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6JH. History of Japanese MT |
6JB. Early Japanese MT |
6JA. Japanese MT |
6JP. Japanese Type |
6JC. Early TV & Com MT |
6A. American MT |
6X. Electrodes |
6ER. European Rimlock |
6EU. European MT |
6FM. FM Tuner |
Kobe-Kogyo TEN /神戸工業テン |
New Nippon Electric /新日電NEC |
Toshiba-Matusda /東芝マツダ |
Matsushita-National /松下ナショナル |
Hitachi Tubes/日立 |
Minor Brands /マイナーブランド |
6.3V Tubes |
6.3V Tubes |
6.3V Tubes |
6.3V Tubes |
6.3V Tubes |
Miniature Tubes |
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<6BE6-1>, <6BD6-1>, <6BA6-1>, <6BA6-2>, <6AT6>, <6AV6-1,2>,<6AR5>, <6AQ5>,<5MK9>, <6AU6-1,2>, <6AU6-3> |
<6BE6-1>, <6BE6-2>, <6BD6-1>, <6BD6-2>, <6AU6>, <6AT6>, <6AV6-1>, <6AR5-1>, <6AR5-2>, <6AR5-3>, <6AQ5>, <5MK9-1,2>, <6X4> |
<6BE6-1>, <6BE6-2>, <6BD6>, <6AT6>, <6AV6>, <6AR5>, <6X4>, <5MK9> |
<6BE6>, <6BD6-1>, <6BD6-2>, <6BA6>, <6AV6-1>, <6AV6-2>, <6AR5>, <6X4-1>, <6X4-2> |
BESTO, 6BD6, 6AV6, 6AR5, 5MK9 DON, 6BD6, 12BD6, 6BA6, 5MK9, AO-DON 6BA6 Dyne, 6AT6, 12AT6, 35C5, 5MK9 Elevam 6BE6, 12BA6, 6BD6, 12BD6, 12AV6, 35C5, 50C5, 30A5, 6X4, <25MK15> Futaba <6BE6>, <6BD6>, <6BA6>, <6AT6>, <12BE6>, 30A5 Horizon <12AV6>, JRC, 12BE6, 12BA6, 12AV6, 35C5, 35W4 NDK, 12BE6 NTK, 6AR5 PRC <6BD6>, Rodin, 6AR5 SUN, 6AV6, 6BA6 TVC <12BD6>, 6X4 |
Trans.less Tubes |
Trans.less |
Trans.less Tubes |
Trans.less Tubes |
Trans.less Tubes | |
12BE6-1, 12BE6-2, 12BD6-1, 12BD6-2, 12AV6-1, 12AV6-2, 35C5?, 35W4 |
12BE6-1, 12BE6-2, 12BA6, 12AV6-1, 12AV6-2, 12AV6-3, 35C5-1, 35C5-2, 35W4, 25MK15,<Logo, Outline |
<12BD6>, <12AV6>, <25MK15-1,2>, <19A3> |
<12BE6-1>, <12BE6-2>, <12BA6-1>, <12BA6-2>, <12AV6>, <35C5>, <30A5>, <35W4> |
<12BE6>, <12BA6-1>, <12BA6-2>, <12AV6-1>, <12AV6-2>, <30A5>, <35W4> | |
Table of Early-Time Samples/初期の標本の表 |
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Tube Index
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6BE6 |
<TEN>, <NEC-1>, <Toshiba-1>, <Toshiba-2>, <Matsushita-1>, <Matsushita-2>, <Hitachi>, <Futaba> |
12BE6 |
<TEN-1>, <TEN-2>, <NEC-1>,<NEC-2>, <Matsushita-1>, <Matsushita-2>, <Hitachi>, <Futaba> |
6BD6 |
<NEC-1>, <Toshiba-1>, <Toshiba-2>, <Matsushita>, <Hitachi-1>, <Hitachi-2>, <PRC>, <Futaba> |
12BD6 | |
6BA6 |
12BA6 |
<NEC>, <Matsushita-1>, <Matsushita-2>, <Hitachi-1>, <Hitachi-2> | |
6AT6 |
<NEC>, <Toshiba>, <Matsushita>, <Futaba> |
|
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6AV6 |
<NEC-1,2>, <Toshiba>, <Matsushita>, <Hitachi-1>, <Hitachi-2> |
12AV6 |
<TEN-1>, <TEN-2>, <NEC-1> , <NEC-2>, <NEC-3>, <Toshiba>, <Matsushita>, <Hitachi-1>, <Hitachi-2>, <Horizon> |
6AR5 |
<TEN>, <NEC>, <Toshiba-1>, <Toshiba-2>, <Toshiba-3>, <Matsushita>, <Hitachi>, |
35C5 |
<TEN>, <NEC-1>, <NEC-2>, <Matsushita> |
6AQ5 |
30A5 |
<Matsushita>, <Hitachi> | |
6X4 |
<Toshiba>, <Matsushita>, <Hitachi-1>, <Hitachi-2> |
35W4 |
<TEN>, <NEC>, <Mastushita>, <Hitachi>, |
5MK9 |
<TEN-1,2>, <NEC>, <Toshiba-1,2>, <Matsushita> |
19A3 |
<Toshiba> |
6AU6 |
25MK15 |
<NEC>, <Toshiba-1,2>, <Elevam> |
,
Early-Time Samples/初期の標本
Tube |
NEC |
TEN |
Matsuda Toshiba |
Matsushita |
Hitachi |
Elevam |
Besto |
DON |
Horizon |
Dyne |
6BE6 12BE6 |
casiopea 赤 - |
HJ4=58 GG3=57, II4=59 |
52,馬てい,黒P, 点不明 - |
箱MT, RH (1954.8)
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ロゴ
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白
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無印
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6BA6 12BA6 |
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オレンジ - |
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白,青 |
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OG(15)
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6BD6 12BD6 |
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- GG1=57, II2P=59 |
- LL=55, dt |
RH (1954.8), 01/MI=59.9 ナショナルLogo - |
ロゴ
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青
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31-ヲ, 31-メ, 31-ヌ - |
PJ(16) PB(16), MJ(13) |
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6AT6 12AT6 |
箱,赤,溶接 - |
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54?, 中段,点なし,角 - |
RH (1954.8)
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無印 無印 |
F57 F57 |
6AV6 12AV6 |
casiopea 赤 - |
- GH5=57, IJ4=59 |
- LU=56 |
箱MT
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ロゴ
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白(J1,S) 白(トリ),無印 |
36-ハ
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6AQ5 |
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LU=56,4穴 |
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6AR5 |
casiopea 赤, RO L 赤, 銀411=56? |
DE1=54, FJ3=56 KP=61? |
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RH(E) (1954.8) |
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31-F |
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6X4 |
箱,赤,溶接 |
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LL=54-55 nopnt, ft LL=55, ft, リーク |
RH(E) (1954.8) |
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青9L |
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5M-K9 |
casiopea 赤 |
DC1=54, GL1=57, HF2=58 |
53-54 |
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31ハ,36-オ |
PA(16) |
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無印 |
30C5 50C5 |
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?=59 - |
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白(ヘホ), 字消 白(レシ) |
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無印
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30A5 |
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RU=57 |
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白(7I) |
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35W4 |
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II1=59 |
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無印 |
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25M-K15 |
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白 |
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19A3 |
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6AU6 12AU6 |
D1赤 - |
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6C4 |
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LL=55, ft |
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6AL5 |
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LL=55, ft |
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12AU7 |
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ロゴ XLソ |
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ラジオ用ミニアチュア管を最初に「大量」生産したのは日本電気NECでした。1950年から1951年頃。初期の頃は他社が製造していなかったせいもあって,NECのラジオ用ミニアチュア管は,自社ブランドのラジオ以外に,ラジオでも有数のシェアを持つナショナル(松下電器産業)にも採用されました。しかし,初期の頃はミニアチュア管はいまいち人気が無く,苦戦しました。NECの民生用真空管部門は1953年6月に分離して新日本電気となりましたが,ロゴはNECです。さらに1950年代中頃には神戸工業TENや東芝が大量生産に入り,松下も自社製造を開始し,またやや遅れて日立も参入したので,その後NECの販路は思ったほど伸びませんでした。
さて,NECの初期のサンプルを見ましょうか。6.3V管です。しかし,残念ながら,初期といっても本当の初期のサンプルはありません。1951年頃の「大量生産」は高々月産数万本の規模でした。特異な名前を持つ希少管は誰にでも発掘できますが,名前が同じ,顔も同じという極めて月並みな球で,しかも後年,月産数百万本という時代もあったのですから,今の時代にこの種のサンプルを発掘するのは容易ではありません。そこで,まずは手持ちのサンプルで古そうなものを集めてみました。
New Nippon Electric Co. (NEC), for Entertainment: 6AU6(-) with Red print during 1953-54, 6BA6(V32) with White print during 1953-54, 6AU6(T) (233) with the same size as the red print tube, in 1958, and 6BD6(464) with White print in 1959/ 新日電の民生用ラジオ管, 1953-54製の赤いプリントの6AU6(-), 1953-54年製の白いプリントの6BA6(V32), 赤いプリントの球と背丈が同じ1958年の6AU6(T)(233), そして1959年製の白いプリントの6BD6(464), サンプルは中古球。
左の6AU6(-) は,印字色が赤で1953-54年頃と思われます。同じ赤でもNECの電池管にあるオレンジ色や後の通信業務用の赤とは大きく異なり心持ち紫のような赤で印字も線が細いという印象です。同時代の新日電のST管にも見られます。これを探してYahooオークションで1本だけ入手しました。いつもと違って管名の下にロット番号は無く最も古い形と思われます。代わりにステム底に赤インキで「リ」とスタンプしてあります。カタカナの「リ」はイロハでいうと9を指し,1953年製であるとすれば9月製造を,また年代であれば昭和29年(1954年)製を指すものと考えられます。外形寸法(頭からステムまでの寸法Lts)は48.5mm,ピンの長さ(6.5mm)を足した縦寸Lは丁度55.0 mm,1956年以前のNECの規格にある55mm系となります。また,ゲッタは馬蹄形です。
左から2番目6BA6(V32)は,印字色が白なので製造時期は1954年以前か1959年頃となりますが,外形はLts=50mm, L=56.5mmなのでNECの1956年以前の規格にある57mm系となり,この白印字球は1954年以前のものと分かります。ステム底に赤インキで「T」とスタンプしてあります。Tは通信機用なのでしょうか。このサンプルは何故か手元にありました。製造コードは不思議なことにV32とあり新日電の数字3桁とは違います。アルファベット1文字と数字2桁のコードは1959年以降使用されましたが,外形寸法を考えるとこの球は1960年代の製造とは考え難く,1950年代と思われます。私は数字3桁コードが始まる直前の製造かと考えました。1953-54年頃となります。ゲッタはやはり長方形のようです。先の赤色印字に比べて背が高い理由は電極上部シールドの形状にあるかもしれません。グリッド支柱やカソード筒をカバーするようシールド板が真ん中で折り曲げて凸形になっているので余分に高さが必要でした。gm=47。
3番目の6AU6(T)(233)は,先の2本と比べるとやや後の1958年頃の製造と思われますがサイズが1番目6AU6(-)と同じ55mm系なので登場してもらいました。管名非常に薄く残っているので元のインキの色が判別できませんが,6AU6(T)は雑音対策管で製造開始年は1957年頃(グリーンシリーズの6AU6(T)は1958年)ですので,本サンプルはサイズが丁度切換る時期に作られたものと分かります。製造コードからすると1958年製と思われます。電極上部シールドは2番目の6BA6(V32)と同様にグリッド支柱やカソード筒をカバーする形ですが,L型を2枚突き合わせた構造になっています。ヒータは雑音対策管なので2重スパイラル型です。
最後の右の6BD6(464)は,印字色が白ですが1959年の製造と思われます。背が低い(Lts=46.6mm, L=53.1mm)ので,CES規格の54mm系ですから1956年以降,したがって同じ白印字でも後期の製造となります。製造コードから1959年と思われます。骨董市で入手した自作ラジオから取り出したもの。フォントの大きさは大きい3.2mmです。
New Nippon Electric Co. (NEC), for Entertainment: 6BE6(261) in1956, 6BD6(219) in 1959, 6AT6(427, yellow 05) in 1957 and 6AR5(816) in1956, 5M-K9(444) in 1959/ 新日電の民生用ラジオ管。1956年から1959年製のサンプル
サンプルはすべて出所バラバラの中古球。印字の色は銀色(現在は酸化し茶色となっている)なので製造は1954から1959年,ゲッタは全て角型ですので製造年代は結局1955-56年以降となります。ロゴのフォントの大きさの違いにより,6BE6(261), 6AT6(427), 6AR5(816)が1955-57年製造,6BD6(219), 5M-K9(444)が1958-59年製造と推定できます。製造コードを考慮すると, 6BE6(261)と6AR5(816)が1956年, 6AT6(427)が1957年, 6BD6(219)と5M-K9(444)が1959年の製造と推定されます。
なお上記中古球の現在の状態ですが,6BE6(261)がgm=45, 6BD6(219)がgm=83, 6AT6(427)は[em,em,gm]=[38,37,60]と生きています。6AR5(814)は未計測。5M-K9(444)は真空漏れしています。
6AT6系あるいは6AV6系の電極の特徴は時代とともに変わります。2極部プレートは1955-56年頃にはアルミ被覆鉄製で灰色ですが,1950年代末頃には無色(銀色)に変わります。3極部プレートは両サイドにカシメのフィン付きでしたが,やがて板折り曲げの筒のみに変わります。ゲッタははじめ馬蹄形でトップにありましたが,やがて角型になり,最後に6AV6(-)の例のように側面に移ります。
上の写真の3本はいずれも1956年製と推定されます。6AV6(441)と12AV6(861)の例は,ともに印字は銀色,フォントは大, 2極部プレートは灰色,3極部は両サイドにカシメのフィン付き,ゲッタは上部馬蹄形で,外形48mm, 47.7mm(ともに55mm系),1956年頃のものと思われます。
右の写真の 6AV6 (426)は,同じ特徴を有していますが,ゲッタ位置だけが側面に移っています。プリントはうっすらと残っています。製造コードは1956年を指していますが,先の2本よりも後の製造と考えられます。
1つ前の写真で紹介した6AT6(427)の例は,サイズがやや小さくなり,また電極も2極部プレートは灰色,3極部はフィンのない筒型プレート,上部角ゲッタです。製造コードからすると1957年の製造と思われますが,ゲッタが側面でなくトップにあるのは,意外でした。
次に,トランスレス管のサンプルを紹介します。日本電気(新日本電気)ではトランスレス管を1953年には発売していますが,ここではその2年後の1955年頃に製造されたと思われるサンプルです。
NEC Transformer-less tubes in 1955, 12BE6(725), 12AV6(チ), 35C5(725) and 35W4(525), from Sharp Radio Receiver 5M-67./NECの1955年製トランスレス管(シャープ5M-67型ラジオに使用されていたもの)
サンプルは全てシャープ5M-67型ラジオ('55.9購入と記載あり)に入っていたもの。いずれもオリジナル球で製造年代は1955年頃と推定できます。ゲッタは12BE6(725)と12AV6(チ),が馬蹄形,35C5(725) と35W4(525)は角形です。12AV6(チ)の2極部プレートは灰色(アルミ被覆鉄), 3極部はカシメフィン付きプレートです。写真の球のほか,ラジオには中間周波数増幅管12BD6が使われていましたが,残っていたのは1955年の東芝マツダ製でこれもシャープのラジオのオリジナルと考えられます。NECでは6BD6の12V管は少なくとも1954年までは広告には現れず,1955年1月のサンヨーSS-56の記事にようやく現れるくらいなので,製造開始していたとしても需要をまかなう程の数を製造していなかったかもしれません。その後もNECの12BD6はあまり見かけません。
文字色は中古球は普通錆のため燻銀となりますが,保存状態が良かったのか明確な銀色をしています。出力管35C5(525)だけが熱にさらされてか黒みを帯びた燻銀となっていました。製造コードは725または525でともに1955年を示しています。12AV6(チ)だけは3桁の数字が残っておらず,ガラスステムに赤印で「チ」とありました。12AV6の文字はかすれていますが,製造コードが全て消えてしまうようなことは無いと考えれば,「チ」が製造コードと考えられます。1954年以前の製品には先の赤色ロゴの6AU6の例では「リ」とだけ印字されているので,この12AV6の「チ」も3桁数字コード以前に製造されたと考えるのが妥当なようです。
ところで,NECは1953年にトランスレス管を発売していますが,その当時の印字色は赤だったと思われます(1952年製の業務用電池管1T4はオレンジでした)。この時代のNEC製6.3V管やトランスレス管をお持ちの方,ぜひ御寄贈ください!
NEC Transformer-less tubes in 1958, 12BE6(818), 12BA6(638), 12AV6(238), 35C5(438) and 25M-K15(238), from Mitsubishi Radio Receiver 5P-?./NECの1958年製トランスレス管(三菱電機製5P-??型番不明に使用されていたもの)
次に1958年頃に作られたと思われる三菱電機の5球スーパに使われていた5本のトランスレス管です。真空管のサイズもロゴのフォント・サイズも心持ち小さくなりました。12BE6 燻銀(818), ゲッタ長角型,12BA6 燻銀(638), ゲッタ長角型,12AV6 燻銀(238), サイドゲッタ角型,金属色DP, 灰TP, 35C5 燻銀(438), ゲッタ角型,25M-K15 燻銀(238), ゲッタ角型。製造コードも1958年を示しています。
日本電気NECといいながら,実はラジオやTVなどの民生用を手がけた新日本電気NECと,通信機関係の業務用を手がけた日本電気とがあります。どちらもNECを名乗っています。両者は1953年6月に分かれました。まずは業務用のサンプルを。
日電の業務用真空管はロゴ「Nippon」と「 Electric」の間のスペースがやや大きい。民生用の写真と比べてみてください。また,年代特定は6AQ5は裏に「通信用1956-5, 97」,また6AU6は「通信用1961-9」と記されているから楽ですね。
ロゴ:日本電気NECと新日本電気NECはミニアチュア管を製造しはじめた1950年頃から1950年代末まではどちらも「Nippon Electricの文字,中段に菱形のNECのロゴ,下段に管名」というスタイルのロゴを用いました。新日本電気は1953年6月に誕生しましたが,1950年代の製品はロゴを見ただけでどちらの会社の製造かを区別するのは容易ではありません。両者は1950年代末頃にようやく業務を明確に分離し,業務用(通信用)管の日本電気は従来のロゴを踏襲し,一方の新日本電気の民生用管はNECの字だけを大きくした新ロゴに切り替わりましたので,それ以後は製品上の区別は比較的容易です。
特異な日本名(JIS名)を持つ通信管19M-R10とか6R-P10とかは日電製として間違いないのですが,米国名の一般品種では悪いことに同じ品種の真空管も民生用だけでなく,通信用にも使われたので,どちらの会社も別々に作って出荷していました。ラジオ用電池管1T4や通信関係で使われた6AU6など。両者の見分けは容易ではありません。さらに,一般品種の通信用真空管には検査規格だけが異なるものも一部の品種に見受けられ,民生用に新日電が製造した球を製造後に選別し日電が出荷したこともあるようで,こうなると区別も今になっては無意味かもしれません。
1950年代の製品を強いて区別するなら,業務用のものは「Nippon」と「 Electric」の間のスペースがやや大きい点でしょう。管名の文字1つ1つにもスペースを付けているのが業務用,文字間隔が狭いのが新日本電気の民生用となります。また新日電の旧ロゴは,Nippon Electricの文字(フォント)サイズが途中(1957-8年頃)からやや小さくなりますので,製造時代を見分ける手がかりの1つになりましょう。ただし,新日本電気製の「文字間隔が狭い」ロゴの真空管も業務用として出荷されました。「通信機用」という文字が裏面にあり,製造年月付きです。品種がラジオ管に分類される6AR5に見られます。これは新日電が製造した球を選別,エージングして通信機用としたものと思われます。1950年代には通信用とか通信機用という曖昧な分類があり,後に1960年代には通測用というものに発展しました。また同じ電気的特性を持ちながら寿命とか機械的強度とかを規格化した全く別構造の「高信頼管」が1950年代後半から作られました。日電と新日電との間には,曖昧な通信用,通信機用だけがあったものと思われます。
ロゴのフォント・サイズですが,NEC新日電の銀色の印字は1956年以前のものと1958年以降の2種があり,これをNippon Electricの文字(フォント)の大小により,またはNECの菱形の大きさにより区別できます。ElectricのEの文字の縦寸法は大きいもの(3.2mm)は1955-56年頃以前,小さい方(2.8mm)が1958年以降となります。
NEC Logo, 1955, Silver/1955年頃のNECのロゴ,銀色
Font Size, from left, large font (3.2mm hight) during 1953-1958 and small font (2.7mm hight) during 1958-59./NECのロゴのフォント・サイズ,左から大きい縦3.2mm, 1958年まで,小さいもの縦2.7mm, 1958-59年。
時代とともに変わるのは印字の色です。
(a)1950年から1954年頃までの初期の頃はオレンジ乃至赤,(白も使われたかもしれない)。最も古い赤乃至オレンジのサンプルはミニアチュア電池管をご覧下さい。
(b)1954年頃から1956年頃までは銀色(銀色は酸化すると黒くなり,それが剥がれ落ちると茶色やうすい白(痕跡)になる),
(c)1957-58年頃には白色,
(d)1950年代末に再び銀色
(e)新日電の新ロゴ:1959年頃から1961年途中まで白色,
(f)新日電の新ロゴ:1961年から1969年頃まで黄色
になります。銀色は酸化すると黒くなり,それが剥がれ落ちると茶色やうすい白(痕跡)になります。もともとの白色とは異なりますので注意。
新日電は1954年頃から数字3桁の製造コードを管名の下に付けました。工場のロット管理にだけ用いられるもののようで,規則性が見いだせないので年代特定には利用できません。1959年末からはこの文字はガラス浸食による方法となり消えにくい文字となりました。また別の場所に数字2桁あるいは数字1桁と英字の年月コードを通常の塗料で並記したので,年代特定は容易ですが,この文字は消えやすい。
日電の場合,管名の下にアルファベット1文字と数字1文字の製造コードを付けました。これは年代特定にも利用できます。6AQ5の「F5」はF=6年, 5=5月と読めば「通信用 1956-5」と一致します。6AU6の場合,K=11年(つまり61年),9月です。6AQ5のゲッタは馬蹄形でした。
時代を決めるもう1つの特長はゲッタの形状です。1950年代中頃のミニアチュア管にはゲッタ充填棒にU字型サポートを付けたもの(馬蹄形)とサポートが長方形をした角形の2種類が使われました。同じ馬蹄形でもサポートがひどく太いものは東芝製に見られるように初期の製品ですが,真空管の振動特性や上部スペースの具合によってもどちらを選ぶかが異なり,必ずしも時代とは一致しません。しかし,例えば品種を限定すれば,18-2型(7ピンの中背の)ミニアチュア管の場合,馬蹄形が1955-56年頃まで,また角形が1955-56年以降使用されたようです。
Comparison of NEC miniatures Outline -Three Groups; (size from top to stem)
(i) 50 mm; 6BA6(V32) ...
(ii) 48.5 mm, 12BE6(725) and 6BE6(261), ...1955-56
(iii)46.2 mm; 6AU6(868, white 4-01), 6BD6(219) and 12BA6(C19). ..58-59
/外形寸法(頭からステムまでの寸法), (i)50 mm, 左の1本, (ii)48.5mm, 左から2本目と3本目, (iii)46.2 mm; 右の3本.
外形寸法ですが,新日電NECハンドブックに外形に関する記述があり,「従来のNECハンドブック(56年発行)に記載されていた全長が55mmおよび57mmのミニアチュア管は最近無線工業会(CES)で決定した規格CES ET-2の18-2(54.0mm)に統一された」とあります。また,「ミニアチュア管は今年(57年)始めからこの短縮寸法で製造されるが,一部在庫の関係で旧寸法のものが混入するかもしれない」,という記述もあります。私が測定した長さにピンの長さ6.5mmを足したものが全長になります。
グループ(i)6BA6(白印字,1954年以前?)は特異で50mmあります。これがNECの最初期のもので外形寸法が古い証拠の1つとなります。
またグループ(ii)次の2本,1955年の12BE6(725)と1955-56年頃の6BE6(261)はステムからトップチップまで48.5mmあります。写真(iii)次の3本,1958年以降の6AU6, 6BD6, 12BA6は46.2mmと短くなります。グループ(i)は50+6.5=57mm系, グループ(ii)は48.5+6.5=55mm系となり, CES以前で従来のNECの規格によるもの,すなわち1955年以前のもの,グループ(iii)は46.2+6.5=53<54mmとなるのでCESの規格によるもの,すなわち1956年以降のものとなります。
Bottom Shield Plate; Left 1954? 6BA6, middle 6BA6 1958-60s and Right 1961 6AU6 for Communications./電極下部のシールド板。左は6BA6(1954年頃), 中央6BA6(58-60年代のもの), 右は6AU6通信用(1961年)のもの
6BA6, 6BD6, 6AU6などの高周波増幅用5極管は,プレートが他の電極の引き出し線と静電結合するのを避けるために,その原型であるST管やGT管の時代から電極の上部と下部にグランド電位のシールド板を持っておりました。絶縁材であるマイカ板の上に金属製のシールド板を乗せた構造ですが,管内が蒸発物質で汚れるとマイカ板上に付着し,特にプレートと各電極間に微少電流が漏れる事故となります。そこで,グリッド支柱に近いプレート筒の縁は,直接マイカ板を触らないように切り取られています。もっとよくばった場合は,マイカ板上でもプレートと各電極の間に切り込みを入れて絶縁性能を向上させる対策が取られます。
ところが,金属板を裏側に貼り付けている高周波増幅管では,せっかくマイカ板に穴をあけても金属板を介して漏洩電流が流れてしまうこともあります。対策としては金属板を貼り付ける際に金属板に窪みをつけて足とし,マイカ板から少し浮かせて絶縁を図る方法があります。また,金属板にもマイカ板のスリットと同じ位置にスリットを付ける方法もあります。NEC(新日電)はご丁寧にスリットをつけました。米国の初期の球にはこんなスリットはありませんでしたが,1950年代後半には採用した会社もあります。我が国では東芝など各社はマイカ板はともかく,シールド板にはスリットを設けませんでした。
写真は下部シールド板の例ですが,左のサンプルはスリットが幅広いもので,初期の製品と思われます。6BA6(白印字, 1954年以前か?)の例ですが,上部電極シールドも特殊でグリッド支柱の出っ張り部を覆い隠すようにできているため,ガラス管全長も50mmにしなければ入り切りません。(写真中央)1954年以後の製品はスリット長さが短くなりました。サンプルはNEC(新日電)の58年以降の6BA6。(写真右)NEC(日電)の業務用の6AU6では1961年になってもこんなものはありません。スリットはNEC(新日電)独自だったかもしれません。
東京芝浦電気(東芝,ブランド名マツダ=1959年まで使用)は,戦後しばらくはST管の6.3V化,次いでST管からGT管への切り替えを目指して生産体制を整えつつあったのですが,米国ではGT管にとってかわってミニアチュア管が東芝の想像を超えた勢いで普及しているとの海外情報を耳にしてようやく方針転換,ミニアチュア管製造を開始したのが1951年でした。とは言っても,その狙いはラジオ管というよりはTVや通信用のミニアチュア管にあったようです。したがって,ラジオ管の品揃えにはさらに数年を要しました。しかし,東芝は戦前から早川金属工業(シャープ),松下無線(松下電器産業ナショナル),ナナオラ,テレビアンなどのラジオ製造会社に幅広いシェアを持っていたので,一旦製造を開始すると早くも翌年の1952年始めには各社に供給を開始しました。さらに,東芝は戦後始めたラジオ・セットの自社組立にも本腰を入れて参入し「マツダ」ラジオを売り出していました。自らマツダ・ラジオにミニアチュア管の使用を開始したのは1954年頃が初めてと思われます。
Toshiba-Matsuda Eraly-Time samples; 6BE6, 6BD6 and 6AU6 (1952?), and 6AT6(1953-54). The outline has a Flat-top and a neck-bottom. The Matsuda Logo without Pointer is located in Center. U-type Getter is used in Former three and Square-type in later one.
/初期の東芝マツダ, 扁平頭,ロゴ外周部の点無し, ゲッタは左3つが馬蹄形,右が角型。
東芝マツダの初期のミニアチュア管のサンプルです。マツダ製品は真空管に製造コードが無く,年代特定の手がかりに乏しいのですが,
6BE6と6BD6, 左の2本は松下製の初期のミニアチュア管ラジオ型番不明(1951-2年頃)に入っていたので製造開始直後の1952年頃の製造と思われます。6AU6のサンプルは入手経緯不明の裸球ですが,特徴が全て同じで同時代のもの。ステムも綺麗で新品に近い球です。
6AT6は箱入り新品で,良く見るマツダの箱に入ってましたが,普通箱のコードが印刷されている下蓋には日本紙化KKKと印刷されているだけで,上蓋の折り曲げ部に箱のコードSB-326 DBがありました。1950年代後半の箱にはさらにひらがな1文字と2桁の数字が並記されるのですが,この箱には無いのでマツダの箱の中でも初期の箱であることは確かです。1953-54年頃と見ました。
さて,初期の球にはどんな違いがあるでしょう。いつもの顔をしていて何も違いが無いって?
LOGO and Tube Name/ロゴと管名
1) 東芝の「マツダ」ロゴのミニアチュア管は1950年代にのみ製造され,ガラス管面に銀色で丸いマツダのロゴと枠付きの管名を印字しました。丸ロゴには縦長楕円と真円がありますが,ロゴと管名のスタイルは一貫して同じです。しかし,実は印字位置が時代とともに異なります。初期から1955年頃までは,管名の位置がほぼ中央にくるようになっていました。真空管をころがして印刷する場合に頭を揃えるようで,ガラス管頭部の肩からロゴ上端部までの長さが,外形T18-2の球(6BE6など)で6mm,T18-3(6AR5など)で12mm程度です。ところが,1955年度中にT18-2もT18-3も4-5mmに改められました。こちらの方が印刷しやすかったのかもしれません。このため,管名位置が上にずれました。T18-3で4mm程度,T18-3で8mm程高い位置に移りました。丸ロゴには縦長楕円と真円があり,mT21では1958年まで縦長楕円,1959年には真円となります。(59年はToshibaに切り替わるので,真円はあるいは業務管の印だったかもしれません)。
もう1つ,東芝マツダは製造コードを印字しませんでしたが,製造日を示すマークを付けました。それが1つは長方形の管名枠の切り込みです。これはまだ解読できていません。もう1つは,マツダの丸ロゴの周囲にある点です。これは年代を示すと思われます。(左下),(左上),(右上),(右下)と時計方向に回ります。点の位置が4つしかないので4年しか表現できません。初期の頃,1951-54年はマツダロゴ外周部に点が見られません。点が現れるのは1955年からのようです。(左下)=1955年,59年,(左上)=56年,60年,(右上)=57年,(右下あるいはなし)=58年,となります。(右下)は使われなかったかもしれません。58年は点がないものがあります。点なしは54年以前もそうですが,印字位置がことなります。59年は実は秋頃に民生用真空管はToshibaロゴに切り替わりました。通信用の一部だけがマツダロゴを使用し続けました。55年と59年の区別はロゴの印字位置の違いで見分ける以外に手はありません。もっとも,製品に実装されて出荷された真空管には58年の中頃から黄色文字で(8A)から(8L), (9A)から(9L)まで並記してある事が多いので,多分区別ができると思われます。(注)年と書きましたが,1959年の点の位置でも58年の後半のものが含まれているので,ひょっとしたら年度かもしれません。その場合,年表示はマイナス1年してください。現在のところ9月まで遡ることを確認しています。
Glass Forming-Stem and Head/ガラス加工-ステムと頭
2) 初期の頃,ガラス管の下部からボタンステムにかけて絞り込んだ形状になっていました。当時のマツダのミニアチュア管の広告にはこのくびれが描かれています。マニュアルの外形図にもこのくびれが見えます。マツダの製品には1950年代末まで僅かな絞り込み,あるいはくびれは見られますが,これほど大きなものはやはり初期に限られるでしょう。後の綺麗なできの球を見慣れていると,希にできそこないに出くわすと邪見にしてしまいますが,このガラス融着技術が未熟だった時代のものが実はミニアチュア管のビンテージ球だったのです。
3)初期のミニアチュア管の外形上のもう一つの特長は頭がとてもフラットだということです。1955年頃には外周部はもう少し丸くなります。トップチップ(頭の排気管の封止)の形状も排気管が段付きになっている(先端が極めて細い)のが特長。
4) 外形寸法も長いようです。マツダの1951年から1955年のマニュアルには底からトップチップまで最大48mmと規定されていますが,写真のサンプルはすべて48.5mmで,0.5mmオーバーしています。ガラス管平坦部の長さに規定はありませんが上から下までの長さが42mm程度あります。1956年頃にCESの規格に準拠することになりましたので,1958年のマニュアルでは最大47.5mmとなりました。55年頃にまず少し短くなり規格に入るようになり,後の製品はガラス管平坦部の長さが約2mm低くなり余裕で規格に納まるようになりました。
Getter/ゲッター
5) ゲッター・サポート金具も形状が違います。ミニアチュア管時代のゲッタは,1本の短い真っ直ぐな棒に充填されていますが,これに他の金属の針金を付けて環にしたもの(支持金具)を使います。東芝のミニアチュア管では始めは馬蹄形の支持金具が用いられましたが,その後,長方形となり,6BA6などの頭部は狭いのでさらに正方形に近い角形が使われました。私はそれらを馬蹄形,角形と勝手に呼んでいますが,正式には皆リングゲッターです。支持金具の形状は機械的強度や電極共振以外に差異はありません。1960年代になるとゲッタ充填部分が環になったゲッターが登場しますが,これは日本ではドーナツ・ゲッターと呼ばれました。
さて,6BE6, 6BD6, 6AU6はやや大型の馬蹄形のゲッタで,逆に馬蹄形のゲッタは1952-53年頃に使われていたことが分かります。6AT6のゲッタは既に角形が付いていますから,やや新しいことが分かります。1953-1954年頃の製品と思われます。
Plate Material/プレート材料
コンバーター管6BE6の円筒プレートと高周波増幅管6BD6や6AU6の円筒外部シールドは,同じ材料を使用するのが一般的ですが,この時代,6BE6の円筒プレートは着炭黒化型ですが,6BD6は濃い灰色(アルミ被覆鉄)です。
さらに6BE6のプレートの切り欠き部は5mmx3mmの長方形,6BD6や6AU6のシールド筒は10mm幅x1mmの広いスリット状です。東芝の切り欠き部の形状は同一品種の球であってもその後1960年代後半まで2種類が平行して現れます。電極の部品製造会社が2社あった,あるいは組立工場が2カ所以上あったのかもしれません。
[2gL] Toshiba-Matsuda Flat-top; two 5M-K9s(1953-54), 6AR5(1954), all are Center-Logo without Pointer/頭が扁平,中央にロゴ,外周部に点なし。 5M-K9は,ガラス頭が扁平で,ステムもくびれがあります。マツダロゴ外周部に点がないので1953-54年頃と思われます。角ゲッタ。2つの5M-K9はプレートのカシメ穴の形状に僅かに違いがあります。左は中古(em=46),右は箱入り(未計測)(SB-351-DA つ10)。
6AR5はマツダラジオ(1954製)に入っていたもので,頭が扁平です。マツダロゴ外周部に点がない。ロゴと管名は銀色でしたが撮影のためにシンプルグリーンで軽く擦ったら落ちてしまいました。プレート筒の綴じ方がスポット溶接です。
6AK5, 12AU7, 12AX7, 6AH6については,別ページをご覧下さい。
[2gL]
6AQ5は,マツダロゴ外周部の点の位置は左上で1956年度を示しています。ロゴの印字位置が上部に移った年の製造です。1954年頃までは頭も扁平でしたが頭が丸くなっています。ただ,電極の造り,プレートの開口部が後のものとは異なり,むしろ54年頃の姿をそのまま残しており,やはり古さを物語っています。
次に1957年頃のマツダ製をみましょう。サンプルは七欧無線(ナナオラ)のトランス付きミニアチュア管ラジオ6M-36(1957年製と推定)に入っていたものです。
マツダのロゴと管名の印字位置が上にあります。ロゴ外周部の点は(左上=1956年度)が6BE6, 6BD6, 6AV6, (右上=1957年度)が 6AR5です。同じラジオに入っているので同時期の製造であるなず。真空管は56年度末から57年度始めにかけて製造されたと見ることができます。トップチップは相変わらずの段付きですが頭の形状はやや丸みを帯びています。東芝マツダに見られるステムのくびれについては,ミニアチュア9ピン(NOVAL)では1950年代末でもくびれが見えるサンプルがありますが,7pinのミニアチュア管ではほとんど無くなりました。
6AR5は,裏側に「ツ」が表示された通信用,業務管です。マツダのロゴはありますが,黄色の製造コード(00)が並記され1960年10月製と分かります。民生用はしかし,マツダロゴの外周部の点は(左下=1959年)です。一体?もし,1959年度製造だとすると製造は1959.4-1960.3の間,その後選別とエージングを経て通信用として出荷されたことになります。東芝は1959年に真空管のロゴを旧来のマツダからローマ字のToshibaに切り替えており,マツダ・ロゴが見られるのは1959年までです。1959年から約1年の間はローマ字のToshibaのロゴと裏側に黄色で旧来のマツダ・ロゴが並記されました。東芝の業務用の真空管(通信用など)は切替がやや遅れ,しばらくの間マツダブランドで出荷されたのです。
6X4は,自作のFujii号(1958年)に入っていた球。ロゴ外周部の点は(右上),1957年度製造ということになろう。
次にマツダ製トランスレス管をみましょう。
12BD6はシャープの1955年製ラジオに入っていたもの。ロゴ外周部の点が左下に見え,1955年度製造。
25M-K15は1954年に発売した球で,左のサンプルは箱入り未使用品, 製造初期のサンプルと思われます。マツダロゴの(左下)に点がありますので1955年度の製造。頭は丸い。どうも1954年の発表時に既に頭は丸かったようです。右のサンプルはロゴが上部に移った後の製造で,ロゴ外周部の点が(右上),1957年度となります。
ナナオラ6M-53に入っていた球のうち,マツダの12AV6と19A3はオリジナル(ラジオ製造当時のもの)と思われ,ロゴ外周部の点は右上,1957年度の製造となります。19A3は我が国では松下からデビューしたのが1956年で,東芝も1957年に19A3の製造をはじめている。ナナオラのラジオは当初1958年頃製造と推定していたが1年程早いかもしれません。ところで,19A3を用いて従来の35W4よりもヒータ電圧16Vの節約。ナナオラ6M-53は節約した電力を一体何に使ったか?正解は,マジックアイ12Z-E8を搭載したのです。
ミニアチュア管(電池)を日本で最初に手がけたのが品川電機(トウ),そしてACラジオ用の米国型ミニアチュア管を最初に製造したのは神戸工業テンでした。神戸工業TENは1950年代初期からミニアチュア管を作りましたが,新日電NECが大量生産に入り売れずに苦戦したのに比べて,ミニアチュア管の販売は業務用(通信用)に狙いを定めていたらしく,民生用ラジオには当時は主流だったGT管を一生懸命宣伝しました。このため,製造量も少なく,いまとなっては初期のサンプルを集めるのは困難でしょう。本格的に民生用のミニアチュア管を製造し始めたのはどうやら1954年頃だったようです。
ここにお見せするサンプルはテンが自社のラジオに初めて搭載した1954年製のものと,その4年後のものです。
神戸工業テンの1954年製の6AR5と5M-K9,1958年製の5M-K9と6BE6。(製造コードはDE1=54年5月1週, DC?=54年3月, HF2=58年6月2週, -, HJ4=58年10月4週)。
6AR5と5MK9(左の2本)はともに1954年製のテンラジオ(TEN製のラジオ5M-10)に入っていたもの。これが私が持っているサンプルの中で最も古い。1954年といえば国内各社が一斉にミニアチュア管ラジオを作りはじめた年です。1954年製の外観的特徴は頭もまるく後世のものとほぼ同じです。プリントの色は白で,ゲッタも角型が使用されていたようです。5M-K9の管名表示にハイフンがないのが少し変わっているでしょうか。それ以外の球は残念なことに保守用真空管に交換されていましたので残っていません。
5M-K9と6BE6(右の2本)は1958年のサンプルで出所は不明。5M-K9(HF2)は管名がハイフン付き,裏に白字で(812, 通信用)とある。6BE6(HJ4)も裏に(812)の印字あり。1958年といえば,トランスレス管が主流になってしまった時代ですが,6.3V管はその後も通信業務用やアマチュア無線に利用されました。
トランス・レス管のサンプルは,トランスレス管が主流になった1957年製,それに全てのラジオがミニアチュア管になってしまった時代の1959年製。
3本は同じラジオから抜いたと思われるサンプル。製造は12BE6(GG3=57年7月3週), 12BD6(GG1=57年7月1週), 12AV6(GH5=57年8月5週), (12AV6だけは真空漏れしています)。神戸工業TEN製ミニアチュア管の外形18-2型はトップチップからステムまで45.2mm, ピンを含めた全長51.7mmですから,1957年の段階で既に後のCES ET-2の規格を満足したサイズとなっており優等生です。CESの規格はもともと輸出を睨んで米国規格との整合をとるために制定されたものと考えられ,TENの場合はRCAとの技術提携により早期から米国規格で製造していたことになる。
12BE6のプレートと12BD6のシールド筒の切り欠き部形状は1957年の段階では縦長だったことが分かります。次の写真から1958年には短い形に変わったことが分かります。また12AV6の3極部のプレート筒は1957年には黒化されていたが1959年には灰色になりました。
(製造コードはII4=9年9月4週, II2P=9年9月12日, IJ4=9年10月4週, -, II1=9年9月1週)。リンカーンのラジオ5A-50(1959年製)に入っていたもの。
松下電器産業は,1952年頃からミニアチュア管ラジオを販売しましたが,NEC製や東芝マツダ製のミニアチュア管を使用しました。しかし,Philipsと提携し松下電子工業を設立,1954年にミニアチュア管を製造し自社製品に使用し始めました。まず初期のサンプルをみてみましょう。サンプルは全て松下電器のラジオDX-370(1954年製)に入っていたもの。
松下製はPhilipsの技術導入により製造設備も新設,製造を開始したため,完成度が高く,その後に構造上のマイナーチェンジをあまりしていないのが特長だ。ガラス管は頭に4つの筋が入っているのはその1つ。しかし幾つかの初期の特長がある。
1) 製造コードが管名の右に印字されている。1954年8月製(RHの文字)。1955年(Qの時代)には製造コードの文字はベース部ステム中央に移る。6AR5にはランク表示(E)がある。
2) トップ・チップが尖っている。次の写真に出てくる1955年のサンプルや1957年のトランスレス管と比べれば分かります。
3) ゲッタは6BD6,6AR5は角型のアングルであるが,四角の支柱2本のへの字型に少し折り曲げている。これが古い形。6BE6, 6AT6, 6X4は支柱が馬蹄形に変わる。特に6BE6は棒状ペレット部分の下側にゲッタ遮蔽用の金属板が付いている。
4) プレートは6X4が黒化,他は灰色のアルミ被覆鉄。プレート(に見えるシールド)開口部の形状は6BD6は横長であるが,後に縦長になる。6BE6の開口部は写真には映っていないが縦長である。ちなみに,当時の松下のラジオでは6BD6に外部シールド・ケースを被せて使用した。逆に6AT6には外部シールド・ケースは使わなかった。
5) また,オーディオ管としての6AR5は1950年代後半にコイル・ヒータが採用されるが,ここではまだヘアピン型である。グリッドフィンも幅の狭い黒化U字板である。
6AV6は自作ラジオFujii号に入っていたもので1955年2月製。トップ・チップは先が丸みを帯びている。5M-K9はやや遅い1958年製で七欧無線(ナナオラ)の6M-36からです。オリジナルはマツダ製でしたが交換球として入っていたもの。6BE6(0K )は1960年製で自作ラジオFujii号に入っていたもの。
Matsushita-National 12BE6, 12BA6, 12AV6, 35C5 and 35W4 (12BE6 is O OD(1957.4), Others O OC(1957.3).
サンプルは全て同一のラジオCX-435に入っていたもの。(回路図には12AV6 or 12AT6とあるが12AV6が実装されている)。1957年3-4月製(ベースピン中央に黒字で印字)。12BE6他の筒状プレートの折り曲げ部は圧着工具でかしめてある。ヒータは既にコイル型となっている。ゲッタは12BE6はやや太い馬蹄形のゲッタ遮蔽付き。他は細身のやや馬蹄形に近い角型となった。12BE6だけやや太い馬蹄形が残った理由はゲッタ遮蔽板が少し重いのに対して固定する場所が第5グリッド支柱の先端1カ所だけなので機械的強度を増しているということだろう。
また,中古球にしてはほとんどの球がステム周辺で激しく黒化(または銀化)している。特に12BA6の開口部対面のガラス面,35W4の上下部など。12AV6は綺麗である。その理由は,トランスレス管のヒータ点灯の過渡電圧によるものと思われる。過渡的に高電圧が加わり電極物質,特にカソード材料(陰極物質)の蒸発が起きて周囲のガラス壁面で凝固するためと考えられる。12AV6の内面が綺麗な理由は12AV6がAC100Vのグランド側に配置されているので最も優しい加熱状態にあったためと解釈される。
後の球はこれほど酷い物は珍しいので,初期のトランスレス・ラジオは加熱時のバランスが良くなかったということになる。12.6Vの球はヒーターウォームアップタイムは11s程度に規定されているが,電圧の高い球35C5や35W4は20s以上が普通であり,特に35W4はAC100Vのホット側に接続されるのでウオームアップのバランスが整う最後まで過渡電圧にさらされる。
ナナオラ6M-53(1958年製)に入っていた松下12BE6(A1/NJ, 1958.10), 12BA6(A1/NL, 1958.12), 30A5(OR/OI, 1957.9)は交換球として持ち込まれたものだろう。特に30A5は我が国では19A3とともに松下からデビューしたのが1956年で,このサンプルは翌年の製造となる。
日立はミニアチュア管の製造開始が遅く,1950年代後半になって本格的に出荷されたようです。私の手元にあったラジオジャンク球はかきあつめても僅かに5本。ラジオに眠っている球にも多少登場してもらい何とか文章が書けました。その後,新たな球を1本見つけて少し改訂。
同社のミニアチュア管は1958年頃には製造コードが記されていたようです。その前の事情は良く分かりません。
ロゴと管名:日立は漢字の日と立を組み合わせた丸いロゴを真空管製造を開始した1940年代の製品に表示しています。古くはそのロゴだけ,後に漢字もいっしょにプリントしたものもあるが,1)ミニアチュア管が出た頃の1950年代中頃は,印字スペースもなかったせいか?日立ロゴと8角枠の管名だけで,1956年頃まで続きました。2) 1957年頃から1960年代中頃まで,管中央に横長の枠の中に管名,その下に日立のロゴ,その右側にHITACHIの文字,というスタイルが続きました。1960年に銀色枠付き管名は管上部に移動,その下にHITACHIの文字とロゴ。
印字色は1956年頃まで白,1957年頃から1960年頃まで銀文字(残っているものはほとんど酸化し黒か薄い茶色になっている),また1950年代後半から白も使われ,やがて白だけになりました。白は字が消えやすいので一度失われるとやっかいです。1960年代の白の場合は裏に小さな管名枠とJAPANだけは銀色で落ちないようになっています。印字位置ですが,初期の頃は管名が中央部にくるように印刷されましたが,1960年に上部に移動しました。
裏面のJAPANと管名ですが,輸出が始まった1956, 1957年頃からの製品には裏側下部に銀印字でJAPANと記してありましたが,1960年9月から10月頃に裏側上部に銀印字で下線付きJAPANをサイズの小さい文字で表示,下線はモールス信号のように短点と長点で数字を隠す,というシステムがはじまる。10月はトツーだった。1961年頃,消えやすい白文字と交換に消えない管名枠が管上部裏側に現れました。1962年以降,小さな枠と管名[12BA6]JAPANは下部に移る。
管壁の製造コードですが,初期の頃,ステムの緑字がありました。ST管時代からのなごりでしょうが,ボタン・ステムのピン1とピン7の狭い空間に筆で手書きする緑字のものが残っています。電極組立時に書くので,できあがった球は裏からほとんど読めないのでたいへん。1950年代末まで続きました。一方,製造後にガラス管表面にプリントするコードは,1960年頃に現れました。ステム底中央にはんこを押すタイプで昔松下がやっていたのと同じです。金文字で(09)=60年9月,(010)=60年10月など。この金文字ペイントは高熱になる球はやはり消える。 1962年以降は,製造コードも管表面に移動し,白字で(22), (51)のようにHITACHIの文字の左右に表示。
プレート材料は50年代は灰色(アルミ被覆鉄)を用いたが,50年代末から60年代始めにかけ着炭黒化プレートを用いた。しかし,60年代中頃から再び灰色(アルミ被覆鉄)へ。
日立マジックフィンガー付きHi-FiラジオS567に入っていた1958年製の球。
1958年製の特徴,管名とロゴの印字位置は下方。印字色は,6BE6, 6AV6, 6X4は銀(酸化し黒)。またステムに緑字あり。6BD6と6AR5は白文字(酸化しない銀?)で,ステムに緑字はない。裏側にJAPANの文字はまだ無い。電極材料としてプレート(またはシールド筒)は灰色(アルミ被覆鉄)が6BE6, 6BD6, 6AR5,黒化着炭が6AV6と6X4である。ゲッタの形状だが,6AR5はU字形の上部グリッドフィンがあるため,それを曲線でとりまくように馬蹄形のアングル,それ以外は角形。
From left, Hitachi 6BA6(1950s), 6AV6(8-5, 1958-5), 6X4(1950s) and 6BD6(8-9, 1958), from Fujii Radio 1958
中途半端なサンプル。印字位置に着目するとすべて中央部にあり1950年代の製造である。6BA6はシールド筒がリブなしで1950年代製造を示すが黒化されている。こんなバージョンもあったのだ。先のサンプルと比較すると1957年以前と思われる。6BD6は自作ラジオに入っていた1958年製の球で既に灰色になっている。
Hitachi 12BE6(010), 12BA6(010), 12AV6(09), 30A5(-) and 35W4(010)./日立ラジオ"エーダS552"に入っていた1960年製の球。
1960年頃の特徴,全部ではないが管名とロゴの印字位置がやや高くなった(12BE6, 30A5, 35W4)。切替の時期だったのだろう。(12BA6と12AV6)は前の位置のままで,管裏下部にJAPANのみ表示がある。位置が高くなったグループは,裏上部に下線(トツー)付きJAPANが表示されている。印字色は12AV6のみが白,他は銀色。全てステムに緑字あり。電極材料は,12BA6を除く球が全て黒プレートになった。12BA6の外周はシールド筒であるから中身は黒かもしれない。また,12BE6と12BA6の筒は2リブ付きに改められた。ゲッターは全て角形ゲッタ。
From left, Hitachi 12BA6(15, 1961-5) and 12AV6(1960s)
中途半端なサンプル。印字位置に着目すると,12BA6と12AV6(消えかかっているが)だけは上部にあり1960年代と分かる。また12AV6の3極部プレートは1960年代でもやや時間が立つと逆に廉価な灰色になった。
日立は1950年代末には管下に8-5のように表示した。その後,ステム中央にスタンプし,やがて管名脇にプリントするようになった。
日立のロゴはすぐに擦れて無くなるものだったが,消えて無くならないインクで(Made in )Japanの表示をした。これは時代とともにあちこちに移した。
ベスト真空管は,戦前からの老舗で,安田電球製造所(1926年),安田真空管工業(1928年)。安田真空管(1939年),戦後,安田真空工業,ベスト真空管製作所(1952.1)となっている。戦中は八曜真空管の供給会社の1つとしてBestoブランドを付して出荷していた。戦後は独立ブランドを取り戻し,BESTOとしてラジオ用ST管を製造していたが,ミニアチュア管の製造にも参入し,1960年代初頭までミニアチュア管を製造したことがサンプルより分かる。
ドン真空管は、ベストと同様、戦前からの老舗でした。戦中を乗り切りましたが、戦後,しばらくして兄弟で分裂し,無線枢機産業(赤ドン,Don Mott)と日本真空管実業(青ドン)に分かれました。どちらもとミニアチュア管を製造したのは驚きです。
左が大変珍しい日本真空管実業(青ドン)のサンプル(埼玉県の保田さんの御寄贈)。右は無線枢機産業(赤ドン, Don Mott)のサンプル。
ダイン真空管、三共電気工業、は、戦後現れた会社で、1950-1960年代に活躍しラジオ用真空管と一部のTV球を製造しました。
ここに紹介したDyneのサンプルは、全てインターネットを通じて,御寄贈いただいた球です。ありがとうございました。
宮田電機エレバムは、ベスト、ドンと並ぶ戦前からの老舗で、戦前の東京電気(東芝)に対抗して、様々な真空管を世に送り出した会社です。ミニアチュア管の製造にも参入しましたが、財閥系でない会社はミニアチュア管のような金太郎あめのごとく大量生産し薄利多売の時代にあっては苦戦を強いられました。それでも、エレバムはラジオ用ミニアチュア管の他に、TV用真空管も生産しました。
秋葉原で近年入手した球です。エレバムは大手製造会社が撤退した後,しばらく保守球を製造したものと思われます。戦前からの老舗でした。
双葉電子工業(FUTABA)は戦後に現れた真空管製造メーカで、はじめはラジオ管を作っていましたが、東芝や日立の工場がある千葉県茂原市に工場があり,部品の流通の面で地の利もありました。そのうちTV用の真空管もてがけ、やがて、大工場で大量生産する大メーカ(単一品を大量に製造するという意味で)となり、多くの真空管会社にOEM製品も出荷したようです。したがって、数多くの真空管製造会社が潰れた1960年代初頭にも生き残り,保守用の廉価な真空管として1960年代初頭に売出し,ラジオどころかTV用の品揃え豊富で重宝しました。東京タワーにショールームがありました。我々にとっては、有名な二流真空管メーカーですが、真空管の新種の開発等はしない代わり、一度設計された真空管を多量に製造するという、いまでいうセカンドソースでした。その多くは米国など海外に輸出され、米国真空管会社を1960年代に駆逐した立役者の一人でした。
Horizon(ホリゾン)は堀川電気(川崎市)のブランド名で,戦時中から戦後の一時期まで活躍しました。1954年に42のビーム版UZ-42Sなど珍しいST管を作ったことで知られていますが,ミニアチュア管まで作っていたとは驚きでした。ホリゾン製12AV6は2極管のプレートにもアルミ被覆鉄が使われており,1950年代末のNEC製に似ています。12AV6は国内では1954年頃に一斉に製造に入った球なので,は1954-1950年代末頃までの製造ということになりましょう。堀川電気は東芝の主力工場のあった川崎市にあり,部品の流通の面で地の利もありました。
JRC日本無線株式会社なのですが、ラジオ用真空管を製造したのは、大正、昭和のごく初期の頃と、その後は、戦後、業務用の仕事が無かった頃で、一般の民生用ラジオ用真空管は、戦後、事業が軌道に乗る頃には子会社の諏訪無線株式会社がJRCブランドで作りました。ミニアチュア管も僅かに製造しました。
NDKは日本電子工業?、ラジオ用真空管の試作をしていたらしい。
NTK。
PRCは謎の真空管製造会社。パールラジオ株式会社なのか?。
PRCというブランド名は氏素性が分かりません。PRC 6BD6は1968年に秋葉原で私が初めて購入した球ですが,電極の造りからNEC製の一族に分類できます。NEC製といえば,1960年頃には「Hamtron」というブランドでNEC製の2級品を販売する会社がありましたが,その系譜でしょうか。
岡谷無線は戦後1946年に長野県に移転しできた会社で、1949年からロダンRODINブランドを登録。ミニアチュア管も1950年代後半から1962年頃まで製造した。
サン真空管は戦前からの老舗の1つ。昔はSANブランドだったが、戦後英語のSUNにした。
TVCは東京真空管で、会社のもとは戦時中の八曜真空管、戦時中、国策で多くの真空管製造会社を一同に集めて販売権を集約したが、戦後、各社は独立し、残った製造設備から出発し、東芝の子会社として、一翼を担った。ST管時代は単独のブランドで販売したが、ミニアチュア管時代になるとごく僅かのラジオ管のみ単独のブランドで販売したらしい。
TVC(東京真空管)は東芝の子会社としてラジオ管やTV球も製造したので,ラジオ管のモデルは東芝(マツダ)製そのもので,箱と管のプリントだけが異なりました。製造量は相当だったのですが,逆に自社ブランドでの販売は珍しく,このサンプルは希少です。TVCの12BD6のシールドの切り欠きはちょうどマツダ-東芝の大きい切り欠きの方のモデルに一致し,このページの東芝の項でプレート材料が2社から納めてあったのではという疑問を欠きましたが,大きい方はTVCで製造されたものだったかもしれません。
さて,次にマイナーブランドの箱を紹介しましょう。
ドンモット(赤箱)とドン真空管(青ドン)は戦前有名だったドン真空管の末裔で兄弟が2つに分裂した会社だったと伝えられています。ともにミニアチュア管を製造した模様。赤ドンは傍熱管を1953年代頃に製造販売しています。ロダンは既に紹介しました。ダインは戦後のST管ラジオ時代に活躍しました。ベストも戦前からの老舗で,戦後のST管時代にも活躍しましたが,ミニアチュア管時代になると大資本の大量生産に完敗し撤退しました。
Don, Rodin, Dyne, Best Original Tube Boxes/ドンモット(赤箱, 無線枢機産業), ロダン(岡谷無線), ダイン(三共?電気産業, ダイン真空工業), ベスト(KKベスト真空管, 安田真空工業)のミニアチュア管の箱,写真は津田孝夫さん提供
パームやアポロは比較的時代が新しく1950年頃から活躍,特にサブミニアチュア管や産業用の特殊管で名を馳せました。Luxは戦後のST管時代に活躍したのですが,ミニアチュア管も作っていたとは驚きです。電池管の箱です。SUNは戦前からの老舗でしたが,戦後のラジオ管時代にも活躍し,マジックアイやHi-Fi用のラジオ管を作りましたが,1960年くらいにはすっかり大資本の大量生産に完敗し撤退しました。
Palm, Apollo, Lux, Don, Sun Original Tube Boxes/パーム(日本電子管), アポロ(太陽電子), ラックス(吉田通信機製作所), 青ドン(ドン真空管産業), サン(サン真空工業)のミニアチュア管の箱,写真は津田孝夫さん提供