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42. Superhet tubes |
43. Transformer-less |
2. Radio Tubes for Super-Het with power transformer/トランス付き国産5球スーパ |
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TEN No Sample |
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Matsushita, TEN |
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6Z-DH3A-S No Sample |
6Z-P1-S *1 |
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KX-12FK-S No Sample |
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(Hi-Fi) SUN 6W-DH3-S No Sample |
Horizon |
Elevam |
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6W-C5は米国6SA7/6SA7GTのST版で,日本独自の5球スーパー用ラジオ球です。東芝(マツダ)により1948年+に開発されました。戦後,ラジオの形式がスーパーに切り替えられた時分には,ヒータ電圧だけは6.3V化されていましたが,周波数変換にはひと昔前のUt-6A7が使われていました。しかし,当時の日本は電源事情が悪かったせいもあって,以前から指摘されていた種々の欠点が一遍に路程し,使いづらい球だったようです。このため,6SA7系の国産化が進められたのです。6W-C5が日本独自と言えるのは,外形が旧式の製造設備で作りやすいSTであることに加えて,ヒーター電流が0.35Aという日本独自の半端な規格(米国では0.3A)を採用している点にあります。特にヒータ電力UPについては昔から様々な憶測が為されていますが,やはり終戦直後の商用電源不安定期の産物で,ヒータ電力を10%程度UPさせ陰極温度を上げることにより,少々の電圧ドロップがあってもエミッションが低下しないという,発振停止の予防策を講じたと見るのが賢明でしょう。
+電波科学1948.3「これから使われる受信真空管新型名」に6W-C5Aとともに6W-C5が登場。
*無線と実験1948.4「国民型スーパーの転換,新規格真空管」に12W-C5とともに6W-C5が登場。
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Base |
Outline |
Ef V |
If A |
|
Eb V |
Esg g2-4 V |
Eg3 V |
Eg1 V |
Rg1 ohm |
Ib mA |
Isg g2-4 mA |
Ik mA |
Ig1 mA |
rp Mohm |
gc mA/V |
6W-C5 (matsuda '51) |
1;h, 2;p, 3;g2+g4, 4;g3, 5;k+g5, 6;g1, 7;h, |
JES-6B ST-38/ D=38 +/-1 mm, L=103 +/-5 mm |
6.3 |
0.35 |
Conv |
250 |
100 |
0 -35 |
|
20k |
3.2 |
8.0 |
11.7 |
0.5 |
1.0 |
0.45 0.002 |
Osc Triode |
100 |
100 |
0 |
0 |
|
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gm= 4.5 | |||||
6W-C5** |
|
|
6.3 |
0.35 |
Conv |
250 |
100 |
-2 |
0 |
20k |
3.5 |
8.5 |
|
0.5 |
|
gm= 4.5 |
6W-C5A** |
|
|
6.3 |
0.3 |
Conv |
250 |
100 |
-2 |
0 |
20k |
3.5 |
8.5 |
|
0.5 |
|
gm= 4.5 |
3W-C5*+ |
|
|
2.5 |
1.0 |
Conv |
250 |
100 |
0 |
|
20k |
3.2 |
8.0 |
|
|
|
0.45 |
|
Cin Cg3-others |
Co Cp-others |
Cin osc Cg1-others |
Cg3-p |
Cg3-g1 |
Cg1-p |
Cg1-p+g2+g4 |
Cg1-k+g5 |
Ck+g5-others |
6SA7-GT+ |
11 |
11 |
8 |
0.5 |
0.4 |
0.2 |
5 |
3 |
14 |
6W-C5+ |
10 |
8 |
9 |
0.6 |
0.4 |
0.4 |
5 |
2.5 |
14 |
Advatize of Toshiba-Matsuda 6W-C5 in Feb. 1949/電気通信学会雑誌1949年2月号の広告より。東芝は1947年に6SA7相当の試作#3018という球を製造していた。それが,6W-C5だったかもしれない。
この球は皆が異口同音に懐かしいと言う割には,内部が見えないので良く分からない球でもあります。内部の見えない球は写真を出してもつまらない?見えるところから覗きましょう。
Toshiba-Matsuda Eraly-Times 6W-C5 during 1948-1949/東芝マツダの初期の6W-C5(1級,1948-1949年,Type-I)。
初期の球の特徴は,ガラス管内側の灰色スートとガラス管壁の1級マーク。このモデルを私はType-Iと名付けている。左サンプルは最も古い球で,スートはやや明るい灰色,また右のサンプルは灰色に少し黒が混じっている。ガラス管壁にはマツダの丸ロゴと6角形の管名枠。1級マークは左サンプルでは管名枠に重なる形で左下に,右サンプルは管名枠の右に。(写真には映りませんでした)。周波数変換管のチェックは難しいが,通常3極接続でgmを測定する。左サンプルはgm=47<50でエミ減,電極間絶縁も劣化。右サンプルは78>50はまあまあの特性。
Top Structure of Toshiba-Matsuda Eraly-Times 6W-C5/東芝マツダの初期の6W-C5の上部構造。
プレートは3リブ付きの円筒形で,5つのグリッドは5mm程上に出ている。左の写真では,中央がカソード,左右の支柱はプレート,その中に左右それぞれ4つのグリッドの支柱が見える。内側から第1,第2,第4,第5である。ここで注目すべきは第2グリッド支柱付近に見える太い柱。それは断面がV字型のアングルで,<・・>のように向かい合っているビーム形成翼なのである。また右の写真は90度異なる角度から見た図。左右の支柱は第3グリッドの支柱。何故他と並んでいない?実は,先のV字型アングルとこの第3グリッド支柱で水平面方向にカソードを中心とした2つの円弧状のビーム・パターンができるのである。この構造によりコントロール・グリッドG3の利きの良さを確保しながら発振部と混合部の結合を弱め,旧モデルのUt-6A7に見られた不安定さを低減できたのだと推察される。
しかし,Ut-6A7,Ut-6L7や6W-C5といった5重の同心円状に巻いたグリッドは機械的に弱く,スピーカの振動を拾ったり,造りが悪いと電極間ショートの原因にもなりました。
Top Structure (2) of Toshiba-Matsuda Eraly-Times 6W-C5/東芝マツダの初期の6W-C5の上部構造(2)。
マイカ板は長方形で,両端はガラスに接触,プレート支柱は鳩目で止まっている。カソードと第3グリッド間に横長の切り込み(絶縁用)がある。(メーカによってはありません)。上部マイカの材質は透明でコーテイングはない。各グリッドと支柱は銀色の金属。
Low Structure of Toshiba-Matsuda Eraly-Times 6W-C5/東芝マツダの初期の6W-C5の下部構造。
マイカ板は長方形で同じだが,白色。マグネシア塗布してある?また,ステムはツマミ型(ピンチ型)で,ここに7本が密集している。ベース・ピンへの引き出し線は,特に両端は間隔維持が厳しく,左端のプレートに対して,その隣の第4グリッドにはエンパイヤ・チューブが被せられている。また右端第5グリッドに対して,その隣のカソードにもエンパイヤ・チューブが被せられている。その後,ステムのジュメット線の間隔を広く取るように改良がなされ,エンパイヤ・チューブは1本,さらには無しで済むようになった。ゲッタはこの時代,ステム部に皿型のものが付けられている。
Toshiba-Matsuda Middle-Times 6W-C5 (Early 1950s)/東芝マツダの6W-C5。中期(1950年代初頭)。
Type-II。ガラス・スートが黒色になる。ともに皿ゲッタ。ガラス管壁にはマツダのロゴと管名。左サンプルは無印,gm=68。右サンプルはステムに34。gm=95。
Toshiba-Matsuda Last-Time 6W-C5 (Middle 1950s)/東芝マツダの6W-C5。後期(1950年代中頃から)。
Type-III。プレートの形状がやや変わった。中期までは側面の2本の支柱を用いてマイカ板に鳩目で固定していたが,後期になると円筒形の前後に長方形の切り欠きを作って側面部分をやや高くしたものを採用,四隅の爪を折ってマイカ板に直接取り付ける方式に変わった。左サンプルはステムの文字あるが読めず,ゲッタは皿型。gm=44<50でエミ減。右サンプルはg1が銅色になった。ゲッタは角型,gm=125。やや高い。
Nippon Electric Corporation (NEC) Early-Times 6W-C5 (Early 1940s)/日本電気(NEC)の初期の6W-C5(1940年代)。自蔵。
[2a3]
Nippon Electric Corporation (NEC) Early-Times 6W-C5 (Early 1940s)/日本電気(NEC)の初期の6W-C5(1940年代)。(写真提供 三重県津田孝夫さん)
初期にはガラスのスートが無かった。プレートは単純な円筒型。ガラス管壁に菱形のNECのロゴ<NEC>と1949年に廃止された1級マーク。文字は白灰色。。
[YfO] Nippon Electric Corporation (NEC) Middle-Times 6W-C5 (Early 1950s)/日本電気(NEC)の6W-C5(1950年代初頭)。
スートの色はマツダの旧形と同じく灰色だが,時代はやや新しい。プレートは切り欠き型。ともにガラス管壁に米国WEのロゴを真似たNippon Electricという文字と菱形のNECのロゴ。左のサンプルは文字は銀色で無印,皿ゲッタでやや古い。gm=81>50と良好。右サンプルはやや薄くなってしまったが銀色文字,ロットは832。ガラスが5mm程長い。角型ゲッタでやや新しい。gm=50でほぼエミ減。
TVC, SUN
[YfQ] From Left, Tokyo Vacuum Corporation (TVC) 6W-C5 and SUN 6W-C5/左はTVC(東京真空管,東芝の子会社),右はSUN(サン)。
TVCはマツダ製の中期とほぼ同じ作りだが,g1フィンが付いている。角ゲッタ。gm=85。サンは切り欠き付きプレートで,爪は2つ。U字型フィンが付いている。角ゲッタ。gm=78。サンのこの球は私がラジオに入門した時の記念すべき球。写真は示さないがPrinceの6W-C5(gm=104)もサンに似た作りである。
Matsushita
[YfQ][YfQ] Matsushita-National 6W-C5s/松下製の6W-C5。
左はVICTORのロゴもある(RI=1954年9月),右は(QJ=1955年10月)。ともに角ゲッタ。左RIはgm=92。右QJはガラス頭部も黒ずんでおり,gm=55とエミ減に近い。松下製は変わっている。頭部の様子を見ると分かるが,第3グリッド支柱の位置が変則的で,他の電極支柱に対して垂直(90度)ではなく,25度程角度を付けているのだ。ビーム・パターンは異なるものとなろう。これは初期の6W-C5Aにも見られる。
Elevam -Miyata
[Af1r] [Af1] Miyata Electric Wrks, 6W-C5 with Kana-logo "Elevam" in 1950s/宮田電機のカタカナロゴ「エレバム」の6W-C5
6W-C5A6W-C5Aは,6W-C5のヒータ電流を0.35Aから0.3Aに直した球で,分類上は改良版になりますが,本来は米国6SA7/6SA7GTの完全なST版と言えましょう。これも日本独自の5球スーパー用ラジオ球です。6W-C5AのJIS名は6W-C5と同時に登録が行われた模様で1948年3月のリスト*にその名称が見られます。開発者は神戸工業TENと思われ,1948年に製造を開始し自社のラジオに採用しています+。また,松下ナショナルも1951年頃から製造しました。(以前,開発者はおそらく松下ナショナル,開発年代を1949年頃と推定しましたが,1948年神戸工業TENに訂正しました。2008.9)
本来6W-C5Aは正当派のはずで,電源事情が好転した1950年代には主流となってしかるべき球なのですが,意外や意外,爆発的に普及を見せたのは6W-C5の方であり,松下は初期の頃6W-C5Aを使ったものの,1951年頃には6W-C5Aの路線を諦めて6W-C5に合流してしまいました。ですから,6W-C5Aは早くから廃止管になりました。
6W-C5の0.05A UPの御利益は一体何だったのでしょう?推察するに,ヒーター電流の16.6%増の球は発振停止の特効薬として人々に歓迎されたのに対し,正当派は不安定な電源事情でひ弱な球と烙印を押されてしまったのではないかと思われます。ヒーター電圧6.3Vを厳格に守れる時代ではなかったので,ヒータ電力10%程度の違いは誤差の範疇だったことも事実です。6.3V/0.3Aで出荷しても誰も気づかなかったでしょう。こんなことに目くじらを立てる程馬鹿げたことはなかったのでしょう。
+田尾司六, 解説真空管,日本放送協会 1949.(1.9我が国における真空管の発達,4川西機械製作所に於ける真空管製作の歴史, p.19-21)
(*電波科学1948.3「これから使われる受信真空管新型名」に6W-C5Aが登場している)
Kobe-Kogyo - TEN
[Af1r] [Af1r] Kobe-Kogyo TEN 6W-C5A in May, 31, 1948/昭和23年5月31日製造のテン6W-C5A、1級マーク。 ガラスはクリヤーで、スートなし。電極支持もマイカ板に支柱穴を差し込んだだけで、切り欠き構造ではない。 [Af1r][Af1][Af1] Matsushita
[YgM][YgM] Matsushita-National 6W-C5-A/松下ナショナルの6W-C5A。 管名とナショナルのロゴはガラス・プリント。右側面下に小さな文字(V..)が見える(1950年製?)。また,ベースにはI.L.Y.(1949年?)と記してある。電極構造は同社の6W-C5と同じだが,灰スート,皿ゲッタで,極めて初期の球。
3W-C53W-C5は6W-C5のヒータ電圧2.5V版で,戦前のスーパーラジオの保守用球として開発された。開発者は松下あたり,開発年代は1951年頃と思われます。元祖米国6SA7/6SA7GTの系列には2.5Vの相当球はありませんので,名実ともに日本独自の球となりました。3W-C5のJIS名制定は記録+があり,3Z-DH3とともに無線通信機工業連合会CESの申請に基づき1952年7月頃に小型真空管型名付与委員会によりJIS名登録されました。しかし,松下の3W-C5の製品サンプルでは製造コード(UH)1951年8月製のものがあり,実は製品はもっと前から流通していたことが分かります。つまり,1952年のJIS名称制定は後追いだったのが分かります。
+New Tube Data 新型名受信真空管, 小型真空管型名付与委員会発表, 電波科学(1952.7)。
国内ラジオ管は,戦後直ぐにヒータ電圧6.3V管に切り替えられたため,1948年頃に始まったスーパー時代にあえて2.5V規格の球を新規採用する製造メーカーはありませんでした。また,戦前のスーパーラジオには周波数変換にUt-2A7が使われていましたがセットの絶対数が少なく,管球メーカーも保守球を製造したので保守球の供給に問題があった訳でもありません。むしろ,2.5V規格の周波数変換管を望んだのは,旧来の並4,高1をスーパーに改造するアマチュアでした。このため,1948年に登場し使いはじめた新しい周波数変換管6W-C5の便利さから2.5V管が望まれ,松下ナショナルが販売に踏み切ったようです。1952年11月には一番高価なマツダの6W-C5が375円でしたが,3W-C5は松下ナショナルが409円,ドン真空管も参加し310円で販売されました。その他,マイナーな製造会社が小規模に製造したようです。以後,Ut-2A7が廃止になってからはその代替管としても3W-C5が使われました。最後には3W-C5にも事欠くようになり,それに代わってTV用に作られたラジオ管3BE6(600mA系)がソケットを変更して使われました。
Don
[Af1r] Don 3WC5 (F-B) in 1951 [Af1] Don 3WC5 (F-B) in 1951 Nitta
[YgM] Minor Brand Nitta 3W-C5/無名メーカー(ニッタ)製3W-C5。 ステムには青字で574(1957年4月か?)。黒スート,皿ゲッタ。gm=105。
6W-C5-S6W-C5-Sは外形がGT管と同じT管でベースがST管(Utベース)の6W-C5である。1954年に諏訪日本無線JRCによって作られた。日本標準のST管ソケットUX,UY,UZ,Utシリーズを用いて,まるでGT管のラジオができる。日本ではGT管が1950年頃から製造され,ラジオにも一部使われたが,高価であった。この点,従来のピンチステムに被せるガラス管をST管からT管にしただけであるからGT管に比較して廉価であった。しかし,あまり売れなかった。
[Af1] 77[Af1] 78[Af1] 79[Af1]
UZ-6D6-SJRC
UZ-6D6-Sは外形がGT管と同じT管でベースがST管(UZベース)の6D6相当の球ある。1954年に諏訪日本無線JRCによって作られた。一連のSシリーズの球の中で,UZ-6D6-Sだけは,ST管の焼き直しではなく,新規の開発品である。というのも,オリジナルのUZ-6D6はシールドケースを被せて使うのが前提で頭部に静電シールド用の冠だけを配置し側面シールドを省略した廉価な構造になっている。ところが,T管を採用すると市販のシールドケースでは形状があわずに使えないのである。このため,電極構造を米国の6K7-GTと同様に第3グリッドと同電位のアウターシールド電極でプレートを包む構造にせざるを得なかったのだ。だから,T管といえば,印象は米国の電池管1N5-Gや戦時中の我が国の万能管UY-11Aとそっくりになったのだ。ここまで凝ると,高価だったのではないか?
日本標準のST管ソケットUX,UY,UZ,Utシリーズを用いて,まるでGT管のラジオができる。日本ではGT管が1950年頃から製造され,ラジオにも一部使われたが,高価であった。この点,従来のピンチステムに被せるガラス管をST管からT管にしただけであるからGT管に比較して廉価であった。しかし,あまり売れなかった。
73[Af1] SuwaMusen JRC UZ-6D6-S, 1954 75[Af1] 74[Af1]
6Z-DH3 /3Z-DH36Z-DH3は,日本独自の5球スーパー用ラジオ球で,米国75(日本名UZ-75)の簡易版として1947年に東芝マツダにより開発されました。日本独自とは,双2極の片側を省略してコストダウンした事であり,当時の日本はよほど貧乏だったのでしょう。この球は,時の政府によるスーパーラジオへの切り替え政策により,周波数変換管Ut-6A7とともにたちまち主流になりました。しかし,同じ年に(一説によると日本電気NECにより)トップ・グリッドを廃止した6Z-DH3Aも開発され,主流はそちらに移ってしまいます。僅か半年程の天下でした。
それにもかかわらず,6Z-DH3はその後も作り続けられました。一体,何のメリットがあったというのでしょう?6Z-DH3のトップ・グリッドは捨てがたい魅力があったと考えられます。(あるいは,業界の申し合わせを破って6.3V管にボトムグリッド管を導入し販売した日本電気NECに対する東芝マツダの意地だったかもしれません。)
3Z-DH3は,3W-C5とともに無線通信機工業連合会CESの申請に基づき1952年7月頃に小型真空管型名付与委員会によりJIS名登録された。電波科学(1957.7)。戦前のスーパー受信機は2.5V管が主流で,検波増幅用として米国には6.3V管75(日本名UZ-75)の一族の2.5V管2A6(日本名UZ-2A6)がありました。この保守用にいつまでも需要の少ない2A6を製造しているとコスト高になるため,主流の6Z-DH3/6Z-DH3Aのヒータ違い版で代替させ製造コストを低減させようという訳です。しかし,3Z-DH3はほとんど製造された痕跡はなく,実際は後に述べる3Z-DH3Aが主流になりました。
+New Tube Data 新型名受信真空管, 小型真空管型名付与委員会発表, 電波科学(1952.7)。
Base
Outline
Ef V
If A
Eb V
Eg V
Ib mA
mu
rp kohm
gm
mA/V
c pF
6Z-DH3 (Matsuda '51)
1:h, 2:p, 3:pd, 4:-, 5;k, 6;h
top=g
JES-6B, JES-1A
ST-38/ D=38 +/-1 mm, L=113 +/-5 mm
6.3
0.3
d
50
0.24
250k
2uF
t
250
100
-2
-1
0.9
0.4
100
91
110
1.1
0.9
3Z-DH3+
2.5
1.0
d
50
-
0.24
-
-
-
t
250
-2
0.6
100
91
1.1
6Z-DH3A (Matsuda '51)
1:h, 2:p, 3:g, 4:pd, 5;k, 6;h
JES-6B
ST-38/ D=38 +/-1 mm, L=103 +/-5 mm
6.3
0.3
d
50
0.24
250k
2uF
t
250
100
-2
-1
0.9
0.4
100
91
110
1.1
0.9
3Z-DH3A*
2.5
1.0
d
t
250
-2
0.9
100
91
1.1
*ナショナル真空管ハンドブック 1955 (保守及び特殊用受信管規格表) Matsuda
[YgM] Toshiba-Matsuda 6Z-DH3/東芝マツダの6Z-DH3(1940年代末)。 造りはUZ-75に同じ。ガラス管正面に6Z-DH3の管名表示(ペイントのような感じの白),裏面にマツダのロゴ。ガラス管形状は戦前と同様にいかつい肩をしている。ゲッタは皿型。6Z-DH3のグリッド引き出し線は最短でトップ金具に繋がっている。構造の詳細は6Z-DH3A参照。ステムにはガラス押し印「C」。[em,gm]=[34,51]。
Matsushita
[YgM] Matsushita National 6Z-DH3 (1954)/松下ナショナルの6Z-DH3(RD,1954年4月)。
プレートは灰色(アルミクラッド鉄)で近代的。角ゲッタ。マイカ板は3層。プレート・フィンが片側しかない。これは電極構造がグリッドをステム下部に引き出した6Z-DH3A用に設計されたものを流用しているため。松下製の6Z-DH3A,3Z-DH3Aを参照。[em,gm]=[37,64]。
6Z-DH3A6Z-DH3Aは,日本独自の5球スーパー用ラジオ球で,6Z-DH3の改良版として(一説によると日本電気NECにより)1948年に開発されました。改良とは,トップ・グリッドを廃止して,ベース・ピンに接続した事です。もっとも,6Z-DH3Aに先行して,東芝マツダがトランスレス・ホームスーパー用にトップ・グリッドを廃止した12Z-DH3Aを1947年末に開発していました。一説によると,このとき,業界では6.3V管はトップ・グリッド版6Z-DH3で行くと申し合わせていたそうです。ところが,日本電気NECはこの申し合わせを破って1948年に6Z-DH3Aを販売したそうです。)この球は日本のスーパー用球の決定版として,その後の約10年間君臨し続けました。
NEC
[Yg4][Yg4][YgL] First-time NEC 6Z-DH3A during 1947-1949/NECの最初期(1947-1949年)の6Z-DH3A。 唯一の1級球。ガラス管はいかつい肩の古い形式。ガラス管壁には管名,1級マーク,小さな菱形にNECのロゴのプリント。ベース底には菱形にNECのロゴのレリーフがあるのも特徴の1つ。ゲッタは皿形。
電極構造は上に3極部,下に2極部だが,その組み合わせ方はオリジナルの設計のようでマツダや自社の後世の球と大きく異なる。3極部プレート下部は2極部をまたぐコの字形で作られており,その下にマイカ板を挟んでシールド箱の無い2極部プレートがむき出しとなっている。2極部プレートはフィン付きで左右は爪の折り返しで上下のマイカ板に留めてある。3極部プレートは無垢のニッケル?でできた2段リブ付きの異様に小さな円柱で,その上下は2極部と同じく爪の折り返しでマイカ板に留めてある。グリッドには放熱フィンがない。3極部のグリッドは下に邪魔者が無いので,引出線は下に直接引き出されてステムに接続されている。このサンプルは,ステムに青字でY?,[em,gm]=[32,41]。生きている。
[Yg4] NEC 6Z-DH3A in Early 1950s/NECの1950年代初頭の6Z-DH3A。ガラス管壁には赤文字で,上段にNippon Electric ,中段に菱形とNECのロゴ,下段に管名を印字。電極構造は大きく変わり,2極部にシールド箱が付いた。3極部プレートは大型化し,材質もやや茶色となり,グリッドには上部にU字型フィンが付き,引き出しも電極上部からになった(マツダ参照)。2極部下部にもマイカ板が使用してある。このサンプルはステムにNのガラス文字。[em,gm]=[18,62]で2極部はエミ減だが使える。
Matsuda
[Yg5] Early-time Toshiba-Matsuda 6Z-DH3A (Type-I) in 1950/東芝マツダの初期(1950年頃)の6Z-DH3A(Type-I)。
ゲッタは戦前から用いられた旧式の皿型で,ゲッタ膜が青みかかっているのが特徴。Type-Iと呼ぶ。特にガラス管の形状はまだ戦前のST管と同じいかつい肩を持つ外形を保っている。このサンプルはステムに青字で「1い」,ガラス押印は「5」。[em,gm]=[無限大,30]。2極部は異常にエミッションが大きい。
電極構造はこの頃から1960年代初頭まで同じ形式で,上にプレート・フィン付きの3極部,下にシールド箱入り2極部である。
2極部は平角型のシールド箱,小さな円柱プレート,カソードから成り,シールド箱はカソード同電位。2極部はマイカ板を使用していない。シールド箱はステム左右の2本の支柱と中央のカソードの3点で支持されている。しかし,プレートはステムからの支柱1本で位置が決められ,宙に浮いている感じ。
3極部は2枚のマイカ板でがっちり抑えられている。上部マイカ板はまだ透明。下部マイカ板はマグネシア塗布。プレートは黒化したフィン付きのもので両端をステム左右から2本の支柱で支えている。2枚のプレート板はマイカ板に金属ベルトを巻いてスポット溶接されている。したもの。グリッドにはU字型のフィンがあり,引き出し線は電極トップからプレートを外側に大きく迂回してベース部まで配線している。これは原型のUZ-75,6Z-DH3のトップ・グリッドの名残である。
[Yg5] Early-time Toshiba-Matsuda 6Z-DH3A (Type-I') in Early 1950s/東芝マツダの(1950年代初頭)の6Z-DH3A(Type-I')。
このサンプルもType-Iの1つだが,ガラス管形状がナデ肩となってしまった。偽物が横行したために他社製と区別するためだろうか?肩の位置が約5mm低い。ガラス管表面のマツダ・ロゴと管名の印刷位置も低くなった。サンプルはステムに「9」の文字。[em,gm]=[31,75]
[YgL] 6Z-DH3As, From left, Toshiba-Matsuda Type-I", Type-II, Type-II' and Toshiba Type-III/ 左から東芝マツダ(type-I''),(Type-II),(Type-II'),東芝(Type-III)。 東芝マツダの(1950年代初頭)の6Z-DH3A(Type-I'')。このサンプルもType-Iの1つだが,プレート板の張り合わせがスポット溶接から4つ穴のカシメに変わる。マイカ板も透明なものからマグネシア塗布型に替わる。ただし,ゲッタは旧式のままである。サンプルのステムのガラス印は「ン,2」。[em,gm]=[33,18]
東芝マツダの(1950年代中頃)の6Z-DH3A(Type-II)。ゲッタが皿型から角型に変わる。ガラス鏡面は下部にだけ付くようになった。同モデルの手元の3本のサンプルのステムには表と裏に「ニ,6」,「ニと7」,「ホと7」。[em,gm]=[35,65],[33,46],[12,18]=エミ減。
東芝マツダの(1950年代中頃)の6Z-DH3A(Type-II')。g1フィンが幅5mm程の大型のU字型から3mm程の小型になる。サンプルはステムには「ヲと7」の文字。[em,gm]=[19,41]
東芝の(1960年代)の6Z-DH3A(Type-III)。電極材料の寸法が新設計となり,プレートは黒色から灰色に,カシメは2つ穴,幅も広くなる。2極部のシールドケースも大きくなり,下部マイカ板が追加され,3段になる。最上段は透明マイカ。ベースにToshibaのプリント。[em,gm]=[36,35]
Rodin
[YgM] Okaya Rodin 6Z-DH3A in 1952/Rodinの6Z-DH3A(52.Z.7,1952年12月製)。角ゲッタ。管名とロゴはガラス面にあるが写っていない。まだRODANとは書いてない。[em,gm]=[27,63]。
Besto, TENs
[YgL] Minor Brand 6Z-DH3As, From left, Yasuda Electric Best, Kobe Industry TEN(A3Q) and TEN(FC1P)/左よりBESTの6Z-DH3A,TENの6Z-DH3A(A3Q)と(FC1P)。 BESTの6Z-DH3A。ベスト真空管。ステムに青で(93C)。プレートは光沢黒色,2リブ。ゲッタは旧式の皿型。[em,gm]=[17,57](2極部ややエミ減)。
TENの6Z-DH3A(A3Q)。1951年3月?。[em,gm]=[41,54]。プレート・フィンは片側が1/2しかなく,プレート支柱に代わってグリッド支柱となっている。プレートはカシメ。旧式の皿ゲッタ。下側のマイカは真ん中がくびれており,カソードをはめ込むようにできている。
TENの6Z-DH3A(FC1P)。1956年3月。[em,gm]=[6,41](2極部エミ減)。プレートはスポット溶接で,マイカも3段。3極部プレート・フィンのサイズは東芝の新型と同じ。
3Z-DH3A3Z-DH3Aは,日本独自のスーパーラジオ用の検波増幅管で,ヒーター電圧2.5Vの5球スーパーの保守用として,6.3Vの6Z-DH3Aを原形に開発された球です。トップグリッド管3Z-DH3はコンバータ管3W-C5とともに1952年夏にJIS名登録されたことが分かっていますが,シングルエンド型の3Z-DH3Aについては,開発メーカや年代を示す資料はまだ見つかっていません。しかし,登録されたはずの3Z-DH3がほとんど製造されず,むしろ3Z-DH3Aの方がメジャーな存在だったことを考慮すると,3Z-DH3Aも1952年頃から出回ったと推定するのが妥当と考えます。製造メーカは3W-C5と同様に松下ナショナルやドン真空管が知られています。ドンは1952年11月の時点では3W-C5の製造のみでしたが,1954年8月では3Z-DH3Aを235円で販売しています。
戦前のスーパー受信機は2.5V管が主流で,検波増幅用として米国には6.3V管75(日本名UZ-75)の一族の2.5V管2A6(日本名UZ-2A6)がありました。この保守用にいつまでも需要の少ない2A6を製造しているとコスト高になるため,主流の6Z-DH3Aのヒータ違い版で代替させ製造コストを低減させようという訳です。トップグリッドの3Z-DH3は同じトップグリッドの2A6の保守に向いているように見えるのですが,実際には3Z-DH3Aが主流となった背景は,戦前に製造されたスーパーの保守ではなく,並四や高一受信機の改造需要がほとんどだったのではないかと思われます。その後,ST管の保守球が枯渇したMT管時代には代替管として3AV6との置き換えが推奨されました。
Matsushita
[YgM] Matsushita-National 3Z-DH3A in 1954/松下ナショナルの3Z-DH3A(RJ=1954年10月)。
右は6Z-DH3A(PG=1956年7月)。同じ作り。角ゲッタ。電極構造は6Z-DH3もDH3Aも,またヒータの違いがある3Zも6Zも全て共通。3Z-DH3Aの場合はヒータがやや太いかなという程度。[em,gm]=[36,56]。(右の6Z-DH3Aは[em,gm]=[17,26]でややくたびれている。)
6ZP1S6Z-P1-Sは外形がGT管と同じT管でベースがST管(UZベース)の6Z-P1である。1954年に諏訪日本無線JRCによって作られた。日本標準のST管ソケットUX,UY,UZ,Utシリーズを用いて,まるでGT管のラジオができる。日本ではGT管が1950年頃から製造され,ラジオにも一部使われたが,高価であった。この点,従来のピンチステムに被せるガラス管をST管からT管にしただけであるからGT管に比較して廉価であった。しかし,あまり売れなかった。
50[Af1]51[Af1] 52 [Af1]
UZ-42LUZ-42Lは,UZ-42類似のビーム出力管である。1954年にホリゾン真空管によって作られた。日本標準のST管ソケットUX,UY,UZ,Utシリーズを用いて,まるでGT管のラジオができる。しかし,あまり売れなかった。
39[Af1]43[Af1] Horizon UZ-42L W-type 41 42 44 [Af1]
Japanese Type Rectifier
日本の整流管は戦前には,独自のものとして,KX112A, KX112B, KX112F, PH-112K, KX12B, KX12F, KX80B, KX80C, KX80Kが知られている。1942年から日本独自の名称制度が確立され,12X-K1, 6X-K1, 5X-K3(KX-80), が誕生した。戦後,ラジオ用には12K, 12FK, 80BK, 80HK, 80S, 新80Kが現れ,さらに日本独自の名称制度が新たにJISに制定され,5G-K3, 30G-K5, 30G-K7, 30G-K9, 5M-K9, 6G-K14, 25M-K15などがCESに登録された。しかし,1955年頃にラジオ用整流管の開発は終了した。残るオーディオ用とTV用も1959年頃を最後に終了し,米国系の球に合流するか1950年代に登場したゲルマニウム・パワーダイオードやシリコンダイオードへとバトンタッチした。
KX-80BKKX-80BKは日本電気NECが1949年+に開発した5球スーパー用傍熱型片波整流管。UZ-42などの大型出力管を用いたラジオの+B整流管に用いる。従来,KX-80(Ib=120mA)で対応してきたがそれは高価であり,片波のKX-12Fは電流不足(Ib=40mA)であった。5球スーパーが普及する1940年代末期,直熱型整流管はヒートアップ時間が速く,ラジオ受信機の他の球は傍熱型で起動が遅かったため,+B電圧が過電圧になり+B回路のケミコンの爆発がよくみられた。そこで,手ごろな容量を持つ昔の片波整流管KX-80B(70mA)の傍熱管としてKX-80BKを作った。同時期に開発された東芝マツダのKX-12K, TENのKX-80H(後のKX-80HK)に比べてやや規格が大きい。NECは1950年当時僅かに自社製品に採用したかラジオ製造会社に納入した模様で,ゼネラル製品の5球スーパーに80BKの使用が見られた。市場ではマイナーな真空管製造会社はKX-12Kのコピー製品を製造し販売した。しかし,その後,日本電気NECの他,松下ナショナル,日立など主要メーカが製造し主流となった。エレバムやホリゾンもKX-80HKやKX-12KからKX-80BKへと転向を余儀無くされた。
+華やかに登場する1950年の国産真空管, 電波科学1950.1
KX-80BKは電気的特性がKX-80HKとほぼ完全互換にあり,差し換えできる。なお,GT管では東芝マツダが1950年にヒータ電流0.75Aの5G-K3を作った。
*NEC 1949, 電気学会Vol.62,No.12 日本電気株式会社の広告「新型片波整流管KX-80BK」
Name
Base
Outline
Ef V
If A
Epeak inv (V)
Ipeak (mA)
Epmax (V) (rms)
Ip(mA)
Zp (ohm)
KX-12K
KX-80BK
*NEC 1949
1:h, 2:p, 3;- 4;h+k
D=39, L=115
5.0
0.7
-
-
350
250
180
70 max at 380Vdc
at 250Vdc
at 160Vdc
OL=8uF
KX-80BK
+ Mat 1954
1:h, 2:p, 3;- 4;h+k
D=38, L=105
5.0
0.7
1000
420
350
74
200
+ナショナル真空管ハンドブック1955年版(1954.10) [AeN]26[AeN] NEC Early KX-80BK, 1kyu [1kP] NEC KX-80BK, Matsushita KX-80BK, 80BK and Toshin KX-80BK NEC KX-80B(K?) コ, 着炭。複雑な造りのプレート。em=未計測。matsushita KX-80BK(0SJ) 1953 em=17/38/41,ゲッタ退化。 プレートはニッケル色。Matsushita 80BK (PJ) 1954, プレートはくすんだ灰黒色。em=46。Toshin KX-80BK (59-1) 1959. em=47。アルミ被覆鉄。
KX-80BK-SKX-80BK-Sは外形がGT管と同じT管でベースがST管(UXベース)のKX-80BKである。1954年に諏訪日本無線JRCによって作られた。日本標準のST管ソケットUX,UY,UZ,Utシリーズを用いて,まるでGT管のラジオができる。日本ではGT管が1950年頃から製造され,ラジオにも一部使われたが,高価であった。この点,従来のピンチステムに被せるガラス管をST管からT管にしただけであるからGT管に比較して廉価であった。しかし,あまり売れなかった。
[Af1r][Af1r] [Af1r]
KX-12K /KX-80HK / KX-80HKX-12Kは東芝マツダが1949年+に開発した傍熱型片波整流管。従来5球スーパーに使われていたKX-12Fの傍熱型改良版として開発したが,出力電流は50%upして60mAとれるものの,ヒータ電流を0.5Aから0.6Aへと増加させたため,KX-12Fとは完全互換とはいかず,新作になってしまった。同時期に日本電気NECがKX-80Bの傍熱管(70mA)の規格を持つKX-80BKを開発し宣伝しはじめたので,新作だと容量がやや劣るKX-12Kは不利になってしまった。1950-51年に名称をKX-80HKとし,KX-12Kを廃品種とした。なお,KX-12Kは1950年頃,ホリゾン真空管,東真などが製造。また,ホリゾンはGT管の12K-GTも製造している。1950年11月に,マツダKX-12Kは95円,ホリゾン80円,東真75円。ホリゾン12K-GTは100円であった。
+華やかに登場する1950年の国産真空管, 電波科学1950.1
KX-80Hは神戸工業TENが1950年に開発した傍熱型片波整流管。KX-12Fの傍熱型として開発。神戸工業は,もともと,KX-80Hは仮の名称で,JIS名称制度に登録を望んでいた。業界団体のCESは本来むだな品種を無くす,推奨品種に統一するが目的だったが,整流管については日本電気が先行して広告したKX-80BKと既に開発済みの東芝マツダのKX-12Kとの規格違いがあり,そんなところにKX-80Hが登場した。以下,私の推論であるが,利害関係が対立して統一不能。CESではその機能が果たせなかった。そのため,東芝と神戸工業TENは,規格が類似しているKX-12KとKX-80Hだけを統合してKX-80HKとして送りだす戦略をたてたと考えられる。1950-51年にKX-80Hを廃品種とし名称をKX-80HKとした。
KX-80HKは,東芝マツダ,神戸工業TENが1950-51年頃に規格を統一した傍熱型片波整流管。もともとは,KX-12KとKX-80Hを統合して名称を変更したもの。東芝マツダの名称変更は1950年5月-6月頃といわれる(津田さんの指摘, MJ誌1950.5, 6のマツダ広告の比較より)。神戸工業TENの他,宮田エレバムも製造した。宮田エレバムのKX-80HKは規格が異なり,Ih=0.65A,70mAを可能とし,KX-80BKと互換性を持っていた。宮田エレバムはマツダがまだKX-12Kを販売していた1950年11月に,KX-80HKを90円で販売した。しかし,エレバムは1952年にはKX-80BKに名称を切り替えた。私の手許にあるラジオに残っている整流管を調べると,KX-80HKとKX-80BKでは,2:1でKX-80HKが優勢であった。アマチュアは廉価なKX-80BKを好んだが,さすがマツダは大メーカーであった。
KX-80HKは電気的特性がKX-80BKとほぼ完全互換にあり,差し換えできる。
*神戸工業技報 No.6-7号, p.19,テン真空管新型傍熱整流管KX-80H, (1950).
Name
Base
Outline
Ef V
If A
Epeak inv (V)
Ipeak (mA)
Epmax (V) (rms)
Ip(mA)
Zp (ohm)
KX-12K
5.0
0.6
350
65
KX-80H*
1:h, 2:p, 3;- 4;h+k
D=38, L=110
5.0
0.6
-
-
350
65
200, OL=8uF
KX-80HK
Matsuda 51
1:h, 2:p, 3;- 4;h+k
D=38+/-1, L=88+/-5
5.0
0.6
1000
400
350
65
200
KX-80HK **
Miyata Elevam
1:h, 2:p, 4;h+k
5.0
0.65
350
70
** 宮田電機(株)エレバム真空管マニュアル(-1953頃) [1eR] Toshiba Matsuda KX-12K (京都府の辻野泰忠さん寄贈)
[1kP] Toshiba Matsuda KX-80HK 1950s Matsuda KX-80HK, (1)プレートやや黒っぽい。プレート上部爪,横に棒を溶接。皿ゲッタ。ステム「6」em=53。(2)プレートやや茶。プレート上部爪,斜めに棒を溶接。ステム「ユ」em=54。(3)角ゲッタになる。ステム「イ」青1点。em=37-42。
KX-12FKKX-12FKは,ヒータ電流値も含めてKX-12Fと完全互換性のある傍熱型片波整流管で,KX-80BKやKX-80HKより相当遅れて登場した。開発メーカや年代を示す資料が見当たらないが,日本電気NECか松下ナショナルが1954年頃に開発したものと思われる。傍熱型のためヒートアップ時の過渡高電圧が回避できるが,+B出力電流が少ないため,KX-12Fの代替以外に用途は無い。松下,NECなどが製造。
+ナショナル真空管ハンドブック1955年版 本文(1954.10),
Name
Base
Outline
Ef V
If A
Epeak inv (V)
Ipeak (mA)
Epmax (V) (rms)
Ip(mA)
Zp (ohm)
KX-12F *
1:f, 2:p, 3;- 4;f+k
5.0
0.5
300
44*
KX-12FK
Matsushita 1954+
5.0
0.5
850
240
300
40
KX-12FK *
1:h, 2:p, 3;- 4;h+k
D=38, L=110
10-12
5.0
0.5
-
-
300
44*
KX-12FK
Matsushita 1958
1:h, 2:p, 3;- 4;h+k
D=39, L=90
5.0
0.5
850
240
300
40
0, 4uF
*ナショナル真空管ハンドブック 1966 (CES受信用真空管特性表) [0i9][New] Futaba 12FK [Af1]83 [Af1] NEC 12FK 82[Af1r]84[Af1r] un Matsushita 12FK
KX-80K -Indirect Heat Allwave RectifierKX-80Kは,戦後,松下ナショナルが1950年頃+に開発した傍熱型の全波整流管。戦前に同名の傍熱型整流管KX-80Kが宮田製作所エレバムやドン真空管から発売され,そのリバイバルともいえるが,戦後の松下の製品は構造や規格が異なりすっかり別物である。松下80Kは傍熱型の80相当管で,パービアンスは等しくなるように設計されているので特性は80に同じという。「一般家庭用受信機,電蓄等の電源整流用に用いられ同級のKX-80より直流電流は若干大きくなっている」(1954),その後,松下は同設計のGT管のJIS登録を行い5G-K4とした。その後,松下は1955年頃に5G-K4のヒータ電流を2.0Aとする規格変更を伴う改良を行い5Y3-GTの傍熱型完全互換管を完成させ,米国EIA名を取得して5GC4とした。このとき,ST管80Kの規格が変更され,Ih=2Aとなった模様。したがって,同じ80Kでも2種類の規格があることになる。KX-80Kの前置詞KX付きは1955年6月までの名称,前置詞の無い80Kは1955年6月以降の名称であるので,80Kは新規格と考えて良い。
1950年,KX-80は東芝200円,エレバム160円,ホリゾン120円,トウ110円,ドン120円で販売していたが,東真真空管がKX-80Kを160円で販売した。松下は当時自社製品にのみ搭載し,市場に販売するルートは無かった模様。その後,ドン,ホリゾンも参入し,1952年11月にドン250円,ホリゾン230円だった。
+) 無線と実験, 1951.3, 今後の受信管(ラジオ受信用真空管標準品種の表)
+New Tube Data 新型名受信真空管, 小型真空管型名付与委員会発表, 電波科学(1952.7)。
Name
Base
Outline
Ef V
If A
Epeak inv (V)
Ipeak (mA)
Epmax (V) (rms)
Ip(mA)
Zp (ohm)
KX-80
Matsushita 1954*
1:f, 2:p, 3;p 4;f
D=45, L=112
5.0
2.0
1400
330 each
400
110
KX-80K
Matsushita 1954*
1:h, 2:Pd2, 3:Pd1, 4;h+k
D=45, L=112
5.0
1.75
1400
330 each
400
140.0
5G-K4+ (1952.7)
5.0
1.75
1550
415
400
140
5G-K4** (1955.8)
5.0
2.0
400
140
KX-80K (=5G-K4 =5CG4)
Matsushita 1958
1:h, 2:P2, 3:P1, 4;h+k
D=46 max, L= 119 max
5.0
2.0
1400
400
500 (Cin)
350 (Cin)
500 (Lin)
350 (Lin)
84
125
62.5
125
140
50
-
-
*ナショナル真空管ハンドブック 1955 (保守及び特殊用受信管規格表) **ナショナルカラーブレテンNo.10 (1955.8) [1kP] Matsushita 80K (QD) 1955 松下80Kは傍熱型の80相当管で,パービアンスは等しくなるように設計されているので特性は80に同じという。プレートは燻したようなニッケルで,プレートフィンの開き方が独特。2枚合わせのプレートをカシメた後,外側に向かって両サイドを90度開いている。ピンチステム,角ゲッタ1個。新品,em=[66,65], [65,65]
KX-80M -Indirect Heat Allwave RectifierKX-80Mは,戦後,宮田製作所エレバムが1950年頃+に開発した直熱型の全波整流管。80Mは80相当管らしいが規格不明。1954年頃まで販売したが1955年には廃止し,KX-80のみを販売した。1952年11月,エレバムKX-80Mは235円,1954年8月は187円であった。ちなみに,KX-80は952年11月で東芝285円,NEC260円,ホリゾン175円,ドン190円で販売していた。
+) 小川卸商報, 1952.11.
[AeU] Miyata Elevam KX-80M (Middle of 1950s) [AeU] Miyata Elevam KX-80M (Middle of 1950s)
KX-80S -Direct Heat Allwave Rectifierマイナーな真空管製造会社の製品にKX-80Sという整流管がある。これはダン真空管工業が1953年頃(津田氏によれば,電波科学1953.12に広告あり)に販売されたもので,直熱型の全波整流管でKX-80と5Z3の中間容量と推測される。プレートが80の1.5倍ある。規格は不明。
[1kP][YdJ] The left h.s. is normal KX-80 and the right h.s., DAN KX-80S (Middle of 1950s). プレートは着炭黒化。カシメ2つ。ゲッタは角。プレートはくすんだ灰黒色,造りはマツダのKX-80にほぼ同じだが,プレートのサポートについてはNECの5Z3に似ていて,ステムから支持棒2本が飛び出している。またフィラメントはスプリング吊りである。em=[65,40],片側がエミ減。
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