ANTIQUE JAPANESE RADIO/日本の古いラジオ

written by Koji HAYASHI, Ibaraki JAPAN

Mini-Museum of Japanese Radios/日本のラジオのミニ博物館

Tube Radios Before WWII/戦前の真空管ラジオ

3. War-Time Radios/戦時期のラジオ

1)Nami-Yon and Single RF/並四と高一

3: National Policy type Namiyon
31: National Policy type Koichi
35: National Defence Battery type
34: 'Extra' Transformer-less

2)Broadcasting Corporation Type Receiver/放送局型ラジオ

32C: Japan Broadcast Corporation Type
322:JBC type 122 Transformer-less receiver
323: JBC type 123 Transformer-less receiver
32U:JBC Wired & Wireless

Page 32C Japan Broadcasting Corporation Type 11 Receivers (1939-1945)/放送局型受信機11号

1st ed. (2002.3.7), 3rd ed. (2006.7.5)-(2010.5.3)

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B(155) Matsushita JBC Type 11/放送局第11号受信機, ('01.11.28)


About JBC Type Radio Receiver/放送局型受信機について

放送局型受信機とは,日本放送協会(現NHK)が定めたラジオ受信機の設計・製作仕様のことで,昭和13年,1938年)に放送局型第一号,第三号が初めて「制定」しています。また,1939年3月に第11号を制定しています。それだけですと,何の効用もありませんが,国が法律により認可し,特典を与えました。国はこの放送局型受信機を「標準受信機」として認可,(1939年8月7日に逓信省令第36号により放送用私設無線電話規則の改正が行われ,「逓信大臣に於いて聴取無線電話用標準受信機として認定したるもの」が追加され,同日の告示2295号に「放送局受信機」が認定された),その特典は物品税の免除(支那事変特別税法による規定で,放送局受信機かつ工場出荷額26円未満)でした。

そこで,ラジオ製造各社は,国の認可を受けた「日本標準ラジオ」として足並みを揃えて製造を開始,どこの会社も同じ顔のラジオを販売したのでは,購入者にとっては便利であっても,製造側にとっては如何に自社製品を売るかが大問題。各社の広告も「日本標準ラジオ,放送局型受信機」と銘打って,同じ顔の写真を掲載していますが,これまでに集めたのブランド名に対する信頼に頼った内容となりました。

何故,標準ラジオが必要になったか?というと,どうも戦争準備の一貫であったようです。日本放送協会はそれまで,ラジオの普及と聴取品位を確保する目的で,各地に放送局を建設した他,受信妨害の根絶,感度不足など品質の悪いラジオは結局放送協会の事業の妨げになるとの理由から市場から排除する目的で,製造メーカが一般聴取者に販売するラジオ受信機やラジオに使用する主要部品に対して,技術検査を行い合格したものに日本放送協会のお墨付きを与える,聴取者はそれをもとにラジオを購入する,という構図を描いて,1928年(昭和3年)4月以来,認定制度を続けてきました。この放送協会の認定事業は,いわば工業規格の制定と普及であって,1938年(昭和13年)頃には市場に認定部品を使ったラジオや認定ラジオも数多く出回り,その目的は半ば達成されかけていたといえます。しかし,法律では無いために強制力が無く,「悪貨は良貨を駆逐する」の例え通り,悪貨の出没には相当のジレンマを引き起こしていたようです。それでも,自由経済体制の間にあっては,ラジオ製造分野も各社の経済活動の成果なのですから,それを統制したくともできなかったのです。それなのに,統制の道に進んだのは,やはり戦争の準備という意志が働いたからでしょう。

標準ラジオの利点は,平均的に性能の良いラジオを安価に供給でき,部品流通の面でも無駄な設備投資と競争を省けるというものですが,欠点は,競争が無くなり進歩が止まる,皆同じデザインでは楽しみが無いのは勿論ですが,平均的なラジオは,聴取者の選択の自由を奪うものでもありました。日本全国の電界強度地図を作り,中電界と弱電界用ラジオだけを供給するというやり方は,広く普及するにはなくてはならない方法ですが,1戸1戸の家庭の事情,電界強度,経済状況を無視した方法ともいえ,それに対する救済措置も考慮してこそしかるべき姿。だから,それ以外のラジオも販売して良いはずで,現に他の形式のラジオは製造・販売が禁止された訳ではありません。しかし,物品税や材料調達優遇の形で統制が始まると,それ以外のラジオは存在できなくなってしまいます。

標準ラジオが制定されてからも1941年(昭和16年)頃までは,各社とも様々な部品やラジオを製造してきましたが,いよいよ太平洋戦争に突入すると,統制経済に完全に移行し,放送局型受信機以外のラジオ販売は極わずかになりました。

放送局型第1号, 第3号, 第11号の比較表

型式

感度階級

選択度

音量,消費電力

真空管

構成

第1号受信機

中電界級

単同調,再生付き

500mW, 0.17A

3球,

UZ-57, UY-47B, KX-12F

プレート検波,抵抗結合,SPマッチングトランス付き,+B電源平滑用チョークトランス付き

第3号受信機

弱電界級

複同調,再生付き

 

350mW, 0.22A

4球,

UY-58, UZ-57, UY-47B, KX-12F

同上

第11号受信機

中電界級

単同調,再生付き

100mW, 0.11A

3球,

UZ-57, UY-47B, KX-12F

グリッド検波,抵抗結合,+Bオートトランス

放送局型第1号,第3号

放送局型第1号,第3号はそれまでの放送協会が主張してきた受信妨害を弱めた,音の良いという条件の付いた経済的なラジオを具体化したものでした。ですから,似たようなラジオはそれまでに各社が販売していましたので,これといって技術的な特長はありません。いわば,放送協会が推薦するラジオといったところでしょう。金属を減らしたといいながら,減らし方は中途半端,段間結合トランス1個を減らしたくらいで,重いトランスは+B電源,+B電源平滑用チョーク,それにマグネティック・スピーカにご丁寧にマッチング用並列トランスまであり,まだ3つ残っています。ダイヤルの飾り窓も金属製です。感度もそれまでの主張でグリッド検波は歪みが多くプレート型にしなさい,再生式は受信妨害が起きるので,使用しないか,発振に至らない工夫をしなさい,つまり感度を悪くしなさい,その分,大きなアンテナを立てなさい,あるいは高周波増幅付きにしなさい,というものでした。高周波増幅付きの方は,再生が半固定で,発振に至らないようになっていました。つまり,音が良く,妨害を起こさないラジオだったのです。しかし,感度が悪かったので,誰も買わなかったことでしょう。既にメーカ製に優れたラジオが幾つもありました。また,貧乏人には感度と引き替えに高価なラジオは買えません。だから,このようなラジオは現在の日本にほとんど残っていません。

放送局型第11号受信機

放送局型第11号受信機は,大きく方向転換し,これぞ,統制型,というラジオでした。放送局型受信機そのものの方向付けが,戦争準備に向けられ,省資源,省電力が第一に掲げられました。いままでのプレート検波,マッチング・トランスによる音質向上などの甘い考えは吹っ飛びました。飾り窓の金属も廃止。でも,第11号は初めからトランスレス・ラジオを開発するまでの繋ぎとして計画されました。まだ,金属の節約には不十分だったからです。第11号は出力を一挙に小さくし,電圧を低くし,その分落ちた感度を補うためにグリッド検波を採用,第1号,第3号の思想と逆行する設計です。まあ,電圧を低くして,妨害を抑制したのでしょうか。ですから,このクラスのラジオでも,各社は自分流に「国策ラジオ」を製造し初めていたので,あまり存在意義はなかったかもしれません。トランスレスならいざしらず,オートトランスの採用という中途半端な選択は僅かな銅線と鉄材節約のために,聴取者は感電の危険にさらされることになりました。このための費用はばかにならなかったでしょう。ツマミ,裏蓋,注意書き,アンテナ線,などなど。


B(155) Matsushita JBC Type 11/放送局第11号受信機
, ('01.11.28)

放送局型第11号受信機。下のサンプルの製造は松下無線(株)で1941年5月製。電源トランスにオート・トランスを用いたペントード3球受信機。真空管はUY-57, UY-47B, KX-12F。

放送局型受信機は,戦時色が色濃くなった1938年1月に第1号,第3号が当時の放送協会(現NHK)により制定され,統一規格モデルとして各社が製造。しかし,まだ知名度も低くほとんど売れなかった。その後継として,鉄材節約の主旨の実践としてオートトランス版である第11号が1939年2月に制定された。

このモデルはシャーシに触れると感電することがあるので,感電型第1号であり,また感電対策が施して有る第1号受信機でもある。戦時中初期1942,3年頃まで作られた。

Front View of JBS Type 11 Receiver/放送局型第11号受信機の正面。ツマミは1個紛失。正面デザインは十字クロスである。当時,帯を付けるデザインは1937年(昭和12年)頃より流行した。初めはチーク材や櫻材による美しいコントラストだったが,この当時はベニア着色による廉価仕上げとなり,大量生産向けになった。ツマミはネジ無しの絶縁用。このキャビネットの設計はその後,放送局型122号に受け継がれた。

Plate/銘板。1941年(昭和16年)5月製。松下無線株式会社とは現松下電器産業。大阪門真市で製造された。

NHK Registration Mark/キャビネットの左側面の放マーク。放送協会受信機之証11019?既に日本標準ラジオなのだが,未だ放送協会認定番号が付く辺りは,ちぐはぐな制度であった。同じ第11号であっても認定証には製造会社毎に認定した異なる番号が付いているのである。

Back panel/裏板。シャーシに触れることがないよう,ネジ止めされた。

キャビネット底。奥行きが実に薄いことが分かる。木材は正面,底板,側板,ともに合板で,4隅に四角い足兼補強材,側面には三角補強材,正面には補強用角材がある。シャーシ固定は3つのネジ。この取り付けネジはシャーシで絶縁されている。

Causion for Electrical shock!/感電注意。この表示も第11号で義務付けられ,感電型の第122号,第123号に受け継がれた。(注意)機械裏板?を取外される場合は必ず電源コードを電灯線から外して下さい。

 

Power Switch/電源スイッチ

Back View/背面の様子。感電防止のためシャーシ背面にも電気端子が出ない設計である。右側面にヒューズ端子が配置され,アンテナ線は端子の無いリード線型になっている。

Chassis/シャーシ。裏板がネジ止めされていたお陰で,内部は比較的綺麗であった。使用真空管はマツダ刻印で当時のものがそのまま残っている。貼り紙には「マ16.5」などのようにマツダ,昭和16年5月を示すと思われるものが表示されている。シャーシの足にはネジ止め用に黒いプラスティック製の絶縁材が使われた。

ser.7751, キャビ底334

真空管

マツダUZ-57 (マ16.5)

マツダUY-47B (マ16.5)

マツダKX-12F (マ16.5), 3本足

Speaker/スピーカ。ナショナルの浮き文字入りスピーカ。第11号に使用する場合,放送協会認定証付きであることが義務付けられている。

NHK Registration Mark for Speaker

Antena Coil and VC。バリコンは後の戦時型と違って,まだ金属豊富な形式である。

Circuit Diagram of R11/回路図。日本標準ラジオの回路図には英語でDET, AF AMP, RECT, chassisの表示があった。

シャーシは電灯線同電位になる電灯線アース型。アンテナのアースに対してシャーシ・グランドはコンデンサ2個で浮かせてあるのでフローティング・アースとも呼ばれる。使用者はACコンセントに差し込むとグランド側または高圧側になる確率は1/2で,感電の確率も1/2,これは戦後の半波倍電圧整流型のトランスレスTVと同じ。後の第122号,第123号は両波倍電圧型であったので,確率1で,常に感電する方式だった。

何故か,松下のラジオに関する特許一覧が貼り付けられている。各社とも特色を出すには自社が優位なことを示す宣伝材料に使われたに違いない。松下無線のロゴはここの貼り紙にのみ見られるのである。

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