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3_Tetrode. New Tetrode |
3_Triode. .New Triode |
3_PenRF.RF Pentode |
3_PenOpt. Output Pentode |
3_Rec. New Rectifier |
4'. Radio Tubes for Pentode Ages Deluxe Radio/ペントード時代のちょっと高級ラジオ用球 | |||||||||||||||||||||||||
UZ-57/UZ-57A - RF Pentode/ UZ-57/UZ-57Aについて, UZ-58/UZ-58A - RF Pentode/ UZ-58/UZ-58Aについて | |||||||||||||||||||||||||
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国内でペントードラジオの時代が始まった1932年頃,米国で新型の高周波増幅用の新型5極管57, 58が登場し,真空管の電極の防震対策としてガラス容器の上部を絞って上部から電極を支持するST管が初めて採用されました。我が国でもさっそく1933年に国産化され,「新球」として販売されました。これがUZ-57, UZ-58でした。UZ-57,UZ-58と時を同じくして国産化された3極管UY-56はナス管の姿で販売されましたが,同じ年にST管になりました。さらに始めからST管で登場した5極出力2A5も国産化されました。当初これら新球は高価だったので,もっぱら高級ラジオだけに採用され,UZ-58を周波数変換管に用いた高周波1段つきスーパーヘテロダイン受信機も販売されました。
ところが,ST管の製造機械の導入は大量生産による廉価販売の道を開き,東京電気マツダは1934年から従来のナス管の品種をST管化して廉価に販売する価格競争を始めました。並四用のUY-27A, UX-26B, UX-12A, KX-12Bや高周波増幅用4極管UY-24B, UY-35Bを発売したのもこの時でした。従来の高級機用の品種も,1934年にUY-247,KX-280からUY-47,KX-80へと国産化しました。このため,新球の UY-56, UZ-57, UZ-58, UZ-2A5は従来品種のUX-26B, UY-24BやUY-47と競合し,なかなか売れませんでした。
(標準化と大衆化)
それでも,ようやく1937年頃になると真空管全体の価格が次第に安くなり,初期の4極管や3極管のST管UY-24BやUY-27Aとの価格差がなくなってきたので,性能面で勝るUY-56, UZ-57, UZ-58が使われはじめ,1938年頃から始まったラジオの標準化の波に乗って,日本放送協会の放送局型ラジオやその後のラジオ製造会社の国策型ラジオにも採用されるに至って,ようやく庶民のラジオの標準品になりました。
一方,米国では1935年頃からラジオ用真空管の主流はヒータ電圧が2.5Vから6.3Vに移行し,56, 57, 58は同じ電気的特性を持つ76, 6C6, 6D6に移り,さらにメタル管の開発と廉価なGT管の出現により,形状も大きなST管から短いGT管へと変わりました。しかし,我が国の放送用ラジオ受信機にとってこれらの変革は何の御利益も無かったので2.5VのST管が主流であり続けました。
(廉価版と国民受信機)
やがて大平洋戦争の勃発を挟んで,我が国ではこれらのラジオ用真空管の改良は,まず資源の要求もあって,UZ-57, UZ-58のトランスレス管12Y-R1, 12Y-V1が作られる一方で,省電力の要求に答えるためヒータ電力を小さくした新型品種UY-56A, UZ-57A, UZ-58Aが作られました。さらに,また如何に輸入材料を有り合わせの電極材料で作るかに興味が注がれ,ニッケルを節約する鉄プレート,銅を節約する鉄引出し線,真鍮を節約する鉄ピンへと廉価なものに変えられました。これらUY-56A, UZ-57A, UZ-58Aは,戦後の一時期にも製造されましたが,戦後ラジオ管は2.5V管は保守用に位置付けられ6.3V管へ移行したので,製造体制が整った1950年頃からは改良型の製造は中止され,米国互換のUY-56, UZ-57, UZ-58路線に復帰し,真空管材料も元に戻った姿で1960年代まで保守用に製造されました。
UZ-57は,検波増幅用5極管。米国57(1932年,最初にSpeedとArcturusの広告に現れた)*の国産版で,東京電気(後の東芝,ブランド名マツダ)により1933年1月(昭和8年)国産化。
米国57はそれまでの3桁数字名の省略名ではなく当初より2桁の数字名で発表され,外形も始めからST管として作られたので,国産化の際にも当初よりST管であった。UZ-58と同時発表。@6.50円。
UY-57は戦前日本の高周波増幅や再生検波の代表選手でUY-24Bとともにラジオ受信機に良く使用された。国産では真空管のガラス容器(外囲器)にダルマ形のST管を初めて使用した品種**で,またガラス管内面が灰色や黒にスート***してあるのもこの品種が最初であった。
1935年の東京電気マツダ真空管資料(RG-10050)の紹介文「マツダ真空管UZ-57は格子を三個有する五極管にして高周波増幅,プレート検波等に特に推賞できる球である。その音質感度,極めて良くかつ加熱繊條電力は従来のUY-224等に比して小さく構造堅固でありかつ管内上部にはシールド缶を有しており内部静電容量が小さくなるよう設計してある。」
*J.W.Stokes, 70 Years of raio tubes and valvesによる。57,58シリーズは従来のスクリーングリッド管(UX-222, UY-224, UY-235, UY-239)に見られたプレート外側の編目状のシールド筒(Outer screen grid/外側のスクリーングリッド)を無くし代わりに電極上部にシールド冠を付け,外部シールドを用いてガラス容器(外囲器)の上部に密着させ静電シールドさせるという設計思想による初めての?真空管であった。真空管は造りが簡単になり廉価になるが,雑音発生の問題を生じ,その対策としてガラス管内面にスートした。その色が黒や灰色である。
**ST管は従来使用されてきたナス管の電極支持方法を改善するために導入されたもの。ナス管の電極は下部のガラスステムに立てた数本の金属棒(支柱)だけを頼りに自立しているので振動に弱い。ST管は上部を絞り込んだ形状をしており,電極上部にマイカ板(スペーサ)を取り付けてガラス面に接触させ振動を防止する構造としている。導入初期には排気時の高周波加熱によりマイカスペーサ支持金具が過熱しマイカ板が白色に変質し,結果的に絶縁不良やエミッションを低下させる不具合を生じた。(梅田徳太郎,受信管製造の記録1976)
***スートはアクアダック(炭の粉の溶液)を塗り高温で焼きつけたもので,電極周囲の空間電荷分布を安定にして雑音防止を図るものである。したがって,スートしてあるからといって真空管は外部シールド不要という訳ではない。益田氏の眠れる森:真空管の二桁ナンバー管名鑑57,58の項によれば米国の初期の57,58にはスートの無いものが見られるという。(文献*, p.173のNational Unionの広告Dec 10, 1932にあらわれるものは確かにスートが無い!)。戦前の高周波管57, 58, 6C6, 6D6や戦後の6W-C5といえばガラス管がスートされているのが常識だが,この技術はUZ-57, UZ-58を国産化する時に国内では初めて使用された。なお,導入初期にはスートしたガラス容器を使用する場合は十分な熱処理をしないとエミッションが低下する不具合を生じ,さらに熱処理後日数の経過したものを使用すると,同様にエミッションが低下する不具合を生じたそうである。(梅田徳太郎,受信管製造の記録1976)
さて,UZ-57, UZ-58であるが,1933年7月にはマツダ卸UZ-57が5.00円,UZ-58が5.39円だった。国産品種はまだ4極管UY-224とバリミュー4極管UY-235だけの時代で,いきなり高gmの5極管が登場した訳で,ラジオメーカからこれを採用したものには,新球使用として七欧無線電機商会から高周波2段の高級機ナナオラ95型が出たものの,実際にはUZ-57, UZ-58の評判は悪かった。ラジオ製造メーカーは高価な割にエミッションのバラツキが多く期待した性能が得られないとして,同時期にST管化されデビューした従来形の4極管UY-24Bをもっぱら用いた。東京電気は後で述べるエミッション低下防止対策をとりようやく品質は安定した。さらにST管の製造が軌道に乗り,多くの真空管会社が勃興した1935年頃になってようやく価格競争のお陰でUZ-57, UZ-58も廉価になり,ちょっと価格の高いラジオに採用され始めた。1935年にマツダ卸2.80円,KOtronは2.60円,エレバム2.50円,DON2.30円だった。ちなみにUY-24Bはマツダ卸1.69円,KOtronは1.40円,エレバム1.50円,DONはUY-24を製造し1.40円,後にUY-24Bに切り替えた。1937年頃にはさらに各社とも値下げしているが,その後1939年頃には戦争のため徐々に値上がりした。結局,戦争に入るまでUZ-57とUY-24Bは共存し,互いにシェアを2分した。1939年,日本放送協会NHKは放送局型受信機第11号を発表。これはUZ-57, UY-47B, KX-12Fの3球だった。UZ-57は名実ともに日本のラジオ管の代表選手になった。
[ラジオの修理に] 今日ラジオ修理用としては米国の57を入手するのが最も簡単でしょう。UZ-57Aは入手できませんが57で代用可能です。日本のUZ-57は戦後1948年頃に管長が120mmから113mmに変更されたので,戦前のラジオの修理では筒型のシールドケースでは遮蔽効果が劣る場合がありましょう。戦時中の帽子型はアース線の長ささえ十分なら問題ありません。米国製にはその心配はありません。
|
Base |
Outline |
Ef V |
If A |
Eb V |
Esg V |
Eg V |
Ib mA |
Isg mA |
mu |
rp Mohm |
gm mA/V |
Eg V Ib=0 |
UZ-57 (Matsuda RG-10050) |
1g2, 2p, 3h, 4h, 5k, 6g3, top=g1 |
ST-38/ D=38 mm, L=120 mm |
2.5 |
1.0 |
250 100 |
100 |
-3 |
2 |
0.5 |
1500 1185 |
1.5 1.0 |
- - |
|
UZ-57A (MJ43.1) |
|
120, 38 |
2.5 |
0.8 |
250 |
100 |
-3 |
2 |
8.2* 0.5 |
1280* 3700 |
0.8* 3.0 |
1.6* 1.225 |
|
57 1952.8.1** |
6F |
- |
2.5 |
1.0 |
250 |
100 |
-3 |
2.0 |
0.5 |
1500 |
1.5 |
1.225 |
|
UZ-6C6 UZ-57 UZ-57A (matsuda'51) |
JES-6B JES-1A 1h, 2p, 3g2, 4g3, 5k, 6h, top=g1 |
ST-38/ D=38 mm, L=120 mm |
6.3 2.5 2.5 |
0.3 1.0 0.8 |
250 100 |
100 |
-3 |
2.0 |
0.5 |
|
3.0 1.0 |
1.22 1.185 |
-7 |
UY-57S (matsuda'51) |
JES-5B JES-1A 1h, 2p, 3g2, 4g3+k, 5h, top=g1 |
s.a. |
2.5 |
1.0 |
sa |
sa |
sa |
sa |
sa |
sa |
sa |
sa |
|
|
Class |
Eb V |
Esg V |
Eg V |
Rk kohm |
RL kohm |
UZ-57 (Matsuda RG-10050) |
Plate Detector |
250 250 |
100 50 |
-3.86 -1.95 |
4 3 |
250 |
Sample before WWII
(1) RCA
57 RCA Radiotron (刻 0 6, 紙11-3-34) 050404
(1) Matsuda
戦前のマツダの旧冠モデルは4種類,(1)ベースに丸マツダと管名の刻印,底にマツダのレリーフ,プレートはリブなし,(2)ベース刻印と底にレリーフ,(3)ベース刻印,(4)ガラス印字,
戦後は(1)丸管名枠,灰スート,(2)短いガラス管,新冠,いかり肩,(3)短いガラス管,新冠,なで肩,
UZ-57 (Die Stamped with Base Releaf)△UZ-57 Tm (刻マツダ/UZ57/2-3pin, レリーフ, (マツダ)/6-1pin, 放なし, 33>31) 040125, 1935!!
UZ-57 (Die Stamped only)?UZ-57 Tm(刻マツダ/UZ-57/正4-5pin,Base矢, (マツダ)(放)/右横3-4pin, 凸4ヤ, リブ無P)(050515調査), B46 Wave KS1 1938? 971104 (未掲載)
?UZ-57 Tm (刻放 2ろ (マ16.2) 44>31) C27 National R-5M 1941 970219, (未掲載)
?[GOMI] UZ-57 Tm (刻放f断) 040312, (未掲載)
?[EM] UZ-57 Tm (刻 4ユ) 3<31 C78 K4B HM (Televian-Manshuri) 改造 1935-1948 990228, (未掲載)
?UZ-57 Tm 刻放 4ユ 検CC, C80 Sharp D-80 1940 990523, (未掲載)
?UZ-57 Tm (刻放マ16.5) B(155)放送局第11号 011126, (未掲載)
?UZ-57 Tm 刻放 検A? C75 National New KS2 1940 9904y, (未掲載)
?UZ-57 Tm(刻放 ステム凸ス4 62>31) マツダの別箱入り, kirino 990516, (未掲載)
?UZ-57 Tm (刻放, 頭丸, 検CL, ステム凸ネ4, スパイラルh, gm=750) sakai 030125, ? (未掲載)
?UZ-57 Tm (刻放, 青がラス, 頭平, ステム凸マ4, 芯付きスパイラル, エミ減印) sakai (未掲載) 030125
UZ-57 Tm(刻放, ステム字なし,矢,) 070828
(2) Elevam57 刻ELEVAM TUBE MSE EL, base F P23C, ガラスプリ, ) 070804 (未掲載)
[GOMI] 57 刻ELEVAM TUBE MSEマイ, ガラスプリ, 矢, (東京真空管組合統制之証)爪円盤マイカ, ), shida 0408 (未掲載)
UZ-57 (刻 ELEVAM細, ヨミMSE放,ガラスプリ, 円盤爪,皿G,矢, 真鍮) 050728 (未掲載)
UZ-57 (刻なしガラスプリ, エレバムMSEンオ, 放,UZ57, 上向き冠サイドマイカ,矢, 真鍮) 070828 (未掲載)
(3) KO tronUZ-57 刻K.O.TRON Base P2--, マイカは亀の子型, 編みP, 円盤のようなゲッタ皿, 炙り痕, 080923
(4) Horizon★UZ-57 Horizon (刻放Base刻HORIZON, 底123456, 鉄pin, ガラス放16.10, 芯付きスパイラルh, 小板G, f断) sakai 030125
(5) SAN
戦時中の八曜真空管/サン(SAN)のUZ-57。上部のシールド環,サイド・マイカ,灰スートなど外観はマツダに似ているが,細部は異なる。ガラス壁面に八曜真空管(販売元)のロゴと管名。八つの太陽がぐるりと回っているもの。裏側にSAN(製造元)のロゴとRADIO TUBE,16 11の文字。ベースは真鍮ピン。1941年11月製。gm=44>31。ヒータ・カソード間やや絶縁悪い。
ゲッタは古い桶型で,下部のシールド板から下に付く出ている。先が平らにつぶしてある。
Matsuda, Orion, Futaba
UZ-57s, Toshiba-Matsuda, Orion and Futaba, after WWII/戦後,東芝マツダのUZ-57,ORIONのUZ-57,双葉UZ-57。ともに1級(1947-1949年)。
東芝マツダUZ-57は灰スートで,ステムに凸文字で「オ」。管壁に白色ペイントで管名,裏側に小さなマツダのロゴ,管名の直ぐ右に1級マーク。ベース底に矢印とともに「53」。gm=42>31。
ORIONUZ-57は管壁に白色で丸で囲んだ「ORION」のロゴとその下に管名,裏に1級マーク。ベース材料が黒のベークライトではなく紙が混じった感じでザラザラしている。マイカノールの茶という訳ではない。真鍮ピン。gm=53-49>31だが,減少傾向がありややエミ減。
双葉UZ-57は東芝マツダのUZ-57に良く似ている。ロゴは丸に漢字。これ以降,ローマ字による標記でロゴはベースに印刷される。1級マークの下に「FA」と記されているが意味不明。F=6,A=1か?この球はヒータが断線している。
First Class Marks of Toshiba-Matsuda and Orion/東芝マツダとオリオンの1級のマーク。各社とも独自の印を押しているようだ。
JRC, Mat
UZ-57A
UZ-57Aは1942-43年頃+から現れたヒータ電流0.8Aの省電力ヒータ版で,我が国独自の開発。1942-43年頃の国策型ラジオから戦時中を経て戦後の一時期までUZ-57++に代わって使用された。(その間,通常ヒータ版UZ-57は製造されなかったらしい)。しかし,戦後になると,東芝マツダは通常ヒータ版(米国互換)を保守用としてUZ-57を復活させ製造した(3)が,UZ-57Aを1951年までに廃止してしまった。各メーカもUZ-57も製造した。UZ-57Aを製造していたメーカは1947年12月の記録に見られるのは品川電機トウだけであった。日本電気NEC(新日本電気)は1952年頃からUZ-57Aを製造した。
+(初稿では1940年頃と書いたが,1942-43年頃に訂正した), UY-56A, UZ-57A, UZ-58Aの名称があらわれる文献は,
1) (1941年7月に発表した)廃止のマツダ真空管とその代用推奨品の特性対照表, 無線と実験, 1943年1月
2) 昭和18年5月制定の小売公定価格(池谷理,受信管物語[24]p.33, 電子,1977.12)
3) 電気通信界の展望, 2.5.3 各製造機関の現況, 電気通信学会雑誌, 1947.12
++また現物が現れるのは,UZ57, 昭和18年(1943年)1月製造の帯のもの, UZ-58, 昭和17年(1942年)3月製造がある。
UZ-57A(Old)
UZ-57A (UZ-57) Tm(刻UZ-57/UZ-57A並記, 放, 4ち) 051113 (未掲載)
UZ-57A(Old)
?UZ-57A Tm (刻放,灰スート,真鍮, 35-56>31) B24 Sharp N-10 1942? 961103,
?UZ-57A Tm (刻印,放 42>31) 040224, (未掲載)
[GOMI-1] UZ-57A Tm(刻UZ-57A, Base真鍮, (マツダ)(放痕跡), リブ付きP, 4た, top真鍮, コイルh) 0408shida (未掲載)
UZ-57A Tm(?、放見えず、1コ?, 真鍮, Top鉄) 051113 (未掲載)
UZ-57A(New)
?UZ-57A Tm (灰スート, 鉄pin, 鉄top, ガラスプリント丸枠[UZ57], 裏(マツダ)(1級), コイルh, 皿G) C(201) Nanaola type 97 050113,
○UZ-57A Tm (青がラス, スート上まで, 丸枠白, 裏白(マツダ)下(1級), 真鍮ピン, 鉄頭, コイルhh, e46>31) 040125,
★UZ-57A Tm (ややクリア, スート上まで、丸枠銀, 裏銀(マツダ)下(1級), 鉄pin, 鉄頭, コイルh, em 16-21) 040312,
★UZ-57A ATOM 1級 54-26<31 em 041103, ○UZ-57A HEC Hikari 黒スート 82.5>31 B43 Nanaola N10 1943
Samples during War-time?UZ-57A Tm (灰スート, 鉄pin, 鉄top, ガラスプリント丸枠[UZ57], 裏(マツダ)(1級), コイルh, 皿G) C(201) Nanaola type 97 050113, (未掲載)
?UZ-57A Tm (青がラス, スート上まで, 丸枠白, 裏白(マツダ)下(1級), 真鍮ピン, 鉄頭, コイルhh, e46>31) 040125
?[EM] UZ-57A Tm (ややクリア, スート上まで、丸枠銀, 裏銀(マツダ)下(1級), 鉄pin, 鉄頭, コイルh, em 16-21) 040312
Atom?[?] UZ-57A ATOM(アトム) 1級, capとれ, 54-26<31 em 041103
戦後,各社がUY-57S (戦後のUY-57S参照) という真空管をUY-24Bの保守用に作ったが,戦前にも同じ名称のUY-57SやUY-57があった。UY-257, UY-57; K.O.真空管(KOトロン)は,1933-34年頃にUZベース(6pin)の57, 58をUYベース(5pin)にしたナス管UY-257, UY-258を作った。さらに1934-35年頃に,ST管としたUY-57, UY-58を販売した。1935年7月に通常のUZ-57, UZ-58は2.60円だったが,5本足のUY-57, UY-58は廉価な1.85, 2.10円であった。廉価なのは確かであるが,電極が57, 58と同じだったかどうかは不明。これはその後エレバムから出たUY-24Sや戦後のUY-57Sの元祖といえる。
UZ-57S, UY-57S (1935,メタルスプレーシールド管); 一方,宮田製作所エレバムは,1935年頃,メタルスプレーシールドを施したUZ-57S, UZ-58S, 5本足UY-57S, UY-58Sを作り,販売した。K.O.真空管もスプレーシールド管を販売したが,Sの付く名称はエレバムのみに見られる?。米国でもSの付く製品が販売されていた。(同じ頃,東京電気マツダもスプレーシールド管を製造していたことは知られている。)通常のUZ-57, UZ-58よりも高価で1935年1月にUZ-57が2.37円のところ,S付きが2.56円であった。これは売れなかったらしく,まもなくカタログから消失した。ちなみに,米国57, 58系は従来の24, 35に見られたアウターシールドを省略した真空管で外部シールドが必要だったが,ここにPhilipsなど欧州メーカが得意とする金属粉末をガラス管にスプレーして接地するメタルスプレーシールドを真似た訳である。
UY-57S (1942-43,スプレーシールドで無いS付き管); 戦後,UY-24Bの保守用に各社から販売され有名になったUY-57Sも,実は戦時中の1942-43年頃に作られたのがはじまりである。開発や販売を示す資料がほとんど無いが,昭和18年5月制定の小売公定価格表(2)にその名が現れ,製造販売されたことを示している。東京芝浦電気マツダ関係者が書いた文献(1)(1943年1月)には,UY-56A, UZ-57A, UZ-58Aの名称があらわれるが,UY-57Sの名は無いので,開発販売が1943年1月以降5月までの間に行われたか,または東京芝浦電気マツダ以外の会社によって,それ以前に作られたかのどちらかである。戦後,UY-24Bの製造は行われなかったので,代替管として各社が製造し,1950年頃からマツダ, 日本電気NEC,ドン,エレバム,ホリゾンの各社が製造した。
1) (1941年7月に発表した)廃止のマツダ真空管とその代用推奨品の特性対照表, 無線と実験, 1943年1月
2) 昭和18年5月制定の小売公定価格(池谷理,受信管物語[24]p.33, 電子,1977.12)
「超57」という名前の5極管は,品川電機KOトロンから分離したホリゾン真空管(後の堀川電子管)が,1939年頃に作った高周波増幅用5極管。詳細不明。内部の写真から5極構造と分かる。57という名称からSCO(シャープカットオフ)特性と思われ,足はUYなので,UY-24Bとの差し換えを目的とした球と思われる。この球は,外形は米国57と同じくアクアダックによるガラス壁内側をスートしているが,電極構造構造はUY-24BやUZ-77と同じくアウタースクリーンを持っている。その意味で高周波増幅に用いた場合には,外部シールドケース無しで発振せずに安定した動作が期待できる。観察でも第1グリッド巻き線は見えないし,真空管パラメータが不明なので,gmが高いかどうかは分からない。ただ,価格からしても,どうも24Bに第3グリッドを付加したに過ぎないのかもしれない。とすれば,gmはほぼ同じで,スクリーン電圧を下げてもダイナトロン特性が生じることなく,安定動作可能なUY-24Bということになる。1939年1月にUZ-57が1.90円に対して超57は1.65円だった。同社は,同じ頃,3極管「超検波」も作っている。
超57 Horizon 050916
UZ-58は,可変増幅用5極管。米国58(1932年)の国産版で,東京電気(TEC,マツダ)により1933年1月(昭和8年)国産化。米国58はそれまでの3桁数字名の省略名ではなく当初より2桁の数字名で発表され,外形も始めからST管として作られたので,国産化の際にも当初よりST管であった。UZ-57と同時発表。@7.00円。
UZ-58は戦前は主に高一受信機に用いられ,稀に高二受信機,スーパーヘテロダイン受信機に用いられたが,並四受信機の検波に用いられたUZ-57と比べると製造量は半分以下だったと思われ,さらに今日残る戦前のラジオを調べてみると,UZ-57はオリジナルの球が残っているのに対してUZ-58やUZ-58Aは戦後の交換球ばかり目立つ。どうもエミ減が早かったらしい。検波球はプレート電圧も極低いのに対してバリミュー高周波増幅段はフルにプレート電流を流すという回路上の理由もあったかも知れない。だがら戦前のUZ-58が生き残っている例は少数である。UZ-58の詳細や価格の変遷についてはUZ-57の項を参照。
[ラジオの修理に] UZ-58は今日ラジオ修理用としては米国の58を入手するのが最も簡単でしょう。UZ-58Aは入手できませんが58で代用可能です。日本のUZ-58は戦後1948年頃に管長が120mmから113mmに変更されたので,戦前のラジオの修理では筒型のシールドケースでは遮蔽効果が劣る場合がありましょう。戦時中の帽子型はアース線の長ささえ十分なら問題ありません。米国製にはその心配はありません。
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Base |
Outline |
Ef V |
If A |
Eb V |
Esg V |
Eg V |
Ib mA |
Isg mA |
mu |
rp Mohm |
gm mA/V |
UZ-58 (Matsuda RG-10051) |
1g2, 2p, 3h, 4h, 5k, 6g3, top=g1 |
ST-38/ D=38 mm, L=120 mm |
2.5 |
1.0 |
250 100 |
100 |
-3 |
8.2 8 |
2.0 2.2 |
1280 375 |
0.8 0.25 |
1.6 1.5 |
UZ-58A (MJ 1943.1) |
|
38, 120 |
2.5 |
0.8 |
250 |
100 |
-3 |
8.2 |
2 |
1280 |
0.800 |
1.600 |
UZ-6D6 UZ-58 UZ-58A (matsuda'51) |
JES-6B JES-1A 1h, 2p, 3g2, 4g3, 5k, 6h, top=g1 |
s.a. |
6.3 2.5 2.5 |
0.3 1.0 0.8 |
250 100 |
100 |
-3 |
8.2 8 |
2.0 2.2 |
|
0.8 0.25 |
1.6 1.5 |
American SampleSample before WWII
58 RCA Radiotron (刻印F3, Base矢印, (71>36) (senda) 010120
58 CUNNINGHAM-RCA 050417
Japanese Sample(1) Matsuda
Tokyo Electric(Toshiba) Matsuda UZ-58 and Advanced Type UZ-58A before WWII/戦前,東京電気マツダのUZ-58とその改良型(省ヒータ電流型)のUZ-58A。ともに刻印。 UZ-58は正面ガラス管壁にマツダのロゴとその下に(放)マークがある(写真では見えない)。ガラスはクリア。ステムは「4 ヱ」とある。ベース・ピンはメッキあり。ベースはルースでひび割れもある。gm=58>36。
UZ-58Aの刻印はUZ-58A(UZ-58)とカッコ付きで並記してあり代替が可能なことを示している。ガラス管壁の(放)マークは痕跡が残っている。ガラスは青。ステムは凸文字「2 こ」があり,他に筆で「11」とある。ベースピンは真鍮。ベースはルース。gm=4-0。Ibがほぼゼロで,どこかおかしい。
(2) Matsuda (Part2)
ガラス・ステムから延びた支柱はプレート支柱2本とカソード等電位の上下シールド板支柱2本。プレートは灰色の薄い金属筒。上部シールド冠と下部シールド円盤の内部にはマイカ板が挟み込まれ,マイカ板にカソードと3つのグリッドの支柱が挿し込まれている。ヒータは細いコイル巻きものがスパイラル状に巻かれている2重コイルである。ゲッタは皿型。後にプレートはリブ付きに変わった。
(1) Matsuda -Die Stamped with Double Matsuda logo and Releaf base -1934-1935UZ-58(Old-Releaf)
?UZ-58 Tm(刻印○_○, sidemicaなく円盤4爪), 元箱(説明書付き) 050827..(1934)
?UZ-58 Tm(刻印○_○, sidemicaなく円盤4爪), 051011..(1934) (未掲載)
(2) Matsuda -Die Stamped with Releaf base -1936-
?UZ-58 Tm(刻,releaf, sidemicaなく円盤4爪)4pinハンダなし穴 070610, 松下箱入り
?UZ-58 Tm(刻印/UZ-58/4-5pin,ベースReleaf, 左(マツダ), ステム「5」?) 紙サック入り050221 ,..(1935) (未掲載)
(3) Matsuda Die stamped only -1937-UZ-58(Old-koku)
?UZ-58 Tm(刻印, やや青, ()(放), Base矢印,ni「4 ヱ」) 58>36, ..(1944?) (Rt_3_PenRF)
[GOMI] UZ-58 (刻, Pストレート筒)ガラスやぶれた標本, (Rt_3_PenRF)
?UZ-58 Tm(121, 刻印, (マツダ)放なし, クリア, 紙S17.3、2か, ni)紙サック入り 040326, ..(1942) (未掲載)
?UZ-58 Tm(122, 刻印, (マツダ)放, クリア(T), 凸なし, ni)紙サック入り 040326, (未掲載)
?UZ-58 Tm (刻放 検AS) C75 National New KS2 1940 9904y, (未掲載)
(4) Matsuda Glass Stamped -1944-
?UZ-58 Tm (クリア灰118mm, 丸枠黒13x12.5, 裏(マツダ)10.5, 右(1級)13, 旧冠, 真鍮ピン, 頭Ni, 59>36) 040224
[GOMI] UZ58 Tm(ガラス印丸枠(UZ58), Base123456, 真鍮pin, 頭Ni, 左(1級), 裏小(マツダ), ストレートh, ) L=123mm, sida0408
?UZ-58 Tm(クリア灰119, 8角白, 裏(マツダ)白12, 右(1級)11.5, Ni,Ni, 旧冠, ステム凸ホ, 47>36) 040125
[AeN]
[AeN] Bottom view of Matsuda UZ58, 1級
Sample after WWII(1) TEN
?UZ-58 TEN (Base 矢印, ガラス印字TEN UZ58 24.3.15, 1級, G線ストレート) ー
○UZ-58 TEN (Base 矢印NQ, ガラス印字TEN UZ58 RQ, G線ストレート) 73>36
ガラス管壁にTENのロゴとその下に管名,その下に「RQ」。ベース底には「RQ」(18.17)の印。1950年頃?。ゲッタは皿型。ヒータはヘアピン。グリッド・リード線はストレートでヴァリミューの1回巻き型とはなっていない。スートの位置がやや低く,上部の電極部が見えすぎる。gm=73>36。
(2) KKK
(前置記号UZが無いので1955年以降)。スートは黒色に近く,またガラスの長さは同じだが,頭の直線部分が短いので形状がややナデ肩に見えるなど,戦後のやや時代が後の特徴を持っている。また,電極支持法は57/6C6,58/6D6系の場合上部のシールド環の側面にサイドマイカを取り付け固定するのが一般的だが,この球は両サイドに爪の付いた円形のマイカ板を使用しているのが変わっている。このサンプルはヒータ断線で死んでいる。
(3) Dyne
UZ-58 Dyne box x4 050122
(5) Mat, Don
UZ-58 Mat 060108
?58 青DON (Base即朱印, 表示(58青ドン54-4), 裏AODON検Tube, 穴無冠, 皿G, 62>36)ルース, 白箱\1500
UZ-58A
UZ-58Aは1942-43年頃+から現れたヒータ電流0.8Aの省電力ヒータ版で,我が国独自の開発。1942-43年頃の国策型ラジオから戦時中を経て戦後の一時期までUZ-58に代わって使用された。(その間,通常ヒータ版UZ-58は製造されなかったらしい)。しかし,戦後になると,東芝マツダは通常ヒータ版(米国互換)を保守用としてUZ-58を復活させ製造した(3)が,UZ-58Aを1951年までに廃止してしまった。各メーカもUZ-58も製造した。UZ-58Aを製造していたメーカは1947年12月の記録に見られるのは品川電機トウだけであった。日本電気NEC(新日本電気)は1952年頃からUZ-58Aを製造した。+(初稿では1941年頃と書いたが,1942-43年頃に訂正した), UY-56A, UZ-57A, UZ-58Aの名称があらわれる文献は,
1) (1941年7月に発表した)廃止のマツダ真空管とその代用推奨品の特性対照表, 無線と実験, 1943年1月
2) 昭和18年5月制定の小売公定価格(池谷理,受信管物語[24]p.33, 電子,1977.12)
3) 電気通信界の展望, 2.5.3 各製造機関の現況, 電気通信学会雑誌, 1947.12
UZ-58A(Double-name)?{EM] UZ-58A(UZ-58) Tm(刻印,放見えず, Base矢印, ステム2こ,スパイラルh, 真鍮ピン,真鍮頭) 4-0em<36, (ハンダはずし) (Rt_3_PenRF)
?UZ-58A(UZ-58) Tm(刻放ベース底(T),ステム「2ろ」,スパイラルh, 真鍮ピン,真鍮頭) 050223
UZ-58A(Die stamped)?UZ-58A Tm(刻放ベース,放, ステム「3ム な」,ストレートh, , 真鍮ピン,鉄頭) 070506 青がラス (未掲載)
[Gomi] UZ-58A Tm(刻放ベース,放, 真鍮ピン,真鍮頭) -
Atom[GOMI] UZ-58A Atom(アトム) 1級, capとれ, gomi
NECUZ-58A(New)
○UZ-58A NEC (1級白 灰スート) 67>36 C27 National R-5M 1941
UY-58;UY-57の項でも述べたように,K.O.真空管(KOトロン)は,1933-34年頃にUZベース(6pin)の57, 58をUYベース(5pin)にしたナス管UY-257, UY-258を作った。さらに1934-35年頃に,ST管としたUY-57, UY-58を販売した。これはその後エレバムから出たUY-24Sや戦後のUY-57Sの元祖といえる。また,品川電機KOトロンから分離したホリゾン真空管(後の堀川電子管)が,1939年頃に5本足のUY-58を販売した。価格は1939年1月でUZ-58が1.90円,UY-58が2.00円だった。UZ-58S, UY-58S (メタルスプレーシールド管); また,一方,宮田製作所エレバムは,1935年頃,メタルスプレーシールド管のUZ-57S, UZ-58S, 5本足UY-57S, UY-58Sを作り,販売した。
UY-24S;「UY-24S」という名前の5極管は,宮田製作所エレバムが1938年末に開発したUY-24Bの代替用5極管で,UZ-58の足を5本にした球である。各社が製造したUY-57Sの原形といえる球で,戦後版はUZ-57の完全な5本足版であるが,UY-24Sは何か違う。gmはUZ-58に近く,プレート電流もUZ-58程ではないが,UZ-57よりも大きい。代表特性はEsg=90Vとなっているので,これを100Vとすれば,あるいはUZ-58と全く同じ特性なのかもしれない。もう1つ,当時のUY-24Sの特徴はガラス管の長さにあった。当時のUZ-57, UZ-58が長身L=125mm程だったのに対して,UY-24Bは,UZ-77, UZ-78と同様にL=113mm程しかなかったのである。頭の金具と足を除けばL=88mm程しかない。これは戦後国産の短身のUZ-57,58と同じサイズである。保守用としては心配りをした球だった。1939年1月にエレバムはUZ-57を2.00円,UZ-58を2.10円,UY-24Bを1.70円で販売したが,この新製品のUY-24Sも同じ1.70円で販売した。
戦時中,製造が途絶えたようだが,エレバムは戦後もUY-24Sを製造販売した。(小川商報の真空管価格表にはUZ-58の脇に24Sが表示されており,UZ-58の5本足版であることを物語っている)。1952年11月に225円,1955年10月に198円で販売していた。しかし,エレバムは1953年頃に,UY-57Sの販売をやめ,UY-24Sだけとし,その中身をUZ-57に入れ替えた。その頃の需要はUY-24Bの検波に特化していたせいかもしれない。
|
Base |
Outline |
Ef V |
If A |
Eb V |
Esg V |
Eg V |
Ib mA |
Isg mA |
mu |
rp Mohm |
gm mA/V |
Eg V Ib=0 |
UZ-57 (matsuda'51) |
1g2, 2p, 3h, 4h, 5k, 6g3, top=g1 |
ST-38/ D=38 mm, L=120 mm |
2.5 |
1.0 |
250 100 |
100 |
-3 |
2 |
0.5 |
|
1.5 1.0 |
1.22 1.185 |
|
UY-57S (matsuda'51) |
1h, 2p, 3g2, 4g3+k, 5h, top=g1 |
|
sa |
sa |
sa |
sa |
sa |
sa |
sa |
sa |
sa |
sa |
|
UY-24B (Matsuda RG-10014, '35.4.30) |
1:sg2, 2:p, 3:h, 4:h, 5:k, TOP=g (*1) |
|
2.5 |
1.75 |
250 180 |
90 90 |
-3 -3 |
4 4 |
- - |
630 400 |
0.6 0.4 |
1.05 1.00 |
|
UY-24S (Elevam 1939.1) |
? |
120, 38 |
2.5 |
1.0 |
250 |
90 |
-3 |
3.5 |
0.7 |
2000 |
1.3 |
1.6 |
|
|
Class |
Eb V |
Esg V |
Eg V |
Rk kohm |
RL kohm |
UZ-57 (Matsuda RG-10050) |
Plate Detector |
250 250 |
100 50 |
-3.86 -1.95 |
4 3 |
250 |
UY-24S (Elevam 1939.1) |
Detector |
250 |
20-70 |
-4 to -6 |
|
|