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D0(126) Toshiba-51 Koichi TRF in 1940/東芝51型, ('00.8.30) |
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DO(149) Victor 5A10/ビクター5A10 in 1943?, ('01.7.28) |
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DO183 (=D0126) Toshiba-51 Koichi TRF in 1940 (Part 2)/東芝51型その2, ('03.8.22), ['0312.13] |
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DO(166) Victor 5A10 (Part 2)/ビクター5A10 (2台目)in 1943?, ('02.6.24) ['02.8.4] |
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DO(142) Columbia 41-A6/コロムビア41A-6 in 1940-1948?, ('01.4.10) |
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我が国ではST管トランスレス・ラジオといえば,高1型4ペン・ラジオの放送局型第123号受信機や3ペンラジオの第122号受信機。製造量が多いこともあって,次々と発掘され,相変わらずの人気を博しています。歴史書にも多くが語られています。ところが,驚くことに戦前には少数ではありますが放送局型以外にも同じトランスレス真空管を使ったいろんなトランスレス・ラジオが市販されていました。さらに,戦後もトランスレス・ラジオがありました。最近入手したコレクションをここで一挙に紹介しましょう。
This is a transformerless type, RF one four tube radio before WWII. It first uses Japan original 150 mA series transformerless type ST tubes, developed in 1939. /このラジオは東芝が1940年9月に発売したトランスレス高1ラジオで,日本放送協会が1940年10月31日に制定した「放送局型第123号」の原型とも呼べるラジオです。
東京電氣(東芝)は日本放送協会の依頼を受けて,米国のラジオ球を原型に日本独自のトランスレス・ラジオ球を開発し1939年5月に販売を開始しました。さらに1940年5月に東芝のラジオ部門ではこの球を用いてドイツの国民ラジオを真似た3球ペントードのトランスレス・ラジオ,東芝41型を発表しました。しかし,日本のトランスレス管は米国の低能率球を単にトランスレス化しただけでしたので,ドイツの専用管のような感度が得られません。このため,サービスエリアが放送局に近い中電界域に限られ,全国に普及するには至りませんでした。そこで東芝は1940年9月に第2弾として,トランスレス高1ペントードを作りました。それがこの東芝51型だったのです。
日本放送協会のトランスレス・ラジオも少し遅れた1940年の10月31日に,中電界用に3ペン型の放送局型122号,微電界用に放送局型123号が制定されました。その意味で,この51型は日本のラジオ史にとって記念すべきトランスレス・ラジオだったといえましょう。放送局型ラジオが制定されてからも,しばらくは東芝51型が製造されました。統計によりますと,放送局型トランスレス・ラジオは,1940年に製造された122号は395台,123号は341台,1941年にはいって122号は75,053台,123号は113,762台となりました。この東芝のラジオは後の統計調査では123号に数えられることもあったようですが,放送協会の正調123号と平行して,1942年頃までに数万台が製造されたと考えられます。
下記にお見せするラジオでは東芝の合格証は残っていないのですが,代わりに電力会社の検査証がキャビネット内部に残っています。東邦電力四日市支店とあり,聴取者の住所は四日市近郊の村だったようです。検査日は昭和15年(1940年)12月とだけ読めます。まさしく,発売直後の51型でした。
Fig.126(a) Front view of Toshiba type 51 receiver/東芝51型受信機。なかなか良いデザイン。ツマミは全てオリジナルではない。ツマミは左から(1)再生調節,(2)電源スイッチ,(3)音量調節。同調ダイヤルは緑の半円周型が550-1500までの目盛り,赤い四角い枠が0-100分割目盛りになっている。バリコンは減速機構付き。スピーカの下のマークは丸に東芝。ダイヤル内にも東芝のロゴがある。ダイヤル目盛りは,赤い四角の0-100目盛りと半円黒色の周波数550-1600kc(逆ダイヤル)の2種。
Fig.126(c) Label of causion for protect to electrical shock/感電防止のために「裏蓋を取外される場合は必ず電源コードを電灯線から外して下さい」と表示してある。アンテナ線,接地線はシャーシに端子板があるのだが鳩目で短いリード線が出ている。ネジの節約なのだろうか?
以下は51型の取り扱い注意(マツダの文献より)
(1)前面のツマミを外すには引き抜いてください
(2)シャーシを出す時は,スピーカーのナットを外すこと
(3)説明書を御熱読ください。配線図はキャビネット底面に貼ってあります
(4)アンテナは赤色リードに,アースは黒色リードに結んで下さい。強電界(放送局に近い所)で聴取するには,アースだけより,アンテナだけの方が良く聴こえます。これはトランスレス受信機の1つの特長です。
(5)受信機が働かない場合は先ずヒューズを調べて下さい。電源回路のテストは電源プラグの導通をテスターで調べれば直ぐに解ります。
Fig.126(d) Label of Toshiba-Matsuda tube and Fig.126(e) specifications of receiver/マツダの球と仕様。消費電力は,当時の標準並4が15VAであるのに比べると,東芝41型は16VAとほぼ同じであるのに対して,51型は23VAとやや多く不経済。
東芝51型の電気的定格
電源電圧:90-110V,
電源周波数:50-60 cps,
全負荷電流:230mA(100V時),
電気的出力 300mW
受信可能周波数:550-1500kc,
感度階級:微電界,
使用真空管:12Y-V1, 12Y-R1, 12Z-P1, 24Z-K2,
安定抵抗管:B-37(加熱繊條電流安定用)
電解蓄電器:マツダPH-440(300V/6uF-4uF, 150V/10uF-10uF, 50V/10uF)
パイロットランプ:3V/0.15A
Fig.126(b) Back view, original was transformer-less receiver. However, a power transformer was installed, unfortunatry./裏面。我が国で開発したトランスレスのシリーズ球を使った初のラジオなのだが,悲しいことに何とトランス付きに改造されている。2つの高周波増幅管のシールドケースはブリキ缶。文献の写真(1940年製)と異なり穴が少ない。コイルはシャーシ下にある。
内部に残っている球はB-37のソケットにBESTO KX-12F E 1級,マツダ12Z-P1 1級,マツダ12Y-R1(刻印,ヤ2)初期のクリアガラスでUZ-77を思わせる電極構造,マツダ(カンマツ)12Y-V1 1級(Base 237)。
発見して思わず入手。2台目なのだが,好きなラジオは球無しでも何のその。球無しは廉価である。本機は球無し,スピーカ無し,ツマミ無しの3拍子揃ったジャンクである。1台目は開けてビックリ,トランス付きに改造されていたが,今度はシャーシはトランス付きには改造されていない。シャーシ取り付けネジも無事である。さらに驚くことに袋打ちACケーブルも無事な姿を保っている。本機は多分最近になって,ツマミと真空管,それにスピーカが高価であるため取り外され,別途ストックされてしまったか,売られてしまったに違いない。球無しなのだが,こうトランスレスばかり集めると代替球を真剣に考えねば。(updated '0312.13)
Back View, this is a junk set without tubes, speaker and nobs/本機は球無し,スピーカ無し,ツマミ無しの3拍子揃ったジャンクである。
シャーシは無改造であるが,戦後になって電源回路の故障修理したようで,紙箱型電解コンデンサが交換され,シャーシに大穴が開いている。オリジナルは150V,10uFx2 300V,6uF, 4uF, 50V, 10uFの5個だが,整流用の2個はシャーシ内に,また平滑用の高圧はアルミ筒型がシャーシ上部に取り付けられた。
コイル類やバリコンはオリジナルの姿を保っている。
シャーシの作りは放送局型第123号受信機と比べると遥かに立派である。金属類が多用されている。高周波増幅・検波用のコイルの下に金属製シールド板がネジ留めされている。倍電圧整流に使う筒型電解コンデンサがシャーシ内にも持ち込まれている点を除けば,オリジナルの姿ではないだろうか。
このラジオは日本コロムビア製の高1ペントード・ラジオである。真空管は放送局型第123号や国民型1号,3号と同じトランスレス管を用いており,ヒータは直列点火であるが,オートトランスを搭載し,安定抵抗管B37は使用していない。さらに珍しいことにスピーカは何とフィールド型ダイナミックであり,その駆動電源を得るために整流管の片ユニットを使用し,+Bには倍電圧整流ができない分をオートトランスによる昇圧としている。
日本独自のトランスレスST管を用いた高1ラジオの歴史は,その開発者である東芝が1940年に発売した東芝51型が始まりで,次いでNHKにより標準化された放送局型第123号に引き継がれたということになっている。戦後は,放送局型123号と同じ回路構成でキャビネット・デザインだけにバラエティのある国民型1号,さらにスピーカをマグネティック型からダイナミック型に替えた国民型受信機3号に引き継がれたのは有名な話しである。しかし,本機はどれにも当てはまらない。
一体,いつ頃製造されたものか定かでないが,立派な鉄シャーシや木製キャビネットを見ると,鉄材が調達できる時代と分かるが,しかし,国民受信機であれば表示のあるはずの逓信省の合格証も無いし,それ以後はスーパーヘテロダイン方式が主流となり高1ラジオが製造されたとは考えにくい。したがって,戦前では放送局型第123号が主流になる前の1940-41年頃(昭和15-16年頃),戦後ではスーパーと国民型の狭間1948年(昭和23年)頃と思われる。
Fig.142(a) Front View/キャビネット・サイズはかなり大型で445x260x190mm。ツマミは左より(1)スイッチ付きボリューム,(2)同調, (3)再生である。ツマミが1個紛失,1個はオリジナルでない。キャビネット・デザインはダイヤル目盛りが戦後普及した横行型だが,周波数範囲は550-1500kcと戦前から戦後にかけての範囲である。
このような横行型ダイヤルでツマミが並四と同じ3角配置のパネル・デザインのラジオは戦前にも少数ながらあった。例えば1940年のオーダ電池式受信機(白山電池合名会社)の電池式報国D50号,交流式報国A1-A2, A3, A5号がそれである。(同社は1939年まではエアプレーン型だった)。米国でも横行が主流となるのは1930年代末から1940年代初めである。戦後の並4高1のデザインはもうすこしモダンであるから,案外,戦前製という説も否定できない。オートトランス型の放送局型第11号も1940年制定であった。
Fig.142(c) Inside view/真空管は左より12Y-V1(シールド・ケース内), 12Y-R1(シールドケース紛失), 12Z-P1, 24Z-K2である。シールド・ケースは鉄製でスカート部も鉄製である。残っている球は皆戦後の製造。当初,検波管12Y-R1は12Y-V1と挿し違っていた。キャビネットはかなり大型にもかかわらず,スピーカは何とも小型。キャビネット内面床に貼り紙があったようだが紛失している。裏板も紛失。シャーシ止めネジも3本のうち1本が紛失。アンテナコイルは戦後のナショナル製に置き換えられている。ヒューズボックスはシャーシ上面,24Z-K12の裏にある。
Tube;
12Y-V1; FUTABA "V1", glass print <ステム 緑フ11N>
12Y-R1; FUTABA 12Y-R1, base print <>
12Z-P1; マツダ 12Z-P1, (ツ1)
24Z-K2; FUTABA 24Z-K2, base print <ステム 緑985>
Dial; E684, CR12
Ant Coil; National
Tube socket; 6pin;E651, 5pin;E652
Condencer; E-641(0.1uF)
至る所に部品番号が表示してある。これは1940年代の特長かもしれない。
Fig.142(d) Front view of chasis/シャーシ正面。ダイヤル・メカニズムは横行型の糸かけ式であるが,その取り付け方法は何と戦前の高1並4ラジオの周波数目盛り板と同様にバリコンに直接ネジ止めする方式である。プーリーはプラスティック製である。左にオートトランスが見える。
Fig.142(e) Upper view of chasis/シャーシの上部。VCの中央には2つのセクション間を分断するための大きなシールド板が取り付けられている。そこにダイヤルを裏面から照らすパイロット・ランプが取り付けられている。ダイヤル・メカニズムの表示パネルの左右にはプラスティック製の2つ溝の滑車が2つづつ使われている。
Fig.142(e) Bottom view of chasis/シャーシ内部。検波用段間コイルと紙箱製のケミコンが見える。左上の筒型コンデンサはベークライト筒に紙巻きで部品番号の表示がある。右下スイッチ付きVRはナショナル製でJISマークがあり戦後補修時に交換されたもの。右上の筒型ケミコン2つも戦後補修時のもの。他にも新規に挿入された部品がある。
Fig.142(f) Regenerative Variable capacitor and Detection Coil/再生VCと検波コイル。再生VCはベークライト絶縁の1枚もの。回転は180度のみ。
Fig.142(g) Around recfifier tube socket/整流管ソケット周辺。何故かネジ部に黒いゴム製スペーサを取り付けネジ部に付けてシャーシから沈めている。補修時に持ち込まれたケミコン2つ。
[調べてみると]
トランスレスと思っていたらヒータの直列回路の一部にトランスが入っており,ちょっと見ただけではヒータの点火の仕掛けが分からなかった。ヒータ電圧は直列で12Vx3+24V=60V, 余り40V。小型トランスはヒータ・トランスのようにも見え,オートトランスのようにも見える。どちらだろうか?結局,テスターを持ち出した。探ってみると,トランスの4つの端子の抵抗値はシャーシ・アースを起点に,次のようになっていた。
No.1: AC 0V (chasis ground) ....0 ohm
No.2: AC 100V/Plate No.2 of 24Z-K2 and Heater inlet ....225 ohm
No.3: AC ?V/ Heater outlet ...12.5 ohm
No.4: AC? V/Plate No.1 of 24Z-K2 ....600 ohm
トランス1次側はNo.1-No.2間で,AC100Vが印加される。ヒータはNo.2とNo.3の間に接続され,AC 100Vの1次側と導通があることから,オートトランスと結論付けられる。一方,整流管負荷であるが,No.2はAC100Vを整流してできるDC100V程度の低圧の+Bでスピーカの励磁コイル供給用の+B回路である。No.4はトランスでステップアップしたACを整流して供給する+B回路で,その抵抗値から250V程度出ると思われる。
AC100Vの片側は戦後のトランスレスラジオと同じくシャーシに接地しているので,ACコンセントの極性が不明の場合は確率1/2で感電する。しかし,一旦感電しない方が分かってしまえば簡単で,いつも同じ極性にしておけば後で感電することはない。放送局型第123号はシャーシが倍電圧整流の中点にあるため極性にかかわらず常に確率100%で感電するのだから,大いなる進歩である。
ここに紹介するラジオは日本ビクター(蓄音器株式会社)製の高周波2段5球ラジオです。年代は1941-1943年頃と思われます。変わり種は何と言っても真空管で,戦前に開発され,放送局型受信機に多用されたトランスレスST管のシリーズを用いています。12Y-V1, 12Y-V1, 12Y-R1, 12Z-P1, 24Z-K2の構成です。安定抵抗管は使用しておらず,かわりにヒーター用のオートトランスがあるのは,コロンビアの受信機と同じです。文献,塚原勇氏のトランスレス受信機, ラジオ科学全書, 日本放送出版協会(1943.6)には「某及び某製作所では一種類だけではあるがダイナミック高声器付きのラジオを市販している」との記録があり,また付録にはご丁寧に「ダイナミック高声器を使用したトランスレス受信機」の回路図まで登場しますが,まさかそんなものが本当にあったなんて。
本機はYahooオークションに球無しシャーシ,ジャンクとして登場しました。キャビネットが朽ち果ててしまったものと思われます。真空管は抜き取られ別売されてしまいました。ああ,残念。私が入手できたのは,この残骸だけでした。私のコレクションでは球無し第2号です。しかし,驚くなかれ,私のジャンクのほんの数週間前には,同じYahooオークションでキャビネット付きの現在でも動く完全なものが登場していました。世の中,まだまだいろんなものが残っているようです。ただし,価格は私のジャンクの10倍以上でしたので,私のコレクションも捨てた物でもございますまい。(本当は,捨てそこなったごみ?)
紹介する前に完成品の外観を
では,さっそく,今回のジャンクのシャーシとスピーカを紹介しましょう。
Front of Victor 5A-10 speaker bafful plate and chasis/ 左はスピーカのバッフル板とサラン布,右はラジオシャーシです。ツマミも保存されています。ダイヤルは周波数表示ですが,逆ダイヤルで,時計と反対周りです。
シャーシの銘板。プラスティック製のようですが,6Z-P1系で出力800mWというのはトランス付きの規格です。放送局型123号受信機などは皆300mWしか出なかったのに比べると何と大出力なのでしょう。
シャーシ上。バリコンは3連,ダイヤルの目盛り板は黒い樹脂製で,鉄製フレームの爪が剥がれてベローンとおじぎしています。3本のアルミケースはコイル・シールド。3本の赤く錆びた円筒が真空管シールド。
シャーシ背面。アルミ筒は相当背が低い。電源のヒューズホルダも一人前に2つあるでしょう。当時のトランスレス受信機の特長です。
ツマミがついた状態の底面。右軸は同調駆動機構。中央はレオスタット巻き線抵抗器。左端は回転式電源スイッチです。そうです,再生検波用のバリコンがありません。本機は高周波2段,プレート検波で再生調整は不要です。
ダイナミック高声器はフィールド巻き線付き。12Z-P1用。出力トランスも付いています。しかし,コーン紙が破れています。残念。
さて,どうやって修復しましょう。バッフル板はオリジナルが残っているので,まず,キャビネットの製作から始めましょうか。
[New '02.8.4]日本ビクターラジオ 5A-10号,(日本ビクター蓄音器株式会社,横浜)製の高周波2段5球ラジオ5A10の2台目です。Ser.1101。年代はやはり不明。1941-1943。Yahooオークションで入手。4.5k。123号よりも安い。
[面白情報] 実は5A-10と同じデザインのラジオが戦後でました。無線と実験1950年8月号に日本ビクター新製品として5球スーパー5RS-4型とポータブル(携帯用蓄音機)PE-1型(通称ニッパー)が紹介されています。PE-1は私のページで既に紹介済みですが,問題は5球スーパー。6W-C5, 6D6, DH3A, 6Z-P1, 80HKで構成されています普及機ですが,キャビネットが何と同じデザインです。違う点は僅かにダイヤルが正方向らしいということ。1952-53年に製造されたR-501型と同じシャーシを用いており,ループアンテナまで同じです。
Japan Victor 5A10/日本ビクター5A10, 1台目と何か印象が違う?そう,ダイヤルの上にあるHis Master Voiceのニッパー君です。
キャビネット内の紙はこれだけが残っています。 ダイヤルのパネルの下にJ-3080-5A-10とあります。以前の写真ではツマミがついていましたが,今回は外しました。糸かけ機構が見えます。 シャーシの錆具合も程度が良いようです。後方の検波管12Y-R1の同調コイルのシールド筒頭のグリッド線の引き出し口が180度反対に付いています。 シャーシ上の部品類の保存状態は1号よりも良いのですが,シャーシ内のCR類はいただけない。特にコンデンサーはすっぽぬけています。いきなり通電したかもしれません。右の紙箱はケミコンで,その左の筒はオプションのケミコンのようです。ぶらぶらしてます。 製造年月日はやはり読めません。
真空管が付いています。発見時,24Z-K2と12Z-P1の位置が入れ違っていた。球は掃除されていた。12Y-V1の2本はともに12Y-R1になっていた。12Y-R1の1本は初期型だった。
右奥12Y-V1..マツダ,放,刻,真鍮ピン,スート無し,メッシュS, ステム5, やや青G
左奥12Y-V1.. TVC 1級,ステム(青R1 u), スート
手前左12Y-R1..マツダ,(放がない),刻,スート無し,メッシュS, ステム2, クリヤG
12Z-P1..マツダ,放,刻,真鍮ピン,ステム5, やや青G
24Z-K2..NICE (ステム青9)..片ユニットカソード断線。
大きく,比較的がっちりとできています。スピーカ周部にはフェルトが貼ってあります。 四つ角に補強材とゴム足。 ツマミは折れていた。シャーシ取り付けネジは4つとも付いてませんでした。ツマミにはネジがあり,さらに3本の軸には溝が彫ってあったので,シャーシが動いてもツマミははずれることはなかったので紛失を免れましたが,代わりにツマミの軸受け部が割れました。恐らく,シャーシを止めなかった理由は,スピーカの故障によるものと思われます。 スピーカはナット1個で付いていました。3個は紛失しています。 コーン紙は破れていたのですが,外してみると,紙が折れ曲がっていただけで被害は少ないようです。 ところが,出力トランスとマグネットコイルは悲惨な状態。何か改造してあります。出力トランスのボイスコイル側が切れたのでしょうか?しかし,駆動コイル側からも何やら巻いてあります。一体何でしょう?