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D3. WWB Type Experimental Receiver (Modified Normal Four Tube Radio) in 1940/有放型受信機の実験機(並4改造) |
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D5. WWB Type Yuho-3 Receiver in 1942/有放型3号受信機 |
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D4. WWB Proto-type Receiver (Modified JBC122) in 1941/有放型受信機の原型(放送局型122号の改造型) |
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D5(158) Yamanaka-Elec WWB Type Yuho-3 Receiver in 1942/山中電機-無線有線兼用受信機(有放第3号型), ('02.2.10) |
D3. WWB Type Experimental
Receiver (Modified Normal Four Tube Radio) in
1940/有放型受信機の実験機 (並4改造)
昭和15年(1940年)10月の東京市と大阪市の第3次防空訓練の際に行った電話線利用有線放送の試験に使用したもの。本文では「市販の音声2段増幅4球式受信機に有線放送用同調ユニットならびに有線無線切り替えスイッチを付加....したもの」と紹介されている。ラジオの改造は入力部分,放送用の再生検波コイルを別に用意した有線用の再生無しコイルに切り替える仕組みである。有線放送の周波数は100, 130, 160kcだった。ラジオ手前に写っている物は左が(電話)加入者用分波器,中央が(放送)局用分波器である。
篠原登他,電灯電力線利用有線放送の総合的実験ならびにその設計方針について(II),電気通信学会雑誌,1941年9月, p596より引用。
このラジオはまさしく放送局型第122号(トランスレス3球)そのもので,本文には回路図も示されている。受信周波数130kcで感度は4mV/50mWであった。
NHK放送博物館のパンフレット(1996年)から引用。 実験レポートは昭和16年(1941年)8月には完結し,太平洋戦争開戦前には全ての報告がなされていたと見える。そして,本当に実用機をラジオ会社に製造させ,電波管制地域の住民に使用させた。
MJ誌1943年1月号には,大阪府下門真町,松下無線株式会社工場での製造の様子が紹介されている。このラジオの中身は,シャーシというより後のプリント基板のようなセットであった。真空管もまだ沢山あるように見えた。このラジオは1台づつ紙につつんで出荷されたようである。
最近,内尾さんのホームページに本物!の正面の写真と裏側から見た写真が紹介された。ぜひご覧下さい。
http://plaza3.mbn.or.jp/~radiokobo/tube-radio/index.html
何とミュー同調である。これが放送周波数帯(550-1500kHz)と極低周波有線放送(130kHz)を連続カバーできる仕掛けだったのである。さらにダイヤルを回すと上のスイッチが働き,アンテナ入力回路が切り替わるのであった。