|
|
|
|
|
| ||||
| ||||
3_Tetrode. New Tetrode/新しい4極管 |
3_Triode. .New Triode/新しい3極管 |
3_PenRF.RF Pentode/高周波5極管 |
3_PenOpt. Output Pentode/出力用5極管 |
3_Rec. New Rectifier/新しい整流管 |
4'. Radio Tubes for Pentode Ages Deluxe Radio/ペントード時代のちょっと高級ラジオ用球 | |||||||||||||||||||||
UY-56/UY-56A Triode for Detector/UY56について | |||||||||||||||||||||
| |||||||||||||||||||||
|
| ||||||||||||||||||||
|
56
|
UY-56 (Globe)
|
UY-56 (ST)
|
|
Super Detector (Cho-Kenpa) 56B
|
|
|
国内でペントードラジオの時代が始まった1932年頃,米国で新型の高周波増幅用の新型5極管57, 58が登場し,真空管の電極の防震対策としてガラス容器の上部を絞って上部から電極を支持するST管が初めて採用されました。我が国でもさっそく1933年に国産化され,「新球」として販売されました。これがUZ-57, UZ-58でした。UZ-57,UZ-58と時を同じくして国産化された3極管UY-56はナス管の姿で販売されましたが,同じ年にST管になりました。さらに始めからST管で登場した5極出力2A5も国産化されました。当初これら新球は高価だったので,もっぱら高級ラジオだけに採用され,UZ-58を周波数変換管に用いた高周波1段つきスーパーヘテロダイン受信機も販売されました。ところが,ST管の製造機械の導入は大量生産による廉価販売の道を開き,東京電気マツダは1934年から従来のナス管の品種をST管化して廉価に販売する価格競争を始めました。並四用のUY-27A, UX-26B, UX-12A, KX-12Bや高周波増幅用4極管UY-24B, UY-35Bを発売したのもこの時でした。従来の高級機用の品種も,1934年にUY-247,KX-280からUY-47,KX-80へと国産化しました。このため,新球の UY-56, UZ-57, UZ-58, UZ-2A5は従来品種のUX-26B, UY-24BやUY-47と競合し,なかなか売れませんでした。
(標準化=大衆化)
やがて1937年頃になると真空管全体の価格が次第に安くなり,初期の4極管や3極管のST管UY-24BやUY-27Aとの価格差がなくなってきたので,性能面で勝るUY-56, UZ-57, UZ-58が使われはじめ,1938年頃から始まったラジオの標準化の波に乗って,日本放送協会の放送局型ラジオやその後のラジオ製造会社の国策型ラジオにも採用されるに至って,ようやく庶民のラジオの標準品になりました。
一方,米国では1935年頃からラジオ用真空管の主流はヒータ電圧が2.5Vから6.3Vに移行し,56, 57, 58は同じ電気的特性を持つ76, 6C6, 6D6に移り,さらにメタル管の開発と廉価なGT管の出現により,形状も大きなST管から短いGT管へと変わりました。しかし,我が国の放送用ラジオ受信機にとってこれらの変革は何の御利益も無かったので2.5VのST管が主流であり続けました。
(廉価版と国民受信機)
やがて大平洋戦争の勃発を挟んで,我が国ではこれらのラジオ用真空管の改良は,まず資源の要求もあって,UZ-57, UZ-58のトランスレス管12Y-R1, 12Y-V1が作られる一方で,省電力の要求に答えるためヒータ電力を小さくした新型品種UY-56A, UZ-57A, UZ-58Aが作られました。さらに,また如何に輸入材料を有り合わせの電極材料で作るかに興味が注がれ,ニッケルを節約する鉄プレート,銅を節約する鉄引出し線,真鍮を節約する鉄ピンへと廉価なものに変えられました。
UY-56A, UZ-57A, UZ-58Aは戦後の一時期にも製造されましたが,戦後ラジオ管は2.5V管は保守用に位置付けられ6.3V管へ移行したので,製造体制が整った1950年頃からは改良型の製造は中止され,米国互換のUY-56, UZ-57, UZ-58路線に復帰し,真空管材料も元に戻った姿で1960年代まで保守用に製造されました。
|
|
UY-56は「検波,増幅用3極管」で,米国56の国産版。米国56はそれまでの3桁数字名の省略名ではなく当初より2桁の数字名で発表され,外形はナス管でした。電気的特性は初代傍熱型3極管'27(2.5V),次に出た'37(6.3Vの)のgmとmuを50%アップし,ヒータ電力も小さくした他,電極構造は上下にマイカ板を使って各電極の機械的精度を向上させている改良球でした。我が国では東京電気(TEC,マツダ)により1933年(6月)国産化。当初ナス管で作られました。当初のナス管では電極はガラスステムからの自立型でした。 |
|
|
我が国では,1933年(11月)年にはST管に変わりました(津田さんの情報)。ST管になった時にも初めは自立型が作られましたが,1935年頃に上部でガラス内面に接触させて耐震性も向上させました。当初はサイドマイカ付きの円盤型マイカでしたが,その後長方形とし端を折り曲げたものに変わりました。 我が国では,UY-56は新型管だけあって高価だったので,一般庶民の並四ラジオでは,UY-56よりも後からST管化された廉価なUY-27Aがしばらく使われました。やがて1937年頃にラジオの需要が増して国内各社がST管を製造しましたのでUY-56も廉価になり,旧式ラジオの保守では検波管UY-27Aの代わりに,また新規製造の並四ラジオでは段間増幅のUX-26Bに代わって使われるようになりました。1942-43年頃に省ヒータ電力版UY-56Aが開発され,一部製造されたようですが,従来のUY-56は完全には製造中止されないまま戦後を迎え,戦後の1949年頃に東芝マツダは逆にUY-56Aを廃止し,その後保守球として米国互換のUY-56だけを1950年代から1960年代初頭まで製造しました。 |
|
|
UY-56の価格。1933年7月にマツダ卸3.465円,1935年7月にマツダ卸1.82円,エレバム1.60円,KOtronとDONはまだ出ていない。1937年9月にエレバム1.60円,DON0.90円,1939年1月,マツダ1.63円,エレバムとドン1.20円,ホリゾン1.10円。この年になるとUY-27Aはマツダ1.63円,エレバムとドン1.10円,ホリゾン1.00円。と価格差がほとんど無くなっていることが分かりましょう。 |
|
|
[ラジオの修理に] 今日ラジオ修理用としては米国の56を入手するのが最も簡単でしょう。UZ-56Aは入手できませんが56で代用可能です。国産UY-56も稀にYahooオークションで出ますがこの球は比較的廉価です。 |
|
Base |
Outline |
Ef V |
If A |
Eb V |
Eg V |
Ib mA |
mu |
rp kohm |
gm mA/V |
c pF |
56 76 GE ETRM-15P 1973 |
5A 1:h, 2:p, 3:g, 4:k, 5:h |
12-5 D=39.67 mm max, L=106.4 mm max |
2.5 6.3 |
1.0 0.3 |
250 |
-13.5 |
5 |
13.8 |
9.5 |
1.45 |
Ci3.5, Co2.5, Cgp2.8 for 76 |
UY-56 (Matsuda RG- 10049) 1935.4.30 |
1:g, 2:p, 3:h, 4:h, 5;k |
ST-38/ D=38 mm, L=102 mm |
2.5 |
1.0 |
250 |
-13.5 |
5 |
13.8 |
9.5 |
1.45 |
|
UY-56A (MJ43.1) |
|
ST-38/ D=38 mm, L=105 mm |
2.5 |
0.8 |
250 |
-13.5 |
5 |
13.8 |
9.5 |
1.45 |
|
UY-56A UY-76A (Matsuda'51) |
JES-5B 1:h, 2:p, 3:g, 4:k, 5:h |
Fig.35, ST-38/ D=38+/-1 mm, L=103+/-5 mm |
2.5 6.3 |
0.8 0.3 |
250 |
-13.5 |
1.2 |
13.6 |
8 |
1.2 * (1.7の誤り?) |
|
UY-56A UY-76A (Matsuda'58) |
- |
- |
2.5 6.3 |
0.8 0.3 |
250 |
-13.5 |
1.2 |
13.6 |
8 |
1.83 |
|
|
Class |
Eb V |
Eg V |
Ib mA |
UY-56 (Matsuda RG- 10049) |
Plate Det Grid Det |
250 45 |
-20 250pF 1-5 Mohm |
0.2* - |
この米国Sylvania製のサンプル56(H5R)は1933-35年頃と思われ,プレートはカーボンスート,マイカとガラス内面の接触は金属棒を使用。マイカはマグネシア塗布。ヒーターはコイルヒータにアランダム塗布のヘアピンであるが,溶接部から断線して下に脱落した事故球なので,白いヒータがずっと下まで延びている。
UY-56 Globe / Tokyo Electric Matsuda
(1) Globe Tube/ナス管(1933-34), (2) 刻印レリーフ付き(1935); 東京電気マツダのUY-56はST管になった当初は電極はナス管と同じ自立型でしたが,
UY-56 ST Matsuda
(3) 刻印円盤マイカ, おそらく1936-37年代にサイドマイカ付きの円盤マイカが採用され,ガラス内面に接触させた支持方法に変わりました。(4)刻印長方形マイカ, その後1937-38年には長方形マイカに変わりました。ゲッタは初期の頃小さな板型でしたが,その後桶型を経て,皿型になったと思われます。プレートも当初は黒化Niでしたが,その後,グリッド支柱に放熱フィンが付いて,無垢のニッケルプレートあるいは鉄プレートに変わりました。
(5)真鍮ピンベースと変わります。1939-40年頃と思われ,国策型ラジオに多く登場します。
?UY-56 ナス管 Tm (刻,○UY-56○,Releaf12345, 天マツダ,光沢黒P, 板ゲッタ,スパイラルh) 050226
○UY-56 Tm (刻マツダ/UY-56, Base矢印, ガラス(マツダ), NiP, 皿G, ステム「5は」, gm=75>37),★UY-56 Tm (刻「4ち真空もれ),
UY-56の電極構造はもうすっかり近代的。ST管になって変わったのは上部マイカとガラス内面の接触による電極支持。マイカ板はプレート上部に溶接した金属リボンで挟み込んでいる。ヒータはナス管時代と同じでセラミックスの芯にアランダム塗布のコイルヒータをスパイラル状に巻き付けたものを使用。2.5V-AC管の特徴。この球は死んでいるように見えたがヒーターピンの再ハンダのみで復活した。
ガラス管壁正面にマツダのロゴ(消えかかり)。ゲッタを炙ったためかもしれない。放マークは失われている。ガラス管内面は黒ずんでいる。ヒータはスパイラル巻き。ステムに「は」と裏文字で「5」。ベース真鍮ピン。gm=75>37。
Dish type Getter/ゲッタは皿型。マイカは上部が大型の板型,下部は長方楕円。グリッド・フィンは無垢のニッケル製?U字型。
東京電気マツダのUY-56。刻印入りの別のサンプル。(1937年頃?)。真空漏れでゲッタを全て失った死んだ球。ステムの凸文字が見える。ここでは「4 ち」。普通は見るのに苦労する。この文字から製造年代が分からないかと考えているが..。
Others
?UY-56 Noble 刻, 網P, 十字マイカ. 桶ゲッタ, B106 27typ National R14 tombstone 1935? ,
?56 Rising (刻RIGING,Base12345, 頭印[56], 側面16.3, メッシュ(パンチ)P, g1fin, 十字マイカ, 皿ゲッタ)tujino 000928, 1941
?56 Elevam? 赤 E11 皿円盤ゲッタ 十字マイカ B113 Televian R4 1940? 1935!!
Hitachi
日立製の戦後1946-48年頃製造のUY-56。この球は,正面ガラス管壁に管名UY-56とその下に1級マーク。裏面(右写真)に日立のロゴ。ゲッタ鏡面は球の下半分以上を覆い,さらにゲッタフラッシュと無縁の頭部も覆われている。まるで初期のナス管のイメージ。原因は火炙りによるゲッタ再フラッシュの失敗にあるらしい。失敗すると,ゲッタ蒸気は全体に廻り,カソード表面に付着するとエミッションが極度に低下する。またグリッド・カソード間の絶縁も悪化する。この球はヒータは点灯するが,G-Pショート状態でIb=0,gm=0。もっとも,カソード皮膜も禿げ落ちている。
日立は戦時中に理研真空管を吸収,真空管製造部門を持ち,軍用の送信管や特殊な受信管を作ったが,民生管の製造は戦後から。しかし,TV時代が来るまではシェアは低かった。
|
|
UY-56AはUY-56(1.0A)の省電力ヒータ版(0.8A)で,少なくとも名称だけは我が国独自の球です。東京電気(マツダ)はMJ誌1943年1月によれば,1941年7月の各種廃止管の代替管としてUY-56Aの名称が登場し,UY-56そのものはそれ以前に交代したということを暗示しています。しかし,5極管のUZ-58AとUZ-57Aは戦前,戦時中のサンプルも良く見られるのですが,UY-56Aのサンプルだけは極単に少ないのです。この理由を考えると,(1)新規製造のラジオは戦時下では省資源のトランスレス式の3ペン式か,高一だったので,UY-56Aの需要が無かった,(2)保守球は旧製品UY-56のストックで間に合わせた,などでしょうか。実際,1942年頃の国策型ラジオに57A-56-12A-12Fというラジオがあり,ヒータトランス巻き線は5Vのみ,2.5V管は2本直列に給電しているのですが,57A(0.8A)-56A(1.0A)ではおかしいですね。1943年1月のMJ誌広告のナナオラN-10も57-56-12A-12F(マツダ球)とあります。以上から,UY-56Aは戦前戦中に市場にあったかどうかは疑問の残るところです。もっとも,戦後になると各社製造を開始したようで,戦後の国民受信機の並四ラジオや保守用にUY-56Aが多く使われました。それが一段落する1949年頃から,米国製品との互換性が重要視されることになり,UY-56が復活するとともに,独自のUY-56Aは廃止されました。 |
|
Base |
Outline |
Ef V |
If A |
Eb V |
Eg V |
Ib mA |
mu |
rp kohm |
gm mA/V |
c pF |
56 76 GE ETRM-15P 1973 |
5A 1:h, 2:p, 3:g, 4:k, 5:h |
12-5 D=39.67 mm max, L=106.4 mm max |
2.5 6.3 |
1.0 0.3 |
250 |
-13.5 |
5 |
13.8 |
9.5 |
1.45 |
Ci3.5, Co2.5, Cgp2.8 for 76 |
UY-56 (Matsuda RG- 10049) 1935.4.30 |
1:g, 2:p, 3:h, 4:h, 5;k |
ST-38/ D=38 mm, L=102 mm |
2.5 |
1.0 |
250 |
-13.5 |
5 |
13.8 |
9.5 |
1.45 |
|
UY-56A (MJ43.1) |
|
ST-38/ D=38 mm, L=105 mm |
2.5 |
0.8 |
250 |
-13.5 |
5 |
13.8 |
9.5 |
1.45 |
|
UY-56A UY-76A (Matsuda'51) |
JES-5B 1:h, 2:p, 3:g, 4:k, 5:h |
Fig.35, ST-38/ D=38+/-1 mm, L=103+/-5 mm |
2.5 6.3 |
0.8 0.3 |
250 |
-13.5 |
1.2 |
13.6 |
8 |
1.2 * (1.7の誤り?) |
|
UY-56A UY-76A (Matsuda'58) |
- |
- |
2.5 6.3 |
0.8 0.3 |
250 |
-13.5 |
1.2 |
13.6 |
8 |
1.83 |
|
「超検波」という名前の3極管は,品川電機KOトロンから分離した堀川製作所ホリゾン(後の堀川電子管)が,1937年頃に作った検波用3極管。詳細不明。同社は,同じ頃,超57も作っている。
「超検波56B」という球もあるが詳細不明。マツダのUY-56Bとは異なる。
おもしろい電極構造をしている。gmを上げるためにグリッド巻き線ができるだけカソードに密着させるような構造としている。プレートもその形で整形している。
Horizon Superdetector/ホリゾンの超検波超検波 (刻HORIZON ガラス(超検波), 管内黒スート, 天Horizonマーク, マイカ6角花形, (真空管商工組合の証), BaseFFPGC, f=0.6ohm, グリッドフィン付き) 070920
Horizon Superdetector/ホリゾンの超検波
UY-56Bは,東京芝浦電気(東芝)が1940年頃に作った軍用の3極管。資料なし。詳細不明。写真提供者の辻野泰忠さんによると6.3V管らしいという。そこから,推定すると,UY-56の6.3V管になるのだが,御承知のように米国56の6.3V管は76となっている。パラメータが若干異なるUY-56Aの6.3V管も戦時中の末期に作られたUY-76Aが存在する。一体,その正体は?果たして,UY-76Aの前身なのか?
マツダはUY-56Bを作る前にUY-627Bという球を作ったという話がある。のらねこ商会さんの話によると,上野辰一「真空管の特性及び
試験」にUY-627Bは6V級UY-227B相当級として掲載され,
6.3V, 0.4A, 180V, -3V, 4.5mA, 21kohm, mu38, gm1.81mA/V
という。果たして,UY-627BとUY-56Bの関連は不明。