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D2(129) Televian JBC Type 122 Receiver in 1942/山中電機テレビアン放送局型第122号受信機, ('00.11.18) |
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D2(ex1) Unknown JBC122/放送局型第122号 (本当は戦後?), |
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D2(137) Sharp JBC Type 122 Receiver in 1943/早川金属工業シャープ放送局型第122号受信機, ('01.1.18) |
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放送局型第122号受信機は,日本放送協会が1940年10月31日に第123号とともに制定した中距離用(弱電界用)のトランスレス・ペントード3球受信機の規格である。(「正式に制定された」のは1941年末に大平洋戦争が勃発したのを受けて翌年の1942年3月になったようである)。各社が同じデザイン,同じ回路図で製造した。高1型の放送局型123号と比べて感度が低いため,受信可能エリアは狭く,主に放送局に近い場所での使用なので,製造数はやや少ない。真空管は12Y-R1, 12Z-P1, 24Z-K2の3本で, それに安定抵抗管B49が使用されている。キャビネットのデザインも放送局型第123号受信機と同様に規定され,各社が同じ物を製造することになっていた。そのキャビネットであるが,七欧無線電機商会ナナオラの1942年の広告に放送局型第122号受信機が写真入りで紹介されている。政府のラジオ製造規制当局は放送局型受信機の製造を推賞したものの,他の機種の製造を全面的に禁止した訳ではなかったようで,戦争が始まってから久しい1943年にあっても,大メーカのナナオラはトランス付きの並四ラジオを標準10号として販売していた。
これは,テレビアン山中電機製の放送局型第122号受信機。製造は1942年頃と推定される。yahooオークションで入手した。
Fig.129(a) Front view of JBC type 122 Receiver, manufactured by Televian ( Yamanaka Electric Co.), Nobs were, from left, (1)Regenerative adjustment, (2)Tuning and (3)Power switch/ツマミは左から(1)再生,(2)同調,(3)電源スイッチ。同調ダイヤルの文字は0-100のみ,減速機構はない。
放送局型第百二十二号受信機 電源50-60 cps 100V, 20VA 受信周波数帯550-1500kc 感度階級 弱電界級 電気的出力 300mW 昭和 年 月製作NO. 山中電機株式会社 |
シャーシには印(4-4, ロ A)。スピーカは放送協会認定(放)21031の印がある。球は左より12Y-R1(松下RI, 1954年製), 12Z-P1(真鍮足,プロペラロゴ(マツダ), 1級), 24Z-K2(マツダ刻印), その奥にB-37(B-49の代わり,これも真鍮足,プロペラ・ロゴのマツダ製)である。シャーシ上のオリジナル紙箱ケミコンは除かれてシャーシ内部に修理部品が置かれているようだ。アンテナ線は白2本と接地線黒1本。これらはシャーシ上から取り出され,裏板のACコードの穴から外に出される。これらもビニール線となっている。ACケーブルはビニールになっている。
早川金属工業(シャープ)製の放送局型第122号受信機で,製造は1943年11月。Yahooオークションで入手。2台目のコレクションである。1台入手すると病みつきになるのは仕方がない。内部のオリジナル部品の保存状態は良好でシャーシ固定ネジも保存されている。しかし,キャビネットは下部の合板木部が少し朽ちている。裏板ネジが1本しかない。戦後の一時期,保守された痕がある。
Fig.137(a) Front view of JBC type 122 Receiver, manufactured by Sharp ( Hayakawa Metal Industry Co.)/ツマミが2つオリジナルでない。1つは外してある。同調用のツマミも形状は同じだがネジ穴がありオリジナルでないと思われる。
Fig.137(b) NHK Registration Mark/キャビネットの左側面の放マーク。12206と読める。
Fig.137(c) Back view/裏。
シャーシ上のオリジナル紙箱ケミコンは保存されている。シャーシ内部にもある。アンテナ線は左端上面にゴムブッシュがありそこから出ている(テレビアンとは取り出し口の位置が異なる)。木綿被覆線2本と黒ビニール線1本(接地線)。空長と地のタグが残っている。これらはシャーシ上から取り出され,裏板のACコードの穴から外に出される。ACケーブルはシャーシ右端手前から出ている。木綿線が保存されている。シャーシ右端中央には2つのヒューズホルダー,右端奥にはスピーカ線も保存されている。 シャーシの感電防止樹脂足の形状もテレビアンと異なる。スピーカには放送協会認定(放)21094の印がある。
真空管12Y-R1のシールドケースは形状がテレビアン製と異なるが,いずれの122号もフルサイズ型を使用している。頭だけしかないシールド・キャップは,123号でも戦時型(1947年10月制定)で登場するが,本機は1943年製造だ。122号の規格は変更しなかったのだろうか?
Fig.137(d) Close up of chasis. Tubes were, from left, 12Y-R1, 12Z-P1, 24Z-K2 and 58X/残された真空管は左よりマツダ12Y-R1, 12Z-P1, 24Z-K2, 安定抵抗管はB47の代わりに品川電機製のST管型抵抗管トウ58X(QE)が挿してある。真空管シールド・ケースは戦時型のトップ・キャップではなくフルサイズ型である。シャーシ上の真空管ソケットも全てネジ止め。まだまだ省金属の余裕が残されていた。
Ser. 昭和18年11月, 7074 Tube;
chem; マツダ電解蓄電器(理研アルマイト応用, 尖頭電流(300 60)VDC, 最大使用電圧(200 50)VDC, 許容交流電圧(25-5)VDC, 静電容量6-4/50-10uF, 形式PF-344, 昭和18?年9月?, 特許2278, ..., 東京芝浦電氣株式会社,理研 PL; 定格不明..戦後のもの Speaker; 放21094 |
Fig.137(i) Patent List/全会社が同一モデルを製造する時代にあってもSharpの特許を表示している。局型122号とどんな関係があったのだろうか?
Fig.137(j) Check list/シャープの検査証。
このセットは私のコレクションではなく,1995年秋に近所で開かれた戦時中の生活展で見つけて,写真を取らせて貰ったもの。戦後の綺麗なスーパと一緒に並んでいたが,マニアなら涎が出そうになる程の貴重品。
第122号受信機は,123号に比べると製造数が少なく現存しているものは少ないと見え,今日では滅多にお目にかかれない。下記に紹介するラジオはデザインが違うが,構成内容は紛れもなく第122号受信機である。が,本物!?の第122号受信機には認定証が正面パネルに印刷されているから,これは潜りの第122号受信機ということになる。戦後の一時期に作られた可能性もある。(内尾さんのご教示による)。しかもぺらぺらなシャーシや戦時中の刻印付き真空管から判断すると間違いなく戦時中のもので,また,戦後は122号の復活が無かったことから考えても,このラジオが戦争末期に作られた可能性も捨てきれない。
もぐりの放送局型第122号の正面,メーカ不明。パネルはベニア製でひび割れが多い。虫食いもある。スピーカのサラン布が何とも侘びしい。
もぐりの放送局型第122号の裏面。シャーシはブリキ製。その上の銀色の箱はケミコン。ブリキ製。シャーシへの取り付けは紙が挟んであった。
ダイヤル。100分割目盛。中が良く見えないのは,正面の樹脂製透明なパネルが変質して黄色に曇っているから。同じ100分割ではあっても本物とデザインが違うようだ。
裏板。本物はトランスレスの感電対策のため上部が3箇所でネジ止めされていると思われるが,これは普通の並4用である。
真空管,前列左より, 12Z-P1(マツダ刻印), 24Z-K2(マツダ刻印) そしてB49(マツダ)。球のベースに巻いてある黒いテープは,ルーズベースを止めておく絆創膏のようなもの。
真空管,後の列,12Y-R1 と再生コイル。その奥には,VCとダイヤル・パネル。コイルの黄色の部分にはSELECTという文字があった。前列の球を抜くのは至難の業。シャーシがぐにゃぐにゃと曲がった。それ程薄い。
裏板のロック機構。裏板のサン中央に玉ゴンベのボール(透明な樹脂製)と縁取り(アルミ製)がぽつりと見える。