|
|
|
|
|
| |||
| |||
|
|
|
|
|
|
|
|
12Z-P1 -Power Pentode/5極出力管 | |||||||||
|
| ||||||||
Matsuda 1942 |
Matsuda 1944 |
Matsuda 1945 |
Matsuda 1946 (Cycle) |
Matsuda 1949 | |||||
|
not yet |
not yet
|
|
not yet |
|
|
|
12Z-P1は東京電気マツダが1939年に開発した日本独自のトランスレス用電力増幅5極管。有名な6Z-P1(1943-44年開発)の元祖である。ヒータ規格(12.0V,0.15A)は戦前の日本独自のトランスレス管の規格。原型は1931年に開発された米国のトランスレス兼用6.3V管の238/38で,これを150mAヒータでレス化しさらに高感度化したもの。
(以下の真空管のモデルの年代は推定)
(1939-) 12Z-P1はトランスレス用電力増幅5極管で,NHK日本放送協会の依頼で1939年に東京電気マツダが開発した150mAシリーズトランスレス用の1つ。
原型は1931年に米国で作られたヒータ電流300mAの238/38と思われ,スクリーングリッドの特性以外は同じである。出力は同じであるが,感度を高めるためスクリーングリッドをカソードに近接させたため,gmは増加したが歪みも増加した。また同一動作条件ではスクリーングリッド電流が増加するため,スクリーングリッド最大電圧が180Vに引き下げられている。6G6-Gが原形との説もあるが,もともと6G6-Gは238/38の改良管で,従来と異なる酸化物陰極を用いてエミッションを向上させヒータ電力を半減した新型管であるが,電気的特性は238/38のものを踏襲しているのであるから,古典的なカソードを使用した12Z-P1/6Z-P1のルーツはやはり238/38に求められるべきであろう。
1939年に発売した当初のモデルは,ベースに刻印がありマツダ/12Z-P1と表示。 ガラスは透明で全長107mm,頭にマツダの丸ロゴ印。電極のマイカスペーサは上がサイドマイカ付き円盤(透明),下が長方形(透明)マイカであった。1940年5月に自社の東芝41型受信機(3ペン),東芝51型受信機(高一)で使われた他,1940年10月には放送局型第122号型受信機(3ペン),第123号型受信機(高一)の出力管として採用されて大量生産され,日本を代表するラジオ用真空管となった。戦前のこのシリーズのトランスレス管は宮田製作所エレバムも製造したが生産量は少数で,他に製造する会社は無かったで,ほぼマツダの独占状態となった。
(戦前戦中モデル 1941-)省資源の要求を受けて,12Z-P1も若干の改良が加えられたとすれば,ニッケルメッキピンが真鍮ピンになったこと。マツダのロゴはガラス側面に移った。
(戦前戦中モデル 1942-)さらに省資源の要求を受けて,マイカ板を円盤型の大きなものから長方形の小さなものに改められた。刻印マツダ,真鍮ピンは変わらない。ガラスは青色に。ガラス頭に1級マークが付いた。放送局型第123号型受信機の改定が1942年に行われ,シャーシの設計変更が行われた。この頃から採用されたようである。
(戦争末期 1944-)戦争末期にはベース刻印を廃止,ガラスプリント,管名は丸枠に。真鍮ピン。青がラス。
(戦後モデル 1945-)戦後すぐに製造は再開された。鉄ピン。青がラス。管名は小さな8角枠に。マツダ丸ロゴ,ガラス側面に1級マーク登場。日本放送協会が制定した国民ラジオ1号,3号等にトランスレス管が戦前と同様に採用されたので,各メーカとも製造した。
(戦後モデル 1946-) 東芝マツダはサイクルマーク(2枚羽のプロペラのようなロゴ)を印字した。真鍮ピン。ガラスはクリヤに。1級。管長102mm,5mm短くなり,マツダのロゴが復活した後の1948年頃まで続いた。各社とも短い球を製造するようになった。
(戦後モデル 1947-)ガラスプリント。マツダ丸ロゴ復活。真鍮ピン。1級。
(戦後モデル 1949-)ガラス管の肩の形状がいかり肩からナデ肩に。真鍮ピンだったが,しばらくしてニッケルメッキが復活した。1級は廃止。
38
Reference -American 38/(参考)米国系38
12Z-P1の原型である米国系38は,同時期に開発された41や42に比べて最も消費電力の小さい傍熱型5極管である。41や42と比べると,プレートの規模や損失は1/3程度。グリッド構造もラフであり,gmは1/3,内部抵抗は3倍といったところ。
さらにガラス管の形状も見逃せない。38は他の球と同様に開発当時はナス管(238)だったが,1932年頃に米国でガラス管の規格が変更された際に41や42は比較的大きなST-14管に納められたのに対して,38は国内に普及していた小型のST-12が採用されており,日本の国内事情に良くマッチしていた。ただし,ベースはUY型の5本足で,トップ・グリッド管だった。ちなみにRCAの38クラスの球はWEではヒータ電力を強化した293A(UZ型,6本足),294A(UY型,トップ・グリッド管)が開発されている。
米国製38のプレートの形状は6V6と同じ楕円筒形(初期は金網,後に全金属)であり,後の41や42の円柱型とは異なる古い形式である。ヒータは6.3V,0.3A,またプレート,スクリーン電圧を180V印加した場合,負荷抵抗約12kΩで1Wの出力が得られるが,gmが約1mA/Vと低いため1Wを得るのに12.7Vrmsの入力を要する。これは国内標準のUY-47Bよりも出力がやや小さい他,感度が悪いことを意味する。ちなみに,UY-47Bは180V,6kΩで入力13.8Vrms時に出力1.4Wが得られた。したがって,従来のラジオセットに使用するには感度向上が必要であった。
|
Base |
Outline |
Eh V |
Ih A |
Eb V |
Esg V |
Eg V |
Ib mA |
Isg mA |
rp kohm |
gm mA/V |
RL kohm |
Po W |
|
12Z-P1 Tsukahara 1943 |
1:h, 2:p, 3:g2 4;g1, 5;:k+g3, 6:h |
ST-38, D=38 mm, L=105 mm, JES-6B |
12 |
0.15 |
180 100 |
180 100 |
-10 -5.3 |
15 7 |
2.5 1 |
130 160 |
1.750 1.400 |
12 16 |
1.0 0.25 |
(旧型) |
12Z-P1 電気通信学会, 事業ニュース 1942.4 (東京芝浦電気マツダ支社) |
- |
ST-38, D=38 mm, L=105 mm, JAS-6B |
12 |
0.15 |
180 |
180 |
-10 (7V) |
15 |
2.5 |
130 |
1.750 |
12 |
1.0 |
Thw=10sec |
12Z-P1 (ラジオ手帳'44)(東京芝浦電気通信支社) |
1:h, 2:p, 3:g2 4;g1, 5;:k+g3, 6:h |
ST-38/ D=38 mm, L=105 mm |
12 |
0.15 |
180 |
180 |
-10 |
15 |
2.5 |
130 |
1.750 |
12 |
1.0 |
(=6Z-P1, 戦時中のもの, 製品名があった!) |
12Z-P1 (Matsuda'51) |
1:h, 2:p, 3:g2 4;g1, 5;:k+g3, 6:h |
ST-38, D=38+/-1 mm, L=103+/-5 mm, JES-5B, JES-1A |
12 |
0.15 |
250 100 |
100 100 |
-10 -10 (10Vp) |
15-17 15-16 |
2.5-4.0 2.5-4.5 |
150 130 |
1.800 1.75 |
12 12 |
1.5 1.0 |
(Ehk=150V) |
12Z-P1 (Matsuda'58) '60, (保守用品種) |
s.a. |
38-1, D=39 max, L=108 max |
12 |
0.15 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
12Z-P1 (CES '58-66) Matsushita (廃止品種) |
1:h, 2:p, 3:g2 4;g1, 5;:k+g3, 6:h |
- |
12 |
0.15 |
180 |
180 |
-10 |
15 |
2.5 |
130 |
1.750 |
12 |
1.0 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
12Z-P1 3極管接続(推定) |
|
|
|
|
180 |
- |
-10 |
17.5 |
μ8 |
4k |
2.0 |
|
|
|
/東京電気(または東京芝浦,マツダ)の初期の刻印入り12Z-P1。ガラス管壁にマツダのロゴとその下に放マーク。ガラスは青。マイカが丸型で両脇にバネマイカ。マイカ板上には丸型の排気孔2つ。ヒータはヘアピン。ベースピンは真鍮。
右の写真は,斜め上と裏側を写したもの。左のサンプルはステムに凸文字で「れ」と裏に「4」。gm=52。右のサンプルはややガラスが短い。ゲッタには炙り痕。gm=~60。
宮田製作所エレバムの初期の刻印入り12Z-P1。ガラス管壁に統制之証。十字マイカ。
東京芝浦,マツダの1942年頃。上部マイカは長方形に変わる。刻印入り12Z-P1。ガラス管壁にマツダのロゴとその下に放マーク。ガラスは青。ヒータはヘアピン。ベースピンは真鍮。ガラス頭に1級マーク登場。
東京芝浦,マツダの1944年頃。ベース刻印廃止,ガラス印字丸枠。12Z-P1。
東京芝浦電気(マツダ)の戦後は,鉄ピン。青がラス。管名は小さな8角枠に。マツダ丸ロゴ,ガラス側面に1級マーク登場。放マークは1946年に廃止。
東芝マツダはサイクルマーク(2枚羽のプロペラのようなロゴ)を印字した。真鍮ピン。ガラスはクリヤに。1級。管長102mm,5mm短くなり,マツダのロゴが復活した後の1948年頃まで続いた。
ガラスプリント。マツダ丸ロゴ復活。真鍮ピン。1級。
1級。正面はガラス管壁に管名,裏に白文字でマツダのロゴ。管名右に1級マーク。上部マイカは長方形に変わる。ステムに文字なし。ゲッタは戦前と同じ皿型。この球は,ヒータは点灯し断線はしてないが,あっという間に暗くなっていった。ガスがある模様。管名の左側を火で炙ってみたが,改善されず。
ガラス管の肩の形状がいかり肩からナデ肩に。真鍮ピンだったが,しばらくしてニッケルメッキが復活した。1級は廃止。
東京芝浦電気(マツダ)は,1950年代中頃にはプレート組み立てを溶接から爪形に。ゲッタも1952年頃から角形に。
東芝マツダ,12Z-P1。戦後最終版。ステム文字は青,(1 さ?)。角ゲッタ。カソード・スリーブはシームド。箱(SB-301 2DC 10ナ)。元箱でないかも。
1950年以降。角ゲッタ。ステムには緑でL3とある。(1963年12月か?)。この頃の造りはさすがに良い。g1フィンは灰色。gm=53。ベースに双葉のロゴの他,RADIO TUBE 12Z-P1 FUTABA DENSHI CO.とある。箱の中蓋には6カ月無償交換とある。
ロゴは黄色(写真には写ってないが)。裏面にカタカナでオルドン,2.1とある。ステムは青で8 12 1.とある。gm=48