|
|
|
|
| |||
|
Short Wave Super/短波付スーパー | ||
|
|
|
|
|
| ||
|
|
|
|
(B) Normal Four Tube Radio Receiver/並四受信機 | |
|
B(53). 57-type Tomoe Hokuto-16 (Public Type-5 Receiver) in 1946?/巴電機 北斗受信機16型 (国民型5号受信機), ('98.2.22) |
終戦後の1945年から1948年頃まで,町は復興の土音が鳴り響き,庶民は明るい話題とレクレーションに飢えていました。ラジオの復興は時の政府やGHQの願望であっただけでなく,庶民が待ち望んでいたことでもありました。しかし,戦前の並4,高1に慣れた人々が想像できるラジオの復興とは並4,高1の復興に他なりませんでした。当時の日本放送協会はまだ受信機作りの指導的立場にあったのですが,1946年に国民型として発表した推奨ラジオは,戦前のレス管や戦前にはマイナーだった6.3V管を用いた高1ラジオ(1号,2号A,B,3号,4号A,B)6種だけでした。スピーカにマグネテイック型は1号,2号,ダイナミック型を用いたのが,3号,4号でした。でも高感度のマグネテイック型スピーカを単に流行のダイナミック型に置き換えただけでは,ラジオは感度不足。もともと出力管は6Z-P1も42も十分な能力を持っていたのですが,グリッド検波でいきなり出力管をドライブするには限度があり,感度が悪いと不評をかいました。庶民の信頼はあいかわらず,マグネテイック型の並4や高1にありました。1948年になると,放送協会は,現実路線に方向修正,並4ラジオや2.5V管を用いた高1ラジオも認知しました。
このラジオは巴電機製作所の並4ラジオで,スタイルは戦前のものを踏襲しています。巴電機製作所は後のHi-Fi時代にREXのトランスとして有名になった会社と同一と思われます。製造年代がはっきりせず,戦後とも戦前ともとれます。ここでは戦後としておきます。
真空管は,ソケットの記号から,UZ-57,UY-56,UX-12A,KX-12Fであることが分かります。実際残っていた球は,日立製UZ-57,ドン製のUY-56,Rodin製のUX-12AK,整流管はTVCの12Fでした。今となっては幻の球UX-12AKが入っていたのにはビックリしました。
キャビネット裏。左は日本ラヂオ工業組合連合会規格品,右は日本マグネチック用東京ラジオキャビネット工業組合,公認規格。これは戦後の規格のように思える。これさえ無ければ,戦前のラジオと断定できるのだが。
B8 53 98.2.22 3.5k 巴電機,北斗受信機 46? WB ST-4並4再生 ☆□○□▲■ 形式:北斗受信機 型16,(株)巴電機製作所 周波数:550-1500kc (Standard Broadcast) ダイヤル:10分割目盛り,周波数目盛り(550-1500kc) ツマミ:(1)電源,(2中央)ダイヤル,(3)再生,(4)側面スイッチ? 端子:アンテナA1,A2,A0, E 真空管:
PT:1次,100V,0.2A, 50-60cps 2次, 180VDC/DC18mA, 5V/0.5A, 5V/0.25A, 2.5V/2A |