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Root of Sweep Tubes |
0. Introduction/はじめに | ||
1. Begining of TV Sweep Tubes/水平偏向出力管のはじまり | ||
1.1 British Tubes Before and During WWII/英国の戦前,戦中の球 | ||
1.2 American Tube 807 Before and During WWII/米国の戦前,戦中の球-807 |
1.3 British EL38/6CN6 After WWII/英国戦後のEL38/6CN6 |
1.4 American 6BG6G After WWII/米国の戦後の6BG6G |
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TVの真空管と言えば何と言っても水平偏向出力管でしょう。TVの中では最も大きな真空管で見栄えがするし,小粒だが価値あるチューナの高周波増幅管とともに最も高価な球でした。水平偏向出力管は星の数ほど作られたのですから,真空管を少しでも持っている人なら1本や2本の手持ちはあるものです。まして,アマチュア無線家なら廃品のTVから何十本も集めたことがあるでしょう。真空管TVは5年も使えば寿命が来ましたが,保守用の真空管も多量に供給されたので,販売店には今日でも大量のストックが見つかります。コレクションの中には,MJ誌などに広告を出している真空管店を通じて購入した新品球もありますが,歴史的価値があり,見ていて楽しいのはやはり中古球でしょう。私がここで紹介する球もその多くは,中学時代に廃品TVから集めたジャンク球,近年家を整理した友人から譲り受けたジャンク球,電気屋さんを廃業した人から只で譲り受けたストック球などで,一部は業務用ゴミ箱からオシロスコープの保守用の未使用廃棄品,MJ誌の交換欄を通じて中古品なども集めました。
Tube Varaety/品種の多様性
品種の多様さは随一で,初期の頃にはブラウン管の大型化と扁平化,また中期にあってはカラー化と低価格競争,後期にあってはトランジスタとの住み分けにより大電力化に拍車がかかり,絶えず新しい品種の開発とマイナーチェンジが繰り返されました。TVの低価格競争の結果,真空管メーカは大量生産による薄利多売を余儀なくされ,製造設備は巨大化しました。このため,受信管の価格は急激に下がる一方,品質と性能は飛躍的に向上しました。この恩恵はTV産業だけにとどまらず,アマチュア無線やオーデイオにも及びました。特に水平偏向出力管はVHF帯までの送信機の終段管に高価な送信管の代替管として流用されるようになりました。また,水平偏向出力管はオーデイオ・アンプの出力管にも流用されましたが,これを改造したオーデイオ用出力管も登場しました。
No History/歴史が無い
ここで水平偏向出力管の歴史を振り返ってみると,意外や意外,系統だった解説やまともな論文にはお目にかかれないことが分かります。何故でしょう?学術的な見地からすると,水平偏向出力管はRCAが1936年に発表したビーム管に属するようで,数々の新品種には目新しい技術は存在しない,メーカ各社が展開した開発競争は製造上のノウハウや販売戦略の道具でしかない,というのが理由のようです。それでも,新しい品種が誕生するたびに何か新しいことが盛り込まれています。その半分以上は新しい材料の採用にあったかもしれませんが,我々ユーザにとってはどの真空管のどの時代の製造分からそれが採用されたか知りたいものです。さらに一部には明らかに真空管の構造に関する新技術,例えばプレートの形状の変更(キャビトラップ・プレートなど)も見られます。技術レポートくらいあるかと思うと,これまた見あたりません。学術的には新技術ではなく新商品の扱いを受けているのかもしれません。ここでは,入手できる限りの資料を駆使して私のコレクションを中心とした歴史を書いてみたいと思います。
TVの水平偏向出力専用の真空管の開発の歴史はビーム出力管6L6の誕生(RCA,1937年)とともに始まりました。今日の水平偏向出力管の全てのルーツは6L6と思われます。ただし,RCAのビーム管の定義はグリッドの目合わせとビームプレートの2つですが,欧州には6L6以前からビームプレートの無いビーム管「クリティカル・ディスタンス管」や6L6を越える高性能の5極管も沢山あったことが知られています。私が知る限りでは,ビーム管の誕生以降も新しい水平偏向管の誕生には常に欧州の新しい技術が反映されているように思えます。
英国は1936年11月に正式放送を開始し,1939年に戦争により中断するまでに受像機は2万台に達したそうです。米国ではやや遅れ第2次世界大戦が始まる直前の1941年にTV放送が開始され6つの放送局と約1万の受像器がありました。日本では1941年5月に定期的な実験放送開始しましたが6月末に中止し,本放送には至りませんでした。そんな訳で,水平偏向出力管はTVが最も進んだ英国で発展し,次いで米国で戦後発展の芽が育った,と思われます。日本ではどんな球が使用されたかの資料はありません。
最も進んでいたはずの英国ですが,残念なことに当時の欧州の球については直接の資料が見あたりません。そこで1950年代の英国の真空管マニュアルから初期の水平偏向管(Line Time Base Amplifier/ライン時間基準アンプ)を拾い上げてみました。
Mazda AC6/Pen (4V,1.75A)
Mazda Pen46 (4V,1.75A)
Mazda 6P28 (6.3V,1.1A) ... EU Valveのphoto Galleryに写真
Mazda 20P1 (38V,0.2A)
Mazda 20P2 (38V,0.2A)
Cosser 61BT (6.3V,0.7A)
Cosser 62BT (6.3V,1.27A)
Cosser 185BT (18V,0.45A)
Cosser 185BT-A (18V,0.45A)
MOV KT44 (4V,2A) ... 大塚久氏の「クラシックヴァルブ」に写真
MOV KT45 (4V,2A)
MOV KT36 (26V,0.3A)
一方の米国も放送開始当時の資料はありませんが,戦時中(1941〜1944年)の資料から民生用のTV専用管は無かったことが分かります。ミサイルの誘導用に開発されたTV装置の資料に使われた球の種類が紹介されています。ブラウン管7CP1に対して水平偏向出力管にはメタル管の6L6または送信管807(6L6をトッププレートとした直系,日本ではUY-807という名称),ダンパー管には6ZY5Gあるいは6X5GT,高圧整流には8016(1B3相当)が使われました。
ただし,業務用としては,Western Electricが807相当のWE-350Aを造り,さらに戦時中には,航空機搭載のレーダー用にトップ・プレートを廃止して再び6L6系に戻したような6AR6を開発したそうです。名称は後のRETMA/EIAですが業務管です。詳しくは「がー」さんの「6AR6とその仲間」を参照。
米国では1937年に807が登場しています。初期の807は、ステアタイトのベースを用いたほか、ヒーターリード線の引き回しが下部マイカ板内を通る方法で、メタル管の内部構造を踏襲した方法を採用していました。日本では1940年にUY-807を国産化しました。米国では、戦時中にヒータの引き回し方法は改められたようですが、国産のものは、1938年につくられたUZ-6L6Aや1940年以降つくられたUY-807、UY-807A、807Bを含め、全て旧方法を忠実に再現した作りでした。このヒータの引き回し方法は、国産初期(1941年)のUY-807などに見ることができます。
さて、ここでは,807の例として戦後日本のUY-807を紹介しておきましょう。
UY-807s, made in Japan, after WWII, from left, Matsushita-National in 1950s, NEC in June 1959 and Toshiba-Matsuda in Oct 1957/
戦後日本のUY-807。左から松下(ナショナル,1950年代),NEC(日本電気,1959年6月),東芝(マツダ,1957年10月)。
松下製とNEC製の電極構造は全く同じで,細部に差異が見られる。共通点はプレートと上部または下部マイカ板との間にはステアタイト製の角型スペーサが挟まれ,蒸発物質の凝固による電気的絶縁低下と熱伝達によるマイカ板の水分析出を防止していること。加水分解シールドの役割を果たしている。これは戦後の技術?細かな違いを見れば,松下製はプレート表面は黒光沢処理,ゲッタは大型の棒状角型ゲッタ1つ。上部マイカ板には第3グリッド(ビームプレート)とGプレート間に絶縁を良くする切り込みもある。ベースには管名の印字があるがこの球に限って?松下特有の製造番号が無い代わりに,マイカ上に日付を意味する?記号(8 23)があった。一方のNEC製はプレート表面は燻し灰色。ゲッタは良く見られる小型の角型を2つ重ね合わせたものが2つ付いている。ガラス裏面に印字(製造コードI6と日付1959-6),PAT 173952,189943の表示がある。ガラス管トップ・プレートの金具付近にHの印字あり。これはUY-807の高圧パルス版(すなわちUY-807H)を意味すると思われる。
東芝(マツダ)製は,プレートは炭粉をまぶし黒化したもので,ステアタイト・スペーサがない代わりにマイカ板に弧状の切り込みがある,下部シールド板なし,板状ゲッタ2枚など,電極の造りは後に述べる水平偏向出力管6BG6Gと見分けが付かない。異なる点があるとすれば上部マイカ板のグリッド支持棒のシールド箱位なもの。おそらく全く同じ製造ラインで作ったと思われ,民生管と送信管を区別するのは電極材料のガス抜きと球の排気過程位なものだろう。ガラス管裏面には(発振用)の文字と日付とロット番号(32.10 6627)がある。
戦後TV放送をいち早く再開したのは米国で1944年(何と戦中),フランス,ソ連は1945年,英国はやや遅れをとり1946年でした。戦時中にレーダー技術が進歩したことも手伝って,戦争終結と同時にTV開発競争が始まりました。
まず欧州では米国6L6/807を上回る球として英国MullardがEL38(後に米国EIA名6CN6を取得),ヒータ違いのPL38(300mA,30V)を作りました。正確な開発時期は不明ですが1948年のオランダPhilipsのプロジェクション型TVの開発の論文には既に登場しています。他の英国メーカもEL38の相当管5P29も作りました。初代EL38はガラス管に外形がズングリした欧州型ST管が使われていましたが,後にはMullard特有のスマートなST管となり,最後にはスマートなT管になりました。ここで紹介できるのは最も普及したST形式のものです。T管はEU ValveのGalleryに写真があります。
また欧州では廉価なTV向けに小型の水平偏向出力管の開発も進められ,1946年にPhilipsが開発した小型MT管(リムロック管)を用いてMullard/PhilipsがUL44(100mA,45V)を,さらに米国9ピンMT管を用いてMullardが1951年にPL81/21A6,21B6,EL81/6CJ6,を開発しています。
6CN6/EL38s, From left, Mullard (Hm 1/B6J1), IEC Mullard(International Electronics Corporation) and Amperex(British)./左よりムラード製(Hm 1/B6J1),IECムラード(International Electronics Corporation),アンペレックス(英国)。
電極構造は完全な5極管。楕円プレート,プレートは左右の棒で支持。マイカ板の取り付けには丸型のステアタイト・スペーサを使用。どの球もG1フィンとトッププレートのリード線が近接しており,耐圧に問題を生じるのではと危惧される。
Mullardの箱にはNot licensed in GT.Britainとあり外国向けの製品。IECはMullardのデザインと同じ。Amperexを見ると35年以上という字が見える。1936年にアイマックから送信管製造のライセンスを受けたから,これを始まりとすると1971年頃の箱となる。
一方米国ではRCAが1947年7月に送信管807を水平偏向出力管向けに手直しした初代6BG6Gと高圧整流管1B3GTを発表しました。6BG6Gの静特性(代表特性)は807と全く同じですが,高圧パルスに耐える構造に改良し,また民生用として廉価にするために業務用の送信管に要求される不必要なまでの堅牢さを軽減したものです。まず,マイカ板上プレートと他の電極間に切り込みを入れパルス時の電極間放電を抑える工夫がなされています。これはそれまでの低周波用の6L6Gには見られない構造です。またプレートとマイカ板間に挟んだ高価なステアタイト・スペーサを廃止した他,目に見えない部分でも本来の送信管製造に欠かせない電極材料の厳重な事前処理(ガス抜きなど)が民生管レベルに引き下げられているとみなすことができます。マイカ・スペーサの切り込みは,後にマイカの汚れにともなう絶縁劣化を防止する目的で6L6系のGT管にも採用されるようになりました(例えば,神戸工業TENのT12ガラス管を用いた6L6GTなど,それでも寿命が短かった)。6BG6GはSTガラス管が大きいので長時間の使用にともなう性能劣化は余りなかったようです。
翌年の1948年4月にはGE傘下に入ったKenRadが6GB6G,8016を改良した1B3GT/8016を発表しました。6BG6Gはその後さらに改造され6BG6GAへと発展しましたが,807の直系はこれで途絶え,それ以降は異なる品種に移りました。
日本では1950年代始めに国産化され,初期のTVならびにその後のオシロスコープなどに使用されました。したがって,通信機用が多いようで,民生管ですが業務に使われました。
米国では小型TVの需要はなかったのでMT管を利用した小型出力管の開発は行いませんでした。
RCA 6BG6-G (1-04) in 1951 (京都府 辻野泰忠さん寄贈 050727)
Top and Bottom View of RCA 6BG6-G (1-04) in 1951 (京都府 辻野泰忠さん寄贈 050727)
東芝の6L6G(1960年代初頭,棒角ゲッタ2個)とマツダの6BG6G(1950年代中頃,板状ゲッタ2個)。ともに炭素をまぶした黒化プレート。
NEC(日本電気)の6L6G(通信機用の1957-10,247,艶消し,板1,スペーサはステアタイト)と6BG6G(通信用,431,炭素,角2)
Bottom Mica Slit, from left, 6L6-G without and 6BG6-G with a slit between plate and other electrodes and plate/ 6BG6Gのマイカ板にはプレートと他の電極間に切り込みがある。東芝の例。NECも同じ。