ANTIQUE JAPANESE RADIO/日本の古いラジオ

written by Koji HAYASHI, Ibaraki JAPAN

Mini-Museum of Japanese Radios/日本のラジオのミニ博物館

3. ST Radio tubes/STラジオ管

33. Transformerless Radio Tubes/トランスレス・ラジオ管

33_us. American 300mA Family

33_tos. Japanese Toshiba type/東芝

33_others. Japanese Others /その他

33_V1. 12Y-V1

33_R1. 12Y-R1

33_P1. 12Z-P1

33_K2. 24Z-K2

Page 33_R1. Transformerless Radio Tubes -Japanese type (Toshiba 12Y-R1)/日本型トランスレス・ラジオ管 (東芝 12Y-R1)

2nd Edition (2006.10.21)+(2008.9.27)-(2011.1.2)

HomePageVT/Radio_tube_33_R1.html


12Y-R1 -RF SCO Pentode/シャープカットオフ5極管

Before and During WWII
After WWII

Matsuda 1939

Matsuda 1941

Matsuda 1942

Matsuda 1944

Matsuda 1945

Matsuda 1946 (Cycle)

Matsuda 1947

Matsuda 1949

Matsuda 1952

JRC suwa 1950s

Type 1

Type 2

Type 3

not yet

Type 4

1c-3d1[23c-3d23


12Y-R1 -RF SCO Pentode

12Y-R1は東京電気マツダが1939年に開発した日本独自のトランスレス用高周波増幅5極管。ヒータ規格(12.0V,0.15A)は戦前の日本独自のトランスレス管の規格。ヒータを除く電気的特性は初期モデルは米国系UZ-77と同じ,また後期モデルは米国系のヒータ電圧6.3V管UZ-6C6や,2.5V管UZ-57(2.5V,1A),UZ-57A(2.5V,0.8A)と同じである。ベース接続が異なりG3とKを管内で接続し,ベースを5pinのUY型で済まし,球の製造コストと配線の手間を省きセット組み立てコストを下げた。

(以下の真空管のモデルの年代は推定)

1型

12Y-R1は,150mAシリーズトランスレス用のシャープカットオフ高周波増幅用5極管。東京電気マツダが日本放送協会NHKの依頼で1939年に開発。

(初期モデル115mm)原型は米国の300mAシリーズトランスレス管UY-36/UY-39族並びにその後継のUZ-77/UZ-78族と考えられ,ベース接続とヒータ規格を除いた電極構造や外形はUZ-77そのもの,またベース接続はUY-39そのものであった。特に電極構造はプレートの外周をメッシュ(パンチ)板によるシールド筒が取り囲むアウタースクリーングリッド(外側の遮蔽グリッド)を採用している点が米国300mAシリーズ特有の構造で,また外形はST12で全長も同じ115mmだった。初期の12Y-R1はまさしくUZ-77の12V版であるが,ベースはUY-36/UY-39と同じ旧型のUYが採用された。

12Y-R1は1939年に発売してから,1940年5月に自社の東芝41型受信機(3ペン),東芝51型受信機(高一)で使われた他,1940年10月には放送局型第122号型受信機(3ペン),第123号型受信機(高一)の検波管として採用されて大量生産され,日本を代表するラジオ用真空管となった。戦前のこのシリーズのトランスレス管は宮田製作所エレバムも製造したが生産量は少数で,他に製造する会社は無かったで,ほぼマツダの独占状態となった。

2型

(戦時モデル120mm)その後,1940年から1941年頃に電極構造に変更が為され新型の12Y-R1が登場した。これは電極構造をUZ-57/UZ-6C6と同様にアウタースクリーンを廃止し,廉価にしたものである。シールド筒は無くなり,ガラス内面にカーボンスートされ,全長も120mmになった。電極構造を変更理由は定かでないが,おそらく並四高1に使われたUZ-57の外部シールド用金属筒として,当時あっぱれな程に省資源化した帽子(キャップ)型のシールドが考案され,これを使うためにはどうしても12Y-R1の頭部の外形寸法をUZ-57と同じにする必要があったと思われる。もともと,UZ-77の構造は不経済そのもので,内部のメッシュシールドを省略し,冠をかぶせて,ガラス面にカーボンスートしたUZ-57/UZ-6C6と同様の構造を採用すれば省資源だし,廉価になるというものだ。実際,UZ-77と初期の12Y-R1の頭部の径は29mm,UZ-57/UZ-6C6の頭部の径は30mmで,あの帽子型のシールドを使うには少し緩かったのである。では,何故最初から省資源のUZ-57/UZ-6C6を原形としなかったか?その答えはUZ-77が最初からトランスレスにも使えるよう設計されていたという1点に尽きる。まず,実績のあるものを採用したのであろう。その後,使用経験を積み,改良に踏み切ったと見るべきであろう。

放送局型第123号型受信機の改定が1942年に行われ,シャーシの設計変更が行われた。このとき,頭にキャップをかぶせるシールド冠式が採用された。ラジオ製造メーカーによっては検波管のみ全サイズのシールド筒を使った。

2型の2

(戦争末期120mmガラスプリント)戦争末期には刻印は省略され,ガラスプリントとなった。この頃,120mmサイズのマツダ製は品質は最低で,青がラス,鉄ピン,鉄頭金具,ガラス正面には管名の枠は丸に(12Y-R1)。裏面に丸マツダロゴ,1級とある。

(戦後120mm)戦後すぐに製造は再開され,日本放送協会が制定した国民ラジオ1号,3号等にトランスレス管が戦前と同様に採用されたので,各真空管メーカが復興し製造した。

3型

(115mm サイクルマークとマツダ)東芝マツダは,戦後しばらく,戦時中から使用したサイクルマーク(2枚羽のプロペラのようなロゴ)を印字した。この頃,12Y-R1は上部シールド冠に変更を加え,鍔の高さを2mmに縮めて上下裏返しに装着し,真空管の全長は5mm縮めて115mmとした。戦前のUZ-77/初期の12Y-R1と同サイズであるが,ガラス管は昔のUZ-57/UZ-6C6と同じ120mm用を用いているため,頭の径は30mmで従来の帽子型のシールドを使うことができる反面,ベース接合部で無理矢理切り取って全長を縮めているので非常に不格好なものとなった。何故5mm短くしたかは不明。この頃,ベースピンは真鍮でニッケルメッキは無かった。マツダのロゴは1947年4月頃に復活したが,このモデルは1948年頃まで続いた。

4型

(113mm)その後,1949年頃になって,東芝はUZ-6C6のガラス管のサイズをやや短い113mmに変更し,12Y-R1もこれに習った。真鍮ピンだったが,しばらくしてニッケルメッキが復活した。各社とも短い球を製造するようになった。ガラス形状は怒り肩だったが,1950年頃からナデ肩になった。1949年末に等級制度は廃止された。

電極上部のシールド冠は鍔が再び上向きになったが,高さは数mmであった。上部マイカを挟み込んで金属板を溶接する方式は爪止めに改められ,シールド冠に4つの穴が開いた。のちに6つとなった。

Specification of 12Y-R1

Base

Outline

Eh V

Ih A

Eb V

Esg V

Eg V

Ib mA

Isg mA

rp Mohm

gm

mA/V

pF, Thw

12Y-R1 Tsukahara 1943

1:h, 2:p, 3:g2 4:k+g3, 5:h, top=g1

ST-38, D=38 mm, L=115 mm, JES-5B, JES-1A

12

0.15

180

100

100

100

-3

-3

2

2

0.5

0.5

2

1

1.1

1.1

(旧型)

12Y-R1 電気通信学会, 事業ニュース 1942.4 (東京芝浦電気マツダ支社)

-

ST-38, D=38 mm, L=115 mm, JAS-5B, JAS-1A

12

0.15

180

100

-3

2

0.55

2.000

1.1

Cgp=0.006, Ci=4, Co=10

Thw=10sec

12Y-R1 (Matsuda'44)(東京芝浦電気通信支社)

1:h, 2:p, 3:g2 4:k+g3, 5:h, top=g1

ST-38/ D=38 mm, L=120 mm

12

0.15

180

100

100

100

-3

-3

2

2

0.5

0.5

2

1

1.2

1.185

(新型)

12Y-R1 (Matsuda'51)

1:h, 2:p, 3:g2 4:k+g3, 5:h, top=g1

ST-38, D=38+/-1 mm, L=113+/-5 mm, JES-5B, JES-1A

12

0.15

250

100

100

100

-3

-3

2.0

2.0

0.5

0.5

3

1

1.220

1.185

(=UZ-6C6) Cgp=0.007, Ci=5, Co=6.5

12Y-R1 (Matsuda'58) '60, (保守用品種)

s.a.

38-1, D=39 max, L=118 max

12

0.15

(=UZ-6C6)

12Y-R1 (CES '58-66) Matsushita (廃止品種)

1:h, 2:p, 3:g2 4:k+g3, 5:h, top=g1

-

12

0.15

250

100

-3

2.1

0.5

1.5

1.200

Eb, RL

Eg

Esg

12Y-R1 (Matsuda'44)(東京芝浦電気通信支社)

180 -100V, RL=250kohm

Rg=1-2Mohm

Ebsg=100-180V, Rsg=1Mohm

 


Samples (前期モデル)

1939-1940? Type-I Matsuda (115-118mm) 新型管現る!

[5fF]

Matsuda 12Y-R1 Early model (UZ-77 Equivalent model)/初期のマツダ12Y-R1 (UZ-77同等モデル)

Base pins and top cap, from Left, Nickel and Brass/ベースピンと頭金具は左よりニッケルメッキ,真鍮

前期モデルはUZ-77同特性で,全長115mm(最大120mm)のみ。頭部直径は29mm弱である。サンプルの2本は全長がやや異なるが誤差5mmの範囲(115mm, 118mm)で,これでも後期のUZ-57/UZ-6C6と等価のモデル(最大125mm)に比べると5mm以上短い。左は最初期(1939年頃)のモデルで,ベースにはマツダ/12Y-R1の刻印,ガラスにまだ日本放送協会認定の(放)マークが見えない?。ベースピンとトップ金具は良き時代のニッケルメッキである。右サンプルは1940-41年頃のモデルで,ガラスに(マツダ)(放)のマークが見える。ニッケル節約のためメッキをやめてともに真鍮製になった。

[5fI]

Bottom View of Matsuda 12Y-R1 Early model

電極構造は外側に遮蔽缶(スクリーングリッド等電位のメッシュの筒,Outer screen grid)があり,その内部に本当のプレートが見える。

[5fI]

Top view of Matsuda 12Y-R1 Early models

電極上部のシールド構造。カソードやグリッド支柱はマイカ板に固定され,マイカ板は長方形に切り込みから顔を出すように遮蔽缶裏側に固定されている。切り込みの具合もサンプルにより多少異なる。


Samples (後期モデル)

1941- Type-II Matsuda (125mm) モデルの切り替え

[5fF][YcG]

War-time Matsuda 12Y-R1 (UZ-57/UZ-6C6 Equivalent model, from left, Brass and Iron top caps)/

戦時のマツダ12Y-R1(UZ-57/UZ-6C6同等のモデル,真鍮と鉄キャップ)

戦時モデルは1941-44年頃までのもの。UZ-57/UZ-6C6と外形や電気的特性が同じ公称120mm(最大125mm)となった。サンプル実測は全長約125mm,直径38.3mm,頭部直径29.5mmであるる。1941年頃から1944年頃まで。ベース刻印。青ガラス。ガラス管壁に(マツダ)のロゴと(放)マークがある。擦れて消えているものもあるが。

左サンプルはベースピンとトップ金具は真鍮であるが,右サンプルはトップ金具が鉄製になった。いよいよ欠乏の時代,この時代は内部ガラスステムの引出し線に純鉄が使われたので,錆びてボロボロになることがある。ベースにはマツダ/12Y-R1の刻印,ガラス正面には(マツダ)(放)のマークがある。[左サンプルはヒータ断線]

[右サンプルは生きている] ステム文字は(黒字2?,ガラス凸字で5)。ガラス管壁にマツダのロゴと放マーク。ルースベースを直した痕がある。今はマツダのロゴはほとんど消え,放マークは溶けて流れている。ガラス管の水拭きや揮発性の接着剤を用いるとこうなる事がある。おそらく前の持ち主が清掃や修理の際に消えたものと思われる。古典管の維持は難しい。gm=38>31。

[5fH]

Bottom View of Electrode of War-time model 12Y-R1/戦時モデルの電極構造

[5fJ]

Old typed top electrode shield of 12Y-R1/12Y-V1/古い形式の上部電極のシールド

上部電極シールド冠(旧式)。UZ-57/UZ-58, UZ-6C6/UZ-6D6一族共通に使われたもので,外部シールド筒との静電容量を介して安定なシールドとするため,鍔が幅広くお椀のように上向きなのが特徴。電極支柱はマイカ板で一旦固定,このマイカ板を裏側の金属円盤で挟み込み数点をスポット溶接で留めた。12Y-R1/12Y-V1も同じように1940-1946年頃まで使われた。ガラス頭の直径は29.5mm程ある。

1942- Type-II Matsuda (125mm) 1級

[5fI]

Box of Tokyo-Shibaura Electric, War-time model 12Y-R1 (1943?)/東京芝浦電気,12Y-R1の箱(1943?)

刻印,(放)マークがあるのに1級マークがあるサンプル。受信管の小売公定価格(マル公価格)は1941年2月に始まったが,品物の品質で等級をきめる等級制度は1943年5月の価格表に現れている。12Y-R1は1級が4.64円であった。ここにあるサンプルは戦時中の1級品か,戦後に戦前の売れ残りに印をしたものか。

1944-1945 Type-II' Matsuda (125mm) 戦時の粗末なモデル (2d)

[5fJ]

2nd type of War-time 12Y-R1s (Unknown and Matsuda)/戦後の直ぐのマツダ12Y-R1(左は無名,右はマツダ),ともに1級

刻印が無くガラスに丸枠の管名のあるの球。ガラスは緑色。全長は125mm。戦時中1944年頃から終戦までと思われるサンプル。[左サンプル]はメーカ無印,裏には1級マーク。無名だが造りはマツダと同じで,ベースピンと頭金具が鉄製である。ヒータ断線。[右サンプル]は裏に白でマツダの印。横に1級。プレートとグリッドがショートしていたが良く見るとプレートが物理的にまがっていたので叩いて直した。さらにどこかの引き出し線が純鉄で錆びて断線。直したら,見事開通したが,gm=38>31でエミ減に近いが生きていた。

[5fJ]

鉄ピンの場合,ベース底中央にはハンダ付けの際の熱逃がしに穴があけられているのが特徴である。

1945- Type-II' Matsuda (125mm) ガラス短い粗末なモデル (2dd)

[5g3]

War-time 12Y-R1s with 115mm length, Matsuda

/戦時中の120mmモデルの12Y-R1, マツダ

戦時中から終戦と思われる1級マーク付きの12Y-R1。公称120mm,実測も120mmで,ガラス管の全長5mmが短くなった。ガラスはクリヤーである。サンプルはマツダ印は白印でずれており明確でないから,当時流行った偽物かと検討すると,造りは東芝そのもので全長だけが短くなったもの。ニッケル(メッキ)ピン。やはり本物だろう。[このサンプルはgm=72>31,生きている]

1946- Type-III Matsuda and Cycle-logo (120mm) 第3のモデル(サイクルロゴ)

 

[5g3]

War-time 12Y-R1s with 115mm length, Matsuda Cycle-logo(3rd type)

/戦時中の115mmモデルの12Y-R1, 第3の形式のサイクルロゴ

[5g3]

サイクルロゴ(1944-1947)と1級印(1943?-1949)

[5g3]

New typed top electrode shield of 12Y-R1/12Y-V1/新しい形式の上部電極のシールド(3穴式)

戦時中から終戦直後と思われるサイクルマーク,1級マーク付きの東芝マツダ製12Y-R1。[このサンプルはヒータ断線]。管名表示の裏側にサイクルロゴが印字されている。サイクルロゴは東京電気と芝浦電気が合併して誕生した東京芝浦電気の新しいロゴで,広告には1944年6月頃から使用されているが,真空管には1944年9月頃から使用開始したようである。サイクルロゴは主に軍需の真空管に戦時中の1944年から1945年まで使われたのは確認しているが,トランスレス管などでは1級マークの真空管に見られ,最近の調査で1947年4月頃まで使用されていたことが分かった。ベースピンは真鍮になっている。同じサイクルロゴで鉄ピンのものもある。ニッケル不足は戦後しばらく続いた。

このサンプルのサイズは実測120mmで,12Y-R1の全長は公称120mm(最大123mm),デビュー当時の77系の電極の全長は120mm以内(実測118mm)だったが,電極が57/6C6系に変更された際に120+/-3mmの規格に対してほぼ最大の123mmの製品ばかり出ていたのに比べると全長が5mm短くなり,正規の寸法に戻った勘定である。このモデルでは電極上部の遮蔽用冠の設計変更があり,鍔が上向きから下向きに変わった。遮蔽用冠の周囲には四角の穴が3つあるが,これは裏側に円盤型のマイカを固定するための折り曲げた爪の穴である。従来の遮蔽缶ではマイカ板のさらに下側に押え用の金属板を当てて電気溶接していたが,新しい冠では爪の折り曲げで固定できるので資材節約,工数節約できる。ただし,57/6C6系の正規の規格では上部シールド冠の鍔が上に向いていてこそ外部シールド筒との静電容量でのシールド効果が期待できるのだが,下向きでは困るのではないかと思われる。

面白いことにこの冠は12Y-R1/12Y-V1だけに使われ,同形のUZ-6C6/UZ-6D6には見ることはできない。何故,このような新型冠が登場したか定かでないが,私は部品流用の結果と見ている。この冠は実は戦時中の1944年から製造されたH管(RH-2, RH-4, RH-8)に使用されたものである。冠の鍔が下向きなのは,トップグリッドが無いシングルエンド型GT管用だったためで,馬蹄形のサイドマイカの取付位置が低くなるので,12Y-R1/12Y-V1の場合はガラス管全長を短くしなければならなかった。ただし,外部シールドが高級な筒型ではなく戦時型のシールッドキャップ(吊り鐘型の外部シールド)なら全長が短くなっても問題はなかったろう。戦後,民生用真空管は,新規需要は6.3V管をあてる計画しとして製造に入り,また2.5V管は保守用として製造量を減らしたが,真先に製造したのはトランスレス管12Y-R1/12Y-V1だった。そこにH管の材料が流用されたとは考えても不思議ではない。このシールド冠は,戦後,新規に製造したGT管にも使用されたが,他のST型高周波増幅管UZ-57/UZ-58, UZ-6C6/UZ-6D6には何故か使用されることは無かった。

1947-1949 Type-III' Matsuda (113mm, 怒り肩)

[YcG]

Tokyo-Shibaura Electric Matsuda 12Y-R1s, From left, after WWII (1947), and (1947-49)s/東京電気マツダの12Y-R1。左より戦後1級,やや後の1級(2本)。

外形寸法全長を113mmにした版である。頭部の直径29.5mm。左のサンプルは全長125mmのSTガラスと同じものをベース部で切り詰めたので,ベース部のガラスのくびれが大きい。右の2本のサンプルは頭部の直径は僅かに小さくなり28.8-28.9mm,またベース部の接続もスムーズな曲線である。新しい設計によるものだろう。いずれもST管の肩はいかり肩である。

左は戦後マツダの12Y-R1。1947年頃のもの。ガラスは青(緑)。ガラス管壁正面に白文字で管名のみ,左側面に白文字で(1級),裏面に白文字で(マツダ)。ベース・ピンは真鍮。ステムに青でハ。ルースベース。振るとからから言う。セメントの剥がれか?秋葉原で1998年の始めに入手。@800円。gmは[59-57>31]。初めは偽物かと疑ったがやはり本物のマツダだろう。

中央と右の2本は戦後やや後のマツダの12Y-R1。1947-1949年頃のもの。ガラス管壁正面に銀文字の痕跡(今は黄色)で(マツダ)(管名),右側面に(1級),(写真では見にくいが)。ステムに青で1413。ルースベースを直した。[gm=11<31]でエミ減,カソード皮膜が禿げている。右はガラス管壁正面に銀文字で(マツダ)(管名),(1級マーク)が無い。ステムに122。ベース・ピンはメッキあり。ガラスはまだ青。右の方がガラス頭は平たいのでやや古い?。ルースベースを直した。[gm=72>31]で完全に生きている。

[5fK]

[YcG]

First Class Mark/中央の球の1級マークは管名の左下。 右の球の1級文字。管名の右下にある。 

[YcG]

Matsuda Logo and Top Structure/マツダロゴと球の頂部の構造

中央の球のマツダロゴは裏面。

また,球の頂部の構造は戦前とやや異なり,サイドマイカの取り付けが90度異なるし,シールド金具円盤が裏返しでもある。これは他の戦後の球も同じ。

1952- Type-IV Matsuda (113mm, なで肩) 近代モデル現る!

[5fJ]

Tokyo-Shibaura Electric Matsuda 12Y-R1/東芝12Y-R1,なで肩(1950-)

1949年頃から旧来のUZ-57/UZ-58, UZ-6C6/UZ-6D6の外形規格を変更し全長を120mmから113mmに改定した。ガラスはいかり肩だった。そして,1950年頃から近代設計のナデ肩にかわった。後世,格好が悪いと評判になったもの。ガラス内面に塗布したカーボンスートの色が灰色から黒に変わったのもこの時。

[5fJ]

電極下部の図。昔と変わらない。4-ana

[5fJ]

4つ穴の冠 (12Y-R1の例)

この時に上部シールド缶を昔のUZ-57/UZ-58時代と同じ上向きのものが採用された。ただし厚みは半分。当初は電極上部シールド板は裏板と溶接され電極支持支柱が出る溝の部分は上に折り曲げた。この時ゲッタは皿型だった。まもなく上野写真の4つ穴の爪付きになり,12Y-R1/12Y-V1もこれに変更された。ゲッタは角型になった。1954年頃だろう。また,この頃からかカソードスリーブはシームレスからシームドに変わった。

[5fJ]

6つ穴の冠 (12Y-V1の例)

さらに改良が為され,カソードの高温化とともに蒸発物質がマイカに蒸着して絶縁悪化するのを防止する目的で,遮蔽金属板のカソード近辺に膨らみを持たせマイカ板と金属板に隙間をあけて絶縁対策を施した。

[5fJ]

この時代のものを戦時中のラジオの保守に使うと外形寸法が違う(125mm対113mm)ため,外部遮蔽筒に入れるとグリッド線が寸足らず,上部のシールドがうまく効かない,などの不具合も起きるかもしれない。

JRC Suwa-musen 1950 -

[YcG]

JRC Suwamusen 12Y-R1/戦後1950年以降のJRC(日本無線)諏訪無線販売製の12Y-R1

構造はオーソドックス。角ゲッタ。スートは1950年頃から日本全国黒系になった。これは特に米国の黒と同じ綺麗な黒。gm=49。

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(c)1998-2000-2002, 2006, 2011 Koji HAYASHI All rights are reserved.
1st edition (1998.3.24)+(1998.7.24)+(2000.8.18), (2002.11.24), (2002.12.30)+(2003.11.3)

2nd edition (2005.8.6)+(2005.8.28)