mA/V, mu4.2, 2.5k, 3.2W
6A5-Gの開発年代は定かでない。オクタル・ベースのガラス管(G管)が現れるのは1937年とされているが,登録名5シリーズのアルファベット順で行けば6B5, 6C5, 6D5よりも古く1935年頃となる。しかし,ベース・コード順6Q, 6R, 6S, ..に並んでいると仮定すれば6X5(6S)よりも後で,1F6(6X)よりも前となるので,1936-1937年頃の開発と思われる。
Name |
Base Code |
Outline |
Date |
6C5 |
6Q |
8-1 |
1935 |
6E5, 2E5 |
6R |
9-26 |
1936 |
6X5 |
6S |
|
|
6A5-G |
6T |
|
|
6D5 |
? |
|
|
: |
: |
|
|
1F6 |
6W |
|
1937? |
1A5GT |
6X |
|
|
: |
: |
|
|
6B5 |
6AS |
14-1 |
|
フィラメントは釣竿吊りのM形で,フィラメント中点は電極下部で金属ベルトにより他方のユニットの中点に結ばれている。しかし,この球は傍熱型であり,カソードスリーブがあるはずだがフィラメントに陰極物質を直接被覆しているようにしか見えない。良くみると中点にはフィラメント2本の他にもう1本金属ベルトが接続され,これがプレートに向かって伸びている。プレート下部の内部でカソードに接続していると思われる。大塚久さんがMJ誌95.8, オーデイオ管の系譜(16)でSylvaniaの6A5-Gを紹介しているが,そのモデルはプレート上部でM型フィラメントをショートするような横バーがありこれが中点に結ばれているとのこと。M型とは4本のカソードスリーブが直列につながった構造だったのである。Raytheonは下部で接続しているのだろう。それにしても,カソードスリーブが見えない程細いのでは,ヒーターカソード間の絶縁抵抗はほとんど期待できないはずだ。
5Z3は1933年に米国RCAが出力管2A3を発表するに当たり併用すべき整流管として発表したST50型の全波整流管。水銀入り整流管83を高真空にしたものといわれる。「大電力を必要とする交流受信機や拡声機の整流装置に使用する(マツダ51)」。高真空の全波整流管280/80の2倍の電流が取り扱える。その後,1937年にオクタル・ベース化した5U4-Gも発表された。
国内では,5Z3は東京電気(東芝マツダ)が1933-34年にKX-5Z3(1955年以降は名称を5Z3に変更)として国産化し,戦前には大電流用の主流をなした。
戦後作られた国産の5Z3のサンプル
「米国型整流管のページ(Audio_Rec_US)」に紹介しているので参照ください。
46は米国RCAが1932年に発表した2グリッドの直熱型4極出力管。グリッドの接続を変えることによりA級増幅とB級増幅のアンプになります。名称は2桁ですがナス管で翌年にST管になっています。その後継には翌年の1933年3グリッドの傍熱型5極出力管59が登場しています。
46は国産ではUY-46として1933年にデビュー。後継の59はUT59として1933-34年にデビューしています。
UY-46;エレバムは1933年はじめにB級電力増幅管UY-46を水銀入り整流管HX-82とともに発表しています。ともに形状はナス管だったと思われます。東京電気も同じ年に,UY-46をHX-82, HX-83とともに国産化しています。浅野勇氏*は「(初期の国産UY-46は)大変弱くて数時間の連続使用でばてる球があって,常に予備が必要で,大変閉口したことが思い出されます」と書かれています。
また米国46が我が国で国産化された時には「B級のカルチャーショック」を受けて,さらに小型の経済的な真空管を夢見た,今となってはマイナーな品種の開発が行われました。
UY-46B;エレバムは1933年7月にB級電力増幅管のUY-46の小型版としてUY-46B(卸1.80円)を,水銀入り整流管HX-82B,HX-112Dとともに発表しています。これらはナス管でした。UY-46Bは1935年7月卸1.50円でUY-47Bと同じ価格でしたので,電極規模はほぼ同じだったと思われます。規格は表の通りです。
UY-46C;東京電気は1933年後半?にUY-46とともに小型版としてUY-46Cを作っています。規格は表の通りで,エレバムUY-46Bの規模よりも小さいからUY-46Cは水銀入り整流管HX-1に対応する大きさだったと思われます。
これらマイナー品種は省電力の小型化を夢見たものですが,浅野勇氏*は「UY-46B, UY-46Cは明らかに失敗作で,電流変動の激しいB級増幅では電源部のスケールにも大きなものが必要になり,...,日本的な経済感はもろくも崩れ去ってしまいます。特にUY-46CのB級増幅で出力4.2Wは,電池式として作られた後のUZ-19のパラレルでも十分で」と書かれています。水銀入り整流管も用意しましたが,起動に時間がかかりメンテナンスが面倒で小型化のメリットはそれほど無いとされ,小型のB級増幅の流行は1935年頃までで1937年頃には姿を消しました。
|
Base |
Outline |
Ef V |
If A |
Class |
Eb V |
g2 |
Eg V |
Ib mA |
rp k ohm |
gm mA/V |
RL k ohm |
Po W |
mu |
UY-46 * |
|
|
2.5 |
1.75 |
A B B |
250 300 400 |
=p =g1 =g1 |
-19.5 -15 |
22 4x2 6x2 |
2.28 - - |
1.7 1.45 |
6.4 5.2x2 5.8x5 |
1.25 16 20 |
5.6 - - |
UY-46B* |
- |
S-45? |
2.5 |
1.0 |
A B |
135 300 |
=p =g1 |
-15 0 |
20 4x2 |
2.28 - |
2.5 - |
- - |
- - |
5.5 - |
UY-46C Matsuda 51+ |
JES-5A 1;f, 2;p, 3;g1, 4;g2, 5;f |
Fig.47 S-45 D=45+/-1, L=112+/-5 mm |
2.5 |
0.5 |
A* Bpp* B+ |
135 300 300 |
=p =g1 - |
-33 0 0 |
20 3x2 4 |
1.5 - - |
2.25 - - |
- 1.5x2 6 |
- 4.2 3 |
4 - - |
59は米国で1933年に登場した3グリッドの傍熱型5極出力管です。国産では東京電気マツダなどによりUT59として1933-34年にデビューしています。エレバムも1935年7月に新製品Ut-59の広告を出しています。(エレバムは1939年1月5.5円)。A級増幅ではUZ-2A5にかないませんが,B級ppでは20Wでます。しかし,この球は2.5V管のみで,6.3V管は無く,さらに後継品種も出ませんでした。(米国ではMajesticなどにより59Bが作られましたがマイナーな存在だったようです)。下記の例を見ても3極管接続のB級動作であり,米国では以後,B級増幅は3極管だけが残り,UT-53/UT-6A6の系譜が6N7へと繋がりました。受信管だけで見る限り,5極接続は2A5から,さらにビーム出力管6L6の開発により,大出力のものはUY-807ppなどに引き継がれたようです。ただし,この球は,実は送信管へ引き継がれたようです。UT-802が米国で1936年頃に開発されています。なる程,プレートの形状もそっくりで,UT-59がトッププレートになったのがUT-802のように見えます。
国内ではUT-59はその後,東京電気マツダが送信管へと発展させて,独自にUY-59A+, UZ-59B++(g3はpに内部接続, グリッドフィン, プレートフィン付き)を作っています。ただ,これらは試作品や特殊な軍用のものであったと思われます。戦後の東芝マツダの規格表には記載が無く,忘れ去られた存在となっています。
+)マツダ新報,1936. (京都府, 野良猫商会,益田さんの情報提供による)
++)現物が,mixseeds岡田章さんの写真。
|
Base |
Outline |
Ef V |
If A |
Class |
Eb V |
Esg V |
Eg V |
Ib mA |
Isg mA |
mu |
rp k ohm |
gm mA/V |
RL k ohm |
Po W |
UT-59Matsuda 51+ |
JES-7A 1;h, 2;p, 3;g2, 4;g1, 5;g3, 6;k, 7:h |
Fig.51 ST-50 D=50+/-1, L=132+/-5 mm |
2.5 |
2.0 |
A-triode A- pentode B- triodde pp (1) (2) |
250 250 300 400 |
- 250 =p =p |
-28 -18 0 0 |
56 35 20 26 |
- 9 - - |
7 100 - - |
2.3 40 - - |
2.6 2.5 - - |
5 6 4.6 6 |
1.25 3 15 20 |
59B++ |
UZ-42に同じ |
|
2.5 |
2.0 |
|
250 |
250 |
-18 |
35 |
7 |
100 |
40 |
2.5 |
|
|
Matsuda UT-59 and Top Electrode, (写真提供, 京都府の辻野 泰忠さん)
Toshiba Matsuda UT-59 Tm(刻マツダ, 黒P, 天マツダ, セ2) 070416
82は米国RCA/WestingHouseが1932年に発表した水銀入りの両波整流管で,B級電力増幅管46を発表するに当たり電源に高いレギュレーション性能を確保する目的で電流容量の大小2つの水銀蒸気整流管を用意しました。小さい方が82でKX-280/80を改良した水銀蒸気整流管といわれます。我が国ではエレバム,東京電気マツダが1933年に国産化しています。東京電気マツダはHX-82を作るにあたりガラス管に初めてST管を採用しました。(そう書いたのですが,ナス管が存在しました。つまり,当初より2桁名で発表されたのですが,形状はナス管だった訳です。)
1933年7月卸,マツダHX-82が3.465円。エレバムはHX-82を2.90円,1935年マツダHX-82が2.93円。HX-83が4.23円,1939年マツダHX-82 3.59, エレバムHX-82が3.00円。
82は使用例が少なかったと見えて,米国でも余りお目にかかれないようです。
なお,82は80を原形に作ったと言われる割にフィラメント2.5V/3Aで似ていません。整流用は5Vが一般的?ということで,我が国では82から更に5V版が誕生しました。それがK.O.TronのHX-280です。きっとナス管だったのでしょう。東京電気マツダもHX-80を作りましたが販売されたかどうかは知りません。
Tokyo Electric Co. (TEC, Toshiba) Matsuda HX-82 and Box, (写真提供, 京都府の辻野 泰忠さん)
83は米国RCA/WestingHouseが1932年に発表した水銀入りの両波整流管で,B級電力増幅管46を発表するに当たり電源に高いレギュレーション性能を確保する目的で電流容量の大小2つの水銀蒸気整流管を用意しました。大きい方が83でフィラメントが5V/3Aでした。82の2倍も大きな出力が得られます。これは新しい設計だったようで,同じ構造の高真空整流版を後に作りました。それがKX-5Z3です。両者とも用途により使い分けられ戦後まで使用されました。83は米国で戦後作られた真空管試験機TV7/Uにも使用されています。
我が国ではエレバム,東京電気マツダが1933年に国産化。1935年マツダHX-83が4.23円,1939年 エレバムHX-83が4.40円でした。
TV7/Uの保守用に入手したものを後で紹介します。
サンプル未掲載。JAN 83 Philips ECG 822/9, 8213 EAP, Box (55,53>40)
Tokyo Electric Co. (TEC, Toshiba) Matsuda HX-83 and Box, (写真提供, 京都府の辻野 泰忠さん)
HX-83 Tm(ガラス白印字, 天マツダ, p黒部分剥離, ゲッタなし, 真空もれ) box, 東京電気株 060908 [8gL]
サンプルはありません。
米国で82, 83が発表された翌年の1933年,我が国でも同種のものが国産化されていますが,それらの品種の他にマイナーな品種の開発が行われました。
HX-280/HX-80;まず,HX-82はKX-80の改良といわれますが,ヒータ電圧は2.5V/3AでKX-280とは似ていません。何故か83のヒータ5V/3Aの電圧だけを単純に半分にしたように見えます。そこで,我が国ではフィラメントもKX-280と同じ5V/2AとしたHX-280/HX-80が1933年に作られました。K.O.真空管は「熱陰極水銀両波整流管」HX-280を1933年に実際に販売し,また東京電気はHX-80の製造の記録がありますが販売したかどうかは不明です。1933年7月卸,K.O.トロンのHX-280は2.50円。1935年K.O.トロンHX-80が1.63円でした。
HX-112B/HX-12B, HX-280B/HX-80B;さらにK.O.トロンは1933年頃「熱陰極水銀半波整流管」KX-112B/KX-12Bを,次いで1934年頃?「熱陰極水銀中間半波整流管」HX-280B/HX-80Bを作り販売しました。これらは,高真空のKX-112B,KX-280Bに対応していたものと思われますが,B級電力増幅管としてはK.O.トロンはUY-46しか製造していませんので他の小型出力管用に開発されたように見えます。1933年7月卸,K.O.トロンのHX-112Bが1.20円。1935年HX-12Bが0.72円でした。また1935年にはHX-80Bが1.08円でした。
HX-112D/HX-12D, HX-82B;一方,エレバムは1933年7月に小型B級電力増幅管UY-46B(卸1.80円)とともに5V用水銀入り整流管KX-82B(卸2.90円),片波水銀入り整流管HX112D(卸2.10円)を作り販売しました。これらは全てナス管でしたが,その後ST管になり1935年エレバムHX-82B,2.50円,HX-12Dが1.80円となっています。
HX-83B;エレバムは1935年7月HX-83B,卸3.30円を掲載しています。どんな品種か不明ですが,HX-83が3.50円でしたのでそれ程価格差はありません。
HX-1;東京電気マツダは1934年にHX-82, HX-83とともにKX-1Vの原形で水銀入り整流管と思われる小型半波整流管HX-1を作っています。6.3V, 0.3Aで350V, 50mAでした。なお,KX-1Vは1935年に国産化しています。またUY-46とともに小型B級電力増幅管UY-46Cを作っています。
これらマイナー品種は省電力の小型化を夢見たものですが,水銀入り整流管は起動に時間がかかりメンテナンスが面倒で小型化のメリットはそれほど無いとされ,流行は1935年頃までで1937年頃には姿を消しました。